今日の言の葉 

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月
 
----------------------------------------------------------------------------
 4/30 「憎まれっ子、世にはびこる

       こういうことを言う人がいた。年配の職員だ。少々残念に思いながら、
      正しく直してあげずにいた。それは、「言い得て妙だ」と思ったからだ
      が、年上の人の間違いを指摘するのはなかなか難しいというのが本音で
      ある。
       さて、ボクは、「はばかる」というのは「遠慮する」という意味だと思っ
      ていたので、この言葉については混乱がある。憎まれっ子が遠慮しては
      ばかるのであれば、それは憎まれっ子ではなく、慎み深いよい子になっ
      てしまうわけで、内容に矛盾が生じる。その子は良い子なのか良くない
      子なのか。困ったときは辞書を見るべし。インフォシーク辞書に……。
      -------------------------------------------
      ・憎まれっ子、世に憚(はばか)る     
       人から憎まれるような人間のほうが、かえって世間では威勢をふるう
       ものだ、の意。
      
-------------------------------------------
       ふむふむ、では「はばかる」とは何だ。
      -------------------------------------------
      [一](1)さしさわりがあるとして、さしひかえる。遠慮する。
         (2)障害にあって進むことをためらう。
      [二](1)はばをきかせる。大きな顔をする。
         (2)いっぱいに広がる。はびこる。
      -------------------------------------------
       という結果。つまり、「はばかる」は「はびこる」という意味で使う
      こともあるということ。かの年配の方の間違いは、やはり間違いだと断
      定はできない。しかし、なんということであろう。実にいい加減な言葉
      である。よく見て頂きたい。「はばかる」の意味の[一]と[二]とは、
      まったく逆ではないか。
       子どものころ、妖怪ふたくち女というのにびくびくしたけれど、こん
      なところにもいたのだ。二つの意味をもつ言葉。
----------------------------------------------------------------------------
 4/29  「明日は晴れましょう」

 
      子どものころ、天気予報では、こんな奇妙な日本語が流れていた。子
      ども心に「明日は晴れるでしょう」ではないかと反論していたものだ。
      「○○ましょう」というのは、人を誘っている言葉だからだ。「晴れま
      しょう」なんて言うけど、心は人に決められるものじゃないんだ。「ボ
      クの悲しい心は、人に言われて晴れるものじゃない。」とか思ったものだ。
       いやしかし、最近の天気予報では、さすがにこんな古風な言い方はし
      なくなった。

      1.「明日は全国的に、晴れでしょう。」
      2.「岐阜県地方、明日は晴れるでしょう。」

       これが最近の表現だが、「1」の方は「晴れ」を名詞として扱っている。
      「晴れ+だ」の丁寧な形=「晴れです」だ。つまり、「晴れる」という動
      詞の表現から逃げて問題を解決しているわけだ。
       一方、「2」は、「晴れる」に「です」をつけていることにお気づきだ
      ろうか。「岐阜県地方、明日は晴れるです」と言うとおかしいのに、こ
      れが予想となって「でしょう」の形を取るとおかしさを感じなくなると
      いうのが現代人の弱点だと思うのだが、どうだろうか。
       冒頭の「晴れましょう」は、この問題を見事に解決している。「明日
      は晴れます」の形に「よう(推定)」をつけているわけで、一点の曇りも
      ない正統な日本語である。これが正しいという感覚を何人の人が持って
      いるだろうか。
----------------------------------------------------------------------------
 4/28  「『おはよう』は、『おはようございます』と言うのに、 『さような
      ら』は『さようならございます』と言わないねえ」、という子がいた。廊
      下ですれ違った二人の会話である。ボクは心の中でくすくす笑って職員
      室でじっくり考えることにした。
       これは「さようなら」が、もともとは接続語だからではないかという
      のがボクの意見だ。ご意見を伺いたい。
       「さようなら」を、漢字を使って書くと、「左様なら」である。そう
      そう、時代劇で、誰かに質問された誰かが、「さよう」と言っているの
      を聞いたことはないだろうか。あれは、「そういうこと」と言っている
      のだ。「さようじゃ」と言えば、「そういうことじゃ」になる。だから、
      「左様なら」は、「そういうことなら」という意味である。これは、特
      に別れを表す言葉ではない。
       「さらばじゃ」なんて格好つけた言葉だって、「そういうことなら」だ。
      「さらば」は「さ+あらば」の縮まった形なのだ。それに、子どもの使
      う「じゃね」「それじゃ」も、大人の「では」も、どれもみんな「そう
      いうことなら」ということじゃないか。ううむ、どれも全部、後を引く
      言い方。「そういうことなら」と言われると、続きが気になる。
 
      「そういうことなら、続きは明日にとっておきますね。また明日、会い
       ましょう。」
      「そういうことなら、また明日も一緒にいましょうね。頼りにしていま
       すよ。」
      「そういうことなら、仕方ないから、ちょっとの間、離れているけど、
       すぐまた会えるから、心配しないでね。」
 
       言いたいところを言わないのがこの言葉の作法であるとしたら、日本
      人はなんと美しい言葉を発明したものかと、感動せざるを得ない。
----------------------------------------------------------------------------
 4/27  Webページを印刷すると、右端が切れたり2ページ目が背景だけで
      あったりと、いろいろストレスがあるので、見たままに印刷できるソフ
      トを買った。その名も「インターネット・スグレモ」である。
       ここははっきりと「スグレモノ」と言ってほしいところだが、そうい
      う表現に走っていてもボクは納得しないであろう。そもそも「スグレモ
      ノ」とは何だ。ほかにはない特長をもった、ちょっと自慢の品物だよ、
      というのがそれなのだろうが、もともと日本にあった言葉ではない。ボ
      クがまだ新規採用のころに雑誌から広がっていった言葉だと思うので、
      生まれて20年ぐらいの言葉だろうか。
       歴史の浅さが気になるなどというのは勝手な大人の発想だろうから、
      「○○モノ」という言い方を探ってみると、
 
      ・「
者」系………「くせ者」「田舎者」「嫌われ者」「ただ者」「流れ者」「人気者」
      ・「物」系………「果物」「生き物」「生もの」「際物」
      ・「モノ」系……「眉唾物」「噴飯もの」「考え物」
 
       優れたモノだから「スグレモノ」なのだろうが、ボクたち日本人が、
      ナニナニモノというとき、そのモノから身を遠ざけて、批判的、批評的
      に見ていることが感じ取れないであろうか。あまり優しくないのである。
       だから、「スグレモノ」などとほめてもらっても、ちっともうれしく
      ないはずである。
       あの商品名もそういう配慮があって「スグレモ」にしたということは、
      ……残念ながら考えられないだろう。
----------------------------------------------------------------------------
 4/26  「お箸はご利用されますか」と聞かれた。「いりません」と答えると、
      続いて「スプーンはご利用されますか」とまた聞かれた。コンビニエン
      ト・ストアはワンダーランドだ。
       「ご利用になりますか」と「利用されますか」は、どちらも正しい敬
      語法だが、この合体した「ご利用されますか」は、ちとおかしくはない
      か。
       しかし、レジにいたのは50歳ぐらいの女性。あなたは美しい日本語を
      バックヤードに置いてきたのか。マニュアルはだれが点検しているんだ
      ろう。
       M・ストップはボクを採用するべきだ。いらっしゃいませェ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/25  ビールの「プリン体、90%カット」の広告を見た。
       ビールにプリンが入っているとは知らなかった。知らないままに過ぎ
      た日々がとても惜しい。何だろう、プリン体とは。調べてみよう。

      「4個の窒素原子と炭素原子からできた複式環状化合物」

       なんだろう。こんなおいしくない結果。しかも、採りすぎはよくない
      と書かれている。高尿酸血症とか痛風とかの原因らしい。良かった、ボ
      クはあんまりビールは飲まない。ほかに気をつけなければならない食品
      はないかと探してみると、次のような結果だった。

       油漬イワシ、肝や脳の肉・肉エキス、コイ、タラ、ヒラメ、
       スズキ、貝類、牛肉、ベーコン、豚肉などには、大変多く
       含まれている。

       ぼくの好きなものばかり並んでいる。なんてことだ。ボクはビールこ
      そ好んで飲まなかったものの、ビールを飲むよりずっと危険なものをに
      やにやして食べていたというわけか。微量または含まれていない食品は、
      米飯、パン、うどん、そば、野菜などだった。どう見てもボクに対する
      挑戦だ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/24  学年会というのは職場の会議の一つだが、同僚がその会議で、なんだ
      かのことを「迷惑チック」と言っていた。最年少の先生だった。あはは
      はは、迷惑なようすを軽く言いのけているのだね、若い人は表現がおも
      しろいね、とか思おうとするのだが、どうもしっくりこない。迷惑なら
      迷惑だと言えばよいのに、なんて、固く考えてしまう自分。いや、そん
      なことより不思議なのは、こういう会議の場で緊張しないのだろうか、
      ということであった。
       若い人には、と言い始めたら年寄りの証拠と聞くが、どうでもよくな
      りつつある。覆面レスラーは県議会に出ちゃいけないと思っているのと
      同じくらいの濃度で、若い人たちの言葉はなにか落ち着かないとボクは
      思っている。
----------------------------------------------------------------------------
 4/23  「虐待」と書くとき、緊張する。虎冠(トラカンムリ:この字の部首
      で、上の部分)の次に書くのは「ヨ」だろうか、その逆だろうかと、悩
      んで、結局分からず、いらない紙に二種類書いてみて、腕組みをする。
      左向きのような気もするし、意表をついて右向きであってもいい気もす
      るし、でも、「緑」とか「曜」とか、そういう字はみんな「ヨ」の形だ
      し……。ついに辞書を引く始末。
       覚えるということは、こういうことなのだ。高校までにきちんと覚え
      なかったので、42歳になってもこんな状態。

       90歳になった自分を想像してみたが、やっぱり辞書引いていた。
----------------------------------------------------------------------------
 4/22  FMを聞いていると、「コラボレーション」とか言っている。なんとな
      く格好の良い言葉だが、意味不明。
      -------------------------------------------
        共同作業。共同製作。[collaboration]  (インフォシークによる)
      -------------------------------------------
       そうならそうと早く言ってくれればいいじゃないか。いやいや、そう
      いう日本語があるのに、わざわざ英語を使うのはなぜか。もしかすると、
      「共同作業」では伝わらない微妙な意味の違いがあるのかもしれない。 

      ・「給食当番さんは、人任せにせず、コラボレーションして下さい」
      ・「ちょっと、今日の部活、プール前に集合だって」「掃除のコラボ?」
      ・「ここ唐招提寺では、多くの専門工たちのコラボレーションによって、
        平成の大修理が行われております」

       日常生活で使うには、まだこなれない言葉であることがわかる。

       ちなみ、「コラ・ボレーション」と発音しがちだが、「コ・ラボレー
      ション」が正しいと思う。ラボラトリー[laboratory]という単語がある
      からだ。子どものころ、テレビでウルトラマンを見ていたら、作ってい
      る会社が「キヌタ・ラボラトリー」と出ていた。その「ラボラトリー」
      が実験室・研究室であれば、ラボレーションは……。調べても載ってい
      なかったが、まあ、「製作」とかいう意味であろう。
       あいまいなまま終わろうとする自分に気づいているが、気にしない、
      気にしない。
----------------------------------------------------------------------------
 4/21  ニュースを見ていたら、キャスターの言葉に、「○○はイラクの△△に
      ついて、一定の理解を示しました。」というのがあった。ううむ……。

       いつからだろう、こういう言葉遣い。一定ということは、なにか分量
      があるに違いなく、しかもばらつきがないはずだ。謎の日本語。実に不
      可解である。理科でも「E=IR……一定」などとやった覚えがある。
       ニュースで使う「一定の」には、「ある程度の」という意味があるよう
      だ。それならボクたちも使ってみたい。

      「正座、痛くなっただろ。少しは反省したのか?」「一定のね」
      「お風呂、湯加減はどう? 気持ちいい?」「一定のね」
      「なんだ、赤い顔して。大丈夫か? 熱はないのか」「一定のね」
     
       日常生活に使うと人間関係が壊れるであろうことを発見した。
----------------------------------------------------------------------------
 4/20  先週土曜に脚型を採った。昨日はそれをもとに製作したボク専用のサ
      ポーターの装着日であった。シャア専用ザクみたいな感覚。ウキウキ気
      分で整形医の所に行くと、いつもは混んでいる駐車場が妙にすきすきで
      ある。ラッキー、ぐらいに思って中にはいると、こんな表示があった。

        4月16日(水)〜19(土) 学会出席のため、代診の先生にな
        ります。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。
                                   院長

       院長先生がいないと分かっていたのでこんなに空いていたのだった。
       しかし院長のメッセージはどうだろう。ボクは代診の先生に診ていた
      だいたのだが、若いが立派な先生だった。言葉も力強く、自信が感じら
      れた。そういう先生なのだが、院長は「ご迷惑をおかけします」と書か
      ねばならない。確かに自分の都合で診療ができないから、来院者にはご
      迷惑なことだ。しかし、代診の先生は自分の都合を曲げてちゃんと来て
      下さっている。院長はこの先生に感謝しなければならないはずだ。しか
      し、患者に対しては低姿勢でなければならない。結局迷惑扱いのような
      言葉が出てしまう。
       こういう状況での言葉遣いは本当に難しい。「ご迷惑をおかけします
      が……」以外にどういう言葉がぴったり来るであろうか。「ご不便をお
      かけしますが……」「お気に召さないでしょうが……」
       どう転んでも立場がないのは代診の先生であるというのが今日の結論
      だ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/19 (3/31の記事で、「よゐこ」について書きましたが、ジャストシス
      テムから丁寧な回答をいただきました。ご返事は4/1にメールにて到
      着していたものを、当方のメールシステムの都合と新学期の忙しさとで、
      見逃していました。ジャストシステムがユーザーを大切に考えているこ
      とを改めて感じさせる内容で、この場を借りてご紹介したいと思います。
      興味のある方は、こちらをクリックして下さい。)
----------------------------------------------------------------------------      
 4/19  「きもい」

       ボクは昭和36年の生まれなので、こういう言葉は子どものころから
      使っていた。「セーター洗ったら、縮んでまって、きもなってまった」
      「このジーパン、しばらくはかなんだら、太ってまって、もうきもきも
      やわ」と使う。衣服が小さくて、着ると苦しい、圧迫感があるというこ
      とを「きもい」と表すのだ。
       この間、新一年生が学生服の襟のカラーをはずしていたので、「きも
      いんか?」と聞くと、「?」という反応だった。何を言っているのか、
      まったく分からないという表情に、あ、そういえば、最近は別の意味で
      使っているのだと気がついた。
       時を越えて再登場した言葉に、思わぬところで戸惑いを感じたボクだ
      が、その一年生は「きもい」と言っているボクを、ワカモノとして受け
      とめてくれたのだろうか。そう思うと、ちょっとは許せる。
----------------------------------------------------------------------------
 4/18  腕時計が好きだ。ネット通販で、もういくつ買っただろうか。
       先日、また買ってしまった。「鉄腕アトム誕生記念」のスウォッチだ。
      しかし、いったいいつ、それを巻いて学校に行けばいいのか。始末の悪
      いものを買ってしまった。中年のオジサンがつけても、ちっとも格好良
      くない。似合わないとわかると文句をつけたくなる。
       まず難癖をつければ、アトムは機械なのだから、「誕生」はおかしい
      だろう。それをいうなら「完成記念日」か「データ入力完了日」か「起
      動日」である。
       まあそれは良いとして、「誕生」と「生誕」とではどう違うか、とか
      そんなことも考えた。きっとこれは社会的・歴史的に大きな意味のある
      人の場合は「生誕」で、一般の、いわゆる普通の人生を送る人は「誕生」
      だ。だから、ボクの平凡な誕生日は、将来ボクが大変な権力者になった
      りしたら「生誕記念日」になるのだし、新興宗教の教祖にでもなったら、
      「ご生誕記念法要」がにぎやかに行われるであろう。


       ボクになれなれしくしておくのも今のうちであるぞよ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/17  「ゲーマー」

       ただゲーム機に向かってピコピコやってるだけの人をこういうのだそ
      うだ。かっこつけて「ゲーマー」だと。ふざけている。
       ふざけているのはやっていることでなく、その呼び名だ。言葉の後ろ
      に「er」をつけて「○○する人」という意味にできるのは、動詞だけだ。
      だから、「ドライバー」、「ランナー」という言い方はできても、「ゲー
      マー」という言い方はない。言うとしたら、「ゲーム・プレイヤー」だ。そ
      ういう言葉はくさるほどある。「サッカー・プレイヤー」、「ジャズ・プレイ
      ヤー」、「ベースボール・プレイヤー」などだ。
       最近は「ナイター」なんて強引な和製英語は「ナイトゲーム」に直さ
      れて、ややうれしいところだ。夜のがナイターなら昼の試合はデイヤー
      と呼ぶようになるのかとはらはらしたものだ。しかし、「ゲーマー」は新
      たなる敵だ。この間、テレビを見ていたら、若手芸人が「ポエマー」と
      か言っていた。詩人のことだと言うが、ゲーマーという呼び方を放置し
      ておくから、こういうことになるのだ。
    
      (くそ、Atok16が「ゲーマー」を一発で変換してくれる。こういう流行
      に流された日本語入力システムは日本語を汚くすると思う。Atok、好き
      だから、こんなことはやめてほしい。)
----------------------------------------------------------------------------
 4/16  昨日の続きになるが、ナマコは漢字で「海鼠」と書く。イルカが「海
      豚」、クラゲが「海月」、トドが「海馬」と表すのに比べるとどうもイ
      ンチキくさい話だ。あれを見て誰かネズミを思い浮かべたであろうか。
      確かにぼてっとしているが、死んだのは別にして、生きているネズミと
      は大違いだ。だいたいネズミにはかわいらしい目がついている。それで
      ちょろちょろとかごの中を走り回ってくれる。あ、これはハムスターの
      ことだが、たいした違いはない。
       で、昨日書いた「このこ」は「海鼠子」と書き、「このわた」は「海
      鼠腸」と書くのだそうだ。
 
       だれか食べたいと思った人は手を挙げてください。       
----------------------------------------------------------------------------
 4/15  子どものころ、祖父にあぶってもらって食べていたのは、木の中に棲
      んでいる何かの幼虫だった。太いものは1cmくらいあっただろうか。子
      どもだから平気だったものの、今では無理である。うるるん滞在記など
      に登場する食文化は、ボクにとっては過去のものだ。
       そのボクが、いまだに口にできないでいる食材、それはナマコである。
      いろいろな生き物と共生して青い地球はあるんだ、とどんなににこにこ
      してみても、ナマコとだけは友達になりたくない。ウニ君はイガイガが
      意表をついているが、ちゃんとした形を持っているので、ナマコとは別
      の領域にいる。彼とは10年ほど前に和解を決めている。つまり、そのこ
      ろ初めて食べて、おいしいと思えたのである。
       そんなナマコを全国に供給する専門店が存在していた。ボクには無用
      の店だが、好きな人にはたまらないだろう。「くちこ」「このわた」な
      どもバリエーションが豊富だ。
       インフォシーク辞書によれば、「くちこ」は、どうも「このこ」と呼
      ぶのが正しいらしい。しかし、「このこ」という表現はいかがか。「こ
      のこ」では何の子か分かりづらい。「たらこ」や「かずのこ」など、メ
      ジャーなものに混じって、何かはっきりしない「このこ」。「このこ」
      とは、「ナマコの子」ということだろう。「このわた」は、「ナマコの
      腸(わた)」である。
       「ナマコ」を略して「こ」と言っているのか。もともと短い名前をさ
      らに暗号化する動きは、何かあやしい。
      「お母さん、何これ?」「今日はこのわたよ」「もぐもぐ、おいしいね、
      これ」「おいしいでしょ、このわた」「うん、大好き」「このこも食べ
      たら?」
       子どもたちはそれがナマコの腸だとか卵巣だとかは知りもせず、次第
      に好きにさせられていく。はっきり「ナマコの腸」とか言わないところ
      には、このような意図が働いているのかもしれない。(ふざけて書いて
      いるようだが、将軍に献上するときに呼び名をはばかったのかも知れな
      いとか、真剣に考えている。)
----------------------------------------------------------------------------
 4/14  このところ、「狂言」だの「裏」だのについて書いてきたが、「裏千
      家」はどうだ。伝統文化にはっきりと示された「裏」意識。
       ボクは子どものころ、「茶道には、表千家と裏千家がある」と聞いて、
      「裏千家」という言葉のなんとも薄寒い響きにときめいたことを覚えて
      いる。いいじゃないの、裏千家。人生裏街道、という言葉もかっこよく
      て好きだったし。
       だが、地図の話では、「裏」は消えている。差別的だからだ。かつて
      の「裏日本」は、「北日本」とか、「日本海側」なんて呼ばれている。本当
      は、「表あっての裏」という意識こそが問題なのだろうが。
       「裏切り」「うらぶれた」「うらやましい」「うらめしい」「うらみ」……。語
      源は「裏」じゃないと思われる言葉も含めて、「裏」は何か悲しい。
       どうして裏千家はこの呼び名をやめないか分からないが、名前は地味
      でも流儀は別なんだから、どうか呼称を変えるのはやめていただきたい。
      (いや、そんな噂はないのだが)
----------------------------------------------------------------------------
 4/13  リバウンドという言葉がある。「リバウンドを制するものはバスケッ
      トを制す」などといって、これはバスケットマンガからの受け売りだが、
      当たって跳ね返ることをいうらしい。ダイエットの話題になるとこの言
      葉がよく使われるが、一度頂点を迎えてさらに跳ね返ってくる体重には、
      リバウンドという言葉がぴったりだ。
       さて、昨日は土曜で休みだったので、整形医に行ってきたのだが、左
      脚の回復が年齢相応に順調で、ついに「松葉杖なしで歩いてもよい」と
      の許可が下りた。軽くワインで乾杯したい気分だ。
       骨折して3〜5週間のころのことを思い起こせば、あのころは筋肉が
      萎縮して、右足に比べて情けないほどのやせようだった。ギプスに覆わ
      れ動くことのない左脚は自らの役目を忘れ、使われない筋肉はどんどん
      消えていった。だから、皮膚がたるんで、看護婦さんも「ふふっ、たぽ
      たぽでしょ」と笑っていた。長期間宇宙ステーションにいた飛行士たち
      は筋力が衰えて、地上で立てなくなると聞いていたが、こんなところで
      実証されるとは。
       一方の右脚は、全体重を支えねばならず、たくましく成長していった。
      学校の男子トイレに入ったときなどは、さすがに松葉杖はつきがたく、
      結局ケンケンして用を済ませたものだが、その当初は大変だった。右脚
      が痙攣するほどで、希望を失った。それがやがて当たり前になり、日本
      ケンケン協会から表彰されるほどの勢いだった。
       しかしこれも一時のことで、ギプスがはずされれば、松葉杖をついて
      はいても、わずかでも体重を感じるようになった左脚は、本来の任務を
      思い出したのか、ろくな運動もしていないのに、太り始めた。一方の右
      脚は、全体重を一人で支える緊張から解放され、ついにやせ始めた。今
      では左脚の方が太くなっている。これはボク本来のバランスを示してい
      る。
       今日は「リバウンド」の話であった。……ちょっと違うと思うが。
----------------------------------------------------------------------------      
 4/12  教職にあるものとして恥ずかしいことだが、最近の読書量の減少はど
      うしたものか。忙しいから読めないのだろうが、忙しくなくても読まな
      いに決まってる。5日ほど前に本屋に行ったが、買ってきたものは、映
      画のDVDだった。子どもの活字離ればかりを嘆いてはいられない。
       最近買った本といえば、「伊東家の食卓」である。ボクがいかにテレビ
      文化に毒されているか知れようというものだが、テレビに毒されていな
      ければ、所詮パチンコだのゴルフだのに毒されていたに違いないからこ
      れはこれで良いのだ。
       それで「伊東家の食卓」をじっくり読み始めたところ、これが大変お
      もしろい。本文では「○○の裏技」と紹介しているが、びっくり続きの
      本である。売れ行きの良さも納得できる。
       そんなことを思いながら読み進めると、妙な違和感。そもそも、「裏
      技」とは、テレビゲーム界の言葉ではなかったか。「AボタンとBボタ
      ンを同時に押して3秒待つと、通常画面では出てこない技が出せる」と
      いったもので、いわば、ずるい手段のことをいうものだった。
       しかるに、この本に書かれているのは、どれもみな賢いものばかりだ。
      「裏」なんて言っていないで、早く「表」にしてあげたい。だいたい、
      「おばあちゃんの知恵袋」なんて言っていた種類の知恵を、「裏技」呼
      ばわり。そういうことが気になった。
       人の知らない技ゆえにそう呼んでいるのだからかわいいものだが。
----------------------------------------------------------------------------
 4/11  通り魔事件が心配だが、しばらく前に、「被害者を装った女が、自作自
      演をしていた」とのニュースを見た。「自作自演」は分かりやすい表現
      だが、テロップが「通り魔事件は狂言」と出ていた。ずれがある。
       どうなのだろう。
       そういえば最近、こうした事件で「狂言」とは言わなくなっている。
      これは、「そんなこと言われてもなんだか分からない」という人たちへの
      配慮なのだろう。ボクだって子どものころ、なんだか分からなかったか
      ら。しかし、さらに理由がありそうだ。
       それは、狂言が日本の古典芸能としての価値を社会一般に認識される
      ようになってきたから、というものだ。我が国の名高い「狂言」を、よ
      くない意味に使ってはおかしいのだ。
       ううむ、それは分かるのだが、それなら狂言の呼び名そのものに問題
      を見つけねばおかしい。「狂言」とは、言うなれば「ばかばかしいこと」
      ということではないだろうか。名古屋弁で言うならば、「たあけらしいこ
      と」なのだ。伝統芸能の名前としてはふさわしくない。
       狂言師の子どもだって、そんな呼ばれ方をする家に生まれたことを、
      一度は恨んだことがあるはずだ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/10  音読みと訓読みの違いが分からないと相談を受けた。「音読みは意味
      がわかるほうで、訓読みは……」とか言っている。それは逆でしょ。
       で、相談というのは、『辺』の訓読みが分からないということだった。
      「音読みは『へん』で、訓読みは『あた・り』だよ」と言うと、「うそ、
      辞書には、訓は『べ』って書いてあった」とのこと。ふむふむ。確かに
      そのとおり。訓には「べ」もあったなあ。
       そう思ったとき、ふと「べ」という訓は、「へん」という音読みが変
      化して定着したものかもしれない、とひらめいた。日本に渡ってきたと
      きの発音が漢字の「音」であるのならば、日本で使われるうちに日本独
      自の発音に変化して定着した、遅生まれの訓というのもあるかもしれな
      い。
----------------------------------------------------------------------------
 4/9   フロッピー。
       なんの意味が込められているのか知らないが、気軽に使える小道具と
      いう語感。かわいい犬みたいだ。口笛ふいて呼んだりして……。
      「ピピッ、フロッピー、フロッピー!」
       ボクのフロッピーは、フリスビーを投げると、喜んで取りに行って、
      そのまま走り去っていくようなフロッピーだ。もっとしっかりしつけれ
      ば良かった。(本文は事実と関係ありません)
----------------------------------------------------------------------------
 4/8   「許可なく校地内への立ち入りを禁ず」
      
       いろいろな用事でいろいろな学校に行くのだが、許可なく入ってきて
      ほしくないという表示は大抵こういうことになっていて、いらいらする。
      これでは「許可なく禁ず」になってしまう。勝手に禁止してますという
      表示。そんなメッセージが、校門辺りに必ずある。
----------------------------------------------------------------------------
 4/7   ラーメンが好きだ。わけても、プリプリした豚骨スープのには胸が躍
      る。毎日食べても飽きが来ないと思える。
       我が家の近所にも、うまくてかなわない店がある。ボクのお気に入り
      は「弾々麺」だ。ラーメンなのに、ベーコンが入っている。そしてレタ
      スがしゃきしゃきして、よだれが出る。ごまがたっぷりで、もうたまら
      ない。で、持ってきてくれる店員さんが一言。
      「ご注文は以上でよかったですか」
       返事に一瞬困ってしまう。「よかったです」と答えてあげようか。そ
      れとも、「よろしゅうございます」と言ってあげればよいものか。
       「です」は、断定の助動詞なので、「よかった」の後ろに来る言葉で
      はない。「よかっただ」がおかしいように、「よかったです」もおかし
      いのである。これを「よろしかったですか」と言ってみても、ちょっと
      丁寧になっただけで、事情は変わらない。
       ラーメン屋でも、店員たるもの、こういう難しい客にも対応できる日
      本語力をつけねばならないのが大変だ。ラーメンも素直においしく食べ
      たいものだ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/6  「美しき、青きドナウ」
       こういう言葉遣いに違和感を感じた人、いないだろうか。ボクがこの
      言葉に初めて触れたのは小学校の六年生だった。
      「美しく、青きドナウだろ」
      と思ったものだ。が、こういう言い方(連体形を重ねる)はまだかわい
      い。間違いではないからだ。現代語にもちゃんと訳せる。「美しい、青
      いドナウ」だ。
       ところが、この間他県に出かけたときに、JRかなにかのポスターで
      「うまし国、○○県」というのに出くわした。テレビでは「うまし酒」
      とかやっている。古語みたいな口調で気取っているのだろうが、連体形
      になっていない。「うまき国」「うまき酒」が正解。
       子どもの世界では「うまか棒」と「うまい棒」が人気を分けているよ
      うだが(ウソ。店で見ただけです。)、こちらはちゃんと文法を守ってい
      る。○○県、見習いたまえ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/5   昨日までの仕事で肩が痛い。どのくらい痛いかというと、「ひどく痛
      い」という状態。
       あれれれ。
       昔はこんな言い方はしなかったと思う。「すごく痛い」と言っていた。
      いつからこんなふうになったのか、自己分析をすると、「少年の日の思い
      出」に行き着く。ボクは中学の時、授業でこの作品に出会っていないか
      ら、教師になってからのことだと思う。そんな大人になってからという
      のもおかしな話だが、ともかく、「ひどく心を打ち込んでしまい……」と
      いう表現にはらはらした覚えがある。
      「ひどく」は「酷く」・「非道く」と書き、程度が甚だしいこと以外に、
      良くない意味を表している言葉だ。ひどい怪我、は「酷い」怪我であり、
      「ひどい人」は、「非道い」・「非道な」人なのだ。
       そうすると、「ひどく心を打ち込んで」は、相当な程度だろう。ボク
      にはそんなに心を打ち込んだ経験がない。そう思うとあの作品の訳し方
      にも納得がいこうというものだ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/4   新学期の準備中。春休みとは名ばかりで、毎日学校に行っている。古
      い教室を受けついで新しい環境を作っていかねばならないのだが、これ
      がなかなかむずかしい。廊下の掲示板を張り替えたり、ペンキを塗った
      りと、教員というのはなんだか左官さんみたいな仕事だ。
       と書いたところで、左官って何だろうと思った。「官」がつくので、
      きっとそもそもは官職の呼び名だったのだろう。なにかがきっかけで壁
      塗りでもさせられた人がいたのかもしれない。いや、そんなわけないか。
      困ったときのインフォシーク辞書。引いてみよう。
      -------------------------------------------
      さかん ―くわん 0 【左官】

      〔宮中の修理に、木工寮の属(さかん)として出入りさせたことから〕
       壁塗りを仕事とする職人。かべぬり。泥工(でいこう)。 「―屋」
      -------------------------------------------
       なるほどね。宮中で仕事をするのに、官位がないと出入りできないと
      いうわけか。そのときだけ与えられた官位ということね。
       夜、仕事が終わって飲み屋に行くと「おれ、昼間は偉い人なんだ」と
      か言っていたかもしれない。
----------------------------------------------------------------------------
 4/3   イラク情勢を伝えるニュースの中で、現地記者とスタジオとのコミュ
      ニケが行われていた。仕事をしていたので、よく覚えていないが、

      「ナントカさん、ナントカカントカは、ナントカですか?」
      「えっとですね、ナントカカントカですね」

       こういう言葉遣いがかっこいいのだ。……「えっとですね」だ。
       すぐに応答できない場合や応答しない場合は、「えっと」だが、自信
      のなさを伝えてしまう。一方の「えっとですね」は、緊迫した中、オレ
      はきちんと答えるぞという意志を表している。
       なんて書いたが、思うことは「ものすごく変な言葉遣い」ということ
      だ。丁寧に言ったって、えっとはえっとじゃないか。でも使いたい気も
      する。
----------------------------------------------------------------------------
 4/2   朝の番組で「わら半紙」について、その名の由来が語られていた。ボ
      クの世代はまさしく「わら」で作った「半紙」を使っていたので、違和
      感はなかったが、今の人たちには不思議なものだろう。
       といったところで、ボクが学生時代に受けた屈辱感はぬぐえない。ボ
      クは山梨県の大学に出ていたのだが、そこで「B紙」と言って笑われた。
      「えっ? なにそれ!」「B紙だって(笑)」というトモダチ。「それっ
      て、模造紙のことじゃない?」
       さよう。模造紙は共通語らしい。しかしだね、B5だのB4だのと言
      われている紙のそもそもの基準サイズは、Bの原版、すなわちBの全紙
      なのだ。これを岐阜県ではB紙と呼んでいる。こういうところに誇りを
      感じて何がおかしい。説明するボクになおも追い打ちをかける同期生た
      ち。
      「いやいや、方言を自慢されても」
      「岐阜では通じても、ここは山梨じゃんねえ」
      「ほうさよ。ここは関東ずら」

       目くそ鼻くそを笑うという言葉が頭をよぎったのを覚えている。
----------------------------------------------------------------------------
 4/1   原器というものをご存知だろうか。単位の基準となるモノのことだ。
      メートル原器だの、キログラム原器だの、そういうモノが世界のどこだ
      かにあると聞いた。世界中のあらゆる物差しはメートル原器のまねをし
      ているだけで、正しい長さを表さない、狂いのあるものだという。そう
      いえば、子どものころ、家にある物差しはみんな好き勝手な長さを示し
      ていて、工作の途中で物差しを変えたりすると仕上がりが合わなくなっ
      て困ったことがある。
       さて、母が語ったところによるとだが、かつて母は洋裁学校に通って
      いたとのことで、それも市内を走るチンチン電車に乗ってのこと。たい
      そう退屈な道のりであったという。母は、窓の向こうを流れていく毎日
      同じ景色を飽き飽きして見ていたが、いつも不思議に思う看板があった
      とのことだ。
      「物差しはかります ○○商店」
       看板はひっそりと電柱に貼り付けられていたそうだ。母は「使ってい
      る物差しが信頼できるものかどうか、正確な物差しで測ってくれる店が
      あるのだ」と、まだ見ぬナントカ商店にあこがれていたそうだ。
       ところが1年ほどたったある日、その看板が「モノサシ・ハカリ・マ
      ス」だったことに気がついて、ずっとだまされていた気分になり、愕然
      としたそうだ。今の人たちは、「マス」って分かるだろうか。
----------------------------------------------------------------------------

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月