今日の言の葉 

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         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

8/31  岐阜市内を車で走っていたら、行き止まりがあった。そこはバスの転
     回場で、一般車が入ってきて駐車したりしないように、注意文が貼り付
     けてあった。

      バス転回場につき 一般車 侵入禁止

      路上誤植だ。ここは「進入」が正しいのだが、「侵入」と考えると、
     ほっかむりをした泥棒が抜き足差し足で空き地に入っていく様子が目に
     浮かんで面白い。
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8/30  どこだったか覚えていないが、ネット上で懸賞のようなことをやって
     いた。その中に、こんな文面が目についたのでメモをしておいた。

     【抽選・当選発表】
      締切後、厳正なる抽選を行い、10月上旬ごろ当選者の方に直接メー
      ルでお知らせします。

      何に目がとまったのかというと、「厳正なる」という表現だ。ここは
     「厳正な抽選」でも十分なのだが、古文調にした方が厳正な感じが出る
     のだろうか、そんな表現になっている。
      現代に生きる権威主義。こんな形で古文はインターネット世代にも受
     け入れられている。
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8/29  人が突然いなくなったとき、ボクたちの世代は「蒸発した」と表現し
     ていた。そして、それが本人の意志によらず、何者かの手によるもので
     あった場合は「誘拐」と言うのが通例だった。しかるに昨今は、「拉致」
     という言葉が席巻しているようだ。言葉を正しい意味で使うようになっ
     たということなのだろう。昔は「誘拐事件」とはいっても「拉致事件」
     という言葉は耳にしなかった。

     「拉致」→「無理やりに連れて行くこと」
     「誘拐」→「人をだまして連れ去ること」  (大辞林第二版)

      つまり、連れ去られる本人にその自覚があるかどうかということでも
     ある。興味深いのは、「ラーメン」の漢字表記にこの文字が使われてい
     ることだ。

     ラーメン 【老麺/拉麺】
     〔中国語。本来は引き伸ばして製する麺(めん)のこと〕
      中国風の、かんすい麺を用いた汁そば。焼き豚・メンマなどを具
      に添えた醤油仕立てのものが普通。支那そば。中華そば。

      「拉致」と「拉麺」の二つを比べると、「拉」の文字に「引っ張る」
     という意味があることが分かる。キーワードは「強引に」だろうか。
      ボクは中国の「刀削麺」が気に入っているが、ナイフを巧みに使って
     煮え湯の中に麺を削り入れていく様子からして、あれはラーメンとはい
     わない。
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8/28  ユニバーシアード大会の報道は、北朝鮮応援団のことばかりやってい
     て、試合の様子が二の次になっているようだ。
      二の次?
      それは三のことかと素朴な疑問もわき上がってくるところだが、冷静
     になりたい。たとえば「二次試験」という言葉をしっかり見つめれば、
     これは「二の次の試験」だ。つまり、二の次とは、二番手、二番目のと
     いう意味なのだ。

      ちょっと今日は辞書も引かずに書いてみた。ずるいと思うが、こうい
     うのも成長のうちだ。
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8/27  「びた一文」というが、銭の単位には「文」があった。これが千枚集
     まると「貫」という。銭は全国に流通していたから、いつしかこれが重
     さの基準にもなったようで、銭一貫の重さを「貫目」と呼んだ。1貫目
     というと3.75kgだ。その千分の一は「モンメ」だが、つまり「文目」の
     意味だろう。しかし字面は「匁」と書いて「モンメ」と読ませている。
      この「匁」、妙な形の字だと思ったら、そもそもが「泉」の草書だそ
     うで、つまり「銭」と同じ音(=セン)を持っているからと手軽に代用
     された文字らしい。
      子どもの遊びに「花いちもんめ」というのがあるが、あれは「一匁の
     花」という意味だろう。二つのチームに分かれて「あの子がほしい」の
     「この子がほしい」のとやり合うわけで、「あの子」を「花一匁」と交
     換しようとする遊びと見えた。二つのチームのバランスが崩れて、人数
     の差が大きくなってくるころが面白かった。

      ボクはゲームの終盤には、必ず人数の少ない方にいたものだと振り返
     るが、この遊びに何かしら哀調を帯びたものを感じるのはそうしたこと
     からだろうか。
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8/26  テレビで「最近、カレーシューが気になるんです」と言っていたので、
     カレーファンのボクとしては耳をそばだてて聞かずにいられない。新し
     いシュークリームの誕生か。持ち歩けるカレー、一口カレー、画期的商
     品の開発だ。
      ところが、アナウンサーは、「このローズオイルを飲むと……」など
     とやっていて、肝心のカレーの話はどこかに行ってしまった。どうなっ
     たのかと思っていると、また突然、「気になるカレーシューがなくなっ
     た」とか言っている。

     「加齢臭」の話題だった。変なシュークリームは売れるわけがない。中
     にわさびの入ったものは食べたことがある。(レクで)
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8/25  24日は地蔵盆の日だった。ボクの生家は寺だが、毎年この日に盆踊
     りを行った。村の人がにぎやかに集まって輪を作ったものだ。一般的な
     盆踊りと時期がずれていたのを、「お寺は本当のお盆は忙しいから」と
     子どもなりに考えていたが、そういうことではなかったようだ。これは
     「地蔵盆」である。子どもを中心に据えた、関東地方には聞かない行事
     である。
      ところで、踊りの始まりを待つ間に御詠歌が歌われたが、歌詞に「う
     らぼん」という言葉が混じっている。「裏+盆」だと理解していたので、
     こんな時期の盆踊りも納得できた。「表盆」に対する「裏盆」である。
      しかし、実際は「盂蘭盆」と書くのが正しい。しかも、ボクたちが普
     通に「お盆」と思っていたものが「盂蘭盆」なのだそうだ。
      今度はその意味が分からなくなったものだ。
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8/24  水泳の大会があった。会場はメモリアルセンターという場所で、何の
     メモリアルかと言えば、「岐阜未来博」である。その会場跡地を利用し
     て、いくつものスポーツ施設が建ち並んでいる。
      場内を歩いていると、灰皿のある場所があった。「喫煙所」と書かれ
     ていたが、あれはどうなのだろう。「健康増進法」が施行され、学校は
     24時間どこも禁煙となったが、健康増進に最も近い施設に灰皿は似合わ
     ない。
      さて、大会の方は順調に展開していったが、場内のアナウンスで思っ
     たことがある。「同じく」という言葉に2つの使い方があるということ
     だ。その会場ではこう使っていた。
     A 「……同じく、3組の競技を行います」
      こうアナウンスする直前のレースは「2組」だが、これは「1年生女
     子自由形」という枠の中での組番号を言ったものだ。その枠を省略でき
     て便利なのだが、これを省略しない言い方もある。その方法では、先ほ
     どのアナウンスはこうなるであろう。
     B 「……同じく、1年生女子自由形、3組の競技を行います」
      同じである部分を「言うか」「言わないか」。どちらが正しいのだろ
     う。どちらも聞き覚えがありはしないだろうか。きっと使っている本人
     も分からないままに使っているのだ。
      どうでもよいことかもしれないけれど、なにか変だと思わないか。
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8/23  ボクが保育園に通っていたころのことだから、今から37年も前になる。
     女の子が一人、過ってボクの顔を叩いてしまった。僕は泣き出してしま
     い、叩いた子はボクを心配して、しきりに「ごめんしてねごめんして
     」と言っていた。しかし、ボクにはその言葉の意味が分からなかった。
      田舎育ちゆえ、「叩いたのはそっちなのに、どうしてボクがゴメンな
     んてしなくちゃいけないんだ」と、痛さをこらえていた。すると彼女は
     突然、「先生! ゴメンしてねって言ってるのに、岸君がゴメンしてく
     れへんのやよ」と大人に訴えに及んだものだから、ボクは驚いて、何が
     何だかわからないままに「する、する、ゴメンする」と叫んでいた。聞
     いた彼女は「良かったあ、先生、ゴメンしてくれたよ」とホッとしてい
     た。
      こういう場合は「ごめんしてね」ではなく、「ごめんなさい」と言わ
     なくちゃおかしい、こちらに罪はないのだ、と思っていたのだが、長じ
     てある日、「御免」という言葉が「許す」という意味だ気づいた。「ゴ
     メンしてね」は「許してね」だったのだ。

      すると、「ごめんなさい」は「御免なさい許しなさい」と言って
     いるわけだ。なるほど、そういえば、「許せ!」という謝り方もある。
     これなど、「これは許せる範囲だ」と判断できるからこそ使える言葉だろ
     う。許すかどうかの判断は相手にあるのに、それを要求するなんて、本
     当に親しい間柄でしかできないことだ。
      ということは、親しくもない相手に「ごめんなさい」は使えないはず
     だ。会社で失敗して取引先に迷惑をかけたとき、「ごめんなさい」は恥
     ずかしい言葉遣いだ。謝るのであれば、「許せないことをしてしまいま
     した、本当に反省しています」という気持ちだけ伝えて、許すかどうか
     は相手に任せねばならない。
      こういうときのために、「申し訳ありません」がある。何を言われて
     も「申し訳」がない、全面的にこちらが悪いと、はっきり言っている。
      潔い言葉だと思う。
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8/22  料理番組ばやりだ。人が作っているものをテレビで見て、よだれを垂
     らす毎日である。寝転がってうまいものを見るというぜいたく。
      テレビからは味も匂いも伝わってこないが、もし「味テレビ」や「匂
     いテレビ」が発明されたら、ボクはきっと「焼き肉チャンネル」にセッ
     トだ。味の番組を見ながら白いご飯を食べる。お気に入りの番組はビデ
     オに録って、タイマーで再生。焼き肉の匂いが目覚まし代わり。学校に
     着いたら、「今朝はショウガ焼きで目覚めた」とか言って自慢する。金
     がかからないので、サーロインステーキとかもローテーションに加えて
     おくのがよい。
      そんな発明がなされる日までは、目で見て味を想像するしかないが、
     料理番組は「お腹の空いた出演者」を動員して視聴者の食欲をあおる。
     食べたい感情が痛いほど伝わってくる。番組作りとは、このように視聴
     者を巻き込むものかと思う次第だ。貴重な食材がその存在を競う番組も
     面白い。

      さて、食べ物の話になってしまいそうだが、言葉の方に引き戻したい。
     ボクが気になるのは、「シェフ」という言葉だ。
      料理をするのが安藤さんだったら、「安藤シェフ」で、伊藤さんだっ
     たら、「伊藤シェフ」。それが現状のようだが、ボクたちがこの言葉を
     初めて聞いたころは、何か重々しい響きを持っていた。
      ただのコックさんじゃない。「料理長」という肩書きを持った人こそ
     がシェフなのだとボクは理解していた。

      chef [ef]
      ━━ n. コック(長), 料理人頭(がしら).

 
      これはフランス語だが、つづりを見ると「チーフ」に似ている。似て
     いるということは、言葉の世界ではとても重要なことだ。語源が同じだ
     と考えてかまわないだろう。
      乱暴なことを書いて終わる。
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8/21  昨日は登校日だった。担任の先生が出張だったので、ボクは代わりに
     学級に入った。男の子が一人、読書感想文をどんな本で書いたのか、見
     せに来てくれた。誇らしげな表情だ。
      タイトルを見てびっくりした。「NPO」と題されている。中学校一
     年生の読む本が、「NPO」である。最近は環境問題やら国際問題やら
     に関心が高いのだなあ。ボクは恐れ入ってしまった。
      何を言っているのか、分からない人のために意味を書いておこう。
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     エヌピーオー [ NPO ] 〔nonprofit organization〕
      非営利組織。政府や私企業とは独立した存在として、市民・民間の
      支援のもとで社会的な公益活動を行う組織・団体。
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      自分も勉強しなきゃ、と思って、その子の手から本を受け取ると、指
     で隠れていたところにも文字があった。読めば「RANPO」である。
      なんだ、江戸川乱歩の本だった。これなら中一に読める。そういう言
     葉をアルファベットで書いてくれるなと思ったが、江戸川乱歩はもとも
     とは、アルファベットを強引に漢字で表現したものなのだった。
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8/20  最近気にかかるのは、「次第」という言葉だ。

      ・平成15年度入学式次第
      ・続いて、会の方は、次第に従いまして……
      ・ことと次第によっては、黙っていない。
      ・夜も次第に更けて参りました。
      ・定員になり次第締め切ります。
      ・世の中、金次第

      こんなに便利な言葉がほかにあるだろうか。使い甲斐がある。
      辞書を見れば、意味のトップに「順序」とある。つまり、「式次第」
     というのは、その式の内容の順序のことを言い、壁に貼ってあるあの紙
     のことを言うのではない。
      この意味が、「次第に」や「〜次第」という言い方に広がっていった
     のだろう。「順番に」「そうなったら次は」「物事の順序を言えば」と
     いう言葉の使い方だ。しかし、言葉の印象がいかめしいので、「〜次第」
     とか使われると、権威めいたものを感じてしまう。それほどの言葉じゃ
     ないのだよ。
      気をつけなければいけないのは、次のような間違いだ。

     「平成15年度三年生を送る会 式次第」

      ナントカの会と言っているのだから「式次第」は似合わない。「式次
     第」という単語があるかのような錯覚と、そこにあるご立派主義がこの
     間違いの原因だ。こういう場合は「式」の字を抜いて「次第」とだけ提
     示してみよう。
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8/19  クラーク博士だが、着任すると、それまであった校則を拒否して「校
     則はひとつでよい。それは BE GENTLEMAN (紳士たれ)である」と主張し
     たという。
      実際に校則が一つになったかどうか不明だが、こういうことで学校を
     守っていける生徒も教員もすばらしいと思う。そこに「めざす自分」が
     あるからこそ、人は紳士でいられるのだ。
      ところで、肝心の「紳士」だが、辞書には次のように載せられている。
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     しんし 1 【紳士】
     
(1)上流社会の男性。 「―貴顕」
      (2)上品で教養があり礼儀正しい男。ジェントルマン。
      (3)成人男性の敬称。 「―用靴下」
                      (インフォシーク辞書より引用)
     ----------------------------------------------------------------
      これは困る。教養や礼儀を身につけてこそ「紳士」でありながら、た
     だ男性であるだけでも「紳士」。初めて紳士服売り場に行った日の戸惑
     いを思い出す。……ボク、紳士じゃないのに、入ってもいいのだろうか。
     いや、ここは、紳士が買い物に来る店であると同時に、紳士になるため
     の買い物をする所なのだ。勇気を出して中に入ろう。
      言葉にいくつもの意味があるのは混乱を生む。クラーク博士が求めた
     「紳士」が「成人男子」などでないのは自明のことだが、ボクたちは誤
     解のない言葉遣いを目指したいと思う。
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8/18  ときどき目にする「道の駅」だが、あれは全国チェーンだと最近気が
     ついた。
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      「道の駅」は、駐車場・トイレ・電話の基本的な休憩施設と、地域
      の自主的工夫のなされた施設で構成されます。
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      と全国「道の駅」連絡会からの案内にある。日本中に701箇所が登
     録を終え、中部地域には85箇所が設置されている。あちこちで見る割
     に少ない印象だ。
      それはそうと、なぜ「道の駅」なのか。
      ここには、「駅とは、鉄道に設置されるもの」という常識がある。線
     路もないのに駅がある、という発想の柔らかさをとって、「道の駅」な
     のだろう。
      しかし、「駅」の歴史は古い。奈良時代には存在した。
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     うまや 0 【▽駅】
      (1)律令制で、中央と地方との連絡のため街道筋の三〇里(約16キロ
       メートル)ごとに置かれた設備。馬・人夫をそろえ旅人の便をは
       かった。
      (2)律令制で、駅の建物。駅館。    (インフォシーク辞書から)
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      つまり、鉄道なんて影も形もなかった時代に、道を行く人々のために
     設置されたものが「駅」なのである。現代には通用しない常識である。
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8/17  Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)

      クラーク博士の有名な言葉だが、これには続きがあった。以下のとお
     りであるという。

      Boys, be ambitious! be ambitious not for money or for
      selfish aggrandizement, not for that evanescent thing
      which men call fame. Be ambitious for the attainment
      of all that a man ought to be.    

     「少年よ大志をもて。金銭や我欲のためにではなく,また人呼
      んで名声という空しいもののためであってはならない。人間
      として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しと
      げるために大志をもて」

      純粋な生き方だと思う。しかし、「金銭のためでもなく、我欲のため
     でもなく」といったあたりから、追いつめられていく気がしないだろう
     か。おまえはどうなんだ、どうなんだと詰問されるかのようだ。
      ボクに言わせれば、我欲のためでも何のためでも、大志を持つことは、
     それ自体、すばらしいことだ。そういう中からさらに抜け出す人だって
     生まれるものだ。コンピュータソフトで金持ちになり、やがて社会のた
     めに私財を投じる人だっている。彼の大志を尊重したい。
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8/16  ライス・カレーの起源は、現在の北海道大学にある。明治の初め、ま
     だ札幌農学校と呼ばれていたころ、その学校にクラーク博士という先生
     がいた。そう、「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士である。まだ日
     本では肉食がタブー視され、明治5年になって、明治天皇が肉食を解禁
     し、ようやく家畜の肉を食べるようになった、そんな時代のことである。
      驚いたことに、クラーク博士は、「日本人の体が貧弱なのは、米食の
     偏重に原因がある」と考えていた。そして、小麦や酪農を導入した欧米
     風農業にもって行くべきだとも考えていたらしい。
      確かに日本人の体格は貧弱だった。戦後、食事が変わったり生活が変
     わったりして、体格はよくなったようだが、しかし、欧米人と比べて歴
     然たる差があるのは、ただ栄養のせいではあるまい。それに、日本食が
     世界中ではやっていると博士が知ったら、なんと言うであろうか。
      さて、農学校の寮の料理の記録には、明治9年にライス・カレーが出
     されたという記録があるそうだ。ボクの好きなトマトやアスパラは入っ
     ていないだろうが、当時も「やった! 今夜はカレーだ!」と小躍りした
     学生がいたことは想像に難くない。
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8/15  カレー屋に夏野菜のカレーが登場するとほっとする。今年はいつまで
     も梅雨が明けないで、このまま秋を迎えるのかもしれないと思っていた
     のだが、トマトやアスパラの色合いはボクを元気にしてくれた。夏しか
     味わえない限定感がどこかうれしい。
      さて、子どものころは「ライス・カレー」か「カレー・ライス」かと
     論争があったのに、最近はとんと聞かなくなってしまった。もう全国ど
     こへ行っても「カレー・ライス」なのだろうか。ライバルがいなくなっ
     て寂しいような思いである。
      ボクが日本語と英語の語順が違うことに気づいたのは小6のころだ。
     苗字と名前の順序が逆。「キシ ヒロミチじゃなくて、ヒロミチ キシ」
     と仲間に告げて回っていた。そういうわけで、「カレー・ライス」さん
     は、英語読みでは「ライス・カレー」さんとなるわけだ。異国の香りの
     する呼び方。
      ところが、苗字と名前の関係についても、最近では事情が変わってき
     た。国際的な話題が登場するニュース番組などでも、「その国での呼び
     方を基本にする」ことが多くなった。
      そういうわけで、最近「カレー・ライス」が多くなったのは、こちら
     が本来だということか。……いや、本来は「ライス・カレー」が始まり
     だったのだ。これについては、明日語ろうかと思う。
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8/14 「瀬戸」について書いてから、「戸」についての認識が変わった。「戸」
     とは、出入り口にはめ込んである板のことではなく、出入り口そのもの
     のを呼ぶ言葉ではないだろうか。そこに大きな板がなくとも、ぽっかり
     開いたその穴を「戸」と呼ぶのだ。ボクにはそう思われてならない。

      家に出入り口さえあれば、
     1.「戸口」に荷物を運んでもらえる。
     2.「一戸建て」と集合住宅の違いを「戸=入口」の数でイメージでき
       る。
     3.「戸籍」とは、戸口の数だけあるものだと理解できる。     
      ついでに、こう考えた。
     4.入口に、横に引いて開く板を付けたら「引き戸」である。
     5.蝶番でとめた、びらびら開く板を付けたら「戸びら」だが、これは
       「扉」と書かないと叱られる。でも、びらーんと開くから、絶対に
       「戸びら」だったはずだ。
     6.「そ」に出るには、「戸」のちょっと向こうに行けばいい。
       外にも出よふるるばかりに春の月  中村汀女
      さらに、「門」と書いて「と」と読むと知ったことが思考を加速する。
     7.「門」とは入口である。「か」とも読む。昨日調べた「明石の門」
       や百人一首で有名な
「由良の戸」とは、海上を行く者にとって、入
       口として意識される場所ではなかったか。
     8.「瀬戸」とは、「瀬(流れの急な部分)」と「戸(入口)」の合成語で、
       そこが危険だと知りつつも、利用せざるを得ない重要な場所である
       ことを表している。
     9.「瀬戸」は、その意味をはっきりさせるには「瀬門」と書いた方が
       イメージが湧く。古文書を引くと、きっとそんな表記があるはずだ
       と、これはただの予感。

      最近おかしな位置にぎらぎら光る星があって、何だろうと思ったら、
     これが火星だそうだ。宵の明星にしては太陽から離れたところに光って
     いるから変だと思ったのだ。あんまり光るので金星と勘違いしたのだが、
     この夏は6万年ぶりの大接近だそうだ。
      天候が良くないが、昨夜は満月とのツーショットが撮影できるチャン
     スだったらしい。梅雨は明けたはずだが、よく降ってくれる。
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8/13  地図を見ながらふと思った。「淡路島」というのは、徳島県に行く途
     中にある島なのだ。「阿波」への道にある島。「阿波路島」だ。
      これをどこを起点にするかといえば、もちろん「都」である。はるば
     る阿波に「下る」イメージだろう。
      瀬戸内海といえば、波が穏やかだととらえがちだが、それは外洋に面
     していないからではないか。外海のうねりとは無縁であろうが、決して
     安全な海とは言えない。そもそも「瀬戸」とは流れの速いところのこと
     を言う。海峡である。瀬戸内にはいくつもの島があって、干満の差が強
     烈な流れを生む。警告をこめて「瀬戸」と呼んだはずだ。
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     あわじ-のせと あはぢ― 【淡路の瀬戸】
      明石海峡の古名。
     あかし-のせと 【明石の瀬戸】
      明石海峡の古名。明石の門(と)。
     おんど-のせと 【音戸瀬戸】
      広島県呉市と倉橋島の音戸町との間の海峡。最狭部90メートルほどの、
      潮流の急な水路。平清盛の開削と伝える。1961年(昭和36)音戸大橋
      が架かる。

     はやとものせと 【早鞆瀬戸】
      関門海峡東端の最狭部の水道。海底を国道が走り、関門橋がかかる。
      壇ノ浦合戦の古戦場。

     むしあけのせと 【虫明の瀬戸】
      現在の岡山県邑久(おく)郡邑久町の東南、長島と鴻(こう)島(和気郡
      日生(ひなせ)町)の間に比定される海峡。「狭衣物語」にも見える。
      むさけの瀬戸。[歌枕] 「浪たかき―にゆく舟の/新勅撰(雑四)」
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      以上はインフォシーク辞書からの引用だが、ボクの頭には「瀬戸際」
     という言葉が去来している。船を漕ぐ古人たちには、目に見えて危険な
     場所があったはずだ。
飲まれては帰る見込みのない流れの、すぐ手前の
     こちら側を瀬戸際といったのだ。
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8/12  人はおよそ140億個以上といわれる脳細胞を持っている。ときどき
     耳にする言葉だ。そして、これが増えることなく減ってゆくのだという。
     30代くらいから一日数万〜数10万個ずつ死んでゆく計算だそうだ。
      さて、ここまではいいのだが、「数万」って、具体的にいうといくつ
     だろうか。そういうことは意外に知られていない。載っていない辞書の
     方が多いのではないだろうか。
      答えは「5〜6万」だ。「数十万」というと「50〜60万」という
     ことになる。英語で「some」はどういう扱いだっただろうか。日本語の
     「数」と同じではなかったか。
      さて、一日数十万の消滅として、ボクは42歳だから、

      140億−{50万×(42−30)×365}……

      21億9000万の細胞を失っている。引き算をすると、118億1000万の同胞
     たち。ボクの脳細胞はすでに1割5分ほども消失している。道理で最近
     物忘れが激しくなったわけだ。
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8/11  5月8日に話題にした「おむすび三味」だが、このほど訪問するチャ
     ンスを得た。たまたま通りがかったので、梅にぎりを買っただけのこと
     だが、中に入ると店員さんが4人もいてびっくりした。大口の顧客でも
     持っているのだろうか。
      短い買い物のついでに問題の核心をレジで聞いてみた。
     「おむすび三昧の表示に『味』の字が使われているのはどうしてですか」
      顔を見合わせる店員のみなさん。やや気まずい雰囲気。
     「当て字です」
      奥にいた店員さんが答えてくれた。なるほど、知ってて使っているの
     か。誤字ということもなく「三味」なのだ。しかし、読み方は箸袋の通
     り「ZANMAI」なのだ。なんとしたことか。
      おむすびはおいしかった。売れ行きがよいことは想像に難くない。し
     かし、この胸のもやもやはどうにもならない。
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8/10  ファーストフードに対抗して「スローフード」がはやりだ。でも、昔
     はみんなスローだった。
      チキン竜田がハンバーガーにはさまって登場したのはいつのことだっ
     たか。新しい物という印象が強かった。しかし、竜田揚げは、在原業平
     の歌にちなんだ物だそうだ。
     「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」
      醤油の赤がきいた揚げ物を、竜田川を流れる紅葉に見たてた、なんと
     も風流な命名だ。いや、それほど竜田川の紅葉は見物だということだろ
     うから、いつか見てみたいものだ。
      時間がほしい。
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8/9   気がついたらもう秋だった。
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         二十四 現行暦による
         節気名 大略の日付け       
      初春  立春  2/ 5
          雨水  2/20
      仲春  啓蟄  3/ 6
          春分  3/21
      晩春  清明  4/ 5
          穀雨  4/20
      初夏  立夏  5/ 5
          小満  5/21
      仲夏  芒種  6/ 6
          夏至  6/21
      晩夏  小暑  7/ 7
          大暑  7/23
      初秋  立秋  8/ 8
          処暑  8/23
      仲秋  白露  9/ 8
          秋分  9/23
      晩秋  寒露 10/ 9
          霜降 10/24
      初冬  立冬 11/ 8
          小雪 11/23
      仲冬  大雪 12/ 7
          冬至 12/22
      晩冬  小寒  1/ 5
          大寒  1/21
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      こういうことがらを一覧にしてみると、自分がいかに伝統と遠いとこ
     ろに生きてきたかが分かる。無駄に過ごした42年という気がする。読め
     るけれど意味が分からないとか、実感がわかないとか、そういう言葉の
     数々。
      ボクの先輩に「たつはる」という人がいた。生まれた日が立春だった
     からついた名だそうだ。仲間に「たつはるさん」と呼ぶ者はなく、みん
     なで「りっしゅんさん」と呼んでいた。
      どうでもいいことを書いて終わる。
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8/8   台風が接近している。
      子どものころ、「台風一過」という言葉を聞いて、「そんな家に生ま
     れなくてよかった」と思っていた。「台風一家」と思いこんだのだ。当
     時はテレビ番組に小林亜星主演の「寺内貫太郎一家」というのもやって
     いてクラスでは人気だった。まるで台風のような一家だったのを覚えて
     いる。
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     (原文)    
     野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀(たてじとみ)、
     透垣(すいがい)などのみだれたるに、前栽(ぜんさい)どもいと心くるし
     げなり。
     (訳文)
     台風の翌日は、とてもしみじみとした趣がある。立蔀(庭先や出入口の
     目隠しに用いられる衝立型の板戸)、透垣(板や竹で間を透かして作っ
     た垣根)などが乱れ、前庭の植込みなどもとても痛々しい。
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      枕草子からの引用である。台風を文学にしてしまうのが偉大なところ
     だ。ボクは子どものころ、台風接近のニュースがうれしかった口である。
     裏山に巨石を抱えた我が家ながら、そんなことは何ほどのこともなく、
     大雨・大風が大好きだった。社会人になって、水害の恐ろしさなどがわ
     かるようになったが、高校生になっても、台風が来るのが待ち遠しかっ
     た。
      台風の明くる日は、橋の上からじっと川の流れを見ていた。川が流れ
     るのではなく、自分が橋ごと上流に流されるような錯覚に陥るのが好き
     だった。
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8/7   ボクが子どものころは、何かと餅つきがあった。お寺の生まれなので、
     世間よりも餅には縁があったが、やれ法要だ祭りだと言って餅がつかれ
     るのをいつしか不思議に思っていた。
      ぼた餅のことをどこかの地方ではハンゴロシというらしいが、本当に
     半分で止めたみたいな餅だ。お寺に村のおばあちゃんたちが集まって総
     出でこねくり回すのを、障子にもたれて見ていたのを覚えている。
      ただ、ボクは「ぼたもち」という名前の響きが好きではなく、そのせ
     いか、同時に作られる「きなこ餅」の方にひかれていた。「タナボタ」
     という言葉も好きではなかった。まず発音が汚い。それに、棚からぼた
     餅が落ちてきたら、ゴミだらけになるじゃないか。食べられたものじゃ
     ない。
      そんなぼた餅も「おはぎ」と呼ばれるととても上品だと思う。名前が
     さらさらしていて、別物みたいだ。しかし、これは実体は同じもの。違
     うのは作られる時季だけのようだ。「おはぎ」というのは、秋のものだ。
     お彼岸に欠かせない。これは女房詞である。周りにまぶした粒餡が萩の
     花が咲き乱れた様子に似ていることからこの名がついたらしい。これが
     春になると、牡丹の花に見立てて「牡丹餅(ぼたもち)」と呼ばれるのだ。
      だったら、「ぼた餅」じゃなくて、「ぼたん餅」と呼ばれてくれた方がよ
     いと思う。途中で止めたり省略したりせず、「ぼたん餅」が良い。だれ
     か賛成してくれないだろうか。その方がきれいだ。
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8/6   教員生活が始まった年の夏、給食にアイス最中が出た。可児市の給食、
     なかなかやるじゃないか、と当時22歳のボクは思った。楽しみなものは
     後にとっておく習慣に従って、牛乳も飲んでしまってからゆっくりいた
     だくことにした。せっかくの後味を薄めることはないのだ。
      ところが一口食べた瞬間、吐き出しそうになった。最中の中身は納豆
     だったのだ。当時のボクは納豆が食べられなかった。極限の状況である。
     生徒には給食を残してはいけないと日頃から言ってあったので、自ら例
     外を許すわけにはいない。かといって、飲み込めたものではない。援護
     を求めようにも、頼みのご飯はすでに胃の中。牛乳パックがあざ笑う。
      どのように飲み下したものか記憶がないが、涙目になって飲み込んだ
     に違いない。あの時の苦難を思えばなんでもできるとボクはときどき思
     い起こしている。
      かつて源順(みなもとのしたごう 911-983)が「水の面に照る月なみ
     を数ふれば今宵ぞ秋の最中なりける」と歌った月見の宴席に出された餅
     菓子が「最中の月」と名付けられ、和菓子の「最中(もなか)」の起源
     になったということだ。
      たぶん中身は納豆じゃなかったと思う。
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8/5   新岐阜駅周辺をうろうろしていたら、碁会所があった。中央郵便局の
     近くである。そこには大きな看板が立てられていた。

     「友情の温床 ○○囲碁クラブ」

      ここで友情を育めということであろうが、友情も落ちたものである。
      いや、もともとはこういう使い方だったのかもしれない。悪い意味で
     しか使わなくなったことの方がおかしいのかもしれない。それにしても、
     大胆な看板である。大いに驚いた。
      囲碁は若い世代にも静かなブームだと聞いたが、看板を作らせた世代
     は若くないだろう。だとしたら、若い世代に期待をかけることだろうか。

     おんしょう 【温床】
     (1)わら・落ち葉などの有機物の発酵熱や電熱などを利用して土の温度
       を高めた苗床。熱を保つようにガラス・ビニールなどで覆う。苗の
       促成、寒害からの保護などに用いる。おんどこ。フレーム。
     (2)ある傾向や風潮が育つのに都合のよい環境。普通、悪いものについ
       ていう。 「悪の―」        (インフォシーク辞書から)
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8/4   「十」を二つ並べると「廿」、三つで「丗」である。これらは最近で
     はほとんど使われなくなったが、お寺に生まれた身には慣れ親しんだ文
     字だ。「にじゅう」と打って変換すると「廿」になるあたり、とても面
     白い。「さんじゅう→丗」はできなかった。期待していたのだが。
      さて、「丗」は「世」の異体字だという。三十年が一世代だというわ
     けだ。その成り立ちはともかく、現代、人生は三十年ではない。むしろ、
     三十を越えてからが面白い。四十を越えるともっと面白い。
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8/3   ビリー・ジョエルが大好きだった。高校を卒業するころだっただろう
     か、「ピアノ・マン」が巷に流れて、言葉の意味は分からなくともボク
     は涙していた。
      そのビリー・ジョエルの曲に「THE NIGHT IS STILL YOUNG 」というの
     がある。買ったLPにあったのだが、邦題が「夜がまだ若々しい間に」
     とつけられていた。直訳である。
      夜が若いだなんて、面白い表現をするなあと思っていたら、日本人も
     やっていた。「夜も更けてまいりました」とか、これは「老けてまいり
     ました」という意味だと思うがどうだろうか。そういう時間帯を、英語
     で「THE NIGHT IS OLD」とか呼んでくれていると面白いことになる。
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8/2   日日。これは、「ひにち」と打ち込んで変換した結果だ。耳で聞くとよ
     く分かるのに、漢字になるととたんに面妖な雰囲気。これでいいのか。
     同様のことを試してみた。

     「ひび」  →「日々」
     「にちにち」→「日々」
     「ひにち」 →「日日」

      かつて「岐阜新聞」が「岐阜日々新聞」だったころ、高校生のボクた
     ちは「ひびしんぶん」と呼び習わしていた。学校で新聞のことが話題に
     なっていたころのことである。
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8/1  「看板だったら、うちはプロに頼んでいるで、いいよ。」
      社長さんと思しきその人は、ボクにこう言った。ボクの「お店の看板
     に興味があってお話に参ったのですが……」という切り出し方がよくな
     かったのだろう。ボクを看板屋だと思ったらしい。
      ボクは茜部の某ラーメンチェーン本部に来ていた。岐阜市内に住まう
     人なら知らぬ人のない店である。昨日は出張の帰りにたまたま茜部近辺
     を通りかかったので、決心してこの本部を訪れたというわけだ。
      ボクがここのとんこつラーメンのファンであることは以前どこかで書
     いた。そして、この店の看板の「老麺棲」の文字が間違っていることも。
     「棲」ではなく、「楼」なのだ。あるいは旧字体で「樓」と書くべきだと
     いう主張は、このコラム上ではまかり通った話である。
      これをこのチェーン店に伝えたい、改めてもらいたいと願ってきたが、
     今回、たまたま通りがかったことを幸いに、実現することができた。社
     長さんは、ボクが看板屋ではないことを知り、国語の一教師として忠告
     に及んだ思いを聞いて、しきりに感謝して下さった。看板はプロに任せ
     てあったので、間違いには気がつかなかったとのことであった。ラーメ
     ンが「棲んでいる」というのは、それはおかしい、と同意までしていた
     だけた。間違いを指摘しにきたので、こんなに感謝していただくとくす
     ぐったかった。
      間違いを指摘されて不愉快になるというのは人の常である。器の小さ
     な人は、よくそうなる。しかし、さすがこのチェーン店の大将は、そん
     なことはなかった。
      こういう姿勢が店の繁盛につながったのだと、確信するところである。
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         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月