今日の言の葉 
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11/7    父が叙勲されるとの報に接したのは、春分の日のころだった。電話
       だったから、「みどりの日に除菌されるのよ」と聞き違え、何かの病
       気で集中治療でも受けるのかとはらはらしたが、皇居で勲章をもらっ
       たのだった。父は三十七年間、岐阜刑務所の教誨師を務め、今回その
       労を労われたわけだ。
        先日、父(徹心)の元を訪れたおり、額に納められた勲章と賞詞を見
       せてもらった。内容は概略、次のようなものだった。
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          日本国天皇は、岸 徹心を勲五等瑞宝双光章に叙す
          皇居において璽をおさせた

               御璽

            内閣総理大臣 小泉純一郎 印

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        勲章を与えたのは天皇のようだが、御璽(天皇の印鑑)の後に総理大
       臣が署名捺印しているのが物事をややこしくしている。何より気にな
       るのは「皇居において璽をおさせた」の語だ。御璽を捺したのは誰な
       のか。次のパターンのどれかが正解のはずだ。

        1.天皇が総理大臣に印を捺させた。
        2.総理大臣が天皇に印を捺させた。
        3.天皇が誰かに印を捺させた。
        4.天皇が自ら印を捺した。

        肝心なのは「せ」なのだ。これは「〜様にあらせられるぞ」の形で
       今も使われる「尊敬」の助動詞かもしれない。また、「見に行かせた」
       の「せ」のように、使役を表すものかも知れない。いずれにしろ、主
       語がはっきりしないと意味が確定しない。
        こういうことを考え出すと、眠る時間がなくなっていく。
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11/6    座右の銘は何かと問われて、「侃々諤々(かんかんがくがく)」と答
       えた生徒がいた。ボクがまだ二十代の若手教師だったころのことだ。
       ボクはその男子生徒にその意味を聞いた。彼は、「歯に衣着せず、徹
       底的に討論することです」と言う。
        なるほど、座右に置くにふさわしい言葉だ。ボクは感心しながら、
       自分の思い違いを内心恥じていた。そもそもボクは、彼の言う「侃々
       諤々」を知らず、発音の似た「喧々囂々(けんけんごうごう)」だと思
       い込んだ状態で彼の前に立っていたのだ。あのとき彼に意味を尋ねた
       のも、彼がその意味を知っているかを確認するためではない。そんな
       言葉を座右の銘にするのはおかしい、君はその意味をちゃんと知って
       いるのかと詰め寄りたかったのだ。
        知らなかったのはボクの方だった。彼はわずか十五歳で、ボクの知
       らない言葉を身につけ、そっと胸の奥にしまって毎日を過ごしていた
       のだ。
        年長者は若い世代に対して尊大であってはならないと思う。また、
       若い世代は、年長者の持つ意外にも大きな可能性を侮ってはならない。
       生きる自覚のある限り、長幼によらず成長するのが「人」なのだ。

       侃々諤々
        何の遠慮もせず盛んに議論すること。
       喧々囂々
        発言が多くて、やかましいさま。たくさんの人が口々にやかましく
        しゃべる様子。
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11/5    字体の新旧

        新字体しか習っていないボクたちの世代には、旧字体は、なんだか
       へんてこなモノでしかない。すっきりスマートな新字体に対して、旧
       字体のなんとドタバタしていることか。画数ばかり多くて、能率も悪
       そうだ。例えば、「旧」の字も「舊」と書かねばならない。十七画に
       もなる。労力の無駄だ。
        そんな思いで三十歳を過ぎたころ、「昼」の旧字体が「晝」である
       こと、また「尽」はかつて「盡」と書いたことに気がついた。「昼」
       と「尽」には「尺」の形が共通しているが、もともと「聿」のような
       形だった部分が、どういうわけか、「尺」の形になったということに
       なる。
        何をどう省略しても、左払いも右払いもない形から「尺」が生まれ
       るのは、おかしい。納得できない思いでさらに調べていると、「昼」
       は「晝」の草書体から生まれ、「尽」は「盡」の草書体から生まれた
       ものだと分かった。草書体のくねくねした感じを除いて楷書の特徴を
       与えたものなのだ。
        これに気づいたボクのショックがお分かりだろうか。それまで大切
       にしてきた漢字への思いが突き崩されたように感じた。一画一画を間
       違えぬように覚えてきたのに、「昼」も「尽」も、元の字を崩した形
       を多少整えて、楷書と称して覚えさせられてきたものだった。新字体
       なんて、大したものじゃないと思い始めたのは、このころだ。
        思えば「画」なんて文字は漢字としては形が妙だ。似た文字もない。
       これはもともと漢字らしさあふれる「畫」を省略してできたものだし、
       「寿」だって、無分別に交差する文字だと思っていたら、もともと斜
       め画など一つもない「壽」が正字だった。「図」も、省略というより
       改ざんに近く、斜め画のない「圖」だった。
        旧字体への思いは、単なる懐古ではない。合理性を追求すると、旧
       字体に行き着くのだ。覚えるのも書くのも面倒だが、旧字体でこそ、
       過去の財産とつながるとボクは信じる。

        
 晝 盡 
         壽寿 圖
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11/4    子

        この字は「こ」であり、「し」であり、「ね」でもある。かの小野
       篁が読み解いた嵯峨天皇の難問「子子子子子子子子子子子子」は「ね
       このこのこねこ、ししのこのこじし」が正解であったが、このほど、
       珍名さんとして「子子子」という苗字に出会った。これで「ねこし」
       と読むのだとか。
        小野篁の話を知る人には、わくわくするような苗字だと思う。

                   (2004年11月23日の記事を参照されたい)
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11/3   「ヶ」

        ボクの子どものころは、アメは「一ヶ五十銭」などで売られた。初
       めから袋に入っているのではなく、つぼに入ったアメを、必要な分だ
       け取り出して買うのだ。
        この「一ヶ」を何と読むのか、子どものころから不思議だった。近
       所の八百屋のおばさんは、「いっけ」と言っていた。でも、「おつり
       は五十万円」と五十円玉を渡すような人だから、これはどうも信用で
       きない。目の前で買い物をする大人たちも、みな「いっけ」派だった
       が、全員でボクをだまそうとしていたか、全員が正しい知識を持って
       いたかの、どちらかだ。しかし、「け」と読むなら、どうして「ヶ」
       と小さく書くのだろう。堂々と「ケ」でいいじゃないか。
        そうこう思ううち、「市内五ヶ所でぼや発生」などの表現に出会い、
       これは「か」と読むのだと分かった。すると「一ヶ」は「いっか」な
       のか。しかし、みかんを数えるのに「いっか」はないだろう。
        ところで、あまり知られていないことだが、「個」は「か」とも読
       む。使い方は、「五個条御誓文」のような具合だ。こうなると「箇」
       や「ヶ」を「こ」と読みかえても、罰は当たるまい。
        アメもみかんも袋売りばかりの時代に「ヶ」で悩むことはないのだ
       が、どこかで「一ヶ」に出会ったら、そっと「いっこ」と読んでみた
       い。長年のつっかえが取れると期待している。
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11/2    珍名さん

        一文字で珍しい読み方をする名前を紹介しよう。

        雪 すすぎさん
        雄 おんどりさん
        目 さっかさん
        止 すすむさん
        个 すすむさん
        h すすむさん

        そうそう、「雪辱」とは、恥を「すすぐ」ことだった。「雄」はも
       ともと「おんどり」だ。「隹」は鳥を表すのだ。でも、「さっか」な
       んて、たとえ読めても何の意味だか分からない。
        さらに、「止」は止まることかと思いきや、これを「すすむ」と読
       むとはこれいかに。「止」は足の形を表すから、そういう読みだと言
       われれば、納得しないでもないが。

        「个」は、「五ヶ条」などの「ヶ」の元の字と言われる。普通、そ
       の読み方は「カ」だが、ここでは「すすむ」だ。不思議だと思ったが、
       なんとなく矢印のような形なのが「すすむ」のイメージにぴったりで、
       覚えやすい苗字でもある。
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11/1    五臓六腑

        ボクの兄は、コーラを飲んで、「ぷはあ、五臓六腑にしみ渡るぜ」
       と上機嫌になる人だ。時代劇の見すぎだと思われる。五臓六腑が何な
       のかを知らないかもしれない。

         五臓  心 「心は脈を蔵す」
             肺 「肺は気を蔵す」
             脾 「脾は営を蔵す」
             肝 「肝は血を蔵す」
             腎 「腎は精を蔵す」
         六腑  小腸・大腸・胃・胆・膀胱・三焦
                           (「霊枢東神」による)

        心臓だの肝臓だの、「臓」がつくところは重要度が高いと見て良い
       だろう。それらを総称して「五臓」と呼ぶのだ。一方の六腑は、もち
       ろん大切なところに決まっているが、何か精密な臓器という感じに欠
       ける気がする。腸とか胃とか膀胱とか、管のような空洞の入れ物とい
       うイメージがある。ここを手術で切除したと聞いても、五臓の切除ほ
       どには驚かないだろう。
        ところで、六腑の「三焦」とは何だろう。無名の臓器だ。聞いたこ
       とがない。調べたところ、次の通りであった。

       さんしょう 【三焦】
        漢方で、六腑の一。上焦(横隔膜より上部)、中焦(上腹部)、下
        焦(へそより下部)に分かれ、呼吸・消化・排泄をつかさどるとい
        う。みのわた。              (「大辞林」より)

        なんだこれは。呼吸・消化・排泄をつかさどるとは、なんともマル
       チな能力ではないか。また、よく見ると、その位置は「横隔膜より上
       部」から「へそより下部」までと結構広い。どの臓器のことなのか、
       はっきり分からないではないか。解剖は東洋医学の弱点だったなあと
       思い出すところだ。
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