今日の言の葉 

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 8/31  昨日の続きである。拾ったものをこっそり自分のものにしてしまうこ
      とを「ねこばば」という。漢字では「猫糞」と書く。漢字で書けても厳
      めしさはゼロである。猫は糞をすると、後ろ足で砂をかけ、知らぬ顔を
      して立ち去ってしまうということから、悪事をはたらいてそ知らぬ顔で
      いることをこう言うようになったらしい。ただし、「ばば」と言うのは
      関西の方言ではなかったか。広く使われるようになったのは、発想が洒
      落ているからではないだろうか。
       さて、テレビで水戸黄門などを見ていると、毎回立ち回りがある。あ
      んな和装であんな動きをしていたら、さぞいろんなものが落っこちたこ
      とだろう。昔は、物が落ちないように気を遣った時代でもあっただろう
      し、物がいくつも落ちていたのかも知れない。
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 8/30  子どもの頃から「ひったくり事件」という言葉が気になっていた。犯
      罪の名前は、「窃盗」「強盗」「殺人」「横領」と漢字でいかめしく表
      現するものの大集合だが、「ひったくり」はどうしたことだろう。これ
      は漢字で表現できなかったのだろうか。大人は意外なところで手を抜い
      ていると思った。ほかにも、「置き引き」「万引き」など、ひらがな混
      じりの犯罪名は、何か、罪が軽い印象がある。この手の犯罪にもちゃん
      と漢字の名前を付けてあげたい。
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 8/29  職員会議の提案資料を見ていたら、「3脚を準備」と書かれていたの
      で、くらくらした。カメラの三脚のことである。なぜ算用数字を使った
      のかと思ったが、使ったということではなく、そういう変換結果に気づ
      かずに印刷してしまったのだろう。
       物の名前に数字が入っている場合、漢数字を使うのが通例だ。「3脚」
      と書くと、「いすを3脚準備する」のように、物を数える単位としてし
      か使えない。これとて、日本に算用数字が導入されて以後のことであり、
      それ以前はすべて漢数字で表現していた。有名な数学書「塵劫記(吉田
      光由1598〜1672)」は、江戸時代初めのころに書かれたが、時代が時代な
      だけに、算用数字は一つもない。億兆を超える大きな数も、すべて漢字
      で書かれている。
      「コンサートも終わり、みな、3355帰って行った」という表現を見
      たことがあるが、3355は「さんさんごご」のつもりであり、「三三
      五五」と書くべきところである。読んだ瞬間は、コンサートの参加人数
      かと思った。
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 8/28  昔話のおしまいは、「めでたし、めでたし」が相場である。この「め
      でたし」が気になった。これを分解すると、「めでる」+「たし」にな
      る。「めでる」の意味は、大辞林によれば、

      め・でる【▽賞でる/▽愛でる】(動ダ下一)[文]ダ下二 め・づ
       (1)物の美しさ・素晴らしさをほめ味わう。感嘆する。
       (2)かわいがる。いとおしむ。
       (3)ほめる。感心する。

      とあり、「○○をめでる」のように用いる言葉だ。大雑把に言ってしま
      えば、「めでたし」とは、「ほめたい」「かわいがりたい」ということ
      になる。すばらしい物事に触れて、その感動を、素直に「ほめたい」と
      表すのはおもしろい。
       ここから「めでたい」が生まれ、さらに丁寧に表現した「おめでたい」
      が生まれたようだ。「おめでとう」は、「おめでたく」が音便化した表
      現で、そもそもが連用形なので、単独では使えず、「おめでとうござい
      ます」のように後に何かをつなげないといけない。この点、「おはよう
      ございます」と事情は同じだ。
       こんな言葉ゆえ、「お目出とう」という書き方は正しくない。目なん
      て出ないのだ。本来は、「お賞でとう」「お愛でとう」と書くべきだと
      思う。しかし、そこを「お目出とう」と表現した最初の人は、感動した
      もののすばらしさを、もっとこの目でしっかり見たいという気持ちを文
      字にしたわけで、大したものだと思うが、皆さんはどう感じているだろ
      うか。
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 8/27  オリンピック中継で重量挙げ競技を見ていた。人間離れした重量を差
      し上げる様子はまさに神懸かりである。しかし、競技を行う板張りの場
      所のことを「プラットフォーム」と呼ぶとなると、神話は一気に世俗の
      ものに落ちてくる。そうなのだ。あの場所を、プラットフォームと呼ぶ
      のだ。
       世界新記録を樹立した選手も、バーベルさえなければ、おなかの出た、
      ただのおじさんに見えないだろうか。
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 8/26  すもうは、「相撲」と書くか「角力」と書くか。

       どちらでも良いというのが結論なのだろうが、漢字は表意文字だから、
      表現したいイメージに近い方を選ぶと後悔しない。
       ボクの好きなすもうのスタイルは、がっぷり組んで互いに譲らず、じ
      りじりと土俵際まで押され、もうだめだ、投げられると思ったところで、
      見事、うっちゃりが決まるという流れのものだ。立ち合いから張り手の
      応酬というのは、好きではない。
       「相撲」と「角力」に違いはなかろうが、「相互に殴りあう」と書く
      のと「角の力」と書くのとでは、イメージが違う。そこからして、ボク
      の好きなすもうは、「角力」だと自ら納得している。
       以前、クラゲのことを「海月」と「水母」のどちらで書くかについて
      書いたことがあったが、これと同じことだと思う。ボクはあんなものが
      溶けて水になったと思うのはゴメンなので、「海月」と書くことにして
      いる。
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 8/25  へのへのもへじ

       どういうわけか、てるてる坊主を作ると顔には「へのへのもへじ」を
      書くものだ。長い慣習である。あまりリアルな顔を描くと吊し首のよう
      で不気味だろうから、適度に省略された顔の方が良い。とぼけ具合も良
      いではないか。
       この「へのへのもへじ」がいつ頃、どのように始まったのか、由来が
      知りたい。初めて書いた人が、歴史に名を残す有名人ではなく、帰宅前
      に一杯引っかけて帰るうだつの上がらぬ下級役人とか、そういう人だと
      うれしい。
       人間の営みは、大きな時の流れに逆らって、未来にどれほどのものを
      残せるかをテーマにすると聞いたことがある。巨大な遺跡も心を打つ名
      作も残せそうにないボクにも、へのへのもへじ程度の何かなら、残せそ
      うな気もする。
       その何かが残ったとしても、きっとボクの名前は消えていると確信す
      る。そんなことにだけ、確かな自信がある。
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 8/24  コンビニエンス・ストアに「ヘム鉄」の錠剤が売っていた。正体不明
      の鉄だ。「ヘム」の部分がよくわからない。なんだろう、「ヘム鉄」。
       理解できない言葉はカタカナにしておくのがよいのかも知れない。と
      りあえず使えるし、物知りになった気分も味わえる。そういえば、「コ
      ンセンサス」とか「フューチャー」とか「コラボレーション」とか、感
      覚で使ってしまう言葉はいくつもある。外来語に出くわすと尊敬に似た
      感情を抱いてしまう自分たちのことを、ボクたち日本人はもっと知るべ
      きなのだろう。
       で、「ヘム鉄」の正体はわからずじまいだ。一つ言えることは、これ
      が縦書きになっていたので「公鉄」と読めてしまって人知れず恥ずかし
      い思いをしたということだ。そういう自分がうれしくもある。
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 8/23  キシリトール入りのガムを噛んでいたら、ふと下腹が痛くなった。そ
      のパッケージには「一度に多量に食べると体質によりお腹がゆるくなる
      場合がありますが、一時的なもので心配はありません」と書かれていた
      ので、ボクは食べ過ぎたのかも知れない。
       「お腹がゆるくなる」という言い方はいつ頃からあるのだろう。正直
      言って、ボクの知らない言葉である。下痢の穏やかなものを言うのだろ
      うか。ボクが子どものころはそんな風に言わなかった。腹ピーと言った
      ものだ。いや、それは下痢そのものだ。
       疑問の多い表現だが、そんな副作用が懸念されても虫歯予防が重視さ
      れていることに心がぐっと来る。ボクだって、虫歯と腹下しとどちらか
      を選べと言われたら、継続性のない腹下しを選ぶだろう。
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 8/22  上には上がある

       通常は「最もすぐれていると思っていても、それよりも一層すぐれて
      いるものがある」という意味で使うものだが、良くない意味で使うこと
      もあるようだ。いわば、「下にはしたがある」という状態。最近、こん
      な経験をした。

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       日曜日のファミリーレストランはワンダーランド。普段なら警戒して
      近寄らないところを、ハンバーグ食べたさについ入ってしまった。案の
      定、不思議な人たちがとぐろを巻いていた。
       多少年上の男性に同伴された化粧の濃い、しかし女子高生だとか、子
      どもの前、食事中にもタバコを吸う若い母親とか、ドリンクバーと席と
      の間を機械のように何度も往復する小学生とか、そういう非日常がここ
      には詰まっている。
       そんな光景を横目に座った席から、レストランの入り口が見えた。そ
      こには何人もの客が順番を待っていたのだが、一人の男性がソファから
      ずり落ちそうになって携帯電話をいじっていた。人前にもかかわらず組
      まれた脚が周りの人にはものすごく迷惑そうで、ボクは遠くから不快に
      感じて見ていた。一言注意しようかと思ったが、こちらはすでに食事中
      である。
       しばらくすると別の男性が入ってきた。彼は、先の男性の隣にどっか
      りと脚を組んで腰を下ろしたが、その脚は、ボクが不快に感じた男性の
      脚のさらに上空に組まれたのだった。
       横柄な男性を凌駕するその横柄さに、先の男性は小さくなり、脚を組
      むのをやめていた。脚を組む役は次に受け渡されたようである。
       次にどんな人物が登場するか楽しみだったが、ハンバーグに夢中で忘
      れてしまった。
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 8/21  茶碗を投げば綿で抱えよ

       「投げれば」ではなく、「投げば」の形で伝わることわざである。相
      手が強く出てきたら、やんわり柔らかく受けとめることを勧めている。
       そういう自分でいたいなあと思うが、簡単にそんな生き方ができれば
      苦労はしない。いや、個人レベルの話ではない気がしてきた。本気をち
      らつかせる国にこちらも本気で向かっていくことが、すべてよいとは限
      らない。茶碗の投げ合いは過去にもあったが、手元に茶碗がなくなった
      ところで勝負はついたのだった。
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 8/20  台風が北海道に抜けたが、暑いことこの上ない。そういえばあまりの
      忙しさに暑中見舞いを書いていないことに気づいたが、残暑見舞いを出
      すのもためらわれる今日はすでに8月20日である。
       仕方がないから、「暑」の入った熟語を調べることにした。時節に関
      係するものには、次のようなものがあった。

       えんしょ 【炎暑】
       かんしょ 【旱暑】
       げきしょ 【激暑/劇暑】
       げんしょ 【厳暑】
       こうしょ 【向暑】
       こくしょ 【酷暑】
       ごくしょ 【極暑】
       ざんしょ 【残暑】
       しゅうしょ【秋暑】
       しょ    【暑】
       しょうしょ【小暑】
       じょうしょ【蒸暑】
       じょくしょ【溽暑】
       しょしょ 【処暑】
       じんしょ 【甚暑】
       せいしょ 【盛暑】
       たいしょ 【大暑】
       ねっしょ 【熱暑】
       はくしょ 【薄暑】
       もうしょ 【猛暑】

       文字を見ているだけで暑苦しくなった。また涼しくなるころに調べて
      みようと思う。
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 8/19  通勤経路脇にシャッター付きの駐車場がある。何台も駐められる契約
      駐車場だ。シャッターの上には記号が振られているが、それが、「イロ
      ハ」の順になっている。

       イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ、リ、ヌ、ル、、ワ

       おや、「ヲ」の部分が「オ」になっているではないか。こんな表記を
      選ぶ以上、文字を知らないわけがない。駐車場の経営者は、この記号を
      どうするかで悩んだのではないかと思う。「いろは」の順にしたいのだ
      が、「ヲ」では、なにか、つなぎのような感じがして、どうもおかしい、
      と考えあぐねて「オ」にした気がする。家族会議を開いた可能性もある。
      さんざんの議論の末、「オ」にしようという結論だったかもしれない。
       ボクは、「ヲ」がよいかどうかについて意見を述べる立場にないが、
      もし自分の車が「ヘ」の場所だったらイヤだということははっきり言え
      る。どうしてそのことを考えなかったのだろうか。残念だが、そうした
      思いへの配慮は欠けていると言わざるを得ない。
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 8/18  危ない横断者注意

       美濃加茂市内で見つけた、運転者の注意をうながす看板の表記である。
      しかし、こう書かれると、「危ない横断者」の存在が気にかかるではな
      いか。「危ない」の部分だけ赤で書かれているので、「危ない」で切っ
      て読むのが正しかろうが、そんなこと言っても読点がないだろうと言い
      たくなる。
       設置したのは地元の交通安全協会か何かであろう。子どもの教育のた
      めに「危ない」の後に「!」を入れられることをお勧めする。
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 8/17  路上誤植を発見した。整形外科医の宣伝用の看板だったが、「入院応
      儒」と美しいゴシックで表記されていた。正しくは「応需」だが、あま
      りに小さな間違いなので、気づく人も少ないと思う。
       しかし、その間違いの意味は小さくはない。「儒」は、「儒教」
のよ
      うに使い、人の道を追究する学問に関わるので、「応儒」と書くと、何
      か、人の道に応えて入院を許可するように思えてくる。あるいは、儒者
      にのみ入院を許可するのか。

       医は仁術。どうか人の道を大切にしてほしい。
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 8/16  交差点に赤い標識があったら、それは「止まれ」である。重要な標識
      なので、他の標識とは色まで変えてある。大切な配慮だ。
       ところで、子どものころから納得できなかったのは、いくら決まりだ
      からといって、「止まれ」と命令口調で表現する神経だ。互いにゆずり
      合いなさいとか、暴力はいけないとか言っているのに、「止まれ」はな
      いだろうと、子ども心に思ったのだ。

       止まってください

       こう書いてあったら、すんなり止まろうというものだ。子どもはこん
      なに繊細なのだと、ボクは言いたい。

       ついでだから告白するが、小さいころ、ボクは「道路を渡るときには
      手を挙げて」と教わったので、車に対して手を挙げて道を渡ろうとした
      のだが、止まってほしいその大きな車は、なんとボクの視界をふさぐよ
      うに止まったのだ。ボクは道を渡りたいのに車が邪魔で困ってしまった。
      困ったまま「早くどいてくれないかなあ」と思っていると、車から若い
      女の人が降りてきて、「ボク、乗らないの?」と聞いてきた。道を渡り
      たいだけなのだから「乗らない」と首を振ると、その車は大きな音を立
      てて走り去っていった。
       生まれて初めてバスを止めた瞬間だった。バスの車掌さんも初めて見
      たが、きっと、いたずら好きの困った子どもだと思ったことだろう。
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 8/15  田舎道を走るうちに山に突き当たった。そこには、こんな看板が立っ
      ていた。

       不法投棄禁止

       言明しがたい違和感がある。禁止されているから不法投棄であり、そ
      の不法投棄をわざわざ禁止せねばならないのかという疑問もわいてくる。
      こういうときにはどのような表現がよいのだろうか。
       いざ自分が書こうとすると、どう書いたものか、名案が浮かばない。

       不法投棄は慎みましょう

       不法投棄はご遠慮下さい

       これでは問題が解決しないことが十分に分かる。
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 8/14  世の中の大半は、お盆と正月は休みだが、寺に生まれたボクは、お盆
      も生家の手伝いをせねばならず、休みたいときに休みがない。次男坊と
      はいえ、なかなか辛いものである。

      「辛い」という字は、一つ工夫すると「幸い」になる


       これはボクの作った言葉だが、生徒に「からい」と読まれて以来、人
      前に出さないようにしていた。世の中、激辛ブームということだ。そう
      いうときには「からい」としか読んでもらえなくなる。

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 8/13  前を行く車の後部になにやらステッカーが貼ってあるので、赤信号を
      チャンスにじっくり見てみた。
      「兵戈無用」
       ふりがなまで振ってあった。「ひょうがむよう」と読むらしい。ある
      宗派のメッセージステッカーであった。「戈」は「ほこ」と読むので、
      戦争反対のメッセージだろうと見当はついたが、やはり、「戦争は人間
      のもっとも愚かな行為のひとつです」という注釈がついていた。
      「もっとも愚かな行為のひとつ」の形は、日本語らしくない表現だ。英
      語を日本語に訳した文みたいだ。英語にはよくあることだろうが、日本
      語にはなじまない。
       それはそうと、こんなステッカーを貼った車が、凄まじくエアロパー
      ツをまとっていたことを報告しておきたい。そういう平和もあるのだ。
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 8/12  中学3年生では、魯迅の書いた「故郷」を教材に扱う。その主人公は、
      20年ぶりに帰った故郷の姿とそこに住む人々の変わりように愕然とす
      るのだが、彼を最も落胆させたのは、幼いころの友、ルントウの変貌で
      あった。その描写に、次のようなものがある。

       ……紙包みと長いキセルを手に提げている。その手も、私の記憶にあ
      る血色のいい、丸々した手ではなく、太い、節くれだった、しかもひび
      割れた、松の幹のような手である。

       「節くれだった」の部分をどうお読みだろうか。これを「本だった」
      「チョークだった」のような、「名詞+だった」の形に理解する生徒が
      いて、「節榑立つ」の説明に思わぬ時間を取ったことがある。物語のク
      ライマックスだったこともあり、もっと大切な話がしたいのに先に進め
      ず、焦るやら苛々するやらで、どんな授業だったか思い出せないほどだ。
       魯迅の翻訳といえば竹内好と相場が決まっているが、彼の名訳も、現
      代生活の変化の前には、実感のわかない、意味不明のものとなる日がじ
      きに訪れるかもしれない。
       いや、すでにそうであるという指摘もある。
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 8/11  よく行くコンビニエンス・ストアの入り口には、こんな貼り紙がして
      ある。
      「開けて、ください」
       出ていこうとすると、
      「閉めて、ください」
       読点の位置が間違っているが、書いた方は大まじめに違いない。「閉
      めてください」では素っ気ないから、丁寧な感じを出そうとしたのかも
      しれない。また、店のドアが自動でないことに何か引け目をお感じかと
      も思われた。自動でないことに気づくまで、ドアの前で立っている人が
      何人かいたのかもしれない。ドアにぶつかった人がいた可能性もある。
       この貼り紙は思いやりが文字になったものと見たい。
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 8/10  「たまごやき」を変換すると、「卵焼き」と「玉子焼き」が候補に挙
      がる。どちらでも良いのだ。ここは、自分のセンスを信じて選ぶほかは
      ない。ボクの好みは「玉子焼き」だ。黄色くてふわふわしている感じが
      よく出ているからだ。「卵」と書くとまだしっかり焼けていないように
      思う。いや、これはボクの感覚だが……。
       さて、「卵」の字は、そもそも象形文字だ。これは、カマキリの卵の
      姿を写したものだという。カマキリは小枝や草の茎に小さな卵をイヤと
      いうほどたくさん固めて産み付ける。そう、確かに、枝をはさむように
      して生み付けられた卵は、そのまま「卵」の文字になりそうだ。
       どちらで書いても構わないのだが、カマキリの卵だと思いながら書く
      ことだけはやめようと思う。
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 8/9   現勤務校は美濃加茂市にあるが、今日は市内の保健主事が集まって、
      研修会を開いた。
保健主事1年目のボクもきちんと仲間に入って話を聞
      いたり、それなりに発表したりしていた。
       会議も終わって車に乗るころ、ふと、「保健」という言葉が「健康を
      保つ」と読めることに気づき、気づいたころには「では、『保険』はど
      うなのだ」という疑問が頭を横切った。「危険を保つ」では話にならな
      い。「安全を保つ」というのなら、「保安」だろう。この言葉、一体何
      を保つというのか、考えると眠れなくなりそうだ。疲れているから、寝
      ないわけはないのだけれど。
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 8/8   かつて、インターネット上のアドレスのことを「URL」と呼んでい
      たが、最近はどうしたことか、「アドレス」としか呼ばなくなってきた。
      メールの方は「アドレス」で、インターネットの方は「URL」だと呼
      び分けてきたのに、残念。しかし未だ密かに「URLだ」とひねている
      人も多いと期待するが、いかがであろうか。
       そのURLを見ると、最後の部分に「.com」と書かれていることがあ
      る。これを「ドット・コム」と読むのだが、「コム」とは何を表すのか。
      「company=会社」の略だと思っていたが、最近になって、「commercial
      =コマーシャル」のことだと分かった。

       コマーシャルか……。何とも言えない違和感がある。
       子どものころ、テレビの「コマーシャル」が「コマーシャル・メッセ
      ージ」の略であると知り、さらに「コマーシャル」が「商売の」という
      意味だと分かったときの、あの感じだ。何とも言えない、袖の中で長袖
      の肌シャツがたるんでいるような感覚が甦ってきた。
       幼いころから外来語に接する世代というのは、何か、いつ爆ぜるか分
      からない小さな爆弾を抱えているようなものだと思う。特に、和製英語
      の場合は始末が悪いと思うのだ。
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 8/7   「大人気」と書くと、「だいにんき」だが、そこに「ない」がついた
      形の「大人気ない」を「だいにんきない」とは読まない。これは「おと
      なげない」である。
       ある記事を読んでいて、行末に「大人気」があって、次の行に「ない」
      があったのを、ボクが読み間違えたという話である。
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 8/6   琵琶湖は、透明度の高い北湖と大阪方面に流れ出る南湖とに大きく分
      かれる。かつて南湖では、付近住民の生活排水が原因でアオコが大発生
      し、これにより「琵琶湖は汚い」というイメージが広がってしまった経
      緯がある。現在は、これまた住民の努力により、琵琶湖はかつての美し
      い姿を取り戻している。
       その南湖に「矢橋の帰帆島」という島がある。ここは水環境の総合施
      設となっており、一般に公開されているが、やはりその名は「矢橋の帰
      帆」の形で日本中に知れ渡る。琵琶湖八景の一つである。ボクは「やば
      せ」と読めずに恥ずかしい思いをしたことがあるが、「矢馳」という表
      記もあるようで、こちらだったら読めたのにと悔しく思う次第だ。
       その「矢橋」が、「急がば回れ」の語源になっていたことを知ったの
      は、つい先日のことだった。
       矢橋と大津は琵琶湖をはさんで東西の関係にあり、ここは船で往来す
      るのが近道で便利だった。しかし、波が荒れることもあり、そんな日は
      危険を冒して湖を行くより、南に回って瀬田の長橋を経由して陸路を選
      んだ方が結局は早いというのだ。

       もののふの矢ばせの舟ははやくとも急がばまはれ瀬田の長橋
                               (『醒睡笑』)
       急ぎたい気持ちは、今も昔も変わらない。ボクたちに与えられた時間
      は無限ではないのだ。
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 8/5   とにかく

       漢字では「兎に角」と書く。そう、漢字で書けると知ったとき以来、
      「たとえウサギに角があったとしても」という意味をもとに使われるよ
      うになった言葉だと思ってきた。ところが、この言葉を辞書で引くと、
      漢字で書くのは主流ではないことがわかる。「『兎に角』とも書く」とい
      う程度。語源にはあまり関わりがないのだろう。しかし、この文字列は、
      見事にその意味を伝えているではないか。
       「とにかく」という言葉が先にあって、あとから「兎に角」という書
      き方を考えたとすれば、すんなりと理解できる。洒落た人がいたものだ。
       どうせなら、そんな粋なことができる人になりたいものだ。
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 8/4   箸が転んでもおかしい年頃

       誰でも、目の前の人がにこにこしていると心が和むものだ。年中仏頂
      面をされていると、こちらまでその表情が移ってしまいそうだ。自分が
      そう感じるということは、きっと周りの人もそう感じるものなのだ。だ
      から、ボクもにこにこしていたいと思う。周りの人に不快な思いをさせ
      ないためにも。……けれど、どうしても作り笑顔になってしまう。無理
      をしているのだろうか。
       「箸が転んでもおかしい」のは、十代後半と決まっている。さらに、
      これは男子には言わないことになっている。専ら女子にのみ使う言葉で
      ある。ここに男女の性差を思わないでいられない。男子にこの言葉を当
      てはめないのは、年頃の男子が愛想のない表情をしていることが多いか
      らか。少なくともボクはそうだった。大人なんぞにへつらう気持ちはな
      かった。いつもぶすっとしていた。
       そんな表情をしていたのは、誰かに表情を読まれるのを警戒していた
      からだったと思う。自意識過剰であれ、人の視線が気になるのは、人と
      しての成長の一つの形ではないだろうか。
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 8/3   以心伝心

       もともと、禅宗の言葉である。「物事の奥義を伝えるに、文字だの言
      葉だのに何の力があろうか」という教えである。そういうものは心で伝
      えるもののようだ。これに似た言葉に「不立文字」がある。言葉などあ
      てにはならないし、あてにしてはいけないのだ。
       最初、このことを知って感じたものすごく意外な印象がまだ消えずに
      残っている。寺に生まれて十数年、あんなにお経をいっぱい覚えたのに、
      大切なのは言葉じゃないと言われても、だってあなた、お寺にどれだけ
      の経本があると思うかと返したくなった。言葉を重ね、重ねても、真実
      の周辺にしかたどり着かないのか。
       やはり、大切な悟りは文字にならないようだ。お経の本は、悟りを書
      き記したものではない。悟りを開く瞬間、不特定の場所にそういうもの
      が存在するようだ。
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 8/2   いたちごっこ

       漢字で書くと、「鼬ごっこ」。同じようなことを何度も繰り返したり、
      堂々巡りすることのたとえである。そもそもは、指で相手の手の甲をつ
      ねり、それを相手がつねる、いつまでも終わらない遊びのことを言う。
      これを古くは、「鼠ごっこ」とも言ったという。「ねずみごっこ」であ
      る。ううむ……。
       ねずみもきっとすばやいのだろうが、イタチの俊敏さを思うとのろの
      ろした印象。噛みつく動作もゆっくりでいいような感じだ。
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 8/1   何か話していて「ウソをつけ」と言ってしまうことがある。普段から
      「ウソはいけない」と言っているのに。本当に言いたいのは、「ウソを
      つくな」なのに、どうして逆のことを言ってしまうのだろう。言われた
      方も、「ウソをつけと言うからウソをついた」とか言い始める始末。ど
      うしたものか。
       電話勧誘販売に対して「結構です」「いいです」と断ったつもりが、
      品物が届いてしまい、確認の電話をすると、「『結構ですね』『いいで
      すね』とおっしゃったじゃないですか」と押し込まれる原理に似ている
      気がする。押し込む方は相手の答え方がどうであるかなんて、お構いな
      しなのだ。
       二通りに使える表現。面白いからボクも使ってみたい。例えば……、
      「コーヒー飲まない?」
      「うん」
      「……?」
       これでいいのだ。その場の話題作りになる。
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