今日の言の葉 

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 5/31  テレビを見ていると梅干しの載ったケーキが映されて「なんでもアリ
      の世の中ですが」とナレーションが流れていた。ラジオを聞いていても、
      「あ、こういうのもアリだと思いました」だとか。
       何がおかしいのか、はっきり分からないが、とにかく、この言い方が
      気になっている。意味は分かるのだが、熟さない言葉だと思う。
       要するにボクは、これを子どもの言葉遣いだと思っているのだ。子ど
      ものころの遊びには、いろいろとその地域のルールがあって、川をはさ
      んで加野と芥見ではそれが微妙に違うから、小学校で遊ぶときには「○
      ○はナシで、××はアリね」と取り決めを結ぶ必要があった。「アリ」
      とは、このように使うものだ。
       だから、この言葉が放送に乗ったときには大いに違和感があったもの
      だが、当たり前のように使われるようになってしまった。しかし、ボク
      の感じる違和感は消えない。おかしい、おかしいと思いつつ、どうにも
      できない。やがて、公共放送のアナウンサーにいたるまで、日本中で広
      く使われるようになってしまった。

       やがては「ホンコ」「ウソンコ」という言葉が使われるようになるかも
      知れない。これも子どものころの遊びの言葉で、それぞれ、「本当の、本
      気の」「うその、バーチャルの」という意味である。
    
      「日米間協議は、いよいよ事務レベルで進められるようになりました。」
      「そうですね、これから両国はホンコの同盟関係になるでしょう。」
      「今まではウソンコでしたからね、喜ばしいことです。」
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 5/30 (昨日の続きである。)
      
       さて、いよいよ「乗鞍自然教室」の当日が近づいてきた。出発は25日。
      ボクたち1年生職員は23日(金)に学年会を開き、最後の確認を行うこ
      とにした。
       その席で、「昼食をどこでとるか」ということが話題になった。ボクは
      山頂を知っているので、「木の根っこばかりで、とても1学級もそろう
      ことはできない」と意見を述べた。すると、「クラスにインターネット
      で山頂の様子を調べてきてくれた子がいる。広場みたいな所があるみた
      いやぞ。」とF先生。プリントアウトされたものまで見せてくれた。
      「岸さん、頂上には祠(ほこら)があると書いてあるけど……」
       うわ、写真まで載っている。こんなもの、先週は見なかった。これは
      どうしたことか。山頂の感動を伝えるボクからの電話を受けて下さった
      I先生も、岸さんはそんなものがあるとは言っていなかったと、これは
      支えてくれているのかどうか分からないが、とにかくそんな証言。
       結論は、こうだ。ボクは三角点を見て、頂上と思ったが、そこからさ
      らに続いたあの道を行った先に、頂上広場が別にある。祠はそこにある
      に違いないと。ボクが「目的は山頂に立つことだから余計なことはしな
      い」と切りすてた道のほんの鼻の先に、本当の山頂があるのだ。
       ボクは目が点になった。先週の感動はなんだったのだ。N先生と励ま
      し合いながら登った記憶はなんなのだ。
       学年会は爆笑の渦になった。ボクは学年主任なので一緒に笑った。

       吉田兼好なら、なんと言うだろうか。
      「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」に違いない。
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 5/29  国立乗鞍青年の家に山本先生という方が勤めておいでだ。大変温かい
      方で、このたびの乗鞍自然教室(宿泊研修)にも、事前段階からお世話に
      なった。この方は国語科の先生で、数年間岐阜市においでだった。しか
      し、岐阜市を出られた後にどちらにお勤めになっているのか、詳しいこ
      とを知ることもなかった。そういうわけだから、4月26日の宿泊研修
      の下見で山本先生の顔を見たときには、驚きと懐かしさがこみ上げた。
       この下見には、学年の職員8名での登山コース事前踏査があった。登
      るのは、「丸黒山」という、乗鞍への登山道に位置する山である。このと
      きも山本先生は案内役をしてくださっている。
       あいにく骨折後のボクの足は未だ完治に至らず、登山が後々悪い形で
      影響するといけないので、くやしいと思いながらも山登りだけは控え、
      この日は所内の下見と打ち合わせにとどめたのだった。学年の仲間の先
      生たちは果敢に挑戦したが、雪のために登山道がふさがっており、途中
      で引き返している。
       5月に入ると足の調子も良くなってきた。左脚に体重がかかっても、
      痛みはさほどではなくなったので、時機を見て5月17日、思いきって
      登山を試みた。自分が一度も登らないで生徒を連れて行くことはできな
      いと、格好のいいことを真剣に考えたのだ。
       これは「思い立って」の行動だったので、山本先生には案内をお願い
      せずにいた。案内人もなく登ることに不安もあったが、4月の下見の情
      報があったので、どうにかなると登山を始めた。しかし、まだ登り口に
      さしかかる以前に道に迷ってしまった。携帯電話とは便利なもので、1
      年生のI先生に電話をかけて、正しい道を選ぶことができてほっとした。
       その後、登山は順調で、4月には雪に埋もれて断念した山道をすべて
      登り切り、「ガンバル坂」「根性坂」を越えて、ついに丸黒山の山頂を示す
      三角点を発見するにいたった。狭い山頂に立ち、木の根っこがからまる
      地面にかろうじて腰を下ろしておにぎりを食べた。大変爽快な、かつて
      経験したことのないおいしさで、どんどん腹に入っていった。
       やればできる、と思った。「案ずるより生むが易し」という言葉が頭
      をかすめた。同行のN先生は、汗びっしょりになりながら、「とうとう登
      り切りましたね」と喜んでくれた。山道はさらに乗鞍岳の方まで続いて
      いて、ボクたちを誘うようにも見えたが、三角点を見つけた以上、余計
      なことをする必要はない、ボクはこのために来たのだ、と雑念をはらい、
      胸一杯に空気を吸い込み、しばし感動に身を任せた。
       下山してボクは、道々撮影した数々の写真をもとに学年通信を発行し
      た。「実際の登山をイメージできるようになりました」とK先生も喜ん
      で下さったので、この下見は大成功だった。ただ一つ、山頂地点でカメ
      ラのバッテリーが切れてしまい、その写真は残せなかった。
       しかしボクは、これを「神様のご意見」ととらえることにした。山頂
      の風景を通信にしてしまっては楽しみがなくなる、生徒自身の目で確か
      めさせることだよと、そういう天のだれかの意見なのだと思い、納得す
      ることにした。(明日に続く)
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 5/28  大変丁寧な日本語を耳にした。バスガイドの使う言葉だ。乗鞍青年の
      家から学校までの帰路、同乗してくださったその女性の言葉は、今も耳
      の奥に張り付いている。
      「みなさんが乗鞍においでになっている間、岐阜の方ではですね、2日
       間、大変強い雨が降っておりました。」
      と、柔らかな口調で、しかもはきはきと話されるのは、さすがだと思う
      次第だ。ところが、
      「お寒いでしょうか。現在、気温は9度となっておりますが、下界に下
       りてまいりますと、14度と気温が上がっていただいて……
       おやおや、そういうものに敬語が使えるとは初耳である。ぼくの経験
      しなかった体系で敬語が展開している。おもしろい。それならば、

      「名神高速道路は大垣インターから渋滞が続いておりましたが、羽島を
       越えたあたりでようやく緩和して下さいました。」
      「今年も我が家では、ツバメが巣をかけて下さったので、幸運が舞い込
       むことを確信しております。」
      「A子さんの病状が大変心配でしたが、このたび、扁桃腺炎には完治し
       ていただいて、ようやく安心することができました。」
 
       気がつくと、いやみのコーナーになってしまっている。自己嫌悪。
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      ・3日間学年行事により休載しておりました。本日、筋肉痛とともに再
       開です。
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 5/24  テレビでトラクターの宣伝をしていた。きれいな女の人がヘルメット
      をかぶってトラクターの運転操作をしていたので、ボクも買いたくなっ
      た(ウソ)。
       そのコマーシャルの中で、「ほ場で」というテロップが目についた。
      なんだこりゃ。声に出してくれているので「ホジョウデ」だと分かるも
      のの、さもなければ「ホバ? ホジョウ?」という状況になってしまう。
       漢字で書いたら「圃場」ということで、「ああ、なんだと思ったら、
      田圃(たんぼ)のことか」とわかる。この文字が常用漢字の範囲にない
      ということなのだろう。だから平仮名でしか表記できないのだ。
       農業用語は難しいと思う。

      (明日から三日間は、乗鞍の青年の家で宿泊訓練です。このコラムも、
       その間はお休みです。)
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 5/23  「さり気なく」については、「さりげに」とどちらが正しいのかとい
      う質問があったぐらいの混乱ぶりだ。まともに使えていたはずの人も、
      流行に流されて、思わず使ってしまうことさえある。
       「悪貨は良貨を駆逐する」というが、言葉にもそういうことがあては
      まるのだろう。良い言葉が身の置き所をなくしている。これまでは疑問
      に思うこともなかった「さり気なく」も、こうなると意味をはっきり知
      らないで使うことはできない。まず、どんな字を当てればよいのか。
       「さりとて」「さりながら」というように、「さり」とは、「そうで
      ある」という意味合いを持っている。すると、「さり気」というのは、
      「いかにもそうであるような様子」ということになる。つまり、漢字で
      書けば「然り気」である。「さり気ない」というのは、表からはまった
      くそんなようすがうかがえないということだ。

       ボクの高校の友達には「さりげ」というあだ名をつけられたやつがい
      たが、さり気ない奴だからだと誰かが説明していた。この問題の発生は、
      24年前の母校にあったというのがボクの解釈である。
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 5/22 「生まれる」という言葉。これは自動詞だろうか、それとも「生む」に
      受身の助動詞がついたものだろうか。そんなことをある先生と話し合っ
      た。
       母の胎内から生まれるという場合、「生む」という行為の受動である
      ということは分からない話ではない。英語では、「I was born.」と言う
      のだし。「生む」人がいるから自分は「生まれる」のだ。
       ところが、ボクたちの言葉遣いとしてはどうだろう。「いい考えが生
      まれた」というとき、これは「生じた」という意味だ。いや、もともと、
      「ボクは2月5日に生まれた」と言ったって、受け身だと考えている人
      の方が少ないのではないか。受動で考えると、とたんに意味合いが重く
      なる。
       長い間お腹の中に抱えて育ててきた命を、それこそものすごい苦労を
      して、痛みに耐えて、絞るようにして「生んだ」という事実に対して存
      在している「自分」。そう考えると、そこに存在していること自体が重
      大だ。
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 5/21  「業界用語」とはなにごとか。

       テレビを見ていたら、「言葉を逆さまにするのが業界用語」だとか言っ
      ていた。
       逆さまに言えばいいのか……。

       ばんとうしょっきゅう……(給食当番)
       さんにっちょく……………(日直さん)
       いーだかんしょく…………(大食缶)
       しゅくんたぎょうじゅ……(短縮授業)

      「今日はPTA総会で短縮授業になるので、日直さんはチャイム席につ
      いて呼びかけができるといいね。給食当番さんは大変だけど、残さず配
      りましょう。時間がなくて食べられないときは、大食缶に返すように。」
     
       業界用語で表現したらどうなるか、具体的に想像してみたが、気分が
      悪くなるだけだった。教育業界には合わない言葉だ。だいたい、いろい
      ろな業種があるのに、放送業界だけが「業界用語」とか言っているのが
      おかしいじゃないか。ほかのいろいろな業界用語も普及させたらどうだ
      ろうか。
       あ、普及したら業界用語じゃなくなっちゃうのか。
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 5/20  おもしろい俳句を見つけた。作者は、黒柳召波(1727〜1771)という
      人だ。

       憂きことを海月に語る海鼠かな (海月…くらげ。海鼠…なまこ)

       海月というのは正体がなくて、ふわふわしている。ものごとを深刻に
      考えることなんてあるのだろうか。
       一方の海鼠の方は、これは憂鬱のかたまりみたいな存在で、きっと海
      の中でごろごろしながら、自分に目があったらなあ、自分にヒレがあっ
      たらなあ、とか、その身の運命を受け入れられずにこぼしているように
      思える。
       さてさて、そんな海鼠がふわふわ者の海月に「実はこれこれで、ボク
      は困っているのだよ」と語ってみたところで、きっと海月は「ああ、そ
      うかいそうかい。気にしない気にしない」と、まともに取り合ってはく
      れない。で、結局海鼠の悩みは解決に至らないのだろうが、とりあえず
      聞いてもらえて海鼠は少し気が楽になっている。一方の海月は聞くだけ
      聞いて、聞いたそばから忘れていくから、彼には積もり積もった悩みな
      んて存在しないのだ。だから今日もふわふわしている。
       黒柳召波という人が、1700年代に生きていたというところに、ボクは
      注目したくなった。「何だって?」という感じだ。そんな時代にこんな
      戯画みたいなことを俳句にしているなんて、その想像力に感心する。
       海辺で詠んだと言うよりは、酒でも飲んで、肴を箸でつつきながら思
      いついたと言うべきか。彼にも何か悩みがあったのかも知れない。そん
      な自分を海鼠にたとえ、脳天気な聞き役を海月にたとえていたのだろう
      か。
       ボクだって、聞いてくれるのなら、ねこにだって相談している。問題
      は、ねこが家にいないことか。
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 5/19  半疑問形とか、そんなものが批判されたことがある。会話の途中で語
      尾をあげる、あれである。
      「ええっと、みなさんのですね、コンセンサス?をですね、可及的速や
      か?にですね、得たいと思ったりしてるんですよ」
       ああ気持ち悪い。こういう日本語は良いところがない。
       しかし、半疑問より見苦しいのに、半肯定というものがあると気がつ
      いた。「ああ、そうなのか」の代わりに使う「そうなんだあ」は、これ
      はなんとも落ち着かない。いやいや、若い世代が使うのは、揺れる世代
      の特権として認めようじゃないか。それを年配が使うとこれは見苦しい。
       ボク自身も、いつまでも「ボク」なんて使っていると気持ち悪がられ
      ると思うので、気をつけたい。人のアラは目につくものである。
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 5/18  学校も放課後ともなれば世間話も出てくるわけで、コンピュータやデ
      ジタル・カメラ、それから乗りたい車の話。ああ、男社会だと思う次第。
      女性陣はかたまってケーキのおいしい店の話をしている。ぼくはこっち
      の方が性に合っている。おいしいものの話とダイエットの話。しかし、
      なにかと意見を聞かれるのはやはりコンピュータの話題である。A先生
      は、そんな話が好きで、よくでかい声を出している。
      「あといくらいくらあったら、即『買い』なんだけどなあ」
       うわあ、「買い」である。まるで株の売買みたい。「売り注文」とかい
      う言葉とペアで使いたい言葉。
       しかし、この言葉、テレビでしか聞いたことがない。ということは、
      日本語としては、全然一般化していないということだ。
      「こーのくるーまはー、ほーりだしーものー、ぜったいー、かいものー、
      だいーじょーぶー」
       語源はこのあたりにあろうと思う。しかし、こんな歌、分かる人がい
      るだろうか。いたら友達になりたい。
       いや、なりたくない。
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 5/17  わいわいの掲示板に15日付で「ちぃ」と名乗る方から書き込みがあった。
      ……『岸先生のあれこれ言の葉』で『...(涙)』や『....(汗)』などの
      表記についてのコメントがありましたが、最近はそれ以上に顔文字を使
      っているような気がします。私たちの仲間内が特になのかもしれません
      が、(^ω^)v や(≧∩≦)などとしてみたり…。そっちの表現の方が
      多いような気がします。
       なるほど、では、Atokで確かめてみよう。「かおもじ」と打ち込んで
      変換してみたい。
 
       (^_^) (^^) (^o^) (*^_^*) (^_^;) (^^;) (^_-) (T_T) (>_<)
 
       <(_ _)> m(_ _)m (^^)/ (^_^)v (-_-) :-)
      
       以上であった。感情の記号化。うむ。感情を定型的に表現できるとい
      うのは便利であろう。これは(...汗)などと同様の効果がある。
       しかし、ボクはこれだけでは足りないと思うので、いくつか自作して
      みた。
       忙しくて目が回るよー ------- (*_*) 
       最近花粉症でね    ------- (i_i)
       見ざる聞かざるさ   ------- H(u_u)H
       聞くも涙語るも涙だ  ------- @(j_j)@
       春眠暁を覚えずで…  ------- m(u_u)m
       ああ、食った喰った  ------- (~o~)
       もう、お化粧失敗   ------- ρ(Θ_Θ)
       お、いいものがあった ------- {=・し・=}
       サファリパークに行ったよ --- ξ'±'ξ
       明日ははぜ獲りに行くんだ --- ∈(∵)∋
       シェイプアップ中だよ ---- LΩ(↑∩↑)Ω」
       うちのおじいちゃんがね ----- π(ΞΞ)

       わははははは。おもしろい。しかし、感心したほど難しいものじゃな
      かった。しかしボクは何に夢中になっているのかと思う。42歳の初夏で
      ある。
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 5/16  昨日のコラムだが、妙なひらめきがあったので、書きとめておきたい。
      まず、「意外に」と言わねばならない背景というものが、その二人の間に
      あると考えねばならないことに気がついた。
       飲んだ本人はまず、その飲み物の味を評価する。そして、○か×かを
      判定する。これは瞬時に済んでしまうことだ。次に、それを口に出さね
      ばならない。ところがこの時、うかつに「好き」というと、「えっ、本
      当にこんなの好きなの?」と来られるかもしれない。逆に嫌いというと、
      「この味の良さが分からないなんて、まだまだね」と思われるかもしれ
      ない。そのどちらもが自分の評価に関わる問題で、単純にいいだのの良
      くないだのと言えない。二人の間には、そういう牽制が働いて、単純な
      評価はできなくなっているのだ。
       だから、一方では「良くない」と言いつつも、「おいしい」という新し
      い発見のできたことを提案という形で表現する。これが「意外に好きか
      も」である。
       若者も人の目を気にしているんだと思うと泣けてくる。分かったよう
      なことを書いてしまった。
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 5/15  FMが好きだ。そんなこと言うほど夢中になってはいないのだが。
       さて、送る側は世代が若いせいだろうか、ときどき分からないことを
      言ってくれる。これも楽しさのうちだが、この間は飲み物を話題にした
      トーク番組で、スタジオでたった今、ある飲み物を飲んだ本人が、「あ、
      わたし、意外にこれ好きかも」とやっていた。
       この「意外に」という言葉が面白かった。自分の感覚が信じられない
      という表現になっている。自分はこういう物は好きではないはずなんだ
      が、どうしたことか、これは思っていたよりもずっとおいしい、いける、
      ということか。しかし、「意外」というのは、だれにとってのことなのか、
      判然としないではないか。おそらくは、自分にとってのことであろうこ
      とは容易に想像がつく。自分のことを分かってもらいながら会話は進む。
       ただ、ラジオのようなメディアでこれをやられると、聞いている方と
      の懸隔が大きすぎる。親しい仲で、差し向かっての会話の場合にはとて
      も有効だろうと思うが、いかがだろうか。
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 5/14  例えば、『マッハで宿題終わらせる』だとか、『瞬速で技を決める』
      というもの…。

       上記は、最近はやっている若者言葉なんだそうで、これは生徒用掲示
      板に書かれていたものだ。ううむ、と腕組みをしてしまう。いや、ボク
      が感じるのは、それがおかしいとか、そういうことじゃなく、ボクたち
      が昔使った「マッハで……」が今でも使われているというおかしさだ。
      ボクたちは25年ほども前に、もう「マッハで……」を使っていた。「瞬
      速で……」の方はなかったけれども。
       意外に進化していない若者言葉。これは、若者言葉の伝承現象とでも
      呼ぶべきものが存在することを暗示している。つまり、ある年代にある
      もののみの共通言語ということだ。高校に入って使うようになった言葉
      に、新鮮みを感じて学生気分を味わっている最中なのだ。そして、今は
      使っている彼らも、卒業と同時にそんな言葉は使わなくなるのだ。社会
      はそんなに甘くないから。
       そして「最近の若いやつらは」というのも、伝承される言葉なのだろ
      うと思う。
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 5/13  「セーケーゲカ」と「ケーセーゲカ」
 
       子どものころ、「今日は整形外科に行く」なんて友達に言ったら、なん
      と言われただろう。鼻を高くするのか、目を二重にするのか、とか下世
      話な話題になったであろうことは間違いない。
       ボクたちは、整形外科というのは、顔の形を別人みたいにするところ
      だと思いこんでいた。絶対にボクだけじゃない。
       最近はその「(美容)形成外科」というものが大流行。テレビでは猫も
      宣伝に荷担しているから、この調子で形成外科が一気に市民権を得たな
      らば、気軽に形成外科に行くようになる日が来るのかも知れない。
       整形外科で診てもらって3ヶ月。この不思議な環境にも十分に慣れた。
      朝からリハビリのおばあちゃんたち。触っても熱くない温熱器具。黄色
      いお湯に腕をつけた野球少年。何度も顔を合わせているのに、ずっと不
      機嫌な顔ばかりしている女子高生。ここには怪我さえしなければ、とい
      う思いの人が集まっている。
       ここに通う一人一人に家庭だとか夢だとか、大切にしたい人だとか、
      そういうものがあるのだと思うと、この閉ざされた空間がとても愛おし
      くなった。
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 5/12  AET(外国人講師)のケイトが、にこにこしてやって来て、不意にペ
      ラペラ話しかけてきた。一度で分からない日本人の悲しさ、もう一回、
      もう一回、と聞き直して、どうやら次のように言っているのだと見当が
      ついた。
       "Why is six afraid of seven ?"(どうして6は7を怖がるか)
       なぞなぞである。
       言ってケイトは得意そうににこにこしているので、ボクは答えを出さ
      ねばならないのだが、そんなこと、「6」に聞いてみないことには分から
      ない。気のきいたことが浮かばないので、答えをご教授願うと、
       "Seven,eight,nine,ten !"
      とやっぱり笑っている。いかん、ぼくは何か試されている。まずいパタ
      ーンだ。チャイムが次の授業の始まりを告げている。時間切れだ。ケイ
      トは、どうしてかを後でもう一度聞くわ、と言っていたから、ボクは、
      ナンデダロー、ナンデダローとくねくねして教室に行った。
       さて、この問題の答えは、
       "Seven ate nine,ten !"
      というところにある。(ケイトは"eight,eight!"と繰り返していた。)
       つまり、6が7を怖がるのは、7が9と10を「食べちゃった」から
      だということだ。
       ばかばかしい。
       いやいや、イギリスの人もこんな風に言葉で遊んでいるんだと分かっ
      て、とてもうれしかった。ボクの周囲には、とかく駄洒落を日本文化の
      恥のように思う人がたくさんいる気がするが、ケイトのような外国人に
      触れると、そうではないことがよく分かって安心できる。

       問題は、英語教師を含めて50名近い教員の中で、どうしてぼくに聞
      いてきたかということだ。普段からバカなことばかり考えていると、そ
      ういう信号が発せられるのかもしれない。万国共通のおバカ信号。ケイ
      トもボクになら言えると思ったのだろうか。
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 5/11  教え子からメールをもらった。彼はこの春、高校生になったばかりだ。
      よりによってボクの出身高校に入ってくれたので、先輩後輩という関係
      になってしまった。なんとなく面映ゆいことだ。さて、メールの文面は
      彼の近況を伝えるもので、
       
       ・故障前に保存してあったファイル等、データほぼ全焼...(涙)
       ・弟よ。こんなアホな兄がいたばっかりに...(苦笑)
       ・このメールの中にも「言の葉」のネタになりそうな言葉遣いが
        たくさん隠れていそうな気がします...恐ろしい...(汗)。

      などであった。パソコンのクラッシュは気の毒な限りであるが、「ネタ」
      が隠れていそうな気がすると感じた彼の直感は正しい。
       文末にある「……(涙)」などに注目せずにいられないじゃないか、君。
      これらは書き手の感情を記号的に表現したもので、実に便利な方法だと
      思う。手早くメールを打ちたいのに、「考えるだけで涙が出そうです」と
      か「まあ、なんといっていいやら、どうもねえ」などとやっていたら、だ
      らだらするだけで気持ちがダイレクトに伝わらない。若者同士のコミュ
      ニケーションでは大変有効な方法だと思う。
       彼がボクを若者として扱ってくれたことに、一定の安心感を持つ次第
      である。
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 5/10  小泉メールマガジンを読んでいたら、「おんらいん読者感想」という
      のがあって、くらくらした。首相の「らいおんはーと」と区別がつかな
      かったのだ。
       先日、国語を愛する大先輩十数名と語り合う機会があったが、口々に
      「カタカナ言葉の氾濫」を嘆いておられた。貴重なご意見を数々承った
      と感じている。さて、内閣官房から出されているメールマガジンに「ら
      いおん」・「はーと」・「おんらいん」とあるのは感心しない。これらは、
      カタカナ表記にすべきものである。カタカナであるべきものを平仮名で
      表現することがまたまた妙な混乱を招くことを予測していただきたい。
      読者は何万人もいるのだ。
       なお、「ハート」は、平仮名では「はあと」であることを付記しておき
      たい。
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 5/9  □ やる気のない言葉シリーズ □

      「おざなり」と「なおざり」とが違う言葉だと気づいたのは何年前だろ
      うか。なんとなくでは良くないので、勉強のつもりで調べ直してみた。

      ■おざなり【▽御座▽形/▽御座成り】
       その場逃れにいいかげんな言動をする・こと(さま)。
       「―な言い訳」「―な返事」「―を言う」

      ■なおざり【〈等閑〉】
      (1) 真剣でないこと。いいかげんにして、放っておくこと。また、その
        さま。 「商売を―にする」
      (2) 深く心にとめないこと。あっさりしていること。また、そのさま。
        「よき人は…興ずるさまも―なり/徒然 137」

  
     兼好法師の言葉が引っかかる。何事にもバカ騒ぎをする自分などは、
      「よき人」の仲間に入れぬということか。入れなくても楽しい方がいい
      と思うのはいけないことだろうか。
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 5/8   岐阜市内で「おむすび三味」という看板を見た。岐阜中警察署のすぐ
      わきである。
       なんと読むのか。聞いてみたい。
       おそらく、「ザンマイです」と答えられることだろう。いや、それは、
      「三昧」の読みである。微妙な違いだが、違うものは違う。      
       店主がこのことを知っていて看板に使っていることを心密かに望んで
      いる。「ザンマイじゃなくて、サンミです」とか言ってくれれば良い。
      しかし、その場合、おにぎりの種類は一気に三種類になってしまう。

       ・シソ味 ・コンブ味 ・おかか味

       やはり看板は「三昧」にして、おにぎりの種類を増やしてほしいと願
      うところである。
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 5/7   ずっと以前、生徒用掲示板の書き込みに『何気に』についての記述が
      あった。

      「何気なくって使われるより前は、何気にっていうのが正しかったらし
      いのですが、最近はどっちの方が正しいのでしょう? 言葉(言語)は、
      時代や時世によって変わりやすいものだと聞いたことがありますが、今、
      正しいのはどっちなんでしょうか?」

       若々しい意見だと思う。こういう素直さが大切だ。この子は言葉の乱
      流の中にあって、流されまいと努力している。
       日本語の乱れを指摘する意見は多いが、若い世代に責任があるなんて、
      そんなことを真顔で語っちゃいけない。使っている本人は、乱そうとか、
      こわそうとか、そんな思いで使っているわけではないのだ。この子のよ
      うに、環境が変えていく言葉に敏感に疑問を持つ子だっている。変だな
      あ、変だなあと思いつつも一人の力では何ともできないのが言葉という
      ものではないか。
       言葉を冷静に見つめてみたいと思う次第である。
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 5/6  「苺が売っている」

 
      こういう言い方をしたことはないだろうか。ドライブで立ち寄った直
      売所に売り子がいなくて苺だけ置かれていて、しかもそれがおいしそう
      なものだったら、きっとそんなことを小さく叫んだりするだろう。
      「苺を売っている」や「苺が売られている」などは、正しい言葉なのだ
      ろうが、それはそこに売り子がいる場合にのみぴったりで、無人販売の
      場合などは冒頭の表現の方がしっくり来るような気がする。
       ここには自動詞や他動詞などといった小賢しい知恵は関係なく、「売っ
      ている」を、「売られている状態を表す形容詞」ぐらいにとらえるおお
      らかなハートが必要だ。
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 5/5   FMを聞いていたら、なんとかという曲が流れていた。歌詞に「風が
      君の髪をなびく」
と入っていたのに気づいて、こりゃおかしいと思った。
      しかし、そういうのがラジオから聞こえてきてびっくりしない世代があ
      るのでは、とひらめいて「なびく」をキーワードに検索を行うと、出る
      わ出るわ。

      ・地下鉄特有のなまあたたかい風が髪をなびく。
      ・もう秋の風がお前の髪をなびく。
      ・まるで君の髪をなびくそよ風に似た 僕の君への想いを……
      ・ロボット・ティマは本当に綺麗でした。髪をなびく時も……
      ・アスカの口調は優しかった。 風がアスカの髪をなびく。

       どうやら若い世代は、「なびく」を他動詞として使っているようだ。
      ボクたちはこれを、自動詞としてしか使ったことがないので、「髪が風
      になびく」は分かっても「風が髪をなびく」は理解しがたいのだ。
       ところで、上記のように、なびくものは「髪」にとどまってくれている。
      ……………………………………………………………………………………
       いや、今ひらめいたのだが、若い人たちはこの言葉を、「梳(と)かす」
      という意味で使っているのではないだろうか。4番目の使用例は、どう
      も意味が違っている。自動詞とか他動詞とか言う問題ではなく、ここで
      は言葉の意味の伝統が崩れている。
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 5/4   骨折以来3ヵ月が過ぎた。これはボクが走らなかった期間が、3ヶ月
      あったということだ。体脂肪計に乗ってみると、体重は70kg、体脂肪は
      20%と出てくる。以前より5%程脂肪が乗ってきた。
       働き盛りの人のことを「脂がのっている」とかいうが、あれはボクの
      ことだ。

       今年の目標を早めに設定しておきたい。
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 5/3   休日である。空模様が気になるところだ。しかし、この「空模様」っ
      て、なんだろうか。「模様」を集めて考えてみよう。
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      ・いちまつ-もよう【市松模様】
       色の違う二種類の正方形または長方形を、互い違いに並べた模様。
      ・にんげん-もよう【人間模様】
       複雑な人間関係の様子を、織物のたて・よこの糸が織り成す模様
       にたとえた語。
      ・あまもよう【雨模様】
       どんよりと曇って、雨の降りだしそうな空の様子。あめもよう。
      ・あれもよう 【荒れ模様】
        (1)天気が荒れそうな様子。
        (2)人の機嫌や物事の状況が荒れそうな様子。
      ・そらもよう【空模様】
       (1)空の様子。天気の具合。
       (2)事のなりゆき。雲行き。     (「大辞林」から)
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       大抵が「様子」ということだが、何がそのもとになっているかを考え
      てみる。初めの二つから、模様という言葉と染織技術とが密接な関係に
      あろうことは容易に想像がつく。模様というのは、そういう様式・型な
      のだ。これを「パターン」というと分かりやすかろう。
       こう考えると、後の三つは応用して理解できる。「ああ、もうすぐ雨
      が降りそうだなあ。雲があんな動きをしているから」「こんな会話が続
      くのなら、これから会議は荒れていくのだろうなあ」と物事を動きのパ
      ターンから判断するのが「模様」ではないだろうか。
       子どものころは、そんなこと考えもしないで、空の模様って何かなあ
      とか、適当に考えていた。今も適当に違いないけれども。
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 5/2   子どものころは、中山律子さんがブームだった。

       りっつこさんっ、りっつこさんっ、なっかっやっまっ、りっつこさん

       これを今リズムに乗せて口ずさんだ人は40代以上だという証拠だが、
      そんな律子さんにあこがれてボーリングのボールを買った人が意外にも
      大勢いる気がする。しばらく前にブームが再来して、今でもときどき見
      かけるのが、「マイボール」を持った人。その人たちは必ずグローブも
      持っている。ただ、それを「マイグローブ」とは言わない。
       手袋がかわいそうだ。日本の言葉なのに「マイ」を乗っけて気どって
      いる言葉たちがあるからだ。

      「わたし、『マイ箸』持ち歩いてるの」
      「あら、『マイ七味』も持ってるの?」

       だいたい、「マイ」をつけなくても十分意味が通じるじゃないか。だ
      れも人の箸を持ち歩いているとは思わないよ。七味だって。なのになぜ
      使うのか。
       「マイ」は、持ち歩く人の誇りとか矜持(きょうじ)とかを表す言葉だ。
      持っていることそのものに意味がある場合にだけ使えるのだと思う。箸
      を持ち歩いて森林破壊を食い止めていることの誇りだとか、いつでもダ
      イエットに真剣よ、というサインだとか、『マイ』にはそんな思いが込
      められている。
       ネットを見ていたら、あるHPに「マイラー油」を持っている人のこ
      とが書かれていた。たぶん、カバンの中がラー油だらけになってもかま
      わないほどにギョーザを誇りにしている人なのだろう。
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 5/1   「こんにゃくは体においしい野菜です」

       こんにゃくを利用した某ダイエット食品で、こんなコピーのついた物
      が売られていた。スーパーのワゴンに山積みされたその袋に印刷された
      文字は、妙に親しげに「買ってくれ」と言ってくるので、買ってしまっ
      た。
       帰ってから、何がそうさせたのか、考えてみると、これが「五七五」
      であることに気がついた。ううむ、サブリミナルな戦術である。こうい
      うしかけに私たちは弱いのかも知れない。

       1 毎年よ彼岸の入に寒いのは
       2 この場所に止めるべからず 警視庁
       3 使用後は必ず水を流しましょう

       「1」は正岡子規だが、子規本人ではなく、日常会話からこんな言葉も
      俳句になっていると、実例としてあげたものと聞いた。「2」は、どこで
      きいたものか、心に残った言葉である。高校の先生に聞いた気がする。
      「3」は、勤務校岐北中の職員トイレの壁にあるものだが、消えてほし
      くない大切な財産だ。
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     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月