今日の言の葉 

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 9/30  便所のことを「後架」というと書いたばかりだが、よく考えると、ボ
      クが子どもの頃、便所のことを祖父がよく「とうす」と呼んでいたでは
      ないか。辞書を引くと次のように載せられていた。

      とうす 【東▽司/登▽司】
       禅寺で、厠(かわや)の別名。本来は東序に属する僧の用いる便所。東
       浄(とうちん)。

       ふむふむ。しかし、ボクが育った寺には、西にも便所があった。「西
      司」や「西浄」という言葉があればなあ……。いやいや、調べてみるも
      のである。あった、あった。

      せいちん 【西▽浄】〔「ちん」は唐音〕
       禅寺で、便所。西序(せいじよ)の人が用いるからいう。せいじょう。
       →雪隠(せつちん)

       当然の展開、しかし面白い展開だ。ここは「雪隠」を引くほかはない。

      せっちん【雪▽隠】
       〔「西浄(せいちん)」の転。一説に「せついん(雪隠)」の転とも〕
       便所。かわや。後架。

       そうだったのか。成人してからも、トイレのことを洒落て雪隠と呼ぶ
      ことがあったが、語源は西の便所だったのか。しかし、なぜ「西浄」が
      「雪隠」に転じたのか。転じたとするには飛躍がありはしまいか。最初
      にこの言葉を使った人がいたはずである。気になるが、歴史の隙間を探
      すことは難しいだろう。
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 9/29  後架

       初めて夏目漱石の「坊ちゃん」を読んだのは小学生のころだった。な
      んと小気味よい文章だろうと感心したものだが、主人公が懐中の三円を
      落とし、下女の清に拾ってもらったという「後架」が分からなかった。
      文の前後関係から、きっと便所のことだろうと想像はついたものの、そ
      んな言葉を聞いたことがない。読み方すらおぼつかなかった。

      こうか【後架】 〔「架」は棚の意〕
       禅寺で、僧堂の後ろに設けた手洗い場。また、そのかたわらに便所も
       あったところから、便所のこと。ごか。      (「大辞林」)

       辞書を引いて良かった。後架とは、たぶん便所のことだろうという思
      いが、「『後』の字は『尻』を表す」という誤解を生み出していたのだ。
      しかるに、これは「僧堂の後ろ」という位置を表すものだった。
       坊ちゃんを読んで三十年。やっと夜が明けた思いだ。
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 9/28  尾籠な話

       上品な人はこれを「びろう」と読むことを知っている。上品でない人
      は読めなくても、尾籠な話が好きだ。これは下品な話のことで、要する
      に「シモネタ」全般をいう。
       しかし、これがもともと古語「おこ(正しくは「をこ」)」から来ている
      ことはあまり知られていない。「おこ」とは、バカというほどの意味だ
      が、この「おこ」を漢字で書いたものが「尾(お)+籠(こ)」である。さ
      らにこれを強引に音読みしたのが「びろう」という読み方である。
       下品な物事を上品な言い回しに……という配慮だろうが、格好をつけ
      ても、下品なものは下品である。
       なお、「おこがましい」という言葉にも「おこ」は健在である。「お
      こ」がバカを表すから、これは「ばかばかしい」「ばかみたい」という
      意味になる。今ではずいぶん意味も変わったようだが、要するに自己中
      心的な人はバカであるという思想が貫いていると思うのだ。
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 9/27  ボクは餅が好きだ。インスタント・ラーメンに入れるのもいい。うど
      んにもベストマッチである。うどんが餅を迎えると「力うどん」と名を
      変えるのを知ったのは、高校のころだった。油揚げだったら「きつねう
      どん」、卵だったら「月見うどん」で、その由来は分かりやすいのに、
      「力うどん」とは何事か。餅と力の関係は闇に包まれている。そんなミ
      ステリーも手伝って、ボクは力うどんのファンである。
       さて、もう二十年も昔になるが、岐阜県可児市の安食堂で夕食をとろ
      うとして壁のメニューを見ていたら、「力夕焼そば」というのが出てい
      てびっくりした。「夕焼そば」がどんなに郷愁をそそるものかも知りた
      かったし、その色合いも気になった。唐辛子だらけのそばを想像した。
      そんなことはないだろうと否定しつつ、気になって仕方がない。これは
      さらに「力+夕焼そば」であるという暗号を店全体に放って輝いていた。
       ボクはそんな誘惑に負けず、何かの定食を頼んだ。食べながら、ふと
      逆側の壁を見ると、「焼きそば……固いの(四百円)」「焼きそば……
      柔らかいの(三百五十円)」とある。焼きそばでも、使われる麺によっ
      て値段が違うのだ。ふむふむ……。そりゃ、固い焼きそばの方がいいよ
      な。
       長々と書いたが、「力夕焼そば」とは、「固焼きそば」のことだった。
      危なかった……。気になった勢いで注文しなくて良かったと思った瞬間
      である。
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 9/26  イカ焼きは、イカを焼いたものである。
       タコ焼きは、焼いた中にタコが少し入っている。
       タイ焼きに、タイが入っていたら、きっと叱られる。
       ショウガ焼きを頼んで、焼いたショウガが出てきたら、詐欺である。
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 9/25  きつねうどんには「油揚げ」が入っている。東海地方では「あぶらげ」
      と発音しているが、単に「あげ」とだけ言うこともある。
       昨日は「揚泉」について書いたが、このとき、「揚げる」ことから連
      想が深まって、油揚げについて考えてしまった。それはこんなことだ。
      油揚げとは、確かに何かが揚げられているのだろうが、ボクたちは、そ
      の「何か」をはっきり知らないでいる。油揚げは、何にも似ていない。
      そして、初めからあんな姿で店に並んでいて、「何か」に思いをいたす
      こともない。「油揚げは油揚げでしょ」となるのだ。
       これが、薄く切った豆腐を油で揚げたものだと気づくには、ボク自身、
      かなりの年数を要した。しかし、気がついても簡単に納得のできるもの
      ではない。あれを豆腐だと意識するには、ちょっとしたハードルを越え
      る必要がある。
       問題は、「油揚げ」という名称にあると思う。何を油で揚げたものか
      は、名前からは判別ができないではないか。一部地方には、「揚げ豆腐」
      の呼び名があるようだが、こちらを標準として使うべきではないだろう
      か。あるいは、はっきりと「油揚げ豆腐」とすることだ。そうすれば、
      子どもたちだって、「アブラゲって何?」という疑問に苦しんで成長す
      ることもないと思うのだ。
       大変遠回しだったが、今回は「携帯電話」を「携帯」と略すと、正体
      がなんだか分からないという話(9/9)をさりげなく補足するものと受け
      止めていただきたい。
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 9/24  この夏、奥美濃を走るうち、温泉導入のファミリー銭湯を発見した。
      天然温泉の表示のあるその湯は泉質も良く、いたく気に入ってしまった。
      いくつかのバブル系の内湯も良質で、サウナ室も清潔、露天風呂は開放
      感と爽快感に満ちていた。営利を追求せず、町民の厚生を主眼に置く町
      営系施設のメリットが十分に感じ取れた。
       癒された感覚に満足し、休憩室に移動するとき、温泉の効能について
      述べた説明書きが目に留まった。そこにはこう書かれていた。

      「動力楊泉

       天然温泉とはいえ、自噴ではないのだ。モーターで汲み上げる方式な
      のだな、とその努力に感心していたボクだが、「楊泉」の文字につまず
      いた。これは誤植ではないのか……。幸い、コンピュータで作成したも
      ののようだ。元のファイルが残っていたら、修正は簡単だ。
       フロントに行き、年配の係員さんにこのことを告げ、「楊」ではなく、
      「」の字を使うべきではないかと提案した。その方は、不意の指摘に
      驚いていたが、間違いがわかったことを喜んでくださった。喜んでもら
      えて、こちらもうれしかった。
       それが昨日、一か月ぶりに行ってみると、表示は「揚泉」に変わって
      いた。お礼は口だけではなかったのだ。ますます満足。
       そんな小さな変化に心を温め、さらに体も温めようとのれんをくぐっ
      たのだが、塩サウナ室で「自立神経にも効果」の文字を見てしまった。
      あれれ、「自律神経」の間違いだ。しかも、前回とは異なり、これは厚
      いプラスチックのパネルに書かれ、壁面にしっかり貼り付けられたもの
      だ。専門業者に委託した特注品と見えた。直すには時間も手間も、そし
      てお金も必要だ。係の人に告げるべきかどうか……。
       ほんの小さな間違い。そんなことで人生が変わる人はいないだろう。
      いや、しかし、高校受験を控えた中学生がこれを見て、「自立神経」と
      覚えてしまったら、進路に響く可能性もある。どうしたらいいのか……。

       汗を拭き、ロビーに出たボクは、まっすぐにフロントに向かっていた。
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 9/23  秋彼岸。しかるに今日のこの暑さ。夏の続きである。
       報道番組で、なくなった方のニュースに接することがあるが、毎度胸
      の痛む話ばかりである。何の罪もないのに命を奪われた悲しみは筆舌に
      尽くしがたい。
       そんなニュースのさなかに、「遺体はすでにダビにふされており」と
      いう言葉が聞こえてくることがある。「ダビ」とは何か。悲しい気分に
      水を差す「ダビとは何か」の疑問。もう、ニュースどころではない。

      だび 【荼毘】〔梵 jhāpeta〕火葬のこと。
        ――に付・す  死者を火葬にする。

       そうか、火葬か。そんな気がしていたんだ。納得、納得……。
       いや、そうはいかない。問題は、「火葬」という言葉があるにもかか
      わらず、そんな訳の分からない言葉(梵語=サンスクリット)を持ち出す
      ところにある。なぜ、はっきりと「火葬」と言わないのだろう。
       ボクは寺に生まれたので、檀家のお葬式に数知れず参列しているが、
      その折、不思議に思ったことがある。遺体がすでに火葬場で焼かれ、骨
      になった状態でのお葬式が何度かあったのだ。ボクは子どもだったこと
      もあり、「火葬にしたのなら、もう、葬式なんてしなくてもいいじゃな
      いか」と思ったことがある。葬式では、火葬場で泣いたはずの親族が改
      めて泣いていた。それも、当時のボクにはどうしてなのか、よく分から
      なかったが……。
       つまり、遺体を焼くことだけでは葬儀は完了しないのだ。葬式は、亡
      くなった方とのお別れの儀式なのだ。泣いて別れてけじめをつける、そ
      ういう気持ちの切り替えのために葬式が行われるのだ。葬式は、残った
      者のためにあるのだ。

       ニュースで「すでに荼毘に付されており」と伝えていたとしても、そ
      れは決して「葬儀が済んだ」という意味ではない。家族の深い悲しみは、
      その後にまだ続くのだ。
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 9/22  転寝

       こう書いて「うたたね」と読む。「ごろ寝」かと思ったボクはちょっ
      ぴり恥ずかしい気分。おまけに「うたた」の意味も分からない。「勉強
      しろよ」という辞書の声が聞こえてくる。
      
      うたたね 【▽転た寝/▽仮寝】(名)スル
       寝るつもりではなく、ついうとうとと眠ること。
       「本を読みながら―する」

      うたた 【転】(副)
       (1)状態がどんどん進行してはなはだしくなるさまをいう。いよいよ。
        ますます。
       「―今昔の感にたえない」
       (2)(多く「うたたある」の形で)ある状態が普通でないことに心を動
        かされる意を表す。
       (ア)非常に。はなはだしく。
       「いと―あるまで世を恨み侍るめれば/源氏(手習)」
       (イ)いよいよ。一層。
       「さらぬだに雪の光はあるものを―有明の月ぞやすらふ/式子内親王
        集」
       (ウ)嫌な気を起こさせるように。
       「をみなへし―あるさまの名にこそありけれ/古今(雑体)」

       つまり、「うたた」とは、勢いがついて手がつけられないほどである
      ことをいう言葉であり、うたた寝とは、眠気に弾みがついた結果の寝方
      であるということかと思う。「短い睡眠」などではないのだ。
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 9/21  浴衣を着ないで夏が終わっていったなあ、と思うころにはもう秋分で
      ある。しかし、「浴衣」と書いて「ゆかた」と読むのは無理がある。こ
      れでは「よくい」としか読めない。

      ゆかた【《浴衣》】〔「ゆかたびら」の略〕
       木綿で作ったひとえの着物。入浴後や夏季に着る。[季]夏。
                               (「大辞林」)

       つまり、「お待たせ」と言わずに「おまた」と略すのと同じである。
      略しはじめのころは、「ちゃんと『ゆかたびら』と言いなさい。はした
      ない」と年長者にたしなめられたかも知れない。で、「ゆかたびら」と
      は何か。再び辞書を見る。

      ゆかたびら 【湯帷子】
       浴後に着た汗取りの着物。古くは入浴の際に着用した。湯具。ゆかた。
       [和名抄]

       織田信長が風呂上がりに着せてもらっていたあれだ。古くはそのまま
      風呂に入っていたとのことだが、どうやって体を洗ったのだろう。下ら
      ないことばかり気になって仕方がない。
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 9/20  山の神

       古くさい言い方だろうが、「山の神」とは、怖い妻のことを言う。そ
      もそもは文字通り、山を守る神のことだったが、どうした加減でこんな
      ことになってしまったものか。「わが家の山の神がうるさいんで、今日
      はこれで帰ります」とか「夕べ、無駄遣いを山の神にしぼられました」
      とか、弱気の発言のときに使うようだ。
       山の神を辞書で調べると、次の結果である。(「大辞林」)

      やまのかみ 【山の神】
       (1)山を支配する神。粢(しとぎ)やお神酒・虎魚(おこぜ)などを供えて
        祭る。神の性格や祭日・まつり方などは、地方やまつる人々によっ
        て異なる。農家では春秋に田の神と交替するという。
       (2)俗に、頭の上がらなくなった自分の妻のこと。特に、口やかましく
        なった妻をいう。
       (3)カサゴ目の淡水魚。全長15センチメートルほど。体形はカジカに似
        る。体色は茶褐色で、鱗(うろこ)はない。食用。中国・朝鮮に分布
        し、日本には筑後川付近にだけ生息。タチャ。

       山の神は不美人の女神であるという伝承がよくある。山の神の好物は
      オコゼだということになっているが、これはオコゼが自分より不細工な
      ので、山の神が優越感に浸って喜ぶからとされているようだ。なんとも
      ひどい話。山の神の性格付けは、トンネル工事の現場に女が入ると山の
      神が怒って落盤事故が起きるなどという言い伝えにも明らかだ。怒りや
      すく、嫉妬深い神のようである。

       今日はコメントは控えて、この辺りでやめておこうと思う。
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 9/19  彼岸花が咲き誇っている。通勤路付近の田んぼの畦(あぜ)に並んで赤
      く咲いている。しかし、畦にばかり咲いていて、彼岸花畑というものを
      見たことがない。きっと日本中を探せば何か所もあるのだろうが、ボク
      の経験には存在しない。「死人花」「幽霊花」「葬式花」という呼び名
      にも意味があろうか。
       彼岸花を折り取って家に帰ると、火事になるから家に入れてはダメだ
      と言われた覚えはないだろうか。燃えさかる炎を連想させる花の姿が不
      吉な言い伝えを生んだ例だ。ボクはいわれなき不名誉を着せられた彼岸
      花に同情した。同じ生き物なのに、形の良い花ばかりがちやほやされて、
      不公平だ。花に上下の別があるものか。
       ところが最近、この花にはリコリンという毒があることを知った。こ
      の毒は鱗茎(球根)に多く、食べてはいけない。この毒を多量に取った場
      合は、次のような症状に陥るという。

       悪心 下痢 嘔吐 流涎 発汗

       ヒトの場合、毒は嘔吐によって体外に排出され、多くは大事には至ら
      ないらしい。しかし、これを吐いてしまわないと、神経症状も現れ、心
      停止の可能性もあるという。
       彼岸花を不吉なものとする言い伝えは、親が子どもを思う心から生ま
      れたものだったのかも知れない。
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 9/18  うだつが上がらない

       この言葉、どういうわけか、女の場合にはあまり使われない。「うだ
      つが上がらない女」とは言わないのだ。男専用の言葉なのかもしれない。
      男たるもの、うだつを上げるのが当然で、それが人生の目的であるかの
      ようだ。ならば自分も「うだつ」とやらを上げねばと思うが、そもそも、
      「うだつ」とは何なのか。
       答えを明かせば、これはある種の防火壁である。説明が難しいので辞
      書を引くと「うだち」が見出しになっていた。「うだつ」は変わった形
      だという。

      うだち 【卯建】
       (1)梁(はり)の上に立てて棟木(むなぎ)を支える短い柱・つか。うだつ。
       (2)民家の両妻に屋根より一段高く設けた小屋根つきの土壁。また、こ
        れにつけた袖壁をもいう。家の格を示し、装飾と防火を兼ねる。

       お金のない人にはうだつを上げることができなかったので、この言葉
      ができたという。岐阜県美濃市には、(2)の「うだつ」のある町並みがあ
      る。古い町が保存されているのだが、みなさんたくさんお金を儲けたの
      だろうか。
       そんな町に生まれていたら、ボクのようなものは仲間にはいることが
      できなかったはずだ。いや、真剣にそう思う。
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 9/17  高校生のころ、どこかの店で店主に「もうちょっと勉強してよ」と値
      段交渉をしたことがある。何を買ったのか、覚えていないが、自分では
      精一杯背伸びした言い方だったと思う。

      べんきょう【勉強】(名)スル
       (1)学問や技芸を学ぶこと。学習。
       「―部屋」「おそくまで―している」
       (2)ある目的のための修業や経験をすること。
       「何事も―だと思ってやってみる」
       (3)(商人が)商品の値段を安くして売ること。
       「―しますのでお買い下さい」
       (4)物事にはげむこと。努力すること。
       「職業に―する精神あること/西国立志編(正直)」
       (5)気が進まないことをしかたなくすること。
       「―して櫓を揺しゐたれば/甲子夜話」 
        〔(4)が原義〕                 (「大辞林」より)

       ご覧の通りである。「勉強する」は、値段をまけることも表すのだ。
      そして、さらにいくつもの意味があることが分かった。気になるのは、
      5番目の意味である。「気が進まないことをしかたなくすること」とあ
      るではないか。ボクだって毎日遅くまで机に向かっているが、進んで取
      り組んでいるとは言えない。まさしく「勉強」をしていると思えてきた。
       勉強部屋というのも、拷問部屋のようなイメージになった。
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 9/16  キリトリセン ヤマオリ タニオリ

       紙工作の世界とカタカナは相性がよい。漢字で書くと、分かり切った
      意味が主張を始めてうるさくなる。カナは画数が少ないのでこういう場
      合に控えめでよい。
       台湾の紙工作では、どう表示しているのか、気になる。あの国には繁
      体字しかなく、小さく書くのも大変である。
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 9/15  竜巻をテーマにした映画を見て、地震の大きさのようなレベル表示が
      あることを知った。「F0」から「F5」までの6段階である。これを
      Fスケールと言う。

      (F0)17 〜32m/s (約15秒間の平均)
       煙突やテレビのアンテナが壊れる。小枝が折れ、また根の浅い木が傾
       くことがある。非住家が壊れるかもしれない。
      (F1)33 〜49m/s (約10秒間の平均)
       屋根瓦が飛び、ガラス窓は割れる。また、ビニールハウスの被害甚大。
       根の弱い木は倒れ、強い木の幹が折れたりする。走っている自動車が
       横風を受けると、道から吹き落とされる。
      (F2)50 〜69m/s (約7秒間の平均)
       住家の屋根がはぎとられ、弱い非住家は倒壊する。大木が倒れたり、
       またねじ切られる。自動車が道から吹き飛ばされ、また汽車が脱線す
       ることがある。
      (F3)70 〜92m/s (約5秒間の平均)
       壁が押し倒され住家が倒壊する。非住家はバラバラになって飛散し、
       鉄骨づくりでもつぶれる。汽車は転覆し、自動車が持ち上げられて飛
       ばされる。森林の大木でも、大半は折れるか倒れるかし、また引き抜
       かれることもある。
      (F4)93 〜116m/s (約4秒間の平均)
       住家がバラバラになってあたりに飛散し、弱い非住家は跡形なく吹き
       飛ばされてしまう。鉄骨づくりでもペシャンコ。列車が吹き飛ばされ、
       自動車は何十メートルも空中飛行する。1 トン以上もある物体が降っ
       てきて、危険この上ない。
      (F5)117 〜142m/s (約3秒間の平均)
       住家は跡形もなく吹き飛ばされるし、立木の皮がはぎとられてしまっ
       たりする。自動車、列車などが持ち上げられて飛行し、とんでもない
       ところまで飛ばされる。数トンもある物体がどこからともなく降って
       くる。

       恐るべき威力を表すものとして、「F」は「FORCE=力」から取ったも
      のだと思ってきた。ところが、Fスケールの呼び名は命名者の藤田氏の
      頭文字をつけたものだと知ってびっくり。「フジタ・スケール」だった
      わけだ。
       竜巻の研究は日本よりアメリカの方が必然性が高い。乱暴を承知で言
      えば、いわばアメリカのものだ。日本人も、なかなかやるじゃないか。
       にこにこして資料を見ていると、藤田哲也氏は米シカゴ大学の教授だ
      と書かれていた。肩すかしを食らったと感じるとともに、勝ち誇って喜
      んでしまった自分の浅はかさを痛感した。
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 9/14  サヨナラ勝ち

       日本語表記の決まり事として、外来語はカタカナで書くように定めら
      れている。このほか、擬声語・擬態語などをカタカナで表す場合がある
      が、違和感のある場合を除いては、ひらがな表記が良い。カタカナには
      何か呪文のようなイメージがあるのだ。また、「意味の分からない言葉
      はカタカナで書く」という暗黙の了解があって、使ううちに世間に認知
      されるという道程を行くのがカタカナ語だと思う。「ビール」にしろ、
      「テレビ」にしろ、出現当初は不思議な物だったに違いないのだ。
       しかるに、「サヨナラ勝ち」とは何事か。スポーツ紙のトップに躍る
      文字は、しばしば、「さよなら」ではなく、「サヨナラ」である。
       つまり、「サヨナラ」は、状態を示す記号である。別れの挨拶ではな
      い。おしまいに何か大きな結果が出る、そういう様子をカタカナで表す
      のだ。
       妙なことにカタカナになっている言葉には、そんな事情のものがいく
      つもあるように思う。
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 9/13  変化

       辞書で「変化」を引くと、当たり前の説明しか書かれていない。物事
      の量や性質が変わることや用言その他の活用など言葉が形を変えること
      についての説明に終始している。
       しかし、日本で「変化」といったら、それは相撲だろうとボクは感じ
      ている。立ち合いで予想外の動きをして相手にまともな相撲を取らせな
      い戦術で、どちらかというと体の小さな力士に見られる戦いぶりである。
       この「変化」は、品格のない動きとして嫌われている。実力のある力
      士のすることではないから、上位力士が変化したとなれば大問題である。
      変化して勝利しても、名誉なことではないので、三賞の選考にはマイナ
      ス要因だ。勝ちたい一心で恥を忍んで変化を選んでも、相撲協会は厳し
      い。卑怯な勝ち方を良しとしない潔さを貫きたいのだ。
       小学校のころのボクと同じだ。草野球の試合で変化球を投げてきた相
      手をボクは卑怯者だと思った。勝負しろよ、と心で叫んでいた。初めて
      の変化球に手も足も出ずに、ベースの上にひっくり返った自分を振り返
      るとなんだか泣けてくる。
       直球勝負を避けて変化球を投げる選手は名球会から除名べきだ。相撲
      協会の理事たちも腹立たしく思っている気がしてならない。
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 9/12  不正には敏感でいたい。ずるいことをして自分だけもうけようとか助
      かろうとするのは、真面目に頑張っているものには我慢ならない。
       あらかじめ結果の決まった、形ばかりの勝負を「八百長」と呼ぶが、
      「八百屋の長兵衛」が言葉の由来である。
       彼は、明治の始め、「八百長」という相撲茶屋を経営していた。そし
      て、当時の相撲協会理事長のような立場の伊勢の海五太夫と囲碁の勝負
      をしたのだった。伊勢の海には長兵衛に勝つ力もないのに、長兵衛はこ
      れをうまくあしらって、毎度一勝一敗にしたという。ここから、わざと
      負けることを八百長と言うようになったらしい。
       ボクはこの長兵衛さんが憎めない。長い物には巻かれる生き方をして、
      実は相手をコントロールしている。ずるいとかずるくないとか言う前に、
      こんな器用な生き方ができることがうらやましいではないか。
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 9/11  台風を英語ではタイフーン(typhoon)という。発音が似ているのは偶
      然の一致ではなく、タイフーンを音訳したものが台風であるという。こ
      れは割合に広く知られたことで、小学生も喜んで大人に話す。
       しかし、こんなことを無批判に受け入れたくない。そんな思いがボク
      に、「タイフウを音訳したものが typhoon である」との説をもたらした。
       英語には、ハリケーンもあるし、サイクロンもある。遠い北西太平洋
      に発生したハリケーンにまで名を付けて「タイフーン」と呼んでくれな
      くてもよいのだ。そう考えると、きっとこの地域で「たいふう」と呼ん
      でいたものを音訳
して「typhoon 」と名付けたのだと思えてくる。さら
      にそれをありがたがって日本語にしたものが「颱風」すなわち「台風」
      だと考えたのだ。

       「たいふう」→「typhoon 」→「颱風」→「台風」

       誰も賛成してくれなくても良い。ただ、外来語ばかりをありがたがる
      風潮に水を差したかっただけのことである。
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 9/10  分別

       この言葉を「ぶんべつ」とも読むことを知った日のことをまだ覚えて
      いる。学校の社会の時間だった。ボクはこれを「ふんべつ」と濁らずに
      読んだのだが、周りの同級生におかしいと指摘された。そんなことはな
      い、これは「ふんべつ」だと主張したが、ゴミを分別する話だったので、
      先生も味方してくれなかった。

      「今までゴミは何もかも一緒に捨てていましたが、これからはきちんと
       分けて捨てるようにしましょう。ゴミはブンベツするのです。」

       だめ押しのように言われてしまったが、ボクはただ一人、「それでも
      これは『ふんべつ』だ」と呟いていた。調べてみると、以前からこの言
      葉は「ぶんべつ」と読まれていたようだが、誰もが「ぶんべつ」と読む
      ようになったのは、ゴミ問題がエスカレートしてからのことだと思う。
      誰か詳しいことを教えてくれないだろうか。

       ゴミの分別
       大人の分別
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 9/9   日本語は大変便利にできているが、その一つに「省略」の表現がある。
      「私大(=私立大学)」「地裁(=地方裁判所)」「早弁(=早めの弁当)」などが
      それである。
       では、「携帯電話」を略すとどうなるか。答えは「携帯」である。これ
      は珍しい現象だ。機能を表す肝心の「電話」という言葉は省かれている。
      実態のない言葉だ。「携帯」と言っただけでは、電話なのか灰皿なのか、
      分からないではないか。しかし、「携帯」といえば電話に決まりだとい
      う文化が発展したため、その言葉の通用が認められた形となっている。
      もちろん、ニュース番組ではきちんと「携帯電話」と使っている。
       さて、「携帯ストラップ」は、「携帯電話のストラップ」であって、
      「携帯できるストラップ」などではない。これは「携帯」の一語で携帯
      電話を表すことにから生まれた、新種の言葉である。
       なんともむずがゆい思いがしてならない。
       いくら普及しても、懐中電灯のことを「懐中」とは呼ばなかった。そ
      れにヒモを付けたとしても、それを「懐中ストラップ」と呼んだとは思
      えない。
       ボクたちが今、使っている言葉の不自然さは、友達同士で使うような
      言葉が全国的に広がってしまう、便利さの陰にあるのだと思う。
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 9/8   子どものころ、なぞなぞが解けないときには、降参の合図に「お茶沸
      かした」と言ったものだ。どうしてこういうことを言うのか、子ども心
      に不思議だったが、今でも意味が分からない。
       しかし、なぞなぞに関係なく、「へそで茶を沸かす」「へそが茶を沸
      かす」という言い方は辞書にも載っている。

      へそで茶を沸(わ)かす
       おかしくてたまらない、ばかばかしいほど滑稽である、笑止千万であ
       る、などの意にいう。臍が宿替えする。臍が茶を沸かす。(「大辞林」)

       どうも、なぞなぞの出し合いでの用語ではなく、馬鹿馬鹿しい話を聞
      いたときの、気の利いた反応の仕方だったようだ。それがなぜ、なぞな
      ぞの答えが分からないときに言うようになったのか、不明であるが、答
      えを聞いて「なんだばかばかしい、へそが茶を沸かす」と使っていたも
      のが、出番を前倒しに使われるようになったと考えれば、説明はつく。
      子どもの世界では、意味も分からないで言葉を使うことがあるので、突
      拍子もない表現や形式というのは珍しいことではない。
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 9/7   「ほぞ」という言葉がおもしろい。

      ほぞ   〔「ほぞ(臍)」と同源。古くは「ほそ」〕
       (1)木材・石材などを接合するときに、一方の材にあけた穴にはめこむ
        ため、他方の材の一端につくった突起。


       なるほど、はめ込む出っ張りを「ほぞ」というのだ。穴の方は、「ほ
      ぞ穴」である。「ほぞ」は「臍」と同源だとあるが、「臍」も「ほぞ」
      と読む。これは「へそ」の古い読み方である。
       これは面白い。よくよく見れば、「へそは出っ張ったもの」という当
      時の常識がうかがえる。ボクは、「ほぞ穴」と「ほぞ」とを取り違えた
      ことが何度もあるが、それは「へそは凹んだもの」という理解があるか
      らだ。しかし、それは現代の常識であり、そのまま過去につながるとは
      限らない。かつては、出っ張ったものは、木でも体でも「ほぞ」だった
      ようだ。
       言葉の背景には、いろいろなものが見えてきて、考えれば考えるほど、
      楽しくなってくる。
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 9/6   生徒の生活記録を読んでいると、かわいらしいミスが見つかることが
      ある。まじめに書かれているものほど、くすりと笑わせてくれる。

       ……二学期の良いスタートを切ることができました。これを継続して
       いきたいと思います。

       気持ちの良い文が書かれている。ところが、よく見ると、「継」の字
      が「断」になっていた。似た字だが、「断続していきたい」では、少々
      困る。しかし、こういうかわいい間違いを重ねながら、人は言葉を覚え
      ていくのだ。ボクだって、子どもの頃は、「ゴミを捨ろおう」と書いて
      いた。誰にも覚えのあることのはずだ。
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 9/5   灯台もと暗し

       身近なことがかえって気づきにくいことのたとえとして、最もポピュ
      ラーなことわざである。しかし、ボクはついこの間まで、この言葉の意
      味合いをつかんでいなかった。「灯台」が分かっていなかったのだ。

      とうだい【灯台】
       (1)航路標識の一。船舶に陸上の特定の位置を示すために設置する塔状
        の構造物。夜間には灯火を放ち、また、霧笛を鳴らすなどして船舶
        の安全を守る。              (「大辞林」から)

       これが誰もが知っている「灯台」である。海に突き出す岬に立てられ
      た灯台をイメージしてほしい。煌々とともる灯台も、土台部分には明か
      りが届かない。ことわざはこれをたとえに用いたものと思っていた。
       しかし、「灯台」にはもう一つの姿があったのだ。

       (2)昔の室内照明器具。上に油皿をのせて灯心を立て火をともす台。灯
        明台。

       大きいと思っていた灯台の、意外な小ささに驚いた。そして、「灯台」
      について認識を新たにした。このことわざができた頃、ボクたちが知る
      岬の灯台なんて、あっただろうかと思った。川の湊(みなと)にはあった
      だろうが、それとて、行きたいところにいつでも行ける現代とは違って、
      交通の制限された時代には、見たこともない人もいたはずだ。そこへい
      くと、部屋に置いてある灯台は、山間部に住む人たちにも身近で分かり
      やすい。「もと暗し」だって、よく見る光景なのだ。
       現代に生きるボクたちは、現代の理解や感覚でことわざを考えるが、
      ことわざの生まれた時代や社会のことも考えるようにしたいと、今日、
      改めて思った次第だ。
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 9/4   車の運転には、その日の気分が反映する。ゆとりのある日は、割り込
      む車があっても気にならないが、落ち込んだ日や急ぎの用事がある日に
      は、にらんでしまうことも。
       そんな自分も道を譲ってもらうことがある。親切な人が意外に多く、
      ボクは難なく走り出す。この国は安心だと思うのだが、そんなときには
      感謝を込めて、ハザードランプを5回点すのだった。

      「あ・り・が・と・う」

       ところが、このサインが「あ・い・し・て・る」の暗号でもあること
      を人に教えられてからは、見知らぬ人に愛を送ってしまっていたことに
      何か罪の意識を覚えて、それ以来やめてしまった。今では、ハザードは
      2回までと決めている。
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 9/3   糸を撚(よ)る

       読める人も少なくなってきたし、糸を「よる」とはどういうことかを
      説明できる人も身近にいない。これは、細い糸をひねって絡み合わせて
      丈夫な糸を作ることだ。
       そういう工場もあって、先日、路上に案内広告を発見した。「○○撚
      糸工業」と書かれていたが、よく見ると、「撚」の字が「燃」になって
      いた。困ったことだ。これでは、「糸を撚る」はずが、「糸を燃す」に
      なってしまう。
       糸を燃すことを専門に行う工場……。シュールなイメージが湧いてく
      る。毎日、男たちが近隣から糸くずを集めてはかまどに入れて燃してい
      るのだ。……そんな想像をかき立てる誤植であった。きっと工場の社長
      さんも気づいていない。その社長さんに教えてあげたいボクも、ひどい
      方向音痴で、あの場所に再び行き着く自信がないときた。
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 9/2   電柱広告に誤植を発見。「○○鉄工所」と書かれているのだが、「鉄」
      の右側が「失」ではなく「矢」であった。いや、よく思い出すと、この
      間違いはこれまでにも何度か見ている。ひょっとすると、こんな字があ
      るのかも知れないと思えてきた。いや、きっとそうだ。誤字だけど、誤
      字ではない、そういう文字なのだ。
       そもそも「鉄」は「鐵」と書いたが、あまり画数が多いので、金偏は
      そのままにして、「テツ」の音を持つ「失」を書いて代用したのだった。
      できあがった「鉄」が「金を失う」と読めることから、この文字を嫌い、
      わざわざ「鐵」の字を社名に使う鉄鋼大手がある。「鐵」の字は分解す
      ると、「金の王なる哉(かな)」と読めるので、鉄を扱う会社としては格
      好がよいのだ。
       誤字を電柱に広告してしまった、かの鉄工所も、「鐵」は旧字体だと
      いうことを知っていたのだと思う。それでいて、新字体にある「失」が
      我慢できず、似た形の「矢」を使ったとしたら、それはそれで、一つの
      あり方であろう。あくまで「誤字」だが、美しい間違え方だ。
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 9/1   後悔先に立たず

       新学期だというのに、腰が痛い。ちょっと前までは、腰痛なんて他人
      事だったのだが、最近は真剣に考えるようになった。夜になると腰痛を
      和らげる姿勢とか工夫してちょいと横になるのだが、気がつくと雀の声
      がにぎやかに聞こえてくるではないか。全く、後悔の日々である。
       後悔の内容は、「もっと体を鍛えておくんだった」「腰に負担のかか
      る姿勢は控えるんだった」「またエアコンつけっぱなし」というものだ
      が、こういう思いになるのは、自分が腰痛に見舞われるようになったか
      らである。健康なうちには考えもしなかった。

       ボクは健康なうちにタバコをやめたが、これについては一粒の後悔も
      ない。同年代でやめられない人を見ると、何か哀れな思いになる。その
      うちに大病する羽目になるぞと心配だ。いや、正直に言うと、やはりそ
      れ以上に、迷惑をかけてほしくない思いの方が強い。お願いだから、食
      事をしている近くでタバコを楽しむのはやめてくれ。
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     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月