今日の言の葉 

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

 2/28  宇治拾遺物語を見ていて、ふと「打輪」という単語に出会った。こう
      書いて「うちわ」と読む。しかし、一般にうちわは「団扇」と書くでは
      ないかと少々面食らったが、そもそも漢字表記とは当て字のようなもの
      だ。読みが先にあったってよいのだ。
       「大辞林」を引くと、次のような説明が載せられていた。

      うちわ【〈団扇〉】〔「打ち羽」の意という〕
       (1) あおいで風を起こす道具。普通は、細く削った竹の骨に、紙・絹
        などを張る。形は円形・角形などさまざま。もとは貴人が自分の顔
        を隠すために用いたものという。
        [季]夏。《月に柄をさしたらばよき―かな/宗鑑》
       (2)「軍配団扇(ぐんばいうちわ)」の略。
       (3)家紋の一。団扇を図案化したもの。(1)のほか軍配団扇・羽団扇が
        ある。

       宗鑑とは山崎宗鑑のことだが、月に柄を刺したらよいウチワだという
      発想は新鮮だ。しかし、ウチワの字は、「団扇」より「打輪」の方が好
      ましいように思う。「輪」の方が満月の形を引き出してくれるからだ。
       さて、この川柳には、何か天下を取ったような晴れ晴れした心地があ
      り、涼しげでもある。下町、軒先に床机を出しての夕涼みが連想される。
      ウチワというのが扇子よりも庶民的だからであろうか。ボクは次の川柳
      も好きだ。作者は分からない。古川柳である。


       寝てゐても団扇の動く親心
----------------------------------------------------------------------------
 2/27  冷蔵庫から出したチーズをかじりながら、ふと「醍醐かあ」と思った。
      「大辞林」によれば、「醍醐」とは、「五味の一。牛または羊の乳を精
      製した濃くて甘いといわれる液汁。味の最高のものとされる」とあって、
      チーズそのものではないようだが、その親戚ぐらいのものだろうか。ま
      た、仏典の涅槃経には、『牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生
      酥を出し、生酥より 熟酥を出し、熟酥より 醍醐を出す。醍醐は最上な
      り。もし服する者あらば衆病皆除く」とあって、醍醐が乳製品の最上位
      に位置し、万病の薬であったことがわかる。その正体ははっきりしない
      ようだが、バターオイルだとかチーズだとかいう説もあり、少々気にな
      るところである。
       いや、何が気になるといって、「醍醐天皇」「後醍醐天皇」という名
      前が気になっている。醍醐の正体がチーズだったとしたら、醍醐天皇と
      はチーズ天皇ということになる。天皇の名前は「諡(おくりな)」と言っ
      て、天皇崩御の後に、残されたものが知恵を絞ってつけるもので、名付
      けられる側は自らの名を知ることはないのだが、乳製品の名前をつけら
      れると知っていたら、どんな思いになっただろうか。
       こう考えてみると、その正体がどうあれ、「醍醐」がいかに珍重され
      ていたか、想像がつこうというものだ。これ以上のない最高のものとし
      ての、あこがれの存在、それが醍醐であったのだろう。そうでもなけれ
      ば人の名につけるはずがない。
----------------------------------------------------------------------------
 2/26  乗鞍でのスキー研修を終えたが、今日はある会合に出席せねばならず、
      眠い目をこすり、変な所が筋肉痛なのを我慢して参加した。その会合に
      都合で参加できない人がいたが、「やんごとない事情での欠席」とのこ
      とだった。聞いて一瞬、懐かしい思いになった。当今、このような落ち
      着いた日本語には出会えなくなっていたからだ。
       ボクが「やんごとない」に出会ったのは、源氏物語の中でのことだっ
      た。その冒頭に、「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたま
      ひけるなかに、いと
やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたま
      ふありけり」とあって、その意味が「高貴な」であることをそこで知っ
      たのだった。
       以来、「やんごとない」は、言葉の中の高級品として意識されること
      となった。その意味合いが「なんともしかたがない」という程度のもの
      であっても、高級感には変化がない。
       などと考えていたところ、現代語の「やむをえない」との共通点が見
      つかってうれしくなった。「やむをえない」は「止むを得ない」であり、
      「やんごとない」は「止む事なし」である。「高貴な」はそこから派生
      した意味なのだ。つまり、あれこれ言ってもどうしようもないほど高貴
      な身分にあることを言ったのだろう。
       このくらい書けば、世の中の「やもうえない」という誤った書き方は
      消えてくれるのではないかと思うが、それは期待しすぎというものだろ
      うか。

----------------------------------------------------------------------------
 2/23  今日は旧暦の一月十四日。今夜の月を小望月(こもちづき)ともいう。
      満月の前日の月だ。満月は欠ける一方だが、この月にはまだふくらむ明
      日がある。未完成ということが、どんなに魅力的かを語るものだ。
       自分自身もずっと未完成でいたいと思う。動きを止めたらおしまいだ。
      完成された姿を見ることなく、小さくとも歩み続けたい。ボクには満月
      の姿などない。

      (明日から三日間は、学校の行事のために本欄は休止します。スキー研
      修です。わくわくします。二十五日夜には戻りますが、たぶん本欄を書
      く元気もないだろうと思います。)
----------------------------------------------------------------------------
 2/22  「どしどし」という副詞がある。テレビなどのメディアで使われるこ
      とが多い言葉で、「どしどしご応募下さい」のように使う。いや、実は
      ほかに使い方を知らないのだ。何かに応募するときにだけ使える言葉で
      はないかとさえ思えてきた。
       困ったときは辞書を見よう。

      どしどし(副)
      (1) 物事が次から次へと続くさま。
        「応募者が―来るに違ひない/社会百面相(魯庵)」
      (2) 遠慮のないさま。
        「―(と)言いつけてください」
      (3) 足音高く歩くさま。
        「二階の廊下を―と歩く」         (「大辞林」より)

       ボクには(2)の意味は新鮮だった。これは「どんどん」よりも不躾
      な印象の言葉なのだ。ただ、(3)は前項に対して異質だ。同じ項目に載
      せていてはいけないように思う。これは擬音語ではないか。
----------------------------------------------------------------------------
 2/21  食品の健康度の基準はレモンだと思う。食品などの成分にビタミンC
      が含まれていると、多くは、「レモン10粒分のビタミンC」などと表
      示されるのだ。気になったので、世間のビタミンC自慢を調べてみると、
      次のような結果が得られた。数字はビタミンCがレモンの何倍含まれる
      かを示したものだ。

       ピーマン      約2倍
       柚子(ゆず)      約3倍
       ゴーヤ       約3倍
       グァバ       約6倍
       ローズヒップティ 約20倍
       柿の葉      約20倍
       アセロラ     約34倍
       刺梨(とげなし) 約50倍(中国原産)
       カムカム     約56倍(アマゾン上流の果物)

       ここに示されたビタミンCがそれぞれの食品の何グラム中の数値なの
      か、はっきりしないが、はっきりしているのは、酸っぱいからレモンが
      一番という時代ではないということだ。かつてはビタミンCの王様と思
      われていたレモンが、今や単なる比較対象にされ、全く勝ち目がない。
      まるで噛ませ犬の状態で、これではあんまりかわいそうである。柿の葉
      なんて誰も見向きもしなかっただろうに、そんな植物界の端役にも負け
      ている。
       こんなになってしまったのなら、ビタミンCの多さの基準の座を別の
      何かに譲ってもよいだろうに、世間はレモンを基準にしたがる。
       かといって、「アセロラのビタミンCは、ゴーヤの10倍以上」など
      と言っても、ぴんと来ないし、柿の葉を基準に表示してもあまり健康的
      だと感じられないだろう。数値としては劣っていても、レモンの香りと
      酸っぱさは格別だ。これからも長く、健康度の基準とされ続けるに違い
      ない。
----------------------------------------------------------------------------
 2/20  ずいぶん前のことだが、車を運転していて、トンビをはねたことがあ
      る。突然上空から飛来したので、驚いてブレーキを踏んだのだが、バン
      パーの先端に小さくこつんと衝撃を残して、再び上空に戻っていった。
      幸いまっすぐな道だったのと後続車がなかったので、それ以上に大きな
      事故にはならなかったのだが、あれは本当にひやりとした。
       いや、驚いたのはトンビの方だったかも知れない。彼ら猛禽類は、格
      別の視力をもって獲物を狙うのだが、あのときも、地上に姿を現した何
      かの小動物に食欲を感じて急降下したに違いない。その小さな獲物に気
      を取られ、急速に接近するボクの車には気がつかなかったというわけだ。
       よく「鵜の目鷹の目」というが、狙っている側には意外な盲点がある
      ものだということが直感できた瞬間であった。
----------------------------------------------------------------------------
 2/19  「殿方」という言い方がある。温泉地や公衆浴場などに行くと、「男
      性」の意味合いで、この言葉が使われているが、どうも自分のことのよ
      うには思えない。女性を「奥方」と呼ぶのに対応した敬意表現だとは思
      うが、どうにもなじむことのない言葉だ。
       確かに四十歳を過ぎた自分は、昔であれば十分に「殿」と呼ばれてよ
      い年頃だと思う。しかし、デパートの紳士服売り場に行っても、「自分
      は紳士と呼ばれるほどの男じゃないから」と尻込みする癖の抜けない自
      分には、どう考えても似合わない称号である。
----------------------------------------------------------------------------
 2/18  日本語のハ行の発音は、江戸時代の前までは「ファフィフフェフォ」
      であったと言われている。その根拠としてよく挙げられるのが、中世の
      なぞなぞ集「後奈良院御撰何曽」に出てくる「母にはふたたび会ひたれ
      ど、父には一度も会はず」という謎掛けだ。この答えは「唇」であるが、
      「母」を「はは」と発音していたとしたら、唇は一度も合わないのだか
      ら、やはり「ふぁふぁ」と言っていたと結論づけられるのだ。
       その後、この「ファ」行が「ハ」行に変化していった。そこで、特に
      明治の頃に輸入された外来語の中には、「f」の発音をハ行で表記する
      ものがある。
       「プラットホーム」は本来は「プラットフォーム」とするべきところ
      だ。
「ヒレ肉」も「フィレ肉」となるべき言葉だ。だが、今さら「フィ
      レかつ定食下さい」とは、言えまい。せめてハンバーガーショップでは、
      「チキンフィレサンドね」と堂々と言おう。
----------------------------------------------------------------------------
 2/17  「御」と書けば、読み方は、「お」「おん」「ご」と読むのが普通だ。こ
      れを「み」と読めば、なかなか上品ということになろう。「みたらし」
      は「御手洗」だから、あの団子もなかなか隅に置けない。「御心」も、
      「おこころ」ではなく「みこころ」と読めば上品だろう。
       「おみ足」は漢字で書けば「御御足」ということになり、二重に丁寧
      だ。元々「み足」と丁寧に言っていたのが当たり前になったので、さら
      に「御」をつけたのだ。「おみおつけ」に至っては、「御御御つけ」と
      書くのが正しい。しかし、今や誰も丁寧な表現とは思っていないだろう。
       世間で「おビール」などと言っているが、これを「おみおビール」と
      言う日が来てもおかしくはない。
              (注:外来語に「お」をつけるのは間違いである。)
----------------------------------------------------------------------------
 2/16  某国道沿いにうどんとそばの店を見つけたが、その看板に「うどんと
      そばのメッカ」と書かれていて驚いた。
       「大辞林」によればメッカは、「サウジアラビアの中西部、ヘジャズ
      地方の宗教都市。ムハンマドの出生地。イスラム教の発祥地でカーバ神
      殿があり、多数の巡礼者が訪れる。イスラム教第一の聖地。マッカ」と
      説明されている。これが転じて、「ある分野の中心地や発祥地。また、
      あこがれの地」としての意味を持つようになったのだ。だから、「うど
      んとそばのメッカ」とは、うどんとそばの発祥の地か、あこがれの場所
      であることを宣言しているのだ。
       こう言ってはなんだが、何かの発祥地を宣言するのであれば、「うど
      んとそば」と二つも持ち出すのは言い過ぎというものだ。一つで十分だ。
      あこがれの地を宣言するのも不遜だろう。それが何かのメッカであるか
      どうかは、周りが決めるものであって、自ら言い出すものではないと思
      う。
       そういう勘違いとともに違和感を与えているのは、そばやうどんのイ
      メージが「メッカ」という言葉としっくり来ないことであろうか。さら
      に、昼時であったにもかかわらず、店の駐車場に車が一台もなかった事
      実が追い打ちをかけて哀愁を誘う。
       メッカの看板は下ろすべきだと思う。
----------------------------------------------------------------------------
 2/15  見知らぬ相手からの突然のメール。ネットの世界では珍しいことでは
      ないが、書き出しが面白かったので載せることにした。

       突然のメールですが、興味があればご拝読下さい。

       ものすごい気の使いようで、「ご拝読」まで持ち出しているが、世の
      中に出て間もない人が書いたものなのだろう。敬語の使い方に慣れてい
      ない様子である。
       「拝読」は、読む側が「読ませて頂く」気持ちを表す言葉だ。だから、
      「拝読いたしました」とへりくだって使うことはできても、この例のよ
      うに相手の動作に使うことはできない。言葉遣いは丁寧に見えても、相
      手に「おれの書いたものをありがたく読むことだな」と言っているよう
      なものだ。
       賢そうに見せて失敗した例だ。もって他山の石としたい。
----------------------------------------------------------------------------
 2/14  ラーメン屋でトイレを探すと「お化粧室」との表示。客の気持ちを意
      識してか、「便所」などという店も少なくなった。これを当たり前と受
      け止めつつ、しかし、小さい頃には「化粧室」と書かれた部屋に入りに
      くさを感じたことはなかっただろうか。特に男子諸君は「お化粧なんて
      しない。したいのはおしっこだ」と内心では反論しながらノックした覚
      えがあるに違いない。そして何割かの人は、中に入って化粧中の人がい
      たらどうしようかとびくびくしたこともあったであろう。
       だいたい、「お手洗い」という言い方もおかしい。「最終的には手を
      洗うだろうが、手を洗うのは目的ではないぞ」と思っていなかっただろ
      うか。「手を洗わねばならない結果になる」という暗示もあったことも
      忘れてはならない。
----------------------------------------------------------------------------
 2/13  部首の世界は不可解だ。昨日書いた「尚」も手元の辞書では「ツ部」
      に載せられていた。「ツ部」とは何か、気になったが、辞書を引きやす
      くするために新たに設けた分類だと説明がしてあった(「旺文社漢和辞
      典」第五版)。そこには「単」「巣」「営」といった「ツ」をかぶった文字も、
      「党」「尚」「当」のような非「ツ」文字も同居しているので唖然となった。
      意外にも、部首は辞書を作る側が勝手に作ってしまっても良いものなの
      だ。
       そもそも部首があるのは、漢字を分類しやすくなるようにということ
      が目的なので、厳密に覚えなければならないという趣旨のものではない
      だろう。ボクは漢字検定準一級だが、部首名を答える級に合格する自信
      がない。三級とか、受からないと思う。
       そこで問題だが、次の漢字の部首が分かるであろうか。全問正解した
      ら、大したものである。(答えを見るには、「Ctrl」+「A」を押す)

       聞   答え → 「耳」部
       問   答え → 「口」部
       開   答え → 「門」部
       闘   答え → 「鬥」部(現在は「門」部に編入)

       こういう形の文字はすべて門構えに属すると思ったら大間違いであっ
      た。部首は意味を表すという原則が横たわっていることを痛感した。
----------------------------------------------------------------------------
 2/12  かつて「堂」の字の上の部分を「ツ」と書いていたことがある。当然
      これは間違いなので、漢字テストでは×をもらったが、なぜ「ツ」では
      いけないかの説明はなかった。以来、もやもやしたまま大人になってし
      まった。
       ところが最近、自分なりの結論が出た。「堂」に似た文字がいくつも
      あることが、文字の形のヒントになったのだ。

       常(ジョウ) 掌(ショウ) 裳(ショウ) 堂(ドウ)
       党(トウ)  賞(ショウ) 嘗(ジョウ)

       どの字にも「尚」の形が含まれている。「尚」は「ショウ」と読むか
      ら、これが音を表しているに違いない。これらの文字にはそういう共通
      点があったのだ。そして「尚」の字は真ん中の縦画から書くから、どの
      字も「ツ」なんて含まない。単純にして偉大な大発見だ。ボクはこんな
      ことを何年も見逃していたのだ。胸がわくわくしてきた。
       しかし、「尚」なんて部首は聞いたことがない。そう思って先ほどの
      文字群を調べれば、次の通りである。

       常(巾部)  掌(手部)  裳(衣部)  堂(土部) 
       党(人部)  賞(貝部)  嘗(曰部) 

       なんだこれは、とあきれかえった。部首はすべてばらばらである。も
      う少しなんとかならないものだろうかと思ってしまった。
----------------------------------------------------------------------------
 2/11  ボクは長い間、「窓」の字を「ウ冠」だと思っていた。ところがある
      日、「それは穴冠なのだ」と教えられた。聞いた瞬間、「穴冠はウ冠に
      含めればよい」「そんな区別は意味がない」「だいたい『穴』の字の部
      首は何か。ウ冠だろう」と思ったことを覚えている。しかし、調べてみ
      ると、「穴」の部首は「穴」の字そのものだった。
       さて、部首が「穴」の漢字を調べると、出るわ出るわ。

       究(きわめる) 穹(そら) 空(そら)   突(つく)  窃(ぬすむ) 
       穿(うがつ)  窈(ヨウ) 窓(まど)   窒(ふさぐ) 窟(いわや)
       窪(くぼむ)  窩(カ)  窮(きわまる) 窯(かま)  窺(うかがう)
       竈(かまど)

       辞書なしでは読めない文字も多い。しかし、いかにもせま苦しい印象
      の文字ばかりではないか。これらが穴冠なのもよく分かる。
----------------------------------------------------------------------------
 2/10  さすがに立春を過ぎると日が長くなった。おかげで車の暖機運転を暗
      闇で行わなくて良くなった。ちょっと前までは泥棒と間違われそうな中
      での作業だった。まさに「かわたれどき」である。いや、そんな言葉も
      使わなくなった。

      かわたれ-どき【彼は誰時】
      (だれであるか定かに判別できない)明け方や夕方の薄暗い時。のちに
      は明け方にいうことが多くなり、夕方には「誰(た)そ彼(がれ)時(どき)」
      を用いるようになった。かはたそどき。かれはたれどき。(「大辞林」)

       簡単に言うと、人の見分けがつかない時刻のことだ。しかし、「かわ
      たれ」は現代仮名遣いで、これは意味がとらえにくい。「かはたれ」と
      書いてこそ、「彼は誰」のイメージが湧く。
       さて、暗い時刻でも、夕方ばかりは「誰そ彼=たそがれ」と書くよう
      になったと説明されているが、それはどうしてなのだろう。意味は変わ
      らないのに。不思議だ。

      たそがれ【〈黄昏〉】
      (1) 〔夕方は人の姿が見分けにくく、「誰(た)そ彼(かれ)」とたずねる
       ところから〕夕方の薄暗いとき。夕暮れ。
      (2)人生の盛りをすぎた年代をたとえていう。

       (2)の意味は大きなお世話である。暗い気持ちになるじゃないか。
----------------------------------------------------------------------------
 2/9   今日は旧暦の正月一日である。新年気分を高めるために、明けまして
      おめでとうと言いたい。
       さて、「ついたち」は「月立ち」の意味である。この日から一か月が
      始まるということなのだ。また、「つごもり」が「月籠もり」であるこ
      とは、以前本欄で書いたことがある(2003年7月31日)が、籠もった月が
      振り出しに戻るのがこの日である。月には生命力を司る力があると聞い
      たことがあるが、昔の人は、欠けては満ちていく月を復活の象徴と見て
      いたのではないかと思う。月の光を杯に受けて飲み干すのも洒落ている。
      たまには晩酌でもしてみようか。
----------------------------------------------------------------------------
 2/8   ご利用できます。

       こういう表現も今や当たり前になった。敬語の形は変わりつつあるよ
      うだ。以前は、「お〜になる」「ご〜になる」「ご〜いただく」が敬語
      の形だった。標記の表現は、正しくは「ご利用になれます」「ご利用い
      ただけます」であろう。「ご」だけつけて敬語になったと安心している
      のだ。油断大敵である。
       いや、これだけ世の中に広まっているのだ。読む側も書く側も、別に
      油断しているわけではあるまい。
----------------------------------------------------------------------------
 2/7   百人一首は、平安〜鎌倉時代の代表的歌人藤原定家が編纂したと言わ
      れている。定家は、平安時代末期の大歌人藤原俊成の息子として生まれ、
      上皇後鳥羽院の寵愛を受けて、あの新古今和歌集を編纂している。
       その後、定家は院から勘当を受け、しかし翌年の承久の乱による院の
      失脚で復活するなど、波乱の生涯を送るが、1235(文暦2)年に宇都宮頼
      綱の依頼で、嵯峨中院の小倉山荘の障子色紙を染筆することになった。
      そこで、書き送ったのが「百人秀歌」であり、それが後に若干改められ
      て、後世刊行されて「小倉百人一首」として広く親しまれるようになっ
      たようだ。
       その百人一首が縦横十枚ずつのパズルになっていたと指摘する説があ
      る。林直道氏の「百人一首の秘密」(青木書店)はこれを示したものだが、
      このほど、これを元にしたと思われるウェブページを発見した。和菓子
      の店のものだが、なかなか本格的である。
       URL http://www.ogurasansou.co.jp/hyakunin/hyakunin01.html
----------------------------------------------------------------------------
2/6    
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く
                    大納言経信(71番)『金葉集』秋・183


       百人一首は過去の秀歌を配列し直したもののようだ。百人一首が初出
      という歌はない。だから、金葉集を知らなくてもこの歌のことは分かる。
      ここに藤原定家という撰者(定説による)がいなければ、このような和歌
      ベスト100は存在しなかったはずだ。百人一首は、代表的な和歌集の
      おいしいとこどりである。
       それにしても、この歌は心にしみて良い。読んだ誰もが、夕刻、芦原
      を渡る風の心地よさを思ったことだろう。また、声に出して読んでみる
      と分かることだが、夕風が冷たいものでないことは、「あしのまろやに
      あきかぜぞふく」という音の優しい響きが示している。明るいア音の連
      続とこれをウ音で落ち着かせる大納言経信の技は、学びたい芸術である。      
----------------------------------------------------------------------------
2/5    野口英世の母は名をシカという。シカは字が書けなかったが、海外で
      活躍する息子に手紙が書きたい一心で、文字を習ったという。次の文章
      は、シカが英世に宛てた手紙として唯一伝わるものである。(手紙は明
      治45年1月に書かれている。)

       おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけ(驚ろき)ました。わたく
      しもよろこんでをりまする。なかた(中田)のかんのんさまに。さまに
      ねん。よこもり(夜篭り)を。いたしました。べん京なぼでも(勉強い
      くらしても)。きりかない。いぼし。ほわ(烏帽子=近所の地名には)
      こまりおりますか。おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてき
      ましよ。はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。
      わたしも。こころぼそくありまする。ドか(どうか)はやく。きてくだ
      され。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。それをきかせるト
      
みなのれて(飲まれて)。しまいます。はやくきてくたされ。はやくき
      てくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。いしよ(一生)
      のたのみて。ありまする。にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひ
      かしさむいてわおかみ。しております。きた(北)さむいてはおかみお
      ります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。ついたち(一日)
      にわしおたち(塩絶ち)をしております。ゐ少さま(栄昌様=修験道の
      僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。なにおわす
      れても。これわすれません。さしん(写真)おみるト。いただいており
      まする。はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
      これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれませ
      ん

       解読に時間がかかるが、読むほどに、母が息子の帰りを待ち望む切な
      る思いが伝わってくる。ただ寂しいだけではない。切迫した感情が読み
      取れないだろうか。読む者を感動させるのは、学力だとか教養だとかい
      うものではないことを思い知らされる。
       それにしても、「金をもろたこと、誰にも聞かせません。それを聞か
      せると、みな飲まれてしまいます」は、実に居たたまれない。英世はこ
      の手紙が手元に届いて、心が動いたこといかばかりか。しかし、いかに
      心が動いても、今や自分の身であって自分のものではない。母の心細さ
      に応えられない思いを表す言葉がない。
       この手紙から4年後の大正4年、彼は日本に帰国しているが、国内の
      歓迎ぶりに比して医学界の反応は冷たく、英世は日本を拒絶し、以後、
      一度もこの国に帰ったことはない。
----------------------------------------------------------------------------
2/4    〜かねる

       子どもの頃は「〜いたしかねます」という言葉遣いが分からなかった。
      「できる」なのか、「できない」なのか、あるいは「できないことはな
      いけれどしたくない」なのか、そういうことが分からなかった。はっき
      り「できません」と言えばよく分かるのだが、「かねる」などと言われ
      てもなんのことやら。しかし、品格を重んじる人は、「できません」の
      ような拒絶した言い方はしない。それが人と人とのつながりを重んじる
      社会人らしいところだ。
       ところで最近、あるソフトウェアのパッケージに次のような表示を発
      見した。一読してどうお感じであろうか。

       個人でアップグレードしたPC、自作機、ショップブランドのPC等
       での動作は保証できかねます

       問題を感じるのは「保証できかねます」の部分だ。ここは「保証いた
      しかねます」「保証しかねます」「保証できません」と書くべきではないの
      か。「かねる」は「できない」を表すので、「できかねます」だと、意
      味が重なってしまう。これでは、子どもがたまに使う「できれん」と同
      じだ。このソフト、全国にどのくらいで回っているのだろう。
----------------------------------------------------------------------------
2/3    井伏鱒二は、「山椒魚」で有名だが、訳詩の腕前もすばらしい。

       勧酒       于武陵(うぶりょう)

        勧君金屈巵    君に勧むる金屈巵(きんくっし)
        満酌不須辞    満酌辞すべからず
        花発多風雨    花発(ひら)けば風雨多し
        人生足別離    人生別離に足る

       そもそもこの詩がすばらしいが、この詩を井伏鱒二はこう訳す。

        コノサカヅキヲ受ケテクレ
        ドウゾナミナミツガシテオクレ
        ハナニアラシノタトヘモアルゾ
        「サヨナラ」ダケガ人生ダ

       後半部分はあまりにも有名だ。誰もがこのフレーズに共感するのだ。
      「ハナニアラシノタトヘモアルゾ」とは、言い得たものだ。互いの運命
      の痛みを分かち合う同朋の情が溢れている。原典の意味を崩さず、リズ
      ムを保ち、日本人らしい色合いまで加えた井伏鱒二の力量には感心する。
      于武陵は唐代の詩人だが、日本ではこの訳詩でこそ有名になったのでは
      ないかと思うほどだ。
----------------------------------------------------------------------------
2/2    岩魚の骨酒

       「骨酒」は、「こつざけ」と読む。「コツ」は音で「さけ」は訓だか
      ら、これは「重箱読み」ということになる。言葉として落ち着かない印
      象があるのは、こんな仕組みも原因なのであろう。しかし、落ち着かな
      いのはただに言葉としてではない。骨酒の存在そのものが落ち着かない
      とボクは思う。
       そもそも「骨酒」とは、「魚の骨を焼いて浸した燗酒(大辞林)」のこ
      とだ。しかるに、実際には素焼きにされた魚がそのまま燗酒に浸かって
      出されるばかりで、焼いた骨が酒に入ったところを見たことがない。店
      の側も、食べ残しの骨を焼いて出したと思われることは望むまい。身が
      付いているのはサービスと考えるべきであろうか。
       本来は、山深く分け入って渓流釣りを楽しんだ人が、渓流魚を焼いて
      食したあと、その骨をさらに焼いて燗酒に浸し、香りを味わったもので
      あろう。残さず骨まで戴くという気持ちが素晴らしいではないか。
       まあ、素晴らしいと書いたものの、ボクは骨酒の類を口にしたことが
      ない。せっかくのお酒に魚のにおいを混ぜたり、魚の味わいを酒で薄め
      たりしたくないからだ。酒は酒、魚は魚で味わいたい。同じ理由で「イ
      カ徳利」もダメだ。ああいうものが好きな人の気持ちが分からない。
----------------------------------------------------------------------------
2/1    岐阜市内、大通りに面した有名ファーストフードチェーン店駐車場入
      口に「NI」と書かれた看板が出ていた。そのまま車を進めて逆側から
      見ると、「IN」と書かれていたので、駐車場への案内看板だとはっき
      り分かった。
       まだこんな心遣いを大切にしている看板業者がいたとは……。かつて
      は、商用車に会社名などを書くときに、進行方向から読めるようにと、
      右側面には右から書いたものだが、今やすでにそんな時代ではなくなっ
      ている。まして英語は右からは書かない。平成の時代に「NI」とは、
      どうしたことだろう。
       これはボクの想像だが、「NI」は180度回転すると「IN」にな
      るから、看板の取り付け方を店が間違ったのではないだろうか。
       チェーン本部から届いた看板を、誰かが間違えて取り付け、代々の店
      長もマネージャーも、直せるものと気づくこともなく、そのまま使って
      いるに違いない。「右から書くなんて古くさいなあ」と、不満に思いな
      がら。
----------------------------------------------------------------------------

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月