今日の言の葉 

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 8/31  学ぶ

       このように書いて「まなぶ」と読むのは鎌倉時代以降だそうな。それ
      以前は「まねぶ」だったらしい。かの清少納言は、オウムが人のまねを
      することを「人のいふらむことをまねぶらむよ」と書いているが、「ま
      ねぶ」の本義はまさにここにあり、まねをするという意味だった。
       しかし、旺文社古語辞典(第八版)によれば、この言葉の本義は「他人
      の言動をまねすること。
それによって、それを会得する意」とあり、た
      だの真似は「学ぶ」に入らないことになる。
       面白いのは、平安時代の「まねぶ」と鎌倉以降の「まなぶ」とでは、
      少し意味が違っているところだ。

      「まねぶ」……1.まねをする。口まねする。
             2.見聞きしたことをそのまま人に伝える。
             3.習得する。勉強する。
      「まなぶ」……1.習って行う。まねる。
             2.学問する。勉強する。

       基本は「まねをする」だが、平安時代と鎌倉時代とでは、深みが違う
      と感じた。真理を追究する姿勢がより強く求められたのは、鎌倉である。
      これは辞書の上ばかりのことではない。その時代の文化性が言葉の意味
      にも反映したものと思われる。
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 8/30  この子

       犬や猫にえさを与えることを「あげる」と言うのはおかしいのだよ。

      あれは「やる」でいいのだよ。そういう知識はずいぶん広がった。実際
      には、知っていても「あげる」と言ってしまう人も多かろうが、ともか
      く、間違っているという認識を持つ人は多くなったと思う。
       一方で、誰かのペットを見て、「この子、お名前はなんていうの」と
      話しかけたり、「この子は臆病だからよく吠えて」などと話す人が増え
      ている。いつの間にか、「うちの子」といえば犬か猫のことになってし
      まった。
       こういう現象の背後には、犬を室内で飼う家が増えたことが潜んでい
      ると思う。「犬は外」が当たり前だったのに、それをやめて家に上げた。
      服を着せ、人間と同じように扱うようになったのだ。我が子のように大
      切にするのだから、「うちの子」と呼ぶのは当然だ。犬がそうなのだか
      ら、もともと家の中で飼っていた猫だって、大切な「うちの子」である。
       ペットの役割も昔とは変わった。番犬としてとか、ネズミを捕るよう
      にとか、そんな役割でなく、「人の相手」としての側面が際だってきた。
      「コンパニオン・アニマル」という覚えにくい呼び名も与えられている。
       こうなると、「えさをやる」はふさわしくないのではないかと思えて
      くる。大切に人生の伴侶なら、やはり「あげる」と言うべきではないの
      か。
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 8/29  地球

       最近盛んに使われる「地球に優しい」という言葉だが、ボクはなじみ
      にくさを感じている。ごみを減らしたり電気を節約したりの様々な努力
      がいかに大切かはよく分かっているつもりだし、自分なりにある程度の
      実践もしている。しかし、だからといって、それが「地球に優しい」と
      まで言い出すつもりはない。「優しい」と言えるとしたら、せいぜい、
      「人類に優しい」ぐらいのことだと思う。
       ボクたちはあまりにも簡単に「地球」と言ってしまっていると思うの
      だ。地球を人類と対等に考えたり、人間の努力次第で地球が救われるよ
      うに思いこむのは、それは不遜というものだ。例えば、人間がこの地球
      の表面に張り付くように暮らしていることを何と考えるか。半径六千三
      百キロ余りの地球のどれほどの深さまで人が暮らしているかを思うが良
      かろう。また、どれほどの高さまでを生活圏としているか。ぺらぺらの
      地平に細々と暮らし、地球の気まぐれで起こる地震や台風に一喜一憂し
      ているのが人間なのだ。地球とは、その内部の高温も吐き出す毒も含め
      て地球であり、あんまり重いので自分とは反対側、つまり地球の裏側に
      いる人も立って歩ける、つまり強力な重力を発しているのも地球なのだ。
       そういう比較にならないほど偉大な地球に対して「優しい」などと言
      うのはもってのほかである。人間は、この地球に住まわせてもらってい
      るだけの、小さな小さな存在だ。身の程を知るべきだ。
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 8/28  「練乳」はかつて「煉乳」と書いた。レンガは漢字で「煉瓦」と書く
      が、それと同じ「煉」の字を使うのだ。「煉乳」と書くと、コンデンス
      ミルクを火でことことと煮詰めて作る感じが出る。一方の「練乳」には、
      練り上げるイメージがある。こちらはどちらかというと生クリームのよ
      うな感じがする。
       漢字の書きかえは、仕方のないものだろうが、寂しい気もする。そう
      いえば、自分の子どもに「昴(すばる)」という名を付けようとした人が、
      役所で「昴の字は人名漢字にないので使えません」と言われたので、形
      のよく似た「昂」の字で届け出たという話を聞いたことがある。使える
      漢字には制限があるが、読み方に制限はないので、これで「すばる」と
      読ませたそうだ。
       しかし、この字は「激昂」などの熟語に使う。すばる君が、どうか気
      の長い子であってほしいと思う次第だ。
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 8/27  沈殿

       この言葉、理科の時間に習ったものの、御殿が水の中に沈んでいるの
      だとしか思えない文字の並びに違和感が大きかった。正直言って、竜宮
      城のことだと思っていた。しかし、これは、「沈澱」と書くべきところ
      をこのように書きかえたものだった。
       「澱」の字は「おり」と読み、液体中に沈んだかすのことを指す。こ
      ういう文字がせっかくあるのだから、使えばよいのにと思うのだが、そ
      んな簡単なものではないのだろう。しかし、この字を知った子は、次に
      その訓読みを知りたくなるだろうし、それによって「おり」という言葉
      を知ることになるのだ。そうなれば、ビンの底に溜まったカスにも名前
      があることに驚きを感じるはずだ。
       文字の切り捨ては、知識の切り捨て、意味の切り捨てでもあることを
      忘れたくない。
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 8/26  まだまだ暑い。この時期、ボクたちの村では人の家を訪れると、「お
      暑うございます」と言う。「こんにちは」も使うが、それは新しい人の
      することで、年配の者は総じてこのような言い方をする。冬場は「お寒
      うございます」と、かじかんだ手をこすってあいさつをするのだ。
       「こんにちは」は「今日は」だが、今日が何なのかを言っていない。
      言いかけてやめた形だ。対して、その続きを「お暑うございます」「お
      寒うございます」と結論づける言い方になっているのが面白い。
       春や秋はどう言うのかなあ、と気になっていたが、そういう言い方は
      しないで、標準的な「こんにちは」を使っていた。言っている方も、も
      う少し暑いか寒いかした方が話題があって良いと思っていたはずだ。少
      なくともボクは、「こんにちは」としか言えない気候がつまらなかった。
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 8/25  ピサの斜塔

       ガリレオは万国少年のあこがれの人である。常識にとらわれず、真理
      を追究し、信じる道を進んだことに、強さとひたむきさを感じるのだ。
      そんな姿に、自分もいつかガリレオみたいになってやるぞと抽象的な誓
      いを立てたりするものだ。
       そのガリレオが「落体の実験」を行ったとされるピサの斜塔だが、そ
      れを聞いたとき、ボクは子どもだったので「斜塔」の意味が解らなかっ
      た。母に「『しゃとう』って何のこと」と聞くと、言下に「お城のこと
      だよ」とのたまった。
       明くる日、学校でそのことを吹聴した。「ピサのしゃとう」とは、ピ
      サにあるお城のことなのだよと。この発言は小さな渦を生んだ。「本当
      か」「違うと思うぞ」とクラスにさざ波が立った。やがて先生に聞きに
      行く男まで出てきて、仲間にこう伝えた。
      「ちがうそうだぞ。でも、『シャトー』はお城のことだそうだ。岸君は
      よく知ってるねと先生が言っていたぞ」
       誰もが煙に巻かれた形だった。ボクだって、自分が正しいのか間違っ
      ているのか、分からなかった。後になって調べてみると、シャトーとは、
      フランス語で「城」を意味する言葉だった。
       母はいったいどこでフランス語を習ったのだろう。見当が付かない。
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 8/24  入ってなくないじゃないですか。

       通販番組を見た。たくさんのおばちゃんが見に来ていて、おばちゃん
      らしい振る舞いをしていた。ああいう番組は、録画されて繰り返し放映
      になるので、一度映れば毎日映るということになる。「私、毎日テレビ
      出演しているの」もウソとは言えない。
       その番組の中で、ネックレスを見つめる進行役の女性が、「あれっ、
      このペンダント、真珠が入ってなくないですか」と小さく叫んだ。それ
      は仕組まれた発言であったが、ボクは「入ってなくないですか」の方に
      小さく驚いていた。その女性も、そんな流行表現なんてしそうにない落
      ち着いた感じの人だったから、違和感が残った。
       この言い方は、「入ってないじゃないですか」と言い換えればすっき
      りする。しかし、「入ってないじゃないですか」は、言い方としては、
      少々きつい。「入ってないでしょ」という主張が強くて、耳に痛いのだ。
      その点、「入ってなくないですか」は、「入ってない」という主張をし
      てよいかどうかにも自信のない感じがあって、いやらしく聞こえない長
      所がある。
       しかし、これを最近の若者の発明として賞めるつもりはない。何しろ
      ボクたちにはすでに、疑問の混じった主張の形として「入ってないコト
      ない?」があるのだ。主に小さい子が使う。
       名古屋、岐阜、それからどの辺りで使えるのだろうか。素晴らしい表
      現だ。もし、全国に展開していたら、今日の「入ってなくない」の流行
      を阻止していたかもしれない。
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 8/23  美人

       こういうちゃらちゃらした言葉を口にするのは、恥ずかしいことだ。
      その人が美しいかどうかは、働く姿、努力する姿を見て判断すればよい
      のだ。人を見かけで判断するのは、間違っている。
       小学六年生当時のボクの考えはこのようなものであった。授業参観に
      母親たちが教室の後ろに厚化粧をして並ぶのもイヤだったし、さらに、
      「○○ちゃんのお母さん、きれいやね」という同級生のちやほやした言
      葉には反吐が出た。母親とは、綺麗なものではなく、暮らしを守る「強
      い」ものであるというのがボクの感覚だった。
       そのころ、「学園天国」という歌謡曲がヒットしたが、クラスで一番
      の美人の隣をあいつもこいつも狙っているというこの歌を、全国の小学
      生が喜んで歌っていると思うと暗い気持ちになった。大人はバカな歌を
      作って金を稼いでいるのだと思った。それに、歌詞にあるような美人の
      子は内心フフンと思っているとしても、教室内の大半はなんでもない普
      通の顔立ちの女の子ばかりだ。その子たちが「自分は美人じゃないから」
      と世をはかなんだりしてはいけないじゃないか。大人は、そういうデリ
      ケートな思いを考えて歌を作るべきだ。
       真面目にそんなことを考えていた。「美人」の語は、こうしてボクか
      ら遠ざかっていった。夏目漱石の「虞美人草」も、そういうわけで読ん
      でいない。
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 8/22  信じたい

       不安な気持ちを素直に表す言葉だと思う。「そうであってほしい」の
      気持ちを表すが、そうであると信じているわけではない。信じきるほど
      確かな根拠を持っていないから、「そうであると信じたいと思います」
      という言い方になるのだ。本音を簡単に言えば、やすやすと信じるつも
      りはないということか。
       子どものころ、この「信じたい」という言い方を聞いて、なかなか格
      好いいぞと思ったものだが、要するに自分の猜疑心を美しく飾る言葉で
      はないかと、このごろは思う。だから、ボクは使わない。当然だが、
使
      わないと、「信じる」か「信じない」かを明らかにすることになる。

       逃げを嫌って人に嫌われる道筋はそこにある。
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 8/21  道路脇の看板から

       
ご安心して当社にお任せ下さい。    ××システム株式会社

       LANシステム関連の会社だった。難しいことは専門の会社にまかせ
      るのが一番だ。それはそうと、この看板の言葉を読者はどう思うか。ボ
      クはこの敬語を見て、たちまち気持ちの悪い感じを受け、言葉の使い方
      に問題を感じたが、皆さんはそんな感じを持たれないだろうか。
       敬語については、これまでも何度か本欄に意見を述べてきたが、やは
      り、かなり難しいものなのだ。
       問題はこの言葉が、謙譲語と尊敬語の二つを含むところにある。「お
      任せ下さい」は尊敬語だが、その前に置かれた「ご安心して」が謙譲語
      であることに多くの人は気づくまい。「ご〜する」は、「ご案内する」
      や「ご説明する」「ご教授する」のように使い、相手にある行為を「し
      てさしあげる」気持ちを表す。「お〜する」の形も同じように使う。
       だからといって、「ご安心する」という謙譲語が具体的にイメージで
      きるわけではない。ただ、基本はそうだということだ。使いにくい形を
      強引に使ってしまったのが、掲出の例文である。しかし、これが敬意あ
      ふれる表現に見えるというのが、やっかいだ。
       正しい形を示しておこう。

      ・安心して当社にお任せ下さい。
      ・ご安心の上、当社にお任せ下さい。
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 8/20  刺客

       「しかく」と読む。最近、さる政治家が「しきゃく」と発音していた
      が、そういうのもいいなあと思った。まさか知らずに言っているのでは
      あるまい。いや、ひょっとするとそちらが正しいのかもしれない。そう
      思わせる、自信あふれた言い方だった。われわれも「喫茶店」のことを
      「きっちゃてん」とふざけて言うことがあるが、それと同じように、洒
      落っ気で言っていたのかも知れない。
       冷静に考えるに、彼が知らずに言ったのか、知っていて言ったのかは、
      全く分からない。誰かが間違いに気づいて「『しかく』ですよ」と指摘
      したとしよう。その政治家は、「そんなこと、わかっとる」と言うよう
      な気がする。分かってなくても自信がなくても、きっと「わかっとる」
      というように思える。そんな気がするだけだ。勝手な憶測だ。根拠があ
      るわけでもない。ただ、彼だったら、そうするかも知れないと思うのだ。
       こういうことを書きながら、人は自分のことをどこで判断するかを考
      えることとなった。言葉というもののことを軽く考えてはならないと思
      う。
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 8/19  シラミ

       母は子どものころ、ずいぶんシラミに悩まされたと語ってくれた。ど
      んなものかと尋ねるボクに、服の縫い目に行列を作っている虫だと教え
      てくれたが、ボクは未だ見たことがない。
       このシラミ、漢字では「半風子」と書く。いわゆる熟字訓である。だ
      から、「半」の字を「し」と読むとか、そういうばかなことを言ってい
      てはいけない。
       いや、シラミは「虱」とも書く。こちらは熟字訓などという浮ついた
      ものではない。この一文字がしっかりとその意味を伝えるのだ。そして、
      はっきり言えば、こちらの方が文字数も画数も少ない。さほど難しい文
      字ではないから、覚えるのならこちらだろう。
       なのに「半風子」という書き方があることに注目したい。そんなもの、
      なくてもすむのだ。なくてもすむのに存在するものには意味を感じたい。
      音楽だって文学だって、なくても死にはしないだろう。しかし、人は無
      駄なものや洒落たものにひかれるのだ。ロックだの映画だの流行の服だ
      のと、無駄なものがたくさんあるのが文化だと言っても良い。
       さて、「半風子」は、「虱」の字の形を表したものだ。「風」の字の
      半分のやつだというのだ。ささやかな洒落だが、このセンスが世代を超
      えて伝わっているという事実を楽しみたい。
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 8/18  かんぎゅうじゅうとう

       これは、ある四字熟語の読みである。どんな四字が思い浮かんだだろ
      うか。正解は「汗牛充棟」だ。その意味合いは、「蔵書が非常に多い」
      ということである。
       本を山のように積んだ荷車を牛が汗をかいて引く。そんな量の蔵書を
      イメージしてほしい。牛が「モーいや」といって鳴くのだ。また、「充
      棟」の語が示す、家の中には本ばかりという様子がわかるだろうか。昔
      はものすごい読書家がいたものだ。
       いや、実は最近、マンガ喫茶に入って思い浮かんだのが、この言葉で
      あった。高い書架までぎっしりとマンガばかりが壁をなしている。その
      壁を背に読書にいそしむ中年立ちの姿を見て、愕然とした。君たちには
      他に読む本はないのか。
       ボクは自宅のLANシステムが不調で、言の葉の更新のためにここに
      来ているんだもんね。マンガ喫茶はネットライフに優しい。
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 8/17  難波の葦は伊勢の浜荻

       物の名が地域によって変わることをこのように言うが、このほど、こ
      れをもじった川柳を発見した。

       難波では甚六 伊勢では馬鹿と呼び

       「甚六」はどう見ても人名のようだ。それがなにゆえ「愚かな息子」
      を表すようになったものか、分からないが、できの良くない子どもを愛
      しむ思いがほの見える呼び方だ。「うちの甚六が」と言えば、世話はか
      かるが世話をしないではいられないことが伝わってくる。
       その点、「馬鹿」は容赦ない言葉だと思う。これは相手を傷つけるの
      を目的にした言葉だ。「伊勢では馬鹿と呼び」とあるから、「甚六」と
      意味合いは大きく違わなかったのだろうが、現代のボクたちにとって、
      「馬鹿」は凶器と同じである。「あほ」の方がまだ優しい感じがする。
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 8/16  足が早い

       「早い」ではなく「速い」と書くのかと思ったが、「大辞林」はおお
      らかで、そういう区別はしていない。何のことかと言うと、食品の傷み
      やすさの話だ。傷みやすいことを「足が早い」と言うのだ。こちらがま
      だまだ賞味期限内だ、大丈夫と思ってのんびりしている間に、どんどん
      先に行ってしまうのだ。
       足が早いことが賞め言葉でなく使われるのを知ったとき、ボクの心に
      一筋の光が差したのを覚えている。子どものころから虚弱気味で、走る
      のは苦手だったのだ。そういう意味でも、この言葉はこれからも積極的
      に使っていきたい。
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 8/15  手を染める

       この言葉、「大辞林」には、「事業などをし始める。かかわる。」と
      説明されているが、そう書かれると、「事業と一口に言うけど、どんな
      事業だよ」と聞きたくなる。辞書には載せにくかろうが、何か陰のある
      事業に違いない。「魚屋業に手を染める」などと言わないし、「この春
      から八百屋に手を染めまして」と言われたら、その八百屋で買い物をす
      るのは危険だと疑ってしまうだろう。何を扱っているのか分からない印
      象があるのだ。
       「大辞林」もそのあたりのことを考慮してか、「株の売買に手を染め
      る」を用例としている。やはり、リスクのある内容でないとこの言葉は
      使わないのだ。
       そんな怪しいイメージを決定づけるのは「染める」の語かと思う。手
      が染まってしまったら、簡単にはきれいにならない。人に見せるのもは
      ばかられる。みんな、きれいな手をしているのに、自分だけおかしな色
      だからだ。
       そんな仕事をやめる場合には、「足を洗う」と言うのが愉快だ。ちょ
      いと始めたつもりのことにどっぷり浸かっていた感じがよく出ている。
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 8/14  あした 浜辺を さまよえば
       昔のことぞ しのばるる

       「浜辺の歌」である。初めて聴いたときには、「明日浜辺をさまよっ
      たら、思い出せなかった昔のことを思い出すことができる」と受け止め
      ていた。記憶喪失の人が医者に相談して、浜辺をさまようようにと指導
      を受けたものだと思ったのだ。
       ここには、「あした」の語を正しく理解していなかったことが関わっ
      ている。以前も本欄に書いたが、「あした」は「明日」のことではなく、
      「朝」のことである。だから、「朝方に浜辺を歩いていたら、昔のこと
      を自然に思い出すよ」というのが正しい。しかし、「病みし我はすでに
      いえて」という三番も意味ありげではないか。

       浜辺の歌   作詞:林 古渓 作曲:成田為三

      1 あした浜辺を さまよえば
        昔のことぞ しのばるる
        風の音よ 雲のさまよ
        寄する波も 貝の色も

      2 ゆうべ浜辺を もとおれば
        昔の人ぞ しのばるる
        寄する波よ 返す波よ
        月の色も 星のかげも

      3 疾風(はやて)たちまち 波を吹き
        赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし
        病みし我は すでにいえて
        浜辺の真砂(まさご)まなごいまは
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 8/13  風呂場や洗面所の電灯に白熱球が使われるのはなぜだろう。光源によ
      り肌の色合いが変わって見えるから、洗面所などではより健康的に見え
      る白熱球が選ばれるのかも知れない。風呂上がりが青白かったら不安に
      なろうというものだ。最近では白熱球に近い光を出す蛍光灯もあるよう
      だが、蛍光灯の進化の目標が白熱球であるという皮肉を見よ。
       さて、ボクは蛍光灯に対して良くないイメージを持っているが、それ
      は、「蛍光灯の中には、死んだ蛍のエキスが入っている」という悲しい
      ウソを聞いたことによるものだ。誰がそんなウソを吹き込んだのか、今
      となっては記憶がない。ただ、そのウソが一人歩きするようにボクの中
      に生きているのだ。
       聞いた当初、「ああ、だから『蛍光灯』というのか」と納得していた
      のも含めて悲しい思い出である。
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 8/12  花火を英語で何というのか、知っているかと問われることがある。答
      えるとなんだ知っていたのかと残念がられ、知らないというとそんなこ
      とも知らないのかと馬鹿にされる。良好な人間関係とはなかなか難しい
      ものである。
       さて、日本は花火のことを「花火」と表現する国だ。なんと美しい言
      葉だろうと感動してしまう。あの広がりを「花」と「火」で表すのだ。
       英語だって、これを見習って、「flower fire」などと表現するように
      したらいいのに。「スシ」や「サムライ」のような言葉の輸入としてで
      はなく、表現のあり方として取り込んでほしいと思う。
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 8/11  無駄な知識を披瀝しあうテレビ番組が好調だ。先頃、「ぷ」の字に句
      点をつけるとボーリングをする人に見えるとの情報が放映となった。ボ
      クはこれに似たことに気づいていたので、先を越されたようで少々残念
      だった。
       ボクが気づいていたものとは、「ぷ」の字を四つぐらい並べると、冬
      季オリンピックなどで見るショートトラック競技のコーナーワークに見
      えるというもので、実際に見ていただくと、次の通りである。

       (ぷぷぷぷ(

       分かりやすいようにスケートリンクまで表示してしまったが、見えな
      い人には見えまい。
       なお、漢字文化圏にない人にとっては、「東」という字は、音楽家の
      用いる譜面台に見えることがあると聞いたことがある。「合」の字は、
      掲示板の向こうに富士山がそびえている形に見え、「映」の字に至って
      は、人がストーブにシャベルで石炭か何かを入れている形に見えるそう
      である。
       文字と絵との間の壁は、案外と低いものなのだ。
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 8/10  メロンに生ハム

       こういうことわざがあっても良い。「猫に小判」「のれんに腕押し」
      などに似ているではないか。
       意味は、「単独でおいしい物を世評を信じて二つ組み合わせて食べて
      みたものの、それほどおいしくなくて、別々に食べた方が良かったと後
      悔すること。また、そのときにおいしくないと言えなくてもどかしく思
      うこと」である。
       ボクはカレーうどんがダメだが、うどんもカレーも大好きである。混
      ぜるだめというものだってあるのだ。もちろん、メロンも生ハムも単独
      ならば、どんとこいである。
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 8/9   私は名古屋にいながらにして、名古屋の新名物を知りませんでした。

       テレビのグルメ番組でこんな表現に出くわした。びっくり仰天である。
      こういう言葉遣いは初めてだ。ここでの「いながらにして」は「いなが
      ら」の間違いか。番組のリポーターは若かった。きっと後で先輩や上司
      から厳しい指導が入ったに違いない。
       こう書きながら、ふと、「果たして指導してもらえるのかな」と不安
      になった。最近の言葉遣いの問題には、若い人の問題だと言えないもの
      がある。年長者が間違えて使ったものを若年層が引き継ぐことだって十
      
分考えられるではないか。
       さらに、若年層が間違えて使っているものを年長者が引き継ぐという
      実態を、私たちはよく知っている。
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 8/8  一面

       a.部屋一面に薔薇の花
       b.部屋の一面に薔薇の花

       そこに「の」の字があるだけで、こんなに意味が違う。aの「一面」
      は、数を数える意味合いでなく、それが一つになったことを表すもので、
      「チーム一丸」「一体になる」「付近一帯」「関東一円」と同じ使い方だ。bも
      数を数えていない。いくつもある中で一つを取り上げる言い方だ。
       ボクは、「一面」に意味が二つということよりも、それを「の」の字
      が振り分けることに小さく感動している。
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 8/7   ボクたちの住むこの国の名は、何というのだろう。「にほん」だろう
      か、それとも「にっぽん」だろうか。
       先日、インターネットで日本橋について調べていたおり、検索した内
      容に違和感を感じて、よくよく見ると、大阪の日本橋についてのページ
      だった。大阪の日本橋は、「にほんばし」ではない。「にっぽんばし」
      だ。漢字だけ見ていても分からない。発音してやっと分かる。
       「日本国憲法」は何と読むか。「にほんこくけんぽう」か「にっぽん
      こくけんぽう」か。お札には「NIPPON」と書かれているから、そ
      ちらが正解かと思うが、では、お札の発行元、日本銀行のことを「にっ
      ぽんぎんこう」と呼ぶ人が何人いるか。さらに「日本銀行券」ではどう
      だろう。この国の言葉は「にっぽんご」なのだろうか。
       どうして読み方が一定しないのだろう。
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 8/6   〜的

       「〜的」は、もともと日本になかった言葉づかいだから、伝統を説い
      ても仕方がないが、以前は使われなかった形が目立ち始めたと思う。

      A 値段的に高い。
        番組的には面白い。
        事務所的には許されない。
        自分的には頑張ったと言える。
        この部屋は色的におかしい。

      B 社会的な責任を果たす。
        根本的に間違っている。
        道義的責任がある。
        具体的な方法を知りたい。
        公的機関に相談する。

       Aが最近のものだ。「的に」の部分を「として」と言い換えて意味が
      通るものが多い。比較的古くからの言い方であるBには、それが当ては
      まらない傾向が強い。つまり、Aは、わざわざ難しい言い回しを選択し
      ていると言えないだろうか。勿体ぶっていると言ってもいい。
       また、AとBとでは、「的」の前の部分に質の違いがあるように思う。
      Aには、「値段・番組・事務所・自分・色」という、なじみやすく分か
      りやすい言葉が多いのに対し、Bは、「社会・根本・道義・具体・公」
      という抽象的な言葉が並んでいる。こうした傾向は、ボクたちの日常を
      振り返れば明らかで、「進歩的・経済的・支配的・従属的……」という
      言葉を易しく言い換える方法をボクは知らない。ただ、この場合の「的」
      には、「〜の側面からの」「〜の立場の」といった意味合いが隠されて
      いると思う。

       このように考えて思うことは、「的」をつけて表現するのは、その言
      葉が自分にとって難しいと感じるかどうかにかかっているということだ。
      難しいと思えば「的」をつけ、思わなければつけない。その判断にぶれ
      を生じたのが現代なのだろう。何事も「個性的だ」と受け容れる空気が
      あるから、ちょっとおかしな言い方も「面白い」と許容される。
       ボクが注目するのは、「自然現象」が「自然的現象」と言われるよう
      になったことだ。「自然だ」も「自然的だ」になり、「自然に」も「自
      然的に」になりつつある。
       「自然」という言葉の意味が、遠くなりつつあるのかと思う。
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 8/5   ゲッパメ

       ラジオを聞いていたら、放送原稿がこのように読み間違えられた。話
      題は、体長45センチの巨大ネズミ「ヌートリア」のことだ。「ヌートリ
      アはゲッパメに属し……」と言っていたから、これは「齧歯目(げっし
      もく)」のことだと知れた。
       若い世代は「齧歯目」という書き方を見たことがないかも知れない。
      「齧」は常用漢字に入らない文字だから、新聞やテレビでこの言葉に接
      するとしても、「げっ歯目」という形のはずである。
       ううむ、見れば見るほど「ゲッパメ」であるぞ。使えたはずの漢字が
      消されて読みが残ったパターンの読み間違いは罪がなくて、かわいい。
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 8/4   プレゼンの最後には「ご清聴ありがとうございました」などと言うも
      のだ。ボクも何度となく使ってきた言葉だ。しかし、そう言いながらプ
      レゼン画面に表示した文字は、「ご聴」ではなく「ご聴」だった。
      これまでの間違いに今やっと気がついて、はっとしている。
       「清聴」は、相手が自分の話を聞いてくれることに敬意を込めた表現
      だ。一方の「静聴」は、話を静かに聞くことだ。プレゼン終了の挨拶に
      どちらがふさわしいかは、言うまでもない。
       気がついた以上は、黙っていてはいけない。機会あるごとに「清聴」
      が正しいと伝えていきたい。言われないと気づかない人が多いはずだか
      らだ。知らずに使って「不遜だ」と言われるのもくやしいことである。
      言葉に対しては、こういう姿勢が大切だと思う。
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 8/3   生足

       昔から「裸足」だとか「素足」だとか言っていたところに「生足」が
      新規参入して、ずいぶん気持ち悪い表現だと思っていたが、この流行も
      次第に収束に向かう模様だ。一度も使うことなく流行が去ってしまうの
      は惜しいので、ちょいと使ってみようかと思ったが、さっそく壁にぶつ
      かった。
       夏は裸足でいることが多いが、ボクは自らのこの脚を「生足」と表現
      してよいものか、ということである。すね毛に被われたこの脚を「生足」
      と呼んでも認められまい。中年男の脚は、生足の範囲外である。そこに
      すね毛がなくても、その判定は動くまい。男性に限らず、年かさの者に
      は、自らの脚が「生足」と呼ばれるチャンスはない。
       そもそも「生足」とは、着用すべきストッキングを「はいていない」
      ことを強調した言い方であったと思う。「素足」にはない、生々しいイ
      メージがこの言葉には感じられた。「生足」は、「本来じゃないだろう
      けど、思い切ってそうしているのが良いのよ」という非主流派の主張を
      含む言葉だったのだ。しかし、これだけ素足が当たり前になると、そん
      な主張を感じることもなくなった。
       おじさんやおばさんの脚に生々しさを感じることがある人は、どうか
      勇気をふるって使っていただきたい。洒落とかおふざけとかでなくて、
      である。
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 8/2   毎日暑い。逃げ水揺れる道路脇の草は、手入れする者もなく、伸び放
      題である。そんな道の傍らに、縦書きの看板があったと思っていただき
      たい。看板にはこう書かれていた。

        免 許 と る な
        ○○自動車学校

       一瞬驚いたが、むやみに免許を取るなというメッセージではなかった。
      伸び放題の草に隠れて、「免許とるな」の後にある「ら」の字が見えな
      かったのだ。「免許とるなら」だったのだ。
       売り込む姿勢がふいになるから、草はちゃんと刈る方がよい。
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 8/1   「咲」の字を調べていて驚いた。この字は「笑」の本字であった。つ
      まり、「咲う」と書けば「わらう」と読めるわけだ。たいていの漢和辞
      典には、「咲」はまず、「笑うこと」とあり、「さく」は「国訓」だと
      説明されている。つまり、この字を「花が咲く」意味にとらえるのは日
      本独自のことであり、漢字の本家中国に行っても通じないということだ。
      「鮎」の字が中国ではナマズを表すのでびっくりするのと同じ現象であ
      る。
       しかし、日本人が「笑う」という本来の意味を離れて、「花が咲くこ
      と」に使ったとは、どういうことなのだろう。中国から入ってきた数々
      の漢字の中に、「花が咲くこと」を表す漢字がなかったからではないだ
      ろうか。もし、そういう意味の漢字があれば、きっと「さく」にはその
      字を使っていたはずだ。
       こういうことを考え始めると、眠れなくなる。
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     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月