今日の言の葉 

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

 4/30  人のものを盗み取ることを「ぱくる」と言う。これには名詞形も存在
      して、人の真似をするのを「ぱくり」と言う。中学生でも使う言葉だ。
      汚い言葉だからだろうか、職員室でボクが使うと意外な顔をされた。ど
      ちらかというとボクはそういうのは平気なのだが。
       ところで、この言葉が中学生の発明でないことには以前から気づいて
      いたが、どこで生まれたものなのか気になった。刑事ドラマなどで使わ
      れることから見当をつけたが、やはりその通りだった。

      ぱく・る (動ラ五)
      〔「ぱくり」「ぱくぱく」などの「ぱく」を動詞化した語〕
      (1) 大きく口をあけて食べる。ぱくぱく食べる。
       「池の鯉がえさの麩(ふ)をさかんに―・っている」
      (2) 商品や手形などを、だまし取る。盗む。
       「手形を―・る」
      (3) つかまえる。逮捕する。主に受け身の形で用いられる。
       「犯行がばれて―・られた」             (大辞林)

       「逮捕する」という意味が「主に受け身の形で用いられる」という説
      明が悲しい。捕まえられる側の言葉なのだ。「ぱくる」よりは「ぱくら
      れる」として用いられる言葉。
       しかし、「大辞林」の説明には納得のできないところがある。「ぱく」
      の動詞化だと書かれているが、刑事が犯人を捕まえることのいったいど
      こが「ぱく」なのだろう。
       警察では隠語をよく使うが、その中に「省略して表現する」パターン
      があるのをご存知だろう。「キンタイ=緊急逮捕」、「キンパイ=緊急
      配備」、「ゲンチャク=現場到着」「ゲンタイ=現行犯逮捕」など、挙
      げればきりがない。調べたところ、「ぱくる」は、「捕縛する」の略語
      であった。「ほばく」であって発音上は「ぱくる」につながらないが、
      真実らしい説明である。        
----------------------------------------------------------------------------
 4/29  心なしか

       ボクたちがこんなことを言う場合の「なし」とは「無し」ではないだ
      ろうか。「どことなく」「なんとなく」「はっきり言えないけれど」と
      いう意味で使うからだ。だから、その意味は「わずかにそんな傾向があ
      るようだ」となるだろう。
       しかし、これは「心做しか」「心成しか」と書く。自分の心が勝手に
      そう感じ取っているのだ、ということなのだ。だから、「気のせいか」
      という意味になる。微妙な違いだが、そう感じるのを自分の気持ちのせ
      いだとするところが奥床しい。相手を責めない優しさがあるように思う。
       現代では、そんなこととは正反対の「心無し」の言動が目立つではな
      いか。

      こころなし 【心▼做し/心成し】
       自分の気のせいでそう思えること。思い做し。
       「―寂しそうに見える」               (大辞林)
----------------------------------------------------------------------------
 4/28  のりしろ

       小学校に上がる前から文字が読めるのは、今となっては自慢にもなら
      ないが、昭和30年代には鼻の高いことだった。山の寺に生まれて近所に
      友達のいないボクは本ばかり見ていたので、ほかの子よりは文字に接す
      る機会が多かったから、一歩先に文字を覚えていた。
       あるとき、母が買ってきてくれた何かの本に、厚紙工作の付録がつい
      てきたことがあった。喜んだボクはほかのことはそっちのけで切ったり
      貼ったりに取り組んだのだが、切り出した部品一つ一つの端っこに「の
      りしろ」と書かれているのを見て不思議に思った。
       確かに「キリトリ」とかの指示に従って切り取ったりはしたけれど、
      「のりしろ!」とまで命令されねばならないのだろうか、本を作ってい
      る側は、買った人に対してそんなに高飛車に出ていいものなのだろうか、
      というのがその疑問だった。「のりをしろ」というのが当時の理解だっ
      たのだ。
       大きくなるにつれて、このほかに「ぬいしろ」「とじしろ」「たちし
      ろ」などがあることが分かっていった。それぞれ「縫い代」「綴じ代」
      「裁ち代」と書く。それはそうとして、小学校に入るかどうかという年
      齢の子どもには「のりしろ」という言葉は難しい。幼年雑誌では、今で
      も使うのだろうか。使っているとしたら、全国に「命令するのはおかし
      い」と感じている幼児が五千人ぐらいいるという気がする。

      のりしろ 【糊代】
       紙を貼り合わせるとき、糊をつけるために設ける部分。(大辞林)
----------------------------------------------------------------------------
 4/27  目くじらを立てる。

       そんなところにクジラがいたらどうなる、と考えたことはないだろう
      か。しかも、立っているとは何事か。
       下手の考え休むに似たり。辞書を引こう。

      めくじら 【目くじら】
       目の端。目尻。目角(めかど)。めくじり。
       ―を立・てる
       目をつり上げる。ささいなことを取り立ててとがめることにいう。目
       角を立てる。                    (大辞林)

       そもそもは「目(く)じり」なのだ。へんな所に「く」が入っているか
      ら分からなかったのだ。この「く」の方が気になる。
----------------------------------------------------------------------------
 4/26  仲間はずれにすることを、「ハチにする」と言ったものだ。発音は、
      「ハ」を高く「チ」を低く言う。「村八分にする」の省略だと聞いた。
      そんなことを大人たちはみんな知っていて、どこそこの誰々がハチにさ
      れたのなんのと言っていた。要するに、きまりを守らなかったりしたこ
      とを戒める習慣を言うのだが、子ども社会でなく、大人社会でそんなこ
      とが行われているということが信じられなかった。いじめと変わらない
      じゃないか。
       そもそも村八分とは、その家を爪弾きにして、村のさまざまな行事や
      取り決めやつきあいからはずすことだ。それは、「冠・婚礼・建築・病
      気・水害・旅行・出産・年忌」なのだそうだ。しかし、葬式と火事の場
      合はいくらなんでもということで、ちゃんと助け合ったということだ。
       だが、それは本当に思いやりがあってのことだったのだろうか。死体
      が埋められもせず、いつまでも村のどこかに放置されているのは嫌悪感
      のあることであるし、臭くてかなわないだろう。また、火事の時に放っ
      ておくのは類焼を招くことであったかも知れない。八分は仲間はずれと
      いう原則に二分のつきあいを残すのは、相手を思うよりは、こちらの都
      合ではなかったか。
       最近、悔しいことがあったので、見方がねじれているかも知れない。
----------------------------------------------------------------------------
 4/25  高校生のころ、「キセル」という言葉を覚えた。ニュース番組で「キ
      セル行為を摘発」とやっていたのだ。母に聞くと、電車に乗るのに二つ
      の定期券を使い、初めと終わりの部分だけお金を払うことだと教えてく
      れた。祖父はタバコを吸うのにキセルを使っていたので、キセルそのも
      のはよく分かっていたが、意外な意味合いに驚いた。「真ん中は竹でで
      きとるでしょ。最初と最後の部分だけ金でできとる。端っこだけ金をか
      けるんで、キセルというんやよ」との説明は分かりやすかったが、そん
      なことを知っている母が汚れて見えた。知らないでいてほしかったし、
      教えてほしくなかった。自分も汚れた知識にまみれてしまったと思った
      のだ。
       あ、こんなことを書くと、読者はみんな汚れてしまうのだった。
----------------------------------------------------------------------------
 4/24  高校生のころ、「ロハ」という言葉が妙に気に入ったことがある。こ
      れは、料金の要らないこと、つまり「ただ」の意味である。漢字で「只」
      の字は「ロ」「ハ」に分解できると、誰かが洒落たものだろう。
       その洒落が気に入って、「え、それって、ロハ?」などと使いまくっ
      ていたら友達がいやな顔をした。業界用語を使いまくる人には違和感を
      覚えるものだが、これもそうだったのだ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/23  釜飯の素のパッケージに「3から4人前」とあるのに、コーヒーフィ
      ルターを買うと「2から4人用」と書かれている。この使い分けは何だ
      ろう。フィルターは食べ物ではないから、「コーヒーフィルターを4人
      前」というのはおかしい気がする。そんなことを考えていたら、ふと、
      寿司屋のカウンターのことを思いついた。一人分は一人の前に差し出さ
      れる。その分量のことを「一人前」と呼ぶのではないか。
       こんな考えが、さらに、幼い日に父親に連れられて檀家の法事に行っ
      た日のことを記憶の底から引き出した。お経を読み終えた座敷にはお膳
      がいっぱい並べられていた。一人に一つのお膳である。茶碗蒸し、刺身、
      お吸い物など、まだ小学校に入ったばかりのボクにもちゃんと一人前の
      お膳が据えられていた。そう、一人前に扱ってもらえたことがうれしく
      て、にこにこして丸い形の豆腐を食べたら、岐阜名産の芥子豆腐だった。
      檀家の方は、予期せぬ辛さに声を立てて泣き出したボクをやさしくなだ
      めてくれた。
       ボクは今、この記憶とともに「一人前」の意味を噛みしめている。

      まえ 【前】〔「ま(目)へ(辺)」の意より〕
      (名詞)〔(1)〜(8)は省略〕
       (9) 僧侶に対するもてなしの食膳。
       「講師の―、人にあつらへさせなどして/宇治拾遺 9」
      (接尾)
       (1) 名詞や動詞の連用形などに付いて、それに相当する分量や部分な
        どを表す。ぶん(分)。 「一人―」「分け―」    (大辞林)
----------------------------------------------------------------------------
 4/22  献血に行くと、必ずどきどきする。たとえ400mlでも、自分の血を抜い
      てしまうのだ。そして、自分の血が、どこかの誰かの体に入っていくの
      だ。これがどきどきせずにいられようか。以前は、献血をしておくと、
      いざ自分が事故という場合に優先して輸血されるという制度があったが、
      それもなくなって久しい。いよいよ無償の善意という感が強まり、いい
      人になった気分。
       献血後しばらくすると、血液の検査結果が返ってくる。今、ボクの目
      の前に先日の検査結果が見えているが、「コレステロール」の欄だけが、
      ちと気になる。こんな血液を輸血されて、高脂血症とかにならないのか
      心配だ。いや、ボクの人格まで輸血されたりしたら、もっと心配だが。
       それはそうとして、その判定のはがきに「ご氏名の字体は、当用漢字
      に統一させていただいております」と書かれている。「当用漢字」であ
      る。ものすごく懐かしい。今は「常用漢字」の時代で、当用なんて言葉
      も聞かなくなった。何かの間違いではがきに書かれたものと推測すると
      ころだ。

      とうよう-かんじ 【当用漢字】
       1946年(昭和21)国語審議会の答申に基づき政府が告示した「当用漢
       字表」に載っていた一八五〇字の漢字。現代国語を書き表すために、
       日常使用される漢字の範囲を示したもの。のち48年当用漢字音訓表・
       当用漢字別表(教育漢字)、49年当用漢字字体表などが定められたが、
       81年新たに常用漢字表が告示され、ほとんどその中に取り入れられた。

      じょうよう-かんじ【常用漢字】
       (1) 1923年(大正12)文部省の臨時国語調査会が、漢字制限を目的と
         して、「常用漢字表」で指定した一九六二字の漢字。以後、何度
         かの改定が行われ、1946年(昭和21)の「当用漢字」へと引き継
         がれた。
       (2) 1981年(昭和56)内閣が国語審議会の答申を受けて告示した「常
         用漢字表」に記載される一九四五字の漢字。一般の社会生活で用
         いる、効率的で共通性の高い字種を、漢字使用の目安として掲げ
         る。

       常用漢字は、その名前としては、2度目のデビューだったわけだ。2
      度目の今は、規制の意味合いから目安の意味合いへと若干の変化がある。
----------------------------------------------------------------------------
 4/21  相手のアドレスが変わったことに気づかずメールを送ると、駄目出し
      のメールが返って来る。「failure notice」とか「mailer daemon」とか、
      あっさりしたタイトルが悲しさを増幅する。
       ところがこのほど、出した覚えのない相手へのメールが届かなかった
      旨、通知が着た。そう、出してもいないのに。
       これは、コンピュータウイルスの仕業である。誰かのコンピュータが
      ウイルスに冒され、アドレス帳にある人物の名を騙って次々とメールを
      発信しているのだ。その中にボクのアドレスがあったというわけだ。そ
      ういえば最近はウイルス入りのメールが日に3通は来る。ボクのはウイ
      ルス対策は十分だが、手を打つ暇や知識のない人が多いのだろう。こう
      して世の中はウイルスだらけだ。便利な時代は恐怖の時代でもあるのだ。
       そうそう、お世話になった方々に転勤のあいさつを出していないこと
      に気づいた。たまには手書きで。そして、ポストまで歩いていこう。
----------------------------------------------------------------------------
 4/20  新しい勤務地までは25キロあまりの道のりで、片道1時間弱の通勤
      となった。日に2時間も車に乗っていることになる。何という無駄であ
      ろう。この時間を有効に使うには、何かをしながら運転することだと思
      い、朝食は車内食としてみた。自宅でゆっくり朝食をとっていては、学
      校に遅れるのである。そういうわけで、朝からコンビニエンスストアに
      寄ってみた。決して寝坊したからというわけではない。
       菓子パンを買った。「アップルケーキペストリー」である。なんだこ
      れは。運転しつつ、不思議な気分。いや、今まで「ペストリー」という
      ものを見なかったわけではない。ただ、それが何なのか、はっきりと知
      らずにきたのだ。

      ペストリー [pastry]
       油脂の多いパイ状の生地を使った菓子パン。      (大辞林)

       調べてがっかり。人間ドックの検査結果に「脂っこいものはひかえま
      しょう」とあったのを思いだしたのだ。ただいま43歳、成長期。食べ
      盛りである。
----------------------------------------------------------------------------
 4/19  通販番組を見ていると、磁気ネックレスの登場。「なんと、1900ガウ
      スの強力な磁力を発しているんです」とのことだが、言っている本人は
      分かっているのだろうか。目に見えない磁気の不思議な単位「ガウス」。
      どちらかというと、わからないのに使いたい言葉の代表格だ。なんだろ
      う、これは。

      ガウス [gauss]〔ガウスの名にちなむ〕
       磁束密度の CGS 電磁単位およびガウス単位。1平方センチメートル当
       たり1マクスウェルの磁束が貫くときの磁束密度の大きさを一ガウス
       という。記号 G                   (大辞林)

       辞書を引いて分かると思ったボクがバカだった。正直に言ってがっか
      りだ。かくなる上は、これからも、分かったような顔で使い続けるのが
      よい。
       ボクはほかにも、「ルクス」だの「ピクセル」だの「キロバイト」だ
      のと、分かった顔で使って切り抜けている。
----------------------------------------------------------------------------
 4/18  金八先生というと、「人という字は、人と人とが支え合って……」と
      いう台詞が思い浮かんでしまうが、彼はそのことばかりを言っていたわ
      けではない。なのにみんな、ほかのことを全部忘れて、そんなことばか
      り覚えている。いや、ボクだってほかのことはきれいに忘れているのだ
      が。
       さて、「人」という字がそもそも象形文字だということはご存知だろ
      うか。これは、一人の人物が立っているところを表したもので。どうも
      人物を左から見たものと思われる。これが、少々猫背で、うなだれてい
      るようにも見えるのはボクだけであろうか。
       金八先生には悪いが、「人という字は人が一人ぼっちでうなだれてい
      るところだ」と言いたくもなる。真相はいかに。

         左は甲骨文、右は篆書である。
----------------------------------------------------------------------------
 4/17  三省堂という出版社がある。この社名が中国の古典に由来することに
      気づいたのは、高校のころだった。

       曽子曰、吾日三省吾身。 曽子曰く、吾日に吾が身を三省す。
       為人謀而不忠乎。    人の為に謀りて忠ならざるか。
       興朋友交而不信乎。   朋友と交わりて信ならざるか。
       伝不習乎。       習わざるを伝うるか。 (学而第1−4)

       曽子(孔子の弟子)が言うには、「私は日に三度、自分を振り返る。人
      の為にと思いながら、私心がなかっただろうか。友人とのつきあいで信
      頼を裏切るような行為がなかっただろうか。よく知りもしないで、知っ
      たふりをしていい加減なことを人に言わなかっただろうか」と。

       曽子のことはよく知らないが、こんなに自分のことを考えていたら胃
      に穴が開くのではないかと心配だ。ボクが自分を三度振り返るとしたら、
      「朝ご飯は食べ過ぎていないだろうか。昼ご飯は食べ過ぎていないだろ
      うか。晩ご飯はカロリーオーバーではなかっただろうか」の三つだ。
       後のことは適当に済まそうとする自分がいる。
----------------------------------------------------------------------------
 4/16  中世のなぞなぞ本「後奈良院御撰何曽」には、「母にはふたたび会ひ
      たれど、父には一度も会はず」という謎が収められている。その答えは
      「唇」であるが、どういうことかというと、「母」の発音では二回唇が
      くっつき、「父」では一度もくっつかないということである。はて、母
      と発音して唇がくっつくであろうか。……そんなことはない。「母」で
      も一度もくっつかないはずだ。これはどういうことなのか。
       これは、「母」の読みでは、唇が二度くっついていたと見るべきだ。
      当時の「母」は「ファファ」だったと考えればどうであろうか。実は当
      時のポルトガルの日本語辞書(日葡辞書)も、母の発音を「fafa」と示
      している。
       ああ、そういえば今日はボクのふぁふぁの誕生日だった。
----------------------------------------------------------------------------
 4/15  ぼくたちは、大人のオシキセの文化はいらない。

       こんなことを言いたいとき、「オシキセ」のイメージは「押し着せ」
      ではないだろうか。押しつけられて着せられる、自ら望んだわけでもな
      い、要りもしない、似合わないモノたち。自立を願う年代には、大きな
      お世話でしかないものが「オシキセ」である。
       ところが、これは正しくは「お仕着せ」と書くのだ。丁寧に言わない
      ときには、「仕着せ」と言うらしい。それがもともと、イヤな意味では
      なかったのだ。

      しきせ 【仕着せ/▽為着せ/四季施】
      (1) 主人が使用人に、その季節の衣服を与えること。また、その衣服。
        普通は、盆・暮れの二度。おしきせ。
      (2) 江戸時代、幕府が諸役人に時服を与えたこと。また、その衣服。お
        しきせ。

       主従関係の厳しかった時代、主人が下の者を思いやって与えた物だっ
      たと読み取れる。「四季施」という表現も味わいがある。「四季に施す」
      とは秀逸だ。こういう当て字は当て字じゃない。
----------------------------------------------------------------------------
 4/14  「忙しいという字は、立心偏に亡くなると書きます。忙しいときは、
      人間らしい心がなくなってしまうからですね」
       こんな教え方、どこかで聞いたことはないだろうか。なるほどと思っ
      たこともあるだろう。確かにそうだ。忙しいときは、人のことなど構っ
      ていられなくなる。
       けれど、ボクの場合は、忙しいときは「忘れっぽくなる」が正解だ。
      よく見てほしい。この字だって、「心が亡くなる」なのだ。

----------------------------------------------------------------------------
 4/13  莫大小。こう書いて「メリヤス」と読む。「大小莫(な)し」と訓読で
      きる。伸び縮みする服飾素材のことだ。昔の布には伸び縮みの実感でき
      るものは少なかったから、メリヤスは画期的な発明だったに違いない。
      多少体に合わないサイズでも、強引に着ることができるのだ。今となっ
      ては、下着のシャツが伸びたり縮んだりするのも全く当たり前になった
      し、特別な素材でもないので、わざわざメリヤスであると呼び分けるこ
      ともなくなってしまった。
       でも、乾燥機にかかったボクの肌シャツは「莫大小」の看板に違い、
      へそが出るサイズにまで縮んでくれた。引っ張っても簡単に元に戻らな
      い。これでは「莫大小」とは言えないではないか。まあ、昔はこんな乾
      燥機なんてなかったので、それをメリヤスのせいにするのはかわいそう
      だというものだ。堪忍堪忍。
----------------------------------------------------------------------------
 4/12  六年生のころ、「護美箱」というのをお寺の境内で発見して、いたく
      感動したことがある。なるほどよく考えたものだ、とばかりに、学校の
      ゴミ箱にも「護美箱」と表示した。ポスターにも「護美は護美箱へ」と
      書いた。
       そのポスター、自信たっぷりに張り出してから、「護美箱」はありで
      も、ゴミのことを「護美」と書くのはおかしいよなと気づいて、とっと
      と撤去したのを思い出した。
----------------------------------------------------------------------------
 4/11  ものごとの根源を尋ね深めることを「ひもとく」というが、漢字では
      「紐解く」と書く。そもそも、考え深めるという意味はなく、ただ「書
      物を読む」といったほどの言葉である。
       ボクはこの言葉から、「こんがらかって解けなくなったヒモ」をどう
      にかして解く作業をイメージしていたが、この「ヒモ」は、巻物のヒモ
      であった。そのヒモを解いて内容を読むのが「紐解く」ということだ。
      昔の書物は丸まってしまわれていたのだ。読み終わると、くるくる巻い
      て書庫にしまわれ、用事があるとまたくるくる広げる。
       これは忍者だ。巻物は忍者が持っているものだというのは、ボクの子
      どものころからの理解で、口にくわえて印を結ぶと、ボワッと煙が出て、
      その場から消えることができるものだった。ただボクは、忍者が巻物を
      広げて勉強している様子など、見たことがなかった。しっかり勉強して
      ほしいと思うが、忍者たるもの、月明かりとかそういうもので読書しな
      ければならないし、勉強に夢中でスキがあると手裏剣とか飛んできそう
      で、ずいぶん大変だと思ったものだった。
----------------------------------------------------------------------------
 4/10  マンガ「ドラえもん」は、どら焼きが好きなネコ型ロボットという設
      定だが、面白い命名だと思う。「どら焼き」と「どら猫」という異質な
      ものが、キャラクターの上で合流している。
       ところで、「どら焼き」は、「銅鑼焼き」と書く。楽器の銅鑼に似て
      いるからこう呼ばれるのだ。一方の「どら猫」は、「道楽猫」である。
      遊んでばかりで役に立たない男子のことを「道楽息子」というが、猫も
      同じで、そういう猫を「どら猫」という。
       マンガではドラえもんは役に立ちすぎて、あまり「どら猫」的ではな
      いと思うがいかがか。
----------------------------------------------------------------------------
 4/9  「道」の左上に点をつけてもよい。そもそも、昔はそんな字だった。こ
      れは、画数を合わせた話ではなく、旧字体の話だ。今でも「邉・邊」に
      は二つついているではないか。「辻」もよくそうなっている。「道」の
      字の古い形を見てみよう。

      

       左が篆書で右が隷書だ。こうしてみると、「足」の形が見えてくる。
      しんにょうのルーツは、どうも「足」の字にあるようだ。「止」にも似
      ているが、上の点々があるかどうかが違う。
----------------------------------------------------------------------------
 4/8   漢字をややこしくしているものの一つに「占い」があると思う。例の
      「画数占い」というものだ。縁起の良い画数にするために、点をつけた
      りしているではないか。そのためかどうか知らないが、新撰組の土方歳
      三は「土」に点がついたものだったし、「玉」で左にも点のついた字も
      ある。左右対称でバランスはいいが、どうも気持ちよくない。ボクの尊
      敬する人に「研一」という名の人がいるが、「研」の右下に点がついて
      いる。
       ボクも名前「浩道」の左に一つ点をつけたい。「浩」か「道」か、ど
      ちらの字がよいだろう。
----------------------------------------------------------------------------
 4/7   4月2日に書いた「御料車」が気にかかっている。似たような言葉に
      「御料所」「御料地」「御料林」「御料牧場」などがあるが、「御料」
      とは、なんなのだ。

      ごりょう 【御料】
      (1)天皇や貴人の用いるもの。衣服・飲食物・器具など。
      「かの―にとてまうけさせ給ひける櫛の箱一よろひ/源氏(蜻蛉)」
      (2)寺社の供物。
      (3)「御料所」「御料地」の略。          (「大辞林」)

       いや、気になっているのは、「料」の字なのだ。それがどうして「天
      皇のもの」という意味になるのか、そこが気になっているのに。かゆい
      ところに手が届かないむずむず感がいやだ。
----------------------------------------------------------------------------
 4/6   みじかい。

       送り仮名で迷うパターンだ。「短い」か「短かい」か。送り仮名には、
      言葉の変化する部分(活用語尾)を送るという原則があるので、「短い」
      と書くのが正解だが、どうも心もとなくないだろうか。これが気になる
      人は、「てみじかに」と言いたいとき、「手短」と書かねばならないの
      も気になるはずだ。うまく言えないが、ボクはそういうのが引っかかっ
      てしかたがない。
----------------------------------------------------------------------------
 4/5   全国で売られている有名メーカーの高機能クロス(汚れがよく落ちる
      ハンカチみたいなもの)のパッケージに誤植を発見した。

      ■使用上の注意
      ・CD/眼鏡/その他傷つきやすい素材に対しては、クロス先端部およ
       び洗濯タグが触れないようにしながら包み込むようにしながら包み込
       むようにして静かに拭き取ってください。      (原文通り)

       包み込むように、包み込むようにという愛情のこもった書き方は、も
      しかすると誤植ではないのかもしれないと思わせる。電話で確認してみ
      たい。「ご指摘の通りです」などと言わず、「当社では物を大切にして
      おりますので」などという回答がほしいところだ。
       なお、この不思議な表記の発見がうれしくてメモを取ろうとしたとこ
      ろ、場所がコンビニだったので、怪しまれないようにと、要りもしない
      のに買ってきてしまったことを付け加えておきたい。
----------------------------------------------------------------------------
 4/4   昨日の続きになる。

       抹茶の薄いのは「お薄茶」で、濃いのは「お濃い茶」。
       ソースの薄いのは「薄口」で、濃いのは「濃い口」。
       どちらかというと「薄目」なのと、その逆の「濃い目」。

       文法的に矛盾なく表現しようとすると、「お濃茶(おこちゃ)」「濃口
      (こくち)」「濃目(こめ)」となる。こういう言い方が気持ち悪いから、
      先に挙げた表現があるのでばないだろうか。
      「酸っぱい」というのも、本当は「酸い」なのだろう。短すぎるので、
      聞きやすく改良したのだと思う。二文字の形容詞は使いにくい。
----------------------------------------------------------------------------
 4/3   「濃い」を「濃ゆい」と表現する人がいる。変だなあと思いながら、
      なかなか考えたものだと言いたい。「濃い」だけだと言葉が短すぎて、
      言いたいことが伝わらないことがあるのだ。あまり短いと適度に長くし
      たくなるのが人情というものだ。
       岐阜県の東の方では「蚊」のことを「かんす」と言うが、適度な長さ
      にしたものと思う。
----------------------------------------------------------------------------
 4/2   御料車。

       天皇・皇后両陛下の使われる車を車を「御料車」という。現在の車は
      日産プリンス・ロイヤルといい、1967年から1972年の間に宮内庁に納入
      されたもので、5台あるという。つまり、新しいものでも30年以上経っ
      ていることになる。驚くべき長寿命。ボクの車はまだ7年目なので、足
      元にも及ばない。さらに、その御料車の走行距離を聞いて驚いた。「3
      万5千キロ前後」なのだという。ボクの愛車はもう10万キロだというの
      に。
       大切にされているなあ、としみじみ。30年かけて3万5千キロという
      ことは、一年で1000キロちょっとか……。
       いろいろな感想がボクの胸に湧いてくるのが分かるだろうか。
----------------------------------------------------------------------------
 4/1   宮中では、「歌」にも区別がある。

       御製(ぎょせい)…… 天皇がお詠みになった短歌(歌会始の儀の中で
                 は「おおみうた」という)
       御歌(みうた)……… 皇后・皇太后がお詠みになった短歌
       お歌(おうた)……… 皇后・皇太后以外の皇族がお詠みになった短歌

       この順位を不等号を使って表せば、次のようになる。

       おおみうた > みうた > おうた

       図らずも、「お」よりも「み」の方が上であるということが分かった。
      ということは、「御心」を読むのも気をつけねばならない。より上位の
      ものの場合は「みこころ」なのだ。神は世界の最上位に位置付けられる
      存在ゆえ、「おこころ」ではおかしいのだ。
----------------------------------------------------------------------------

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月