今日の言の葉

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

9/30  昨日書いた「鐙(あぶみ)」だが、「鎧(よろい)」という字に酷似して
     いる。ボクの経験から書き間違えそうな字をあげてみよう。
      元(げんすい)   (「師」と比べて一本足りない)
      (からす)     (「鳥」と比べて一本足りない)
      子(からし)    (「幸」と比べて一本足りない)
      何か足りない字ばかりだ。
      ところで「こけら落とし」という言葉をご存知だろうか。年配の方で
     ないとなじみのない言葉かもしれないが、劇場を新改築して初めて行う
     興業のことを「こけら落とし」とか「こけら落とし公演」という。
      この「こけら」とは何か。大辞林を見てみよう。
     こけら 【木屑】
      (1)材木をおのや小刀でけずった時にできる、けずり屑。木片。
      (2)「こけらいた」に同じ。
      つまり、屋根に木くずがあるのをこう呼んだものだ。その木屑をはら
     い落として最初の興業を行うとなれば、胸が躍ったものだろう。
      この「こけら」を漢字で表したいが、あいにくマイナーな文字ゆえ、
     JISコードをもらっていない。ネット上では使えない文字だ。形を知
     りたい向きはこちらをクリックしていただきたい。画像でなら、お伝え
     できる。
--------------------------------------------------------------------------
9/29  ものの数え方に相変わらず興味がある。
     「数える単位には、数えたいものの名は使わず、それを束ねたりまとめ
     たりする器の呼び名で表す」という数え方の第一法則を見つけて喜んで
     いる。鉛筆を数えるのに「いちえんぴつ、にえんぴつ」とは言わないと
     いうことだが、そんなちんけな法則はずっと前に発見されているはずだ。
     ちなみに、第二法則は今考えているところだ。
      アイスキャンデー  一本
      アイロン      一台、一挺・丁(ちょう)
      熱燗        一本
      油         一缶、一樽、一瓶
      油揚げ       一枚、一丁
      油揚げを「一枚」というのは、その姿からだが、「一丁」というのは、
     もともとが豆腐だからなのか。しかし、一丁の豆腐から何丁の油揚げが
     できるのだろう。気になるところだ。
      ところで、「鐙(あぶみ)」の数え方に、「一口(こう)、一足(そく)」
     というのがあった。馬に乗って足を置くところのことだが、馬具を扱う
     人たちには重要な言葉なのだろう。しかし、「一口」というのと「一足」
     というのとで、実際の数が違うのではないか。鐙は人の足をくわえる形
     なので、「一口」というのは片足分だと想像がつく。「一足」で両方の
     足がそろうという気がする。いずれ馬具メーカーに問い合わせねばなる
     まい。
      もし、鐙がそのように数えるものだとしたら、日ごろ履いている「く
     つ」のことも考え直さねばなるまい。片方だけの靴を、どう呼んだもの
     かでいらいらして三十数年が過ぎた。
--------------------------------------------------------------------------
9/28  自らに誇りを感じつつも謙遜するという場合、名前の前に「不肖」を
     つけて表現することがある。この「肖」の字は「肖像画」という言葉か
     ら分かるように、「よく似ている」という意味だ。つまり、「不肖」と
     は、「似ていない」ということだ。いったい誰に似ていないかといえば、
     これがなんと「親」なのだ。自分は親に似ずできの悪いものだが、と謙
     遜する言い方が「不肖」なのだ。
      そんな言葉遣いが当たり前となるほど、「親」とは立派なものだった
     のかと感心してしまう。親とは尊敬の対象なのだ。
      ボクの子どもが「不肖」というとき、「似なくて良かった」という意
     味合いで使う気がする。情けないが、そう使われても、文句の言えない
     自分がここにいる。
--------------------------------------------------------------------------
9/27  以前、国立国語研究所の「外来語の言い換え案」が話題となったが、
     今読んでも面白い。

     ○ シミュレーション  
     ◎ 言い換え語=「模擬実験」
       理 解 度
       ★★★☆(全体)
       ★★☆☆(60歳以上)

      理解度については、次のように説明があった。
       ★☆☆☆ 25%未満
       ★★☆☆ 25%以上50%未満
       ★★★☆ 50%以上75%未満
       ★★★★ 75%以上
      つまり、「シミュレーション」は、国民全体の四分の三程度の人が理
     解しているものの、60歳以上の方は、半数未満の人しか理解していない
     ということになる。
      ボクはこの言葉を「シュミレーション」と発音するなど、間違ってば
     かりなので、国民全体の四分の一、理解していない側の一人だというこ
     とになる。そんな人がボクのほかに2500万人はいると思うとどういうわ
     けか心強い。自分だけではないという甘えは、まるで中学生だ。(別に
     自分が若いということをいっているわけではない。)
--------------------------------------------------------------------------
9/26  「おタバコはお吸いになられますか」と聞かれた。ファミリーレスト
     ランは間違った日本語の温床だ。採用の際には日本語能力検定合格など
     のハードルを設けるべきだ。

      5級合格…………時給750円
      4級合格…………時給850円
      3級合格…………店長待遇
      2級以上合格……取締役として採用

      さて、「おタバコはお吸いになられますか」の、どこがおかしいか、
     分かるだろうか。「お吸いになる」だけで十分に敬語表現なのだが、そ
     こに「られますか」とさらに敬語法を重ねる、これを二重敬語という。
     こういうことに気がつく人がどんどん減っているのだ。おかしな敬語マ
     ニュアルが外食産業に広がっていはしないかと懸念するところである。
      ところで、「おタバコ」について、疑問に思うことがある。日本語に
     は、「外来語には『お』をつけない」というルールがあるが、この場合
     はどうなのだろう。「おブランコ」「おキャッチャー」「おテーマパー
     ク」などがおかしいのと同様に「おタバコ」もおかしいはずだ。「タバ
     コ」は外来語なのだから。
      これは、「おビール」があまりおかしいと感じられなくなったのと同
     じことなのだろうか。あるいは、「煙草」という漢字を与えられて、も
     はや外来語の枠に入らなくなったと考えるべきなのだろうか。しかし、
     その場合は、「煙草は『タバコ』と書いてはいけない」と新しい約束を
     作る必要がある。
--------------------------------------------------------------------------
9/25  日本には、「三大格式」と呼ばれるものがあった。「さんだいきゃく
     しき」と読む。「弘仁格式」「貞観格式」「延喜格式」の三つが平安時代に
     作られている。読み方は順に「こうにんきゃくしき」「じょうがんきゃく
     しき」「えんぎきゃくしき」である。早口言葉のようだ。三つを続けて三
     回読めたら自慢してもいい。
      このそれぞれが「弘仁格」と「弘仁式」のように分かれていたという
     のだが、気になるのは「式」の方だ。
      「式」が法律の施行規則であったということから、従うべき物事の基
     本のことを「式」と呼ぶようになったと考えられる。「卒業式」や「入
     学式」などの儀式は、「式」に基づいたものだから「式」と呼んだので
     はないかとさえ思えてくる。
      基づいてさえいれば何でも「式」なので、そのうち、「電池式」「ゼ
     ンマイ式」などという言葉も登場したのではないかと思う。思うだけな
     ので信用しないでほしいが、言葉の使い方の発展とは、そんな広がりを
     するものだ。
--------------------------------------------------------------------------
9/24  格式。
      これを「かくしき」と読むか、「きゃくしき」と読むか。

      かくしき 【格式】
      (1)社会的に格付けされた身分・階層などに応じた生活上のしきたり
        や礼儀作法。また、身分・家柄。「―を重んじる」
      (2)身分や家柄によって決められていた儀式などについての決まり。
      (3)和歌などの作法上のきまり。
      きゃくしき【格式】
      (1)格と式。基本法典たる律令の補助法。格は律令の追加修正法
        は施行細則をいう。
      (2)「かくしき(格式)(1)(2)」に同じ。
                          (インフォシーク辞書)
      これを眺めていると、言葉の歴史が見えてくる。
     @まず「格」が制定される。
     A次に「式」が制定され、これを元に政治や儀式が行われる。
     B「格式」に基づいた物事が尊重されるようになる。
     C身分や家ごとに礼儀や作法が強く意識され、しっかりしている家は、
      「あの家は格式」があると言われるようになる。

      格式があるのは肩がこり、格式がないと言われるのもどうかと思う。
     ちょうどいいぐらいの父親でいたい。お正月にお年玉をちらつかせて子
     どもたちにえらそうにする程度の格式でかまわない。
--------------------------------------------------------------------------
9/23  数え方について調べているうちに、大きな数を表す文字がたくさん出
     てきて面食らっている。以下に示すのは、漢字で表せる数の単位である。

       単 位 読み      大きさ
         一 いち        1   
         十 じゅう       10   
         百 ひゃく      10E2 (10E2は、10×10)
         千 せん       10E3 (10E3は、10×10×10)
         万 まん       10E4 (10E4は、10×10×10×10)
         億 おく       10E8 (ここからは自分で考えて)
         兆 ちょう      10E12
         京 けい       10E16
         垓 がい        10E20
         ■ し         10E24(■はノギ偏に弟のような文字)
         穣 じょう      10E28
         溝 こう        10E32
         澗 かん       10E36
         正 せい        10E40
         載 さい       10E44
         極 きょく      10E48
       恒河沙 こうがしゃ    10E52
       阿僧祇 あそうぎ     10E56
       那由他 なゆた      10E60
      不可思議 ふかしぎ     10E64
      無量大数 むりょうだいすう 10E68

       恒河沙 恒河(ガンジス河)の沙(砂)の数という意味。
           たぶん砂の数はそんなものじゃない。
       阿僧祇 梵語でアサンキヤの漢語訳。それはどういう意味だろう。
       那由他 梵語でナユタの漢語訳。これも何だか分からない。
      不可思議 梵語でアチンティアの漢語訳「思い計る事ができない」
      無量大数 「これ以上のない大きな数」であるが、10の68乗なので、さら
           に大きな数はいくらでもあるわけだ。
--------------------------------------------------------------------------
9/22  イカの数え方。どうして「一杯、二杯、三杯……」なのか。子どもの
     ころ、近くの八百屋に「一杯 ○○円」と書かれてイカが売られていたが、
     白い発泡スチロールの箱に詰められた状態だったので、「あれだけ一箱
     で○○円なんて、安い」と思ったことを覚えている。箱に一杯でいくら
     という数え方だと思ったのだ。自分を弁護するようだが、子どもにとっ
     て、イカは「一匹、二匹」と数えるものだ。
      カニも「一杯、二杯」と数える。こちらは甲羅を杯にしてお酒を飲ん
     だらおいしそうなので、そういう数え方に異論を唱えるものではない。
--------------------------------------------------------------------------
9/21  北海道の市町村名のうち、約8割がアイヌ語を語源に持つという。ア
     イヌの人たちは、生活上重要な場所や、狩猟や交易のために移動する通
     路、目印となる地形などに地名をつけた。特に川や沢には、河口から水
     源までびっしりと地名がつけられている。例を挙げてみたい。
      地形 ペッ(川)、ナイ(川、沢)、ピラ(崖)、ト(沼、湖)
         ヌプリ(山)、イワ(山)
      特徴 ポロ(大きい)、シ(本当の)、オンネ(老いた)、
         アシリ(新しい)、クンネ(黒い)、モ(小さな)
      これらを組み合わせて作られた地名が、さまざまに工夫されて漢字表
     記で残されている。
     ・モ・ペッ   mo-pet  「小さな・川」
         紋別  もんべつ (紋別市)
         門別  もんべつ (門別町)
     ・シ・ペッ   si-pet  「ほんとうの(大きい)・川」
         士別  しべつ  (士別市)
         標津  しべつ  (標津町)
     ・オンネ・ペッ onne-pet 「老いた(大きい)・川」
         音根別 おんねべつ(士別市)
         遠音別 おんねべつ(斜里町)
     ・クマ・ウシ  kuma-us-i「物干し・多くある・所」
         熊石  くまいし (熊石町)
         熊牛  くまうし (標茶町、清水町の地名)
     ・モ・イワ   mo-iwa  「小さな・山」
         藻岩  もいわ  (札幌市内の山の名)
         茂岩  もいわ  (豊頃町)
      こうした地名が、「○○別」、「××内」、「△△平」のような形で
     各地に残っている。その土地に住む人の足跡を残す地名は、この国の文
     化だと考えられないだろうか。ボクは岐阜の地名もこうしてつけられた
     ものが多いはずだと考えたが、もともとあった地名は「○丁目」なんて
     ものに変えられつつある。
--------------------------------------------------------------------------
9/20  北海道の地名は難解だ。普通に読める人がうらやましい。「あ行」の
     地名を挙げてみよう。解答を見るには、キーボードから「Ctrl」+「A」
     を押してほしい。
       ★地名★ ★正解★
       阿寒郡   あかんぐん
       旭川市   あさひかわし
       芦別市   あしべつし
       足寄郡   あしよろぐん
       厚岸郡   あっけしぐん
       網走郡   あばしりぐん
       有珠郡   うすぐん
       歌志内市  うたしないし
       雨竜郡   うりゅうぐん
       枝幸郡   えさしぐん
       択捉郡   えとろふぐん
       江別市   えべつし

      このほか、市町村名を五十音順にまとめてみたので、挑戦したい人は
     こちらへ。
--------------------------------------------------------------------------
9/19  高校のころ、担任の先生がボクたち受験生を励ましたくて、「努力し
     ない者が順位を落とすのは、火の目を見るより明らかなことだ」と言っ
     た。ボクはその間違いに気づいたので、一人でくっくと笑ったのだが、
     先生は「岸、何がおかしい?」と聞いてきた。話の腰を折ってはいけな
     いと思い、その場は黙っておいた。先生は「火を見るよりも明らか」と
     言いたかったのに、頭の中に「日の目を見る」ような人になってほしい
     という思いがあったのだろう、前記のような言葉に変化してしまった。
     熱意のいたすところだと思う。
      あのころの先生よりも、ボクは年をとってしまった。これまでのボク
     のちょっとした間違いが、だれかの記憶に残っていることを密かに期待
     している。
      忘れられるよりも、そんな生き残り方がしたいと思うのだ。
--------------------------------------------------------------------------
9/18  日常会話で「れっきとした」という表現をしたことはないだろうか。
     この「れっき」とは、「歴史」の「歴」である。もともと、「歴とした」
     と使ったものが、発音上変化したものだ。同じようなことは「やはり」
     と「やっぱり」の関係などにも表れている。
      さて、「歴と」の意味だが、
     れっきと 【歴と】(副)〔「れっき」は「れき」の促音添加〕
     (1)疑う余地のないほど確かなさま。明白なさま。
      「―した証拠」
     (2)家柄・身分などが高いさま。
      とあるように、どうやら「誰の目にも明らかな」という意味をもつも
     のだ。ということは、「歴史」とは、「はっきり残された史実」という
     ことであろう。どうも「芸能歴」「職歴」などの言葉から、「歴」の方
     に「歴史」としての意味があるように思いがちだが、これらは「歴史」
     という言葉を使う中で応用的に生まれたものではないかという気がして
     くる。
      いやしかし、「歴」の字には「となむ」という訓読みもある。意味は、
     「まわる。めぐる」である。かのローマの歴史家クルティウス=ルーフ
     スの言葉「歴史は繰り返す」は、何か、当たり前のことをいっているこ
     とになってしまうようで、申し訳ない。
--------------------------------------------------------------------------
9/17  ノギ偏というのは、「ノ」のついた木偏だと思ってきたが、「秒」に
     ついて調べるうちに「のぎ」と呼ばれるモノが存在することに気づいて
     少々どきどきしている。旺文社漢和辞典によれば、次の三つの漢字はと
     もに「のぎ」と読む。
      @禾 A芒 B秒
      これらを「のぎ」と読むとき、その意味は「穀類の穂先にある毛、細
     いとげ」となる。ううむ……、ようやく「秒」の意味が実感できるよう
     になってきた。確かに、ほんのわずかのものだ。短い時間のことを言う
     にふさわしい文字だと言って良い。
      ということは、「何時何分何秒」というとき、ボクたちは別の字を使っ
     ていた可能性だってあるのだ。例えば、117に電話して時刻を確認す
     ると、こんなメッセージが流れる。
     「ただいまから、5時、45分、10芒をお知らせします……」
      芒の字は「ボウ」と読むのでたいした違いは生じない。ボクも明日か
     ら使ってみようか。
--------------------------------------------------------------------------
9/16  時間や角度の単位に「秒」が使われているが、どうしてノギ偏なのか。
     この文字のもともとの意味に時間の概念があったとは思えない。今、当
     たり前に使っている意味以前に、それにつながる別の意味がきっとあっ
     たはずである。そう思って漢和辞典を引いてみた。
     【秒】 禾4 
     会意形声。禾と少とで、穀物の穂先の毛、ひいて、微細の意を表す。
      @のぎ(芒)。稲の穂先
      Aかすか(微)。わずか。=杪・眇
      B時間・角度・経緯度の単位。一分の六十分の一。
                          (旺文社漢和辞典第五版)
      やはりもともとはノギ偏らしい意味を持った漢字である。そもそもは、
     ほんの小さな、わずかなという意味であった。これを時間の概念に応用
     したのは、新しい時代に生きる人たちであった。
      ボクたちは過去の遺産を使って生きている。新しい時代は、それ以前
     の積み上げなしに突然発生し得ないことを知るべきだ。ボクの中に、歴
     史を考える準備ができつつあると感じている。42歳の秋である。
--------------------------------------------------------------------------
9/15  今、「単位」が面白いので、いろいろ調べている。「秒」というもの
     のイメージがずいぶん変わった。その種の衝撃をともにしてほしいと思
     う。まずはインフォシーク辞書からの引用である。
     びょう 【秒】 〔second〕
      (1)時間の単位。1967年に、セシウム一三三原子の特定な放射の周期の
      九一億九二六三万一七七〇倍を一秒と定義。それ以前は1958年採用の、
      世界時1900年1月0日一二時における一回帰年の三一五五万六九二五・
      九七四七分の一、さらに以前は、平均太陽日の八万六四〇〇分の一に
      従っていた。六〇秒を一分(ぷん)、三六〇〇秒を一時間とする。
      (2)角度・経緯度の単位。一分(ぷん)の六〇分の一。記号は数字の右肩
      に ″ を付けて示す。
      ご覧の通りである。(1)をよく見ていただきたい。日常使っている「秒」
     とは、「さらに以前は」に書かれているものだ。1日は、24時間。1時
     間は60分。1分は60秒なのだ。60×60×24=86400。だから、「平均太陽
     日の八万六四〇〇分の一」というのは、極めて人間的な発想である。
      しかるに、現在の1秒は、その値こそ正確なものなのだろうが、発想
     が違う。ここではセシウムという放射性元素が主役だ。そんな物質の性
     質が人間の生活の基盤にあるのだ。
      狂いのない、正確な時計は誰もが望むものだろうが、ボクの生活には
     不要である。どちらかというと、目覚まし時計を無意識にとめたりしな
     い強い精神の方が必要だ。
--------------------------------------------------------------------------
9/14  子どものころはプロレスブームで、教室でも「あーかー、コーナー、
     256パウンドォ、グレートォ大野ぉ……」などと、レフェリー役が大きな
     声でコールしていた。パウンドとは、ポンドのことである。しかし当時
     は意味も分からず面白がって使っていた。256パウンドとは、111kgとい
     うことになる。巨漢にもあこがれたが、意外な重さ。
      さて、重さのポンドは体積にも関係している。
     ガロン [gallon]
      液体の体積の単位。イギリスでは10ポンドの水の、特定の状態におけ
     る体積を一ガロンとし、約4.546リットル。アメリカでは231立方インチ
     のことで、約3.785リットル。日本では、後者を使用。
     バーレル [barrel] 〔樽(たる)の意〕
      体積の単位。イギリスでは36ガロン。アメリカでは、31.5ガロン、た
     だし石油の場合は42ガロン(約159リットル)。バレル。
                           (インフォシーク辞書)
      石油関連のニュースで普通に聞いている「バーレル」だが、急速に遠
     くに行ってしまったように感じた。あんまりだ。これじゃ無茶苦茶だ。
--------------------------------------------------------------------------
9/13  听。こう書いて「ポンド」と読む。なじみのない外国の単位が漢字に
     なっている。「封度」とも書くようだ。これは物の重さを表すオランダ
     語だそうだ。
      (ア)常用ポンド。
       1ポンドは16オンスで、約453.59グラム。パウンド。
      (イ)薬量ポンドおよびトロイ-ポンド。薬剤や貴金属・宝石を量る単位。
       1ポンドは12オンスで、約373.24グラム。パウンド。
      こんな数え方をする国に生まれなくてよかったと思った。だいたい、
     16進法と12進法がごちゃごちゃだ。その国の人は分かって使っているの
     かもしれないが、これではすっきりしない。上の(ア)(イ)をもとにして、
     1オンスの重さも計算してみると、
     (ア)の場合……453.59÷16=27.224375g
     (イ)の場合……373.24÷12=31.103333g
      分かる人には分かるんだろうなあと思う。
      しかし、これでは終わらない。ポンドはイギリスの通貨単位でもある
     のだ。
      1ポンドは100ペンスで、1971年、十進法を採用するまでは、1ポンド
     は20シリング、また240ペンスだったという混乱ぶりである。やはり10進
     法がよいのだ。この場合のポンドは「磅」と書く。記号では「£」だ。
     エジプト・シリア・レバノンなどの貨幣単位もポンドだという。
      イギリスとかオランダとか、そういう力のある国で使われる単位は、
     単位そのものに力があって、こうして世界中に広がっていくのだなあと
     つくづく思う。そして、広がれば広がるほど、わけが分からなくなって
     くるものだ。
      面白いのは、通貨のポンドの価値の決め方である。そもそも1ポンド
     とは、上の(イ)の重さの銀の価格から出たものなのだ。重量1ポンドの
     銀の値段を1ポンドとする、という決め方だ。

      日本で、銭一貫の重さを一貫目と決めたのとは好対照だ。
--------------------------------------------------------------------------
9/12  伊勢物語の東下りには、「都鳥」が登場する。

       白き鳥の嘴(はし)と脚と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水のうへ
      に遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
     (拙訳)
       白い鳥でくちばしと脚が赤く、鴫の大きさのが、水の上に漂いな
      がら魚を食っている。京では見かけない鳥なので、だれも皆知らな
      かった。

      このように、京都では見かけぬ鳥だということらしい。教科書ではこ
     れに注釈があって、「ユリカモメのこと」だとか。しかし、「すみだ川」
     の渡し守が、「これなん都鳥」と言っているように、地方の人はこの鳥
     を都にいる鳥だと思っていたようだ。
      変だ変だと思っていたが、このほど、冬には、宇治川にユリカモメが
     訪れるということを知った。場所は「宇治橋から塔の島にかけて」の地
     点だという。人がパンの耳を投げ与えている場面に出会うことすらある
     らしい。(参考URL http://www.iz2.or.jp/butai/conts3/index.htm)
      確かに都鳥は都に存在した。しかし、位の高い人たちだから気づかな
     かったのか、あるいはそのころはやはり京に都鳥がいなかったからなの
     か、主人公たち一行は、そんな鳥のことを知らなかった。

      面白いのは、「都鳥」の表記だ。原文では、「これなん宮こ鳥」と書
     いてある。「都」とは「宮こ」なのだ。「こ」って、何だろうか。
--------------------------------------------------------------------------
9/11  岐阜の人は「ホントに?」と驚くので感じが悪いと聞いたことがある。
     まるで相手のことを信じていないみたいだと。しかし、「うそォ?」と
     言う地方とも大差はないはずだ。それに、アメリカの人だって、「アン
     ビリーバボー」とか言って驚いていた。「インクレディブル」とかも。
      つまり、「信じられない」は驚きの表現なのだ。「ありえねー」と同
     じだ。さらに言えば、「有り難い」だって、そもそもは驚きを表したも
     のじゃないかと思うがどうだろうか。
--------------------------------------------------------------------------
9/10  人が家に来て、帰り際に「ごめんください」と言うのを聞いて驚いた
     ことはないだろうか。普通、「ごめんください」は人の家に来たときの
     言葉なのだ。
      ところが、丁寧な言葉遣いをする人ほど、そんな表現をする。これは
     間違った言葉遣いではないと、ボクもやがて気づいたものである。
      かつてこのコラムにも書いたが、「御免」は「許し」という意味だ。
     「御免下さい」とは、「許してください」である。だから、人の家に入
     るときは「失礼することを許してほしい」と言い、帰るときには「失礼
     したことを許してほしい」と言うのだ。何の不思議もない。

      ボクの父は他家を訪れる際に、「はい、ごめんなさーい」と言って勝
     手に敷居をまたぎ、ずかずか入っていったが、これとて間違いではない
     ということになる。
--------------------------------------------------------------------------
9/9   菊の節句だが、その前日には菊の花に綿をのせてその露をうつしとり、
     明くる九日にその綿で体を拭く習慣があったようだ。これを「着綿(き
     せわた)」という。こうすると長寿を保つともいわれ、貴族の間で広まっ
     ていたようだ。菊の持つ生命力に少しでもあやかりたいというのが人々
     の願いだっただ。
      花札で九月の役札には菊の花とともに「寿」と書かれた盃が描かれて
     いるが、これは菊酒の信仰を受けたものらしい。
      菊に対する信仰は、中国の故事に由来している。周の時代、「菊慈童
     (きくじどう)」という名の男が、あるとき菊の露が落ちて谷川となって
     いるところを見つけ、その水を汲んで飲むと、甘露のように甘く、心が
     さわやかになり、やがて仙人となって八百歳まで長生きしたというのだ。
      めでたい話だが、露を集めて谷川ができるほどの菊とはどのような群
     落か。それを思うだけで気が遠くなる。
--------------------------------------------------------------------------
9/8   明日は九月の九日で、旧暦であれば「重陽の節句」ということになる。
     中国の陰陽思想では、偶数を陰数、奇数を陽数と考え、陽数は人間に活
     力を与えるものとしたので、陽数の重なる日=「一月一日」「三月三日」
     「五月五日」「七月七日」「九月九日」を名節として盛大に祝った。特に「九」
     は陽数の最大値で、めでたさ倍増ということで、九月九日には長寿の祝
     いをしたのだとか。最近では聞かない風習だ。
      平安時代には、「重陽の節句」に観菊の酒席が華やかに催されていた。
     酒に菊の花を浸して飲むと長生きするという「菊酒」もこの頃にはよく
     行われていた。そういうわけで、この日を「菊の節句」とも呼ぶ。
      ところがこの行事は、明治以降は廃れてしまった。新暦に切り替わっ
     たからである。新暦で九月九日に見事に咲いた菊はなく、実際まだまだ
     暑い盛りだ。これはやはり旧暦で行う方が良い。
      そういうわけで残された行事が、あの「おくんち」である。「御九日」
     がなまったものだ。この行事は西日本各地にあり、長崎や唐津のものは
     特に有名だ。今年も長崎では十月七日〜九日、唐津では十一月二日〜四
     日に行われる。
      ううむ、どちらが旧暦の九月九日か、分かったものじゃない。きっと
     両方とも違うのだ。
--------------------------------------------------------------------------
9/7   「ありがとうございます」は、本来は、「有り難く+ございます」だ。
     「有り難い」とは、「ほとんど実現し得ない、非常にまれな」という意
     味だ。「めったにない幸福」ということになる。だから、お店では、お
     客から幸福を分けていただくのを心から喜んで使うのだ。
      しかし、これらの幸福は、たとえ得がたいものだとしても、まだ納得
     がいくものだ。最近では、「わずかの可能性もないところから舞い降り
     たような幸福」というものが認知されつつある。
      いわく、「あり得ない」である。
      なにやら便利そうな言葉として最近もてはやされ、早速消えかけてい
     るが、感謝の気持ちで使えば、子々孫々に残せる言葉になるかもしれな
     い。「ありがたい」以上に、さらに「あり得ない」幸福を表す言葉だ。

      コンビニでの買い物で、「345円のお返しでございます。ありえなくご
     ざいまーす」。お正月にお年玉をあげると、「やったー、おじいちゃん、
     ありえなーい」。

      最上級の喜びを表す可能性にかけてみたい思いもあったが、やはり市
     民権を得ることのない言葉かもしれない。
--------------------------------------------------------------------------
9/6   昨日、「爛柯」について学校でも生徒に話したが、「一年は365日だか
     ら、一勝負終わっても、まだ一年たっていない」などと生徒から指摘を
     受けた。思えばその通りだ。

     1.「一日」は「日」が一回昇って次に昇るまでの時間。
     2.「一月」は「月」が一回満ち欠けするだけの時間。
     3.「一年」は、単純には、十二ヶ月。複雑に考えれば、春分から春
       分までの時間。

      新暦と旧暦とで一致しているのは、「1」だけではないだろうか。満
     月から満月まで三十日かかるので、これを「月」というなんて、昔はあ
     たりまえだった。今では自然現象よりも知識の方が先に立ち、「一年三
     百六十五日」と覚えさせられる。

      新暦では、碁盤もその神秘を失うという発見がここにある。
--------------------------------------------------------------------------
9/5   囲碁について。
      昨日書いた「烏鷺」にはさらに別の呼称があって、これを「爛柯(らん
     か)」という。「爛」は「腐る」、「柯」は「え(=柄)」のことだ。斧の柄
     が腐ったという伝説が、そのまま囲碁の別称になっている。
      かいつまんでいえば、こんな話である。

      一人の木こりが山中で迷い、そこで偶然神仙同士の囲碁の対局を目撃
     する。勝負の面白さに心を奪われ、つい何局も何局も見てしまった。さ
     て、木こりが「もう帰ろう」と心を決め、斧を取り上げたところ、その
     柄は腐っており、もげてしまった。実は対局中に何年も経過していたの
     だ。

      興味深いのは、囲碁の盤面である。19×19目で、合計361目あるのだ。
     中央に一目、ここをスタートに360手の勝負である。一目置くごとに一日
     が過ぎ、一局が終わると360日、都合一年が終わっていることになる。木
     こりは何局も飽きずに見ていたので、家に帰ってみると、知っている人
     は誰もいなかったという。中国の浦島のごとき伝説である。(「述異記」)
      このことから「爛柯」は「囲碁」を指すようになった。また転じて、
     好きな遊びや物事に心を奪われ時のたつのを忘れることをも表すように
     なったという。
      ボクにとっては寝ることであろうか。(ウソ)
--------------------------------------------------------------------------
9/4   勤務校に来るまでの間に一筋の川がある。朝はその川を横目に運転す
     るのが日課となっているが、川の小さな中州には、鵜(ウ)と鷺(サギ)が
     太陽の方を向いて集合している。鵜は羽を広げて日光浴をしている様子。
     何羽もの鵜が光に正面を向けている姿は絵になる。鷺は数が少ないため
     か、やや遠慮しているようだが、互いに水辺に遊ぶもの同士、仲良くし
     ている。
      この図がふと、「烏鷺」という単語を引き出した。これは「カラスと
     鷺」、つまり黒白をいうものだが、そのことからこの言葉は「囲碁」を
     指す。ただ黒と白とを洒落て表現したのだろうが、このように中州に集
     う鵜と鷺の姿を知る人だったら、これを「鵜鷺」と呼んでいたかもしれ
     ない。
      カラスと鷺とが仲良く日光浴をしているところを見たことがないので、
     こんなことを考えてしまった。
--------------------------------------------------------------------------
9/3   コンピュータの設定をいじっていたら、インターネットの接続の画面
     なった。操作を進めるうちに、次のようなメッセージに出くわした。

      識別番号または市外局番が必要な場合があります。よく分からない
     ときは、電話でその電話番号にダイヤルしてください。モデムの音が
     聞こえる場合はダイヤルしたその番号が正解です

      いやいや、「正解です」と言われた日には飛び上がって喜ぶ以外にな
     い。強烈な若者言葉。「間違いありません」なんて言われるよりも、こ
     ちらの方が直感的だろう。
      しかし、こんな表示を見せられた高齢の方々はどんな感想を持たれる
     であろうか。ボクなら間違いなく、爪弾きにあったように感じるだろう。
     部屋の隅っこで体操座りしちゃう。
--------------------------------------------------------------------------
9/2   スーパーで見たコーヒーフィルターのパッケージにこんなことが書い
     てあった。

     「ナチュラル ブラウンの色は、100%無漂白の代名詞」

      面白い表現だ。その色を見れば、100%無漂白であることが一目瞭然だ
     というわけだ。
      「代名詞」という言葉はそんな意味ではないのだが、こういう表現に
     もまれながら言葉が深化していく様を見るような気がした。
--------------------------------------------------------------------------
9/1   夏休みに「花一匁」について調べているうちに、真珠の重さは今でも
     「匁」で表すという事実に行き着いた。江戸時代の通貨の重さが基準な
     ので、なんとも古典的な印象を持ってしまうが、実は、国際的な単位で
     あるらしい。
      真珠の重さを量るには、天秤(てんびん)や棹秤(さおばかり)などが使
     われたが、最新鋭の電子計量器でも、その単位は「momme」なのだそうだ。
     ダイヤモンドは「カラット」で、真珠は「匁」で、というのが国際的な
     のだ。パリやミラノで買うときも、真珠の単位は「momme」だ。
      これには真珠の生産高が圧倒的に大きかったということが関係してい
     るのだろう。作っている国にはそういうアドバンテージがある。
      不思議なのは、靴のサイズだ。センチメートル単位だったりそうじゃ
     なかったりしているし、同じ単位を使っていても国によって大きさはな
     んだかまちまちで、いちいち履いてみないと分からないという始末。ど
     うせ分からないのなら日本だけは「文」を単位にしてはどうかと思う。
     なつかしい。「十六文キック」なんて言葉、実感をもって理解できると
     思うのだがどうだろうか。
--------------------------------------------------------------------------

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月