今日の言の葉 

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

 6/30  何もしていなくても、しっかりしなくちゃ、と思うこのごろである。
      そういう時に「しっかりしてよ」と言われるのは、なかなか辛いものだ。
      「一家の大黒柱でしょ」も相当にきつい。
       その「大黒柱」という言葉、子どものころから不思議だった。七福神
      から大黒様ばかりがその名に選ばれたのはなぜかと思ったし、家の中心
      にある柱を眺めては、太くて黒い柱だからこう呼ぶのかと思いめぐらし
      たりもした。
       今こそ秘密を明らかにすべき時期だと辞書に当たってみると、次の通
      りの結果であった。

      だいこく-ばしら 【大黒柱】
      (1) 日本民家の中央部にあって、家を支えている柱。他の柱より太く、
        家格の象徴とされる。大極柱
      (2) ある集団の中心となり、それを支える働きをしている人。
        「一家の―となって家族を養う」      (「大辞林」より)

       ボクたちは長い間だまされていたかも知れない。そんな気がしてきた。
      この説明には「大極柱」の文字が見えるが、これは大内裏の大極殿の柱
      のことを言うようだ。ずいぶん太くて立派な柱なのだろう。「大黒柱」
      
の語源に関係するのであろうか。いや、いい加減なことは言えない。大
      黒様にも魅力がある。
       当分の間、「だいこくばしら」は、ひらがなで書くことにしたい。
----------------------------------------------------------------------------
 6/29  立心偏(りっしんべん)の筆順をご存じか。先に左右の点を書くのが正
      しいが、小学生の時には「そんなの無理」と思ったものだ。長い縦画を
      後から隙間に通すのなんて、実に覚束ないことではないか。「小」の字
      を見よ、先に縦画を書いているではないか。
       筆順には原則というものがある。

         (原則)     (例)
       1.上から下へ…………暑・三
       2.左から右へ…………州・縦
       3.横画が先……………十・王
       4.横画が後……………田・由
       5.中が先………………小・承
       6.中が後………………同・間
       7.左払いが先…………交・文
       8.貫く縦画が後………事・車
       9.貫く横画が後………毎・冊
      10.短い左払いは先……布・有
      11.長い左払いは後……左・存

       原則と呼ぶには数が多すぎると思う。いくつか矛盾もある。だから、
      「原則」と言うよりは「分類」という気もする。形良く、書きよいよう
      に書いていったら、自然にこんな順序に落ち着いた、というのが真相で
      はないだろうか。立心偏も筆順は一つではないようだ。
----------------------------------------------------------------------------
 6/28  漢字はそもそも記号だが、図形ではない。図形から生まれた文字も多
      いが、単純化して、「山・川」や「上・下・中」のように、物事を抽象
      的に表すのが通例だ。「○・△」という漢字がないのも不思議だが、な
      くてもあまり不便ではなく、「円・丸・三角」のような文字がちゃんと
      用意されている。それが漢字というものだ。
       だから、「凸」と「凹」の二つに接し、これが漢字であると知ったと
      きには、割り切れない思いになった。妙に具体的で、その意味では実に
      半端な文字だ。「こんなの、文字ではない、図形だ」と感じ、それが文
      字であることを認めたくなかった。漢和辞典を引き、それが見つかった
      ときは、力が抜けていくのを感じた。
       この二つは、ともに五画の漢字である。筆順を見ると、最後の二画が
      「山」と同じであると知れる。そういうところで漢字らしさをアピール
      する可愛い文字である。
----------------------------------------------------------------------------
 6/27  初めて「必」の字を見たときの衝撃を覚えている。漢字というのは、
      たいてい縦画と横画がメインで、それらが様々に交わってできているも
      ものだ。縦も横もなく中心を貫く目印もない「必」の字は、当時小学生
      のボクには異様に映った。
       縦も横もないということは、じっくり考えれば曲線ばかりということ
      だ。直線部分を持たない文字は、ほかにどのくらいあるのだろう。真っ
      先に思いつくのは「心」だが、文字面だけでなく、「必」も「心」も、
      実にとらえどころのないものである。
----------------------------------------------------------------------------
 6/26  昨日の答え合わせをしよう。

       〆(しめ) 俣(また) 俤(おもかげ) 俥(くるま) 働(ドウ・はたらく)
       凧(たこ) 凪(なぎ) 凩(こがらし) 匂(におう) 匁(もんめ)
       厶(シ・ござる) 叺(かます) 呎(フィート) 噸(トン) 噺(はなし)
       囎(ソ) 圦(いり) 圷(あくつ) 垈(ぬた) 垳(がけ) 垰(たお) 埖(ごみ)
       塰(あま) 娚(ナン・ノウ・めおと) 嬶(かかあ) 屶(なた) 岼(ゆり)
       峅(くら) 峠(とうげ) 弖(て) 怺(こらえる) 杁(いり) 杜(もり)
       扨(さて) 杣(そま) 杤(とち) 杢(もく) 枡(ます) 枠(わく) 栂(つが)
       栃(とち) 枹(フ・ホウ・もみじ) 桝(ます) 梺(ふもと) 椙(すぎ)
       椛(もみじ) 椥(なぎ) 椨(たぶのき) 椚(くぬぎ) 椣(しで)
       椡(くぬぎ) 楾(はんぞう) 榁(むろ) 榊(さかき) 槝(かし)
       樮(ほくそ) 樫(かし) 橲(じさ) 欟(つき) 毟(むしる)
       熕(コウ・おおづつ) 燵(タツ) 瓧(デカグラム) 瓩(キログラム)
       瓲(トン) 瓰(デシグラム) 瓱(ミリグラム) 瓸(ヘクトグラム)
       甅(センチグラム) 畑(はたけ) 畠(はたけ) 畩(けさ) 癪(しゃく)
       硲(はざま) 硴(かき) 竍(デカリットル) 竏(キロリットル)
       竕(デシリットル) 竓(ミリリットル) 竡(ヘクトリットル)
       竰(センチリットル) 笂(うつぼ) 笹(ささ) 簓(ささら) 簗(やな)
       籏(はた) 籵(デカメートル) 粂(くめ) 粁(キロメートル)
       粍(ミリメートル) 粭(すくも) 粨(ヘクトメートル) 糀(こうじ)
       糎(センチメートル) 糘(すくも) 綛(かせ) 縅(おどす) 繧(ウン)
       纃(かすり) 纐(コウ) 聢(しかと) 膵(スイ) 腺(セン・すじ)
       膣(チツ) 艝(そり) 芒(すすき・のぎ) 莨(ロウ・たばこ) 萢(やち)
       蓙(ござ) 蘰(かつら) 蚫(ホウ・あわび) 蛯(えび) 蜊(リ・あさり)
       蟐(ジョウ・もむ) 袰(ほろ) 裃(かみしも) 裄(ゆき) 褄(つま)
       襷(たすき) 諚(ジョウ・おきて・おおせ) 躾(しつけ) 軈(やがて)
       轌(そり) 辷(すべる) 込(こむ) 辻(つじ) 迚(とても)
       逧(さこ・はざま) 遖(あっぱれ) 鉞(まさかり) 鋲(ビョウ)
       錺(かざり) 錵(にえ) 錻(ブ・ブリキ) 鎹(かすがい) 鑓(やり)
       閊(つかえる) 雫(ダ・しずく) 鞆(とも) 鞐(こはぜ) 颪(おろし)
       饂(ウン) 鮃(ヘイ・ひらめ) 鮖(かじか) 鮗(このしろ) 鮭(さけ)
       鮴(ごり) 鯏(あさり・うぐい) 鯑(かずのこ) 鯒(こち) 鯲(どじょう)
       鯱(しゃちほこ) 鯰(ネン・なまず) 鰯(いわし) 鰤(シ・ぶり)
       鰡(リュウ・ぼら) 鰰(はたはた) 鱇(コウ) 鱈(たら) 鰹(かつお)
       鱚(きす) 鳰(にお) 鴫(しぎ) 鵆(ちどり) 鵈(チョウ・とび)
       鵤(いかるが) 鶫(つぐみ) 鶸(ジャク・ひわ) 麿(まろ)

       意外な読みがあったのにお気づきだろうか。「遖(あっぱれ)」なんて、
      漢字で書けるとは思っていなかったのではないだろうか。
----------------------------------------------------------------------------
 6/25  国字を集めてみた。どのくらい読めるだろうか。

        〆 俣 俤 俥 働 凧 凪 凩 匂 匁 厶 叺 呎 噸 噺 囎 圦 圷 垈 垳

        垰 埖 塰 娚 嬶 屶 岼 峅 峠 弖 怺 杁 杜 扨 杣 杤 杢 枡 枠 栂

        栃 枹 桝 梺 椙 椛 椥 椨 椚 椣 椡 楾 榁 榊 槝 樮 樫 橲 欟 毟

        熕 燵 瓧 瓩 瓲 瓰 瓱 瓸 甅 畑 畠 畩 癪 硲 硴 竍 竏 竕 竓 竡

        竰 笂 笹 簓 簗 籏 籵 粂 粁 粍 粭 粨 糀 糎 糘 綛 縅 繧 纃 纐

        聢 膵 腺 膣 艝 芒 莨 萢 蓙 蘰 蚫 蛯 蜊 蟐 袰 裃 裄 褄 襷 諚

        躾 軈 轌 辷 込 辻 迚 逧 遖 鉞 鋲 錺 錵 錻 鎹 鑓 閊 雫 鞆 鞐

        颪 饂 鮃 鮖 鮗 鮭 鮴 鯏 鯑 鯒 鯲 鯱 鯰 鰯 鰤 鰡 鰰 鱇 鱈 鰹

        鱚 鳰 鴫 鵆 鵈 鵤 鶫 鶸 麿

       答えは明日としたい。

--------------------------------------------------------------------------------
 6/24  ものすごく疲れたときに、「ああ、今日はもう死んだ」などと言う人
      がいる。「死ぬほど疲れた」と言いたいのだろうが、言い過ぎというも
      のではなかろうか。
       現代人のそういう言い方が良くないと思っていたが、ふと、「往生し
      た」という言い方はどうかと思いついた。名古屋近辺では、「往生こい
      た」と表現する。この「往生」には次のような意味がある。

      おうじょう【往生】(名)スル
      (1)〔仏〕 この世を去って、他の世界に生まれ変わること。特に死後、
        極楽に往(い)って生まれること。「極楽―」
      (2) 死ぬこと。「―を遂げる」「大―」 
                        (以下省略。「大辞林」より)

       つまり、「ああ、死んだ」と「ああ、往生した」とは同じ言い方なの
      である。しかし、ボクは思う。昔も今も同じ言い方だから許せるとか、
      そんなものではないはずだ。寺に生まれたボクは「往生」の意味を早く
      から知っていた。人が死ぬということは、簡単に口にできるほど軽いも
      のではない。だから、ボクは子どものころから「往生した」には違和感
      を持っていたし、簡単にそういうことを言う大人が嫌いだった。
       こういう言い回しについて考えながら、過去のの自分の純な思いがよ
      みがえってきた。
----------------------------------------------------------------------------
 6/23  烏有に帰す(うゆうにきす)

       火事などで何もかもすっかりなくなってしまうことをこう言う。「烏
      有」は「カラスがある」と読めるから、真っ黒く炭化した残骸を見て、
      カラスの群れ集まったところを連想したものかと思った。
       しかし、「烏」の字は「いずくんぞ」と読むのだった。「いずくんぞ
      〜あらず」のように使い、「どうして〜あろうか」という意味である。
      何もないことを反語的に表現したのが「烏有」の語である。つまり、カ
      ラスにはなんの関係もない言葉なのだった。カラスは不吉な鳥であると
      か、嫌われ者であるとか、いたずらが過ぎるとか、そういうイメージが
      ボクの誤解の背景にある。
       とはいえ、カラスの方も、そんな誤解を招くような暮らしぶりをして
      いてほしくない。まずは、早朝のごみ置き場を散らかすことだけはやめ
      てほしいと思う。
----------------------------------------------------------------------------
 6/22  以前から不思議だったのは、「服部」がどうして「はっとり」と読む
      かだ。「服」が「はっ」で、「部」が「とり」なのかと真剣に考えた。
      愛知県の「海部郡」が、「あまぐん」と読むのも不思議だった。しかし、
      あるとき、おもしろ半分に、「語り部」や「織部」の発音を真似て「服
      部」を「はとりべ」と読んでみて、ふいに直感がひらめいた。「服部」
      は「はたおりべ」ではないのか。「服」の一文字は「はたおり」を表す
      ではないか。そう読んでどこがおかしいか。辞書を引きまくった。
       世の中には、「部」のついた呼び名がいくつもある。次に列挙してみ
      よう。

       あそび-べ   【遊部】
       あまべ     【海部/海人部】
       あやべ     【漢部】
       いぬかい-べ  【犬飼部】
       いむベ     【忌部/斎部】
       うかい-べ   【鵜飼部】
       うまかい-べ  【馬飼部】
       うらべ     【卜部】
       えかき-べ   【画部】
       おりべ     【織部】
       かがみ-つくりべ【鏡作部】
       かきべ     【部曲/民部】
       かしわで-べ  【膳部】
       かたり-べ   【語部】
       かどべ     【門部】
       かぬち-べ   【鍛冶部】
       からかぬちべ  【韓鍛冶部】
       かんべ     【神部】
       きぬぬいべ   【衣縫部】     (以下省略。「大辞林」より)

       これらは、律令の時代に定められたもので、職業などによる人々の集
      団を示すものだ。とても書ききれない。こういう中に、「服部」を見つ
      けることができた。

       はとり 【▽服▽部/▽服▽織】
       〔「はたおり」の転〕機(はた)を織ること。また、それを業とする人。
       はとり-べ 【▽服▽部】
        大化改新以前、機織りを業とした品部。はとり。

       服部さんは、「祖先は服飾業界で活躍してまして」と真顔で言う資格
      があると思う。
----------------------------------------------------------------------------
 6/21  平安の歌人源順は名前が変わっている。「順」と書いて「したがう」
      と読むのだ。ボクは古典の規則に従って「したごう」と読むことにして
      いる。その源順の家集(個人の歌集)『源順集』には、「あめつちの歌」
      を元にした四十八首が載せられているが、なかなか凝った作りの歌であ
      る。最初の八つを見てみよう。

      春
        らさじと 打ち返すらし を山田の 苗代水に ぬれて作る
        も遥に 雪間も青く なりにけり 今こそ野辺に 若菜摘みて
        くぱ山 咲ける桜の 匂ひをぱ 入りて折らねど よそながら見
        ぐさにも ほころぷ花の 繁きかな いづら青柳 縫ひしし糸す
        のぼのと 明石の浜を 見渡ぜぱ 春の波分け 出づる舟の
        づくさへ 梅の花笠 しるきかな 雨にぬれじと きてや隠れ
        ら寒み 掬びし氷 うちとけて 今や行くらむ 春のたのみ
        にも枯れ 菊も枯れにし 冬の野の もえにけるかな を山田のは

       歌の頭をつないで読めば、「あめ・つち・ほし・そら」と読める。当
      時は「いろは歌」の時代ではなく、「あめつちの歌」が一般に広まって
      いたのだ。源順の作った四十八首の頭語をつなぐと、「あめつちの歌」
      が完成するというわけだ。
       しかし、それだけではない。歌の一つ一つを見ると、最初の一文字と
      最後の一文字が一致する。「あ」で始めれば「あ」で終わっているのだ。
      これには驚いた。
       まあ、「あ」で終わる言葉なんてボクたちにも考えつかないが、そう
      いうことをしようと思ったのが源順だというわけだ。(この四十八首全
      部を見たいという人はこちらへ)
--------------------------------------------------------------------------------
 6/20  藤原輔相(すけみ)という人をご存じだろうか。『拾遺和歌集』(三番
      目の勅撰和歌集。1006年前後の成立)に多くの歌を残しているが、ボク
      が興味を持ったのは、拾遺和歌集巻七「物名」に彼の作品が三十七首も
      載っていることだ。以前本欄でも紹介したように、「物名」とは、歌の
      中に何かの名前を隠して詠むことで、彼がそんなに作品を残していると
      いうことは、すなわち、彼がいつもそんなことばかり考えていたという
      ことでもある。
       一例を挙げよう。「荒船の御社」という歌は、九字をうまく隠してい
      るので、「物名」の傑作といわれている。

        茎も葉もみな緑なる深芹(ふかぜり)は洗ふ根のみや白く見ゆらん

       「荒船の御社(あらふねのみやしろ)」の語が、「洗ふ根のみや白」の
      部分に隠れているのだ。なんという知恵と努力。
       しかしその内容は、「深芹は茎も葉も緑で、根っこだけ白いんだろう」
      というあっさりしたもので、感動が薄い。別の意味を覆い隠していると
      とれなくもない(例えば、自分は見た目ほど派手ではないというメッセ
      ージとか)が、強引に問題の九字を詠み込もうとしているせいか、味わ
      おうとは思えない。
       時代がそうさせていたのだと思う。知恵比べみたいな歌がもてはやさ
      れた平安というその時代に、彼は才能を発揮していたし、まぎれもなく、
      それが最先端だったのだ。
----------------------------------------------------------------------------
 6/19  いわゆる「いろは歌」の成立は十世紀の後半と言われている。だから、
      日本人は、もうかれこれ千年以上も「いろはにほへと」を愛唱している
      ことになる。作った人は弘法大師空海だとか。本当だろうか。証拠があ
      るのだろうか。
       さて、これに先駆けて、平安時代初期にも「いろは歌」が存在してい
      た。

       あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり
       むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ
       えのえを なれゐて

       天、地、星、空、山、川、峰、谷、雲、霧、室、苔、人、犬、上、末、
       硫黄、猿、生ふせよ、榎の枝を、馴れ居て

       自然界の様々な物を同じ文字なく詠み入れている。後半、苦しくなっ
      て、意味がとらえにくくなっているが、二拍子のリズム感が心地よい。
      子どもたちを集めて文字を覚えさせるには、ちょうど良いではないか。
       文字の数を数えると、「ん」がないのに四十八あった。おかしい。よ
      く見れば、「え」が二つ。「えのえを」と堂々とした重複ぶりである。
      いや、「枝」の方はヤ行の「え」である。日常、ボクたちの使わない発
      音ではないか。いろは歌の方にはないことから、わずかの時代の差でこ
      の発音が消えていったことが想像できる。
       この歌は、「あめつちの歌」と名付けられている。なんだか覚える決
      め手のない言葉の羅列だが、作者に敬意を表し、老化防止のために挑戦
      してみようかと思う。
----------------------------------------------------------------------------
 6/18  いろは歌作りには、後世の人もたくさん挑戦していて、いろいろな作
      品が残されていることが分かった。西浦紫峰作の「おえど歌(1952年)」
      は次のような見事なものである。

       お江戸街唄 風そよろ
       青柳けぶり ほんに澄む
       三味(さみ)の音(ね)締めへ 燕(つはくら)も
       恋(こひ)ゆゑ濡れてゐるわいな

       元祖いろは歌の哀調もこの歌の粋にはかなうまい。しかし、この歌に
      は、「手習いの見本としては少々扱いにくい」という欠点がある。歴史
      も浅く知る人も少ない。だが、「人生は明るい、捨てたものじゃない」
      というメッセージの強さは元祖にはないものだ。どうにかしてこの歌を
      広めたいものだ。
----------------------------------------------------------------------------
 6/17  徒然草には、人間の心の隙を戒める話が載せられている。「弓の師」
      と呼ばれるものがそれである。

       ある人、弓射ることを習ふに、諸矢(もろや=二つの矢)をたばさみて
      的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ、後の
      矢を頼みて、始めの矢に等閑(なほざり=いい加減)の心あり。毎度ただ
      得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と言ふ。わづかに二つの矢、師
      の前にて一つをおろそかにせんと思はんや。懈怠の心(なまけた心は)、
      みづから知らずといへども、師これを知る。このいましめ、万事にわた
      るべし。                     (第九十二段)

       わずかに二本しかない矢のことゆえ、師匠の前でいい加減なことを考
      えるはずもない。それでも手元に二本の矢があれば、自ら
意識せずとも、
      「あと一本ある」との甘えが潜む。わずかなその隙を師は見抜くのだ。
       なるほど、自らを瀬戸際に追い込むことでこそ、本当の力は発揮され
      るものであろう。しかし、ゆとりを頼むのも良くないが、あんまりゆと
      りがないのもどうかと思う。
----------------------------------------------------------------------------
 6/16  はず

       「〜するはずだ」というときの「はず」は漢字で書ける。「筈」とい
      う文字だ。知った当初はそれがうれしくてよく使ったものだが、最近に
      なって、漢字で書けることが不思議になってきた。だいたいなぜ竹冠な
      のだ。
       そう思って調べてみると、ボクたちが使っている「はず」は、そもそ
      も「矢筈」だった。「矢筈」とは、矢の後端の、弓の弦が当たる凹んだ
      部分のことだ。弦がぴったり合うようにしっかり作ってあり、だから、
      「合うはず」なのだ。
       なるほどと思うこの謎解きも、調べるヒントになったのは、相撲の基
      本技能に「はず」というものがあることに思い当たったことだった。相
      撲の「はず」は、親指を人差し指から離して開き、その手を相手の脇に
      差し込んで前に押すことを言う。その形は確かに矢筈に似ているが、同
      じ言葉で表すのはなぜだろうかと考えて調べることになったのだ。それ
      が面白い答えにつながっていたのだ。
----------------------------------------------------------------------------
 6/15  いろは歌は作られて何年になるのだろう。世代を超えて愛された、日
      本一有名な歌であろう。そのいろは歌は、人生のはかないことを歌った
      ものだと聞いたことがあるが、明治36年、坂本百次郎という人が、いろ
      は歌と同じく同音を二度用いない歌を「万朝報」(東京の新聞)に発表し
      ている。

       鳥啼(な)く声す夢さませ 見よ明け渡る東(ひんがし)を 
       空色映えて沖つべに 帆船群れゐぬ もやの内

       いろは歌と比べて、圧倒的に明るい。暗い世界を開く鳥の声。白々と
      明ける海に帆船があちらにもこちらにも停泊している。どこから来た船
      か。そして、これからどこへ行くのか。ボクにはそんな前向きなイメー
      ジが伝わるようだ。明けない夜はない。やまない雨はない。
----------------------------------------------------------------------------
 6/14  大日本土木

       岐阜県内にその名を知らぬ者のない、老舗にして中堅の建設ゼネコン
      である。平成14年に民事再生法の適用を申請し倒産したが、現在は息
      を吹き返し、国内に12の支店と23の営業所、海外には4支店を構え
      る安定ぶりである。
       あるとき、運転中にその本店社屋の屋上に立体化された社名が上がっ
      ているのを見ていたのだが、反対側に回って驚いた。立体化された文字
      列を逆から見ると「木土本日大」。右からきちんと社名を示していたの
      だ。左右対称の文字ばかりでできた社名のなせるわざである。
       埼玉県には県立入間高等学校という学校があるが、ボクは「人間高等
      学校か、なんて画期的な校名だろう」と感心したことがある。これも同
      様の現象である。ただ、「人間高等学校だって!」と人に語ったのはい
      けなかった。ずいぶん馬鹿にされたものだ。
----------------------------------------------------------------------------
 6/13  この歳になって恥ずかしいが、ボクはコンピュータで「名前」と打つ
      べきを、しばしば「まなえ」としてしまう。今どきひらがな入力だから
      ということもあろうが、ローマ字入力だったとしても、結構な確率でそ
      ういう間違いをしていたと思う。言い訳をすれば、「ま」と「な」は字
      面も発音も似ているのだ。キーボード上も近い位置にあるのがいけない。
       そもそも、「ま行」と「な行」とはどちらも発音がもっさりとしてい
      て正体不明だ。ボクは子どものころ、「ミサイル」を「ニサイル」だと
      思っていたが、自然なことだと思う。実はほかにも「まないた」を「な
      まいた」と打ってしまって、「生板」と変換したりするので、過去の自
      分を笑い話にできない。

       「京の生鱈 奈良の生真魚鰹(きょうのなまだら ならのなままながつ
      お)」という早口言葉もある。ボクのような人がきっと何人もいたのだ
      ろう。
----------------------------------------------------------------------------
 6/12  未必の故意

       初めて聞いたときは「秘密の恋」かと思ったが、「みひつのこい」で
      ある。その意味合いは「大辞林」によれば、「実害の発生を積極的に希
      望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害
      が発生してもかまわないという行為者の心理状態」とあって、つまりは、
      「もしかすると人が死ぬかも知れないけれど、まあいいや」「けが人が
      出てもいいや」と考えることが、「未必の故意」なのである。
       意味は解ったが、「未必」がその意味を表すのはなぜだろう。「未」
      は再読文字で「いまだ〜あらず」と読み、「必」は「かならず」だから、
      「いまだ必ずしも〜にあらず」のように読めば、どうにか意味は通る。
       分からない言葉は、害がない場合は強引に理解するに限る。
----------------------------------------------------------------------------
 6/11  必読してください。

       そもそも「必読」は、「必読の本」「受験生必読」のように、物事の
      性質を表す言葉だ。動詞は作れない。だいたい「必読する」とは、どの
      ような読み方のことをいうのか。

       ネット社会の言葉遣いはどうなっているのだ。先日も「拝読してくだ
      さい」というメールをもらったばかりだ。今回の例は、「必ずお読み下
      さい」と書けば良いものを、漢語にすれば大人っぽく映るとでも思った
      のか、気取った結果なのか、妙な日本語を作ってしまっている。
----------------------------------------------------------------------------
 6/10  江戸前の寿司

       岐阜の寿司屋にも「江戸前」の看板が上がっている。そんな実情から、
      「江戸前」とは「江戸風」という意味だろうと思っていた。それがそも
      そも「江戸の前」、つまり東京湾のことを指すのだと知って驚いたこと
      がある。ボクの知っている東京湾は、公害の海だったからである。日本
      は高度成長期にあり、まだ公害対策が進んでいないころのことだ。そん
      な海で捕れた魚なんて食べたくないと思った。
       昭和五十年、東京湾岸自治体公害対策会議(後の東京湾岸自治体環境
      保全会議)が発足し、東京湾岸に面する1都2県15市3町6特別区の
      27自治体が本気になって江戸前の海の環境対策に乗り出した。
       多摩川に鮎が帰ってきたとのニュースが毎年流れるようになった。川
      が息を吹き返し、海もずいぶんきれいになったようだ。「江戸前」の名
      に恥じない海への回帰に驚きを隠せない。
       では、岐阜にある江戸前寿司は東京湾の魚を使っているかというと、
      そういうことではない。江戸前とは、「江戸風の」という意味なのだ。
      「大辞林」で調べた結果を載せておこう。

      えどまえ ―まへ 【江戸前】 〔江戸の前の海、の意から〕
      (1) 江戸近海、特に芝・品川あたりの海。
        「―の魚(うお)のうまみに/滑稽本・膝栗毛(発端)」
      (2) (1)でとれた新鮮な魚。
        「―のハゼ」
      (3) 江戸風。江戸独特のやり方。
        「―ずし」

----------------------------------------------------------------------------
 6/9   わらじ

       トンカツ屋に行くと「わらじトンカツ」という商品が出ていることが
      ある。普通のトンカツに比べて大きいというのだが、ボクは特に食べた
      いとは思わない。トンカツなのに足に履くものの名前を冠しているのが
      気に入らないのだ。そう思ってトンカツを見ると、特別大きなものでな
      くても、たいていはわらじの形に見えてくるから癪だ。
       こう書いて気がつくことは、「わらじ」というだけで大きいと考える
      のは早計だということだ。小さなわらじだってあるじゃないか。「わら
      じトンカツ」をメニューに出して、小振りのトンカツを出すのも良いか
      も知れない。客が文句を言ったら、「ちゃんとわらじの形をしています」
      と答えるのだ。「清水寺に伝わる弁慶の鉄下駄も、意外に小さいもので
      した」と付け足すのも良い。
       最近トンカツを食べてないので心がひねているようだ。なお、「わら
      じ」は漢字では「草鞋」と書く。「カエルみたい」と以前から気になっ
      ている文字だ。
----------------------------------------------------------------------------
 6/8   論に負けても理に勝つ

       議論で言い負かされても、道理では自分の方が正しいということであ
      る。ニュースにはいろいろな裁判の情報が流されているが、負けた側は、
      きっと「正しいのは自分の方だ」と思っているのだろう。そうでなけれ
      ば裁判に至ることもなく、さっさと謝罪に及んでいたはずだ。
       ボクたちの日常生活で「論に負けても理に勝つ」と言えば、これはも
      う負け惜しみの話。弱い者同士が慰め合う様子が目に浮かぶ。このこと
      わざは、弱者の側の気持ちをくんだものと受け止めたい。
----------------------------------------------------------------------------
 6/7   頭が痛い。孫悟空がいたずらをして頭の輪っかを締められているよう
      だ。
       調べてみると、孫悟空の頭の輪っかには名前があって、「緊箍児(き
      んこじ)」という。また、これを締めるおまじないは「緊箍呪(きんこ
      じゅ)」である。短くて言いやすい。「箍」の字はわが国では「たが」
      と読むが、桶の周りを締めているあの輪っかのことだ。桶に使っても猿
      に使っても、「
たが」は「たが」である。
       なお、輪っかは「緊箍児」「禁箍児」「金箍児」の三つがあり、どれ
      も日本語では「きんこじ」と読む。中国語では発音が違うのだろうか。
      禁箍児は黒風洞の黒熊の妖怪に、金箍児は紅孩児にはめられている。
       さて、ボクの頭のキリキリを解くおまじないはないものだろうか。
----------------------------------------------------------------------------
 6/6   伊勢物語を読んでいたら、次のような歌。「ああ、昔もここで立ち止
      まったなあ」と、また立ち止まる。

       月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして

       周りはみんな変わってしまったなあ。ただ自分だけが変わらないでい
      る。そんな取り残された悲しみがこの歌には込められているようだが、
      この歌は時代を越え、常に様々な世代の人の心に訴えるものだと思う。
       ボクの場合は、「わが身ひとつはもとの身にして」は当てはまらぬこ
      とである。かつての気力も体力もなくなった。変わらないのは、むしろ
      周りの方ではないかとさえ思う。
----------------------------------------------------------------------------
 6/5   楽は一日 苦は一年

       一日怠ければ、一年苦労しなければならないという戒めである。夢の
      ないことわざだと思うが、昔の実情を伝えるものではなかろうか。たっ
      た一日遊んだことが、その代償としての苦労の一年を導くという、これ
      は脅しであり実際であっただろう。遊ぶことそのものが罪であるという
      意識が伝えられる。
       ところで、アリとキリギリスの話は多くの国に伝わっているが、その
      多くが「ア
リは寒さに凍えるキリギリスを見殺しにした」という形で終
      わっている。真面目に働かない者に厳しい各国の風土を象徴するものと
      思う。かく言うボクも子どものころは、「遊んで暮らしたキリギリスの
      自業自得。いざとなって真面目なアリに救いを求めるなんて、虫が良す
      ぎる」と本気で思っていた。
       昔話が子どもを育てるということもあるのだ。どうせ育てるのなら、
      心の広い子に育ってほしい。
----------------------------------------------------------------------------
 6/4   〜が〜なので、いいと思います。

       中学生の発言にはこういうパターンがよくある。理由を述べて自分の
      見解に導くもので、話し方として一般化していると言ってよい。こうい
      う定着は、学校関係者の一人として、教育の成果ととらえたいと思うが、
      日本語を扱う一人としては、「いいと思います」というまとめ方に寂し
      さを禁じ得ない。「いい」という判断があまりに大づかみであるからだ。
      もう少し細やかに表現できないものだろうか。
       理由がしっかり述べられれば述べられるほど、「いいと思います」と
      言われたときの落胆の度合いは大きい。それだけしっかり語れるのなら、
      「すばらしい」「すぐれている」「見事だ」「輝かしい」「圧巻だ」「傑作だ」な
      どの語を使ってほしい、いや、そこまで言わなくてもいいから、もう少
      しなんとか表現できないものだろうか。
       しかし、大人も語彙力を失っている。標記はテレビ番組でどこかの小
      母さんがインタビューに答えていたものだ。「いいですか」「いいでー
      す」という単純なやりとりがこういう大人に育てたのかなあと思う。
----------------------------------------------------------------------------
 6/3   大勢で大皿料理など食べていると、最後に何かが一つ残る。関西では
      これを「遠慮の固まり」と呼ぶ。いつごろ言いだしたものか分からない
      が、遠慮の結果を「固まり」呼ばわりするのはどうも上品ではないと思
      う。全国に広がるには、もう少し品性が必要だろう。
       関東ではこうすることを「関東の一つ残し」と言うが、残ったものを
      指すのではなく、そういう行為なり習慣なりを言うものだ。だから、関
      西で「遠慮の固まり、いただくでえ」と言って口に放り込むところを、
      関東では「関東の一つ残し、いただくわ」と言うかというと、当然そう
      ではない。単に「いただいていいかしら」などと言うわけだ。
       しかし、何故「関東の」と限定するのか。地元を愛する気持ちは分か
      るが、他の地方にも同様に遠慮する人がいることを忘れないでいただき
      たい。
----------------------------------------------------------------------------
 6/2   「驫」という字がある。これで「ヒュウ」と読む。辞書の上では訓読
      みは認められていないようだが、一般に「とどろき」と読まれている。
      ボクたちは、車が三つ集まった「轟(とどろき)」を知っているが、馬が
      三つでも十分にうるさいものだと思う。
       この二つを合わせれば、「馬車」が三つできる。それは、さぞかしう
      るさかろうと思う。
----------------------------------------------------------------------------
 6/1   四つ葉のクローバーを見つけた人には幸福が訪れるという。そんな噂
      にボクも学校帰りの田んぼに下りてクローバーをあさった覚えがある。
       この言い伝えはヨーロッパのもので、夏至の夜に摘み草をすると、薬

      草や魔除けの効果があると信じられていたようだ。三つ葉のクローバー
      は、キリストの三位一体(父なる神/キリスト/聖霊)を表し、四つ葉
      のクローバーは十字架を表し、幸運をもたらすと言われている。
       アメリカでは四つ葉のクローバーは、「名声」「富」「満ち足りた愛」「素
      晴らしい健康」、そして四枚そろって「真実の愛」を表すとされ、日本
      では、「希望」「信仰」「愛情」「幸福」のシンボルと言い伝えられている。
       それはそうと、クローバーの和名は「シロツメクサ」である。漢字で
      は「白詰草」と書き、「詰め草」として使われたものだ。江戸時代、オ
      ランダから将軍への贈り物が届けられ、その梱包材としてこの草の乾燥
      したものが詰められていたのでこう呼ばれるようになったとか。幸福を
      もたらす花にしては、どうも扱いが軽い。
----------------------------------------------------------------------------

     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月