今日の言の葉 

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 5/31  海はグリーンからブラックへ。このままだと酸素不足で死ぬね。
                               やなせ たかし

       ものすごく格好いい言葉だ。海の色が濃くて、そのために死ぬなんて、
      これこそイメージそのもの。この感覚に惹かれて海に潜る人が何人いる
      ことか。息のつまる思いだ。
       実感として、いよいよ夏である。海底が呼んでいる。
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 5/30  テレビを見ていると、「おやつ」と言うべきところを「お三時」なん
      て気取った言い方をする女優がいて、「『おやつ』じゃ田舎っぽくて、
      不満かな」とひねた見方をしてしまった。しかし、「お三時」と言うの
      は、気取っていると言うより、「おやつ」の由緒を知らないと言った方
      が良いだろう。「おやつ」は「お八つ」である。
       落語「ときそば」を聞いていると、江戸時代の時刻の数え方が出てく
      る。昔はのんびりしていたから、二時間で一刻の数え方。これがどうし
      たことか、「九つ」を初めにして、一つずつ減っていくのだ。

        十二時………九つ
         二時………八つ
         四時………七つ
         六時………六つ 「明け六つ」
         八時………五つ
         十時………四つ
        十二時………九つ (正午)
         二時………八つ
         四時………七つ
         六時………六つ 「暮れ六つ」
         八時………五つ
         十時………四つ

       時刻に「お」をつけたという点で、「おやつ」も「お三時」も大きな
      違いはないことにお気づきだろうか。わざわざ言い直したのは、現代風
      のアレンジと言って良いだろう。
       さて、この数え方だが、数字の「九」は、日中両国でめでたいとされ
      ているので、一日の始まる時刻にあてたということだ。次の時刻は、さ
      らに「九」を加える。すると「十八」だが、一の位だけを表示して結局
      「八つ」。次は「九」をさらに加えて結局「七つ」。と、このようにし
      て、見た目は減っていくが実は増えているというのが時刻の数え方だ。
       ボクのように、年をとるにつれて幼児っぽくなるというのに似ている
      が、本質が違う。
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 5/29  ボクが四十三歳になる今日まで知らなかったことだから、同じく「知
      らなかったあ」と共感してくださる方も多いだろう。「はみだす」は漢
      字を使うと「食み出す」と書くのだ。正直言って、びっくりした。
       「大辞林」には、次の通りの説明があった。

      はみだ・す   【▽食み出す】
       一部がある範囲や制限の外に出る。おさまりきらずに外に出る。はみ
       でる。
      「定員から10名―・す」「ロッカーから―・した荷物」

       「食み出す」という書き方を、どう解釈したものか。口の中に押し込
      んで食べたものの、外に出てしまった様子だと言えば分かりよいだろう
      か。そういえば自分にも、子どものころ、欲張って食べて何かがはみ出
      てしまった記憶はあるが、本当にそんな解釈でよいものかどうか、不安
      がある。なぜ、この「食」の字が使われているのか、誰か、教えてほし
      い。
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 5/28  ヘビイチゴを見たことがあるだろう。いかにも草むらから蛇が出てき
      て食べているような、つまり、子どもにとって、それはヘビ専用のイチ
      ゴである。人間には毒なのだとは誰が言い出したものだろう。ボクの友
      達は、仲間の前でヘビイチゴを食べて、勇気のあることを示していた。
      「お前、それヘビイチゴやぞ。よく食べるな」
       せっかく勇気を示したのに、犬が小便をかけたイチゴかも知れないと
      いうことで、結局はバカにされる羽目になった。
       そんなヘビイチゴも、京都に行くと「くちなのいちご」と呼ばれる。
      「小さきほどをば、くちなはと言へる也(名語記)」とあるように、「く
      ちなは」とは、ヘビのことである。大阪には、「口縄坂」という地名ま
      である。そんな古語がヘビイチゴの呼び名に「くちなのいちご」として
      生きているのだ。「ヘビイチゴ」よりずっとかわいい響きである。

       蛇いちご みのる野づらを ゆきゆきて 燕とあそぶ 夏のゆふぐれ
                                  峯村国一

       こちらは「ヘビイチゴ」と歌われているが、こんな風景には「くちな
      のいちご」の方がしっくり来る気がする。
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 5/27  蟒蛇。こう書いて、「うわばみ」と読む。ニシキヘビのごとき大蛇の
      ことだ。しかし、人間のことも指すようで、「あいつはウワバミだ」と
      いう使い方もする。この場合は、大酒飲みのことで、ボクが大学生のこ
      ろには、飲み方が尋常でない先輩のことを表すために、よく使ったもの
      だ。最近はどうなのだろうか。
       気になるのは、この言葉にある「はみ」という言い方だ。「榛=ハシ
      バミ」「酢漿草=カタバミ」とは、植物の名だが、現代の「ハジカミ」
      という名前を連想させる。料理屋で食べる「はじかみ」は、ショウガの
      ことだ。これは、端の方を噛むので、ハジカミなんだと納得している。
       なお、「蝮」と書いて「はみ」と読み、これはマムシの古名なのだと
      いうが、これも、「噛みつかれたら大変だ」という名前だったのかもし
      れない。小さい子に教えるには、そういう言い方がぴったりだ。だから、
      「うわばみ」とは、マムシよりも怖い、大きな蛇だということになる。
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 5/26  昨日の「十干」だが、細かいところまで説明し切れていない。まず、
      その順序をどのように覚えたものかだ。昔の成績通知表は、「甲乙丙丁」
      でつけていたから、これを思い出せば、最初の四つまでは苦労しない。
      続く「戊己庚辛壬癸」だが、もう、「ボキコウシンジンキ」と覚えるし
      かない。漢字検定試験も、準一級ぐらいの人は、きっと苦労して覚えた
      ものだろう。
       さて、その読みだが、「きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、
      つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと」と読み、その順序に
      は、決まりがある。解説のために表を作ってみた。

           兄(え)   弟(と)
           の     の
           の     の
         つち  つち
           の     の
         みず  みず
 
       つまり、「木の兄」「木の弟」が「きのえ」「きのと」だ。「中大兄
      皇子」を「なかのおおのおうじ」と読むように、「兄」は「え」なの
      だ。弟の「と」と合わせて、「えと」という言葉が完成する。
       そして、「木火土金水」の五つは、「モッカドゴンスイ」と覚えるの
      がよい。これは、この世界を作っている五つの元素=「五行」である。
      中国の思想を理解するのに、欠かすことのできない基礎である。ぜひ、
      覚えてほしい。
      「コウオツヘイテイボキコウシンジンキ」「モッカドゴンスイ」
       何度も唱えていると、なにかの宗教のようだ。
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 5/25  職場で年齢の話になった。向かいの席の先生は今年四十八歳なので、
      「もう一回りすると還暦ですね」と言うと、「そんなこと言うなよ」と
      悲しい顔をされた。還暦は、お祝いもするが、悲しい年齢なのである。
       「還暦」とは、数え年で六十一歳のことである。「暦(こよみ)」が元
      に還ることを言うのだ。今の人には、分かりづらいであろう。
       年末になると「来年はトラ年だ」とか言うが、十二支の「子、丑、寅、
      卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」は、子どもでもよく知っている。
      その年ごとに定められたもので、これは十二年で一回りである。
       さらに、「十干(じっかん)」と呼ばれるものがある。こちらは、「甲、
      乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」の順に巡り来るもので、十年か
      かって一巡する。読み方は順に、「きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、
      つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと」である。
      しかし、「今年はウマ年だ」とは言っても、「今年はひのえ年だ」とは
      あまり言わない、マイナーな存在だ。しかし、「ひのえ・ウマ」のよう
      に組み合わせて使われることは多く、そういう言い方はどこかで聞いた
      ことがあるのではないだろうか。
       十二年で一回りするのと十年で一回りするのとが組み合わさっている
      のだから、今年「ひのえ・ウマ」だったのが、もう一度同じ組み合わせ
      になるには、六十年かかる。最小公倍数の考え方で求めていただきたい。
      これが還暦である。
       さて、「還暦」が、いつと同じになるかといえば、「生まれたときと
      同じ」なのである。ゆえに、よだれ掛けをして、赤い服を着て、お祝い
      をする。
       ボク自身、十七年後にそんな儀式が待っているのだが、絶対にそんな
      ことはしたくない。そんなことより「新しい車がほしい」とか、きっと
      真剣にそういうことを考えていると思う。
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 5/24  「ぐれる」を「大辞林」で引くと、次のような結果。

       ぐ・れる 〔「ぐれ」の動詞化〕
        (1)少年や青年が、生活態度が乱れ、反社会的・反抗的な行動をする
         ようになる。不良になる。
         「高校に入ってから急に―・れ出した」
        (2)見込みがはずれる。
         「但しは目算が―・れたのか/浄瑠璃・契情小倉の色紙」

       「『ぐれ』の動詞化」ということは、「ぐれ」に「る」がくっついた
      ということだ。「メモる」「牛耳る」と同じこと。で、その「ぐれ」と
      は何なのか。再び「大辞林」を見ると、

       ぐれ   〔「ぐれはま」の略〕

       なんのことだ。「ぐれはま」を見よう。

       ぐれはま 〔「ぐりはま」の転。〕

       道は遠い。「ぐりはま」を見るか。

       ぐりはま〔「はまぐり」の「はま」と「ぐり」を逆にした俗語。室町
            時代頃からあった〕
         物事がくいちがうこと。あてがはずれること。
         「何をやっても―になる」

       つまり、「ぐれる」の語源は「はまぐり」なのだ。ハマグリは「貝合
      わせ」
に使われたように、別の相手ではぴったり合わない。そこから、
      うまく合わないことを「ぐりはま」と言うようになったようだ。この言
      葉の歴史をたどると、
       「はまぐり」→「ぐりはま」→「ぐれはま」→「ぐれ」→「ぐれる」と
      なる。そして、もともとは「不良になる」などの意味はなく、「あてが
      はずれること」「食い違うこと」の意味だった。
       それが今の意味のように使われ始めたのは、なぜだろう。考えるに、
      成績優良、性格温順、まったくの良い子で育ってきた我が子が、成長す
      るにしたがって不良化して、親の期待にはずれたのを「ぐれた」と言い
      出したのではなかろうか。
       かつて、「父母の誤算」(TBS 81/5〜)というドラマがあったが、この
      タイトルは、「ぐれる」の意味をよく表しているものと思う。      
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 5/23  「奇しくも」と書いてなんと読むか。
       正解は「くしくも」である。しかるに、「きしくも」と読む人がいて
      困る。ボクが名前を呼ばれている気がして、どきっとするのだ。「岸君
      も」である。
       また、「奇特な人」は、損得を顧みず人のために尽くすといった感心
      な心がけ、行いの人のことだが、文化庁の世論調査では、正しく理解し
      ていた人は半数で、「奇妙で珍しいこと」と誤った人が25.2%いた。
      「珍奇」「奇怪」などの語に引かれるのだろうか。この手の間違いは、
      もはや珍しいものではなくなったが、相変わらずの違和感である。
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 5/22  昨日に引き続き「狼狽」だが、この言葉の作りが面白い。まず「狼」
      はおなじみのオオカミである。これは前足が長く後ろ足が短い。一方の
      「狽」は想像上の動物で、前脚が極端に短い。後ろ脚が短い狼と常に助
      け合って行動し、離れると倒れてうろたえるという。
       心のよりどころを失うとうろたえるというのは、動物に限らない。ボ
      クは中国から帰ってきた飛行機でパスポートを失って、大いにうろたえ
      たことがある。「荷物持ってあげようか」という友人の言葉がうれしく
      て、大切なものであるにもかかわらず、ほかの物と一緒にパスポートを
      渡してしまったのだ。彼が空港の出口で待っていてくれなかったら、ボ
      クは中国に強制送還されていたかも知れない。(こういう場合は「強制
      送還」と言うのだろうか。)
       なお、「うろたえる」と書いて変換すると、「狼狽える」となる。こ
      ういうところもなかなか面白い。
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 5/21  コンピュータおたくと呼ばれる人たちは、コンピュータをどのように
      使うかより、いかに高性能のマシンに仕上げるかの方に興味があるので、
      メモリやらCPUやら、ナントカボードやらと、なにしろ盛んに部品の
      交換を行うようだ。しかし、「交換して仕事がどのくらいはかどるの」
      と聞かれても、彼らに答えることはできない。そもそもコンピュータを
      作る目的が「よりすごいのを作ること」にあるのだ。仕事に使うことは
      まれで、こうなると、子どもがプラモデルに夢中になるのと大差ない。
       部品交換に結構な金額がかかることが露見すると、やがて、夜が更け
      てから家族に内緒でコンピュータのふたを開け、部品をいじりだすこと
      になるのだ。そんなとき、不意にドアが開き、「お父さん、何してるの」
      と息子が入ってきたりすると、彼らは一様に狼狽することになる。

      ろうばい【▼狼▼狽】
      (名)スル あわてふためくこと。うろたえること。
      「不意の質問に―する」「―気味」        (大辞林)

       ボクが「狼狽」という語を耳にして何より先に思いつくのは、そんな
      兄の姿である。もう、何台のマシンを組み上げたことか分からない。
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 5/20  尾頭の心もとなき海鼠かな    向井去来(1651-1704)

       そうそう、ナマコはなんだか分からないと思ってきたけれど、去来さ
      んの言うとおりだ。あの違和感は、体の前後の不確かさであったのか。
       ミミズもどちらが頭だか分からないが、まだ「進む方が前」と強引に
      思うことができた。しかし、ボクの知っているナマコは、二日酔いでも
      したかのように、じっと動かない。これでは前後が不明である。

       ところで、「前後を忘れる」とは
「自分の置かれている状況がわから
      なくなる。ま
た、正体がなくなる。前後を失う。前後を忘(ぼう)ずる。
      (大辞林)」
という意味だが、これはナマコにもミミズにも関係がない。
      どちらかというと、ボク自身の反省材料のような言葉である。
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 5/19  ペットボトル飲料を買うと、表示は「ペットボトル」ではなく、「P
      ETボトル」であった。これは何かあるな、何かの略だと思いつつ、そ
      れまで「ペットのように持ち歩くボトル」だなどと思ってきた自分を振
      り返っていた。そんなわけがあるわけじゃない。しかし、何の略だろう。
       調べてみると、これは「ポリエチレンテレフタレート」の略であった。
      そんな名前の樹脂があるのだ。英語で「POLYETHYLENE TEREPHTHALATE」
      と書くため、その頭文字をとってPETと呼んでいるのだ。
       ポイ捨ては ええかげんもう 止めなきゃね でもPETである。
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 5/18  今日も「鞘」の話。
       鞘は、刀をむき身で持つと危なくてかなわないので当然の発明だった
      のだが、刀が武士の魂であったように、それを収める鞘も、同様に大切
      にされたようである。「鞘当て」の語は、それを表している。
       
      さやあて 【▼鞘当て】
       (1)武士が道ですれ違ったとき、刀の鞘が当たったのをとがめ立てする
        こと。さやとがめ。転じて、ちょっとしたことから生じたけんか。
       (2)〔(3)から〕一人の女性を、二人の男性が争うこと。 「恋の―」
       (3)歌舞伎の趣向の一。多く遊里を舞台に、一人の女を争っている二人
        の武士が刀の鞘を当てたことから争いになるもの。名古屋山三郎と
        不破伴左衛門のものが有名で「参会名護屋(さんかいなごや)」以来、
        歌舞伎十八番「不破」の中心的趣向となっている。現在の形は四世
        鶴屋南北の「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」によ
        る。

       自分には日常的ではないと感じていた言葉だが、いっそう遠いところ
      にあると確信した。また、当時の町人が武家の失態を芝居文化の形を借
      りて見せ物にしていたことも理解できたが、よくこんな内容がおとがめ
      を受けなかったものだと思う。
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 5/17  毎日、日本刀の専門店を脇に見て通勤しているせいか、そういうこと
      が気になって仕方がない。刀鍛冶の人たちは毎朝何時に起きるのだろう
      かとか、何を食べているのかとか、刀を作る仕事はダイエットに効果が
      ありそうだなとか、作品が失敗したら陶芸家のように割ってしまうのだ
      ろうかとか、ひょっしてお金を積んで頼んだら少しぐらい鎚を打たせて
      もらえるのだろうかとか、つまり、どうでもいいことを考えて通勤して
      いるわけだ。
       ただ、「鞘」について考えることも増えた。刀身そのものとともに、
      日本刀が美術品であることを支える相当の技術がここにある。「鞘」に
      関わる言葉もいくつも見つけた。

       さやあて  【鞘当て】 さやえ   【鞘絵】
       さやかん  【鞘管】   さやぐち  【鞘口】
       さやぐみ  【鞘組】   さやし   【鞘師】
       さやじり  【鞘尻】   さやどう  【鞘堂】
       さやとがめ 【鞘咎め】 さやとり  【鞘取り】
       さやなが  【鞘長】   さやなり  【鞘鳴り】
       さやぬり  【鞘塗り】 さやのま  【鞘の間】
       さやばしる 【鞘走る】 さやぶくろ 【鞘袋】
       さやまき  【鞘巻】   さやみどろ 【鞘味泥】
       さやよせ  【鞘寄せ】        (「大辞林」の見出しから)

       知っている言葉を探しても、「鞘当て」「鞘堂」「鞘走る」の三つぐ
      らいしかない。しかも、生活感のない言葉ばかり。ボクの知らない文化
      がここにありそうだ。
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 5/16  岐阜市内には仏壇仏具の店が何軒もあるが、某老舗仏具店にほど近く、
      錺職人さんの店を発見した。「錺」と書いて「かざり」と読む。金偏で
      あることから分かるように、同じ「かざり」と言っても、仏壇仏具や刀
      に施す金属製の飾りである。店の看板も、さまざまの金具をあしらって、
      何かの額のような意匠で作られていた。
       さて、ボクは「錺」の字がこのように生きた形で使われているのを見
      たのは初めてである。今までは、漢字検定の問題に登場する国字だとい
      う知識しかなかった。街を歩くのは良いことだと再認識する次第である。
       大変うれしかったのだが、店の構えは小さく、どう見ても向かいの仏
      壇屋の下請的存在。毎日、仏壇の部品を細かく彫金しているのだろうか。
      いや、しかし、「うちはあくまでもカザリなのよ」という態度が見える
      ようで、なんとなくうれしい。
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 5/15  転勤後、関市を通るようになったが、さすがは刃物の街である。「刃
      物会館」とか「刃物博物館」など、地場産業を支える施設が多い。市の
      入口の「ようこそ、刃物の町関市へ」の表示も、最近は見慣れてきたが
      最初はどきっとした。また、初めて通る者には何事かと思わせるものも
      あって、店先で出刃包丁を持って立つマネキン人形は人目を引いたと思
      う。これは最近は見なくなったが、何かの指導があったものかと思う。
      実際、ボクもその人形を見て、驚いてブレーキを踏んでしまった。物騒
      な人形だった。
       さて、最近、鞘を作っている店を町角に発見した。日本刀の鞘だけを
      作る職人の店だ。きっと一年中、立派な刀身を見つめ、それに似合った
      鞘を作ることばかり考えているのだと思う。
      「反りが合わない」とは、鞘と刀身とがぴったり来ないことを言うもの
      だが、作る側にとっては失礼な言葉だと思う。丹精込めて作った鞘を、
      間違える誰かがいるのだ。
       こう書きながら、刀身が思った以上に個性のあるものだと再認識して
      いる次第だ。十本作ったら、みんな形がばらばらなのだろうか。何本作
      ろうとも同じ形になるぐらいの腕前なのだと思うが、違うのだろうか。
      刀を作る側の実情に興味がわいた。
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 5/14  「温度」を英語で「temperature」という。読み方はたぶん「テンパラ
      チュア」あたりだろう。細かくは分からない。「てんぷら」の語源がポ
      ルトガル語の「tempero」から来ているとは、小学生のころの知識だが、
      この言葉は英語ともつながっていたのだ。
       さて、天麩羅鍋に温度計がついているものが売られているが、これは、
      天麩羅が温度に敏感な食べ物であることを窺わせるものである。これか
      らは、「天麩羅」の発音にも心を込めて、ちょっと英語っぽく「テンプ
      ラチャーン」と舌を巻きながら言ってみたい。
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 5/13  文部省唱歌「故郷」の歌詞には、不思議な表現がいくつもある。二番
      を見てみよう。

       如何に(いかに)います父母(ちちはは)
       つつがなしや友がき(ともがき)
       雨に風につけても
       思いいずるふるさと

       父や母のことを「います」というのはどういう意味なのか、友達のこ
      とを「友がき」と言うのはどうしてなのか、などと並んで、「つつがな
      しや」とは何なのかという疑問がある。
       まず、「つつが」であるが、大辞林によれば、「病気などの災難。わ
      ずらい」という説明である。「つつがなし」とは、病気でないことだと
      いえる。さらに、懐かしい病気に「ツツガムシ病」というのがあったの
      を思い出した。「ツツガムシ」とはなんだろうか。

      つつが-むし【▼恙虫】
       ダニ目ツツガムシ科とその近縁の節足動物の総称。
       体長は成虫で0.2〜1ミリメートル。卵形または瓢箪形で、歩脚は三対。
      幼虫は野ネズミなどに寄生し、恙虫病を媒介する。全世界に広く分布。
      特に、新潟・秋田・山形県下の河川の中・下流域沿岸にすむアカツツガ
      ムシ(アカムシ)が知られる。ようちゅう。     (「大辞林」)

       ツツガムシがいない状態を「つつがなし」と言っても良いなあと思う。
      ツツガムシが媒介するこの病気は、高熱を発するもので、昔は死ぬ人も
      いたというから大変なことだったらしい。今ではほとんど聞かないよう
      になったが、実は世界中に分布しているのだ。
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 5/12  学校では家庭訪問が終わった。「敷居が高い」という表現があるが、
      当然、そんな家はなかった。しかし、こちらでは何とも思っていないの
      に、子どもが逃亡して三者懇談が成立しないという事態もあった。何か
      都合の悪いことがあったのだろうか。彼には、精神的に敷居が高かった
      のだ。
       さて、敷居の反対は「鴨居」である。上が鴨居で下が敷居だ。これは、
      日本間の引き戸にしか
存在しない。その「鴨居」だが、どうしてこんな
      名前になってしまったのだろう。鴨の足はヒレがついていて、水の中を
      泳ぐのには適しているが、木に留まったりするのは得意ではないと思う
      のだ。あんな足で鴨居に留まったら、すぐに滑り落ちてしまうだろう。
       「鴨」は 何か別の言葉が変化したものではないかと思う。
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 5/11  昨日の続きだが、「どざえもん」という言い方が気になった。今や、
      ほぼ死語の部類に入った言葉で、もう誰も言わなくなったのだが。

      どざえもん どざゑもん 【土左衛門】
      〔享保(1716−1736)の頃の力士成瀬川土左衛門が太っていて肌が白かっ
      たのを溺死者のようだといったことからという〕溺死者。水死体。

       昨日は「出歯亀」の語源を知って、「いくら犯罪者でも人権があるの
      に」と思ったのだが、「土左衛門」の方は、犯罪でもなんでもない。こ
      れはその力士のことを世間全体でバカにし、貶めたものだ。人を溺死者
      にたとえることが、その人をいかに傷つける行為であるか、当時の人は
      分からなかったのであろうか。
       いや、当時の人ばかりではない。この言葉が現代に伝えられているこ
      と自体に問題を感じたい。これは、そういう言い方を「言い得て妙」と
      面白がったことの名残ではないか。
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 5/10  歴史に名を残す不名誉というものがある。

      でばかめ【出歯亀】
       のぞきの常習者。また、変質者。〔1908年(明治41)、女湯のぞきの
       常習者で出っ歯の池田亀太郎が猟奇殺人事件を引き起こしたことから〕
                                (「大辞林」)

       猟奇殺人事件とあるので気になって調べてみると、彼は風呂帰りの女
      性を殺害したということである。今までは、ただの助平のおじさんだと
      思ってきたが、そんな生やさしいことではなかったのだ。これはストー
      カー殺人の走りではないかと思うが、いかがか。
       しかし、犯罪には時効というものがあるが、言葉の世界にそれはない
      のだと思い知らされる。間もなく百年という年月が過ぎようというのに、
      池田亀太郎の名は人の記憶から消えていかない。辞書にまで載せられて、
      今後も人々ときどき思い出されるのだ。これ以上の罰があるだろうか。
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 5/9   昨日の続きになる。「はかる」を整理すると、大きく二つの意味があ
      ることに気づいた。一つ目は「計測する」意味、二つめは「じっくり考
      える」である。「図る」は「良い方法をじっくり考える」、「謀る」は
      「悪いことをじっくり考える」、「諮る」は「みんなでじっくり考える」
      である。
       そんなことを思いめぐらすうちに、「慮る」という言葉に突き当たっ
      た。これには読み方が二種類ある。分かりにくいだろうが、「おもん
      かる」と「おもんかる」である。こうしてみると「思う」と「はかる」
      の複合語であることが丸わかりだ。思いの深さがただごとではない。
       つまり、みんなで集まって考える場合には「諮る」を使い、一人でじ
      っくり考える場合は「慮る」を使うことだ。
       では、集団でじっくり考える場合はどうするのかと思ったが、そうい
      う非効率的なことを人間はしたがらないから、該当する言葉はない。こ
      んなことを簡単に言い切るのは、ボク自身がじっくり考えない人間だか
      らであって、議会政治の批判だとかいうわけでは決してない。
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 5/8   何事か文章を書いていると、「はかる」と書かねばならないことがあ
      る。そんなとき、いつも迷ってしまう自分が情けないが、迷うものは迷
      うのだ。自分だけが悩んでいるのは悔しいので、読者のみなさんには、
      次の○にふさわしい「はかる」を下の候補から正しく選んでもらいたい。

      【問題】ア「暗殺を○る」  イ「容積を○る」
          ウ「解決を○る」  エ「会議に○る」
          オ「距離を○る」  カ「時間を○る」

      【候補】1.計る  2.測る  3.量る
          4.図る  5.謀る  6.諮る 

            (正解:ア=5 イ=3 ウ=4 エ=6 オ=2 カ=1)

       ボクは漢字検定準一級だが、こんなところで迷うかわいさを残してい
      る。ところで、時代劇に出てくる「おのれ、たばかったな」は、漢字で
      書くとどうなるのだろうか。「大辞林」を見てみよう。

      たばか・る【▽謀る】動ラ五[四]〔「た」は接頭語〕
       (1)(あれこれ工夫して)だます。
       「爾(なんじ)に―・られて…太(いた)く打擲(ちようちやく)されし上
        に/こがね丸(小波)」
       (2)方策を考える。工夫する。うまく対処する。
       「入りて侍従にあひてさるべき様に―・れ/源氏(浮舟)」
       (3)相談する。
       「かかることなむあるをいかがすべきと―・りたまひけり/大和 171」

       興味があったのは、「どんな漢字か」だが、分かったのは、「先に挙
      げた候補の4〜6はすべてこの言葉で表す」ということだ。ものすごく
      意外で、正直言って今びっくりしている。4は(1)、5は(2)、6は(3)で
      はないか。ああびっくり。
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       ところで、この言葉の説明には、〔「た」は接頭語〕と書かれている
      のに、その接頭語が「謀る」の読みの中に入ってしまっている。もう、
      「た」をつけて読むかどうかは、読み手に任されている形だ。
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 5/7   大辞林で「当」の字について調べると、その四つ目の意味に次のよう
      な説明があった。

      とう【当】
       (4)名詞の上に付いて、「この」「その」「私どもの」、また、「現在
        の」「今話題にしている」などの意を表す。
        「―劇場」「―案件」

       見事な説明だと思う。この用法は「当地」「当家」「当社」などの意
      味を正確に示している。映画で銀行員が「トーコーはそのようなことに
      ご協力できません」と言っていたときには、「当行」だとすぐには気が
      つかなかったが、こんな戸惑いとともに言葉は身に付くものなのだろう。
       それから何年かした時のことだ。いつか、買い求めたチケットに「当
      日本人かぎり有効」という表示を見て、「日本人だけが使えて、外国の
      人は使えないのか」「チケットでも国籍は重視されるのか」と思ったこ
      とがある。「そんなの差別だ」とも考えた。
       そう考えて一秒たってから、この表記は「当日」の後で切るべきもの
      だと気がついた。そんな読み間違いをする人がほかにもいてくれるのな
      ら、友達になりたい。
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 5/6   生ガキを食べてひどい目にあった経験のあるボクは、よく火を通して
      ないと食べないことにしている。鍋物でもフライでも構わない。どちら
      も大歓迎である。できることなら、生の味わいというものに触れてみた
      い気もするが、生ガキを目の前にしたら、たぶん手が出ないだろう。
       しかし、食中毒にかかることを、どうして「当たる」いうのだろう。
      むしろ「はずれ」だ。それを「当たり」と言うのは、まことに運悪く、
      貧乏くじが当たってしまった、という発想がそこにあるように思う。
       おみくじで言えば「中吉」だの「吉」だの「末吉」だのは「当たり」
      ではない。数少ない「大吉」と、もっと少ない「凶」を引いてしまうの
      こそ、「当たり」と呼ぶのにふさわしいのだ。
       こんなことを力を込めて書いてみても、カキに当たった不運は少しも
      減らないのがくやしい。
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 5/5   レタスは漢字で「萵苣」と書く。こう書いて「ちしゃ」と読む。文献
      には古くから登場し、平安時代には和名抄(923〜930年)にすでに「チ
      サ」として記載されているそうだ。しかし、このころの萵苣は現在のも
      のとは形が違い、丸くならないものだったらしい。下の葉を掻き取って
      食べる「掻き萵苣」というもので、今のレタスは江戸時代に日本に入っ
      てきたものだという。これを「玉萵苣」と呼ぶ。実際に食卓に供せられ
      るようになるまでにずいぶん時間がかかっていたようで、明治にならな
      いと普及しなかったらしい。
       ボクの故郷ではさらに時間がかかり、ボクの生まれた昭和三十年代に
      はそんなものは見たこともなかった。ボクは初めてレタスを食べて、迫
      力のないキャベツだ、もっとしっかりしろと内心批判したことがある。
      今ではすっかりサラダの主役である。サラダの中心がキャベツだと少々
      気落ちする。身勝手な自分を反省したい。

       玉萵苣の 早苗にかがみ バス待つ間        石塚友二

       萵苣は春の季語であるが、今や年中栽培されている。そうそう、今日
      は立夏。いよいよ夏の始まりである。       
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 5/4   漢字検定の普及に見るように、世の中、漢字に賢くなってきている。
      スーパーに行っても、野菜の表記は正確だ。かつて八百屋では、キャベ
      ツは「キャ別」と書かれていたし、ラッキョウは「楽京」だったが、そ
      ういう書き方は見なくなった。そんなふうに書いてくれたら、スーパー
      はもっと身近なものになるだろうが、ボク以外にそんなことを言う人も
      いないだろう。
       漢字で書きたい気持ちは誰にもあるものだ。かつての八百屋さんが漢
      字に親しむ気持ちはよく分かる。ただ、「読めればいいじゃん」という
      勢いはなかっただろうか。買う側にしたって、欲しいのはおいしい野菜
      であって、正確な漢字知識ではなかったはずだ。もし、「正しく書かな
      きゃ罰金十万円」などと法律が定められていたら、どうなっていたこと
      だろう。みんな、必死で漢字を覚えたに違いない。
       ラッキョウは漢字では「辣韮」と書く。しかし、こんな字は覚えられ
      そうにない。ボクは罰金だ。では、キャベツはどう書くものか。よく考
      えたが、どうも「玉菜」「球菜」しかないようだ。しかし、こう書いて
      どう発音するか。そんなの、「タマナ」であって、「キャベツ」ではな
      い。かといって、トンカツの隣でソースをかけられ、シャキシャキ音を
      立てて食べるあれを「タマナ」と呼ぶもおかしい。あの食感を「キャベ
      ツ」と呼ぶ人も多いことかと思う。ゆえに、漢字で書くのは無理だ。
       ボクは、合計二十万円の罰金に相当するわけだ。
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 5/3   他の番組を押しのけて野球中継全盛である。スーパのレジでもトイレ
      でも、順番を守らねばならない世の中で、野球中継だけは特別扱いだ。
      大人社会のマナーとしても、時間はきちんと守ってもらいたい。
       そんな腹立たしい気分でテレビを見たせいだろうか。ふと、子どもの
      ころ、草野球で初めて変化球を投げられたときのことを思い出した。手
      も足も出なかったのだが、その投手を「すごい」とは思わず、「ずるい」
      と思ったものだ。男の勝負として、直球以外に選択があるとは思えない。
      いざ、正々堂々と勝負しろと言いたかったのだ。その勝負を変化球など
      という小技で逃げてどうする、小手先の弱虫など見たくないのだ。
       その変化球を「勝負球」と呼ぶ人がいるが、そういう言い方はどうだ
      ろう。ボクから見れば、勝負を逃げているに過ぎない。相撲の世界では、
      立ち合いで真っ直ぐ当たりに行かず予想と違う動きをすることを「変わ
      る」「変化する」と言い、勝つための手段として認めてはいるが、強い
      者がそんな手段に出るのを嫌っている。土俵で大関が「変わった」とな
      ると、おおごとである。たとえ優勝を果たしても、彼には品格がないと
      され、横綱昇進が難しくなる。正面から真っ向勝負をするのが「横綱相
      撲」である。
       野球もそういうところを取り入れてくれれば、もっと面白くなるかと
      思うのだが、一向にそんな動きは感じられない。「首位打者はホームラ
      ン以外は出塁を辞退する」「名球会入りした投手は敬遠は絶対しない」
      「スクイズバントは予告して行う」「盗塁したら座布団が飛ぶ」などが
      通例となってくればいい。そうしたら見たい番組が野球でどうにかなっ
      ても我慢ができようというものだ。「勝利投手はインタビューの時に大
      杯で酒を飲む」というのもお勧めだ。
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 5/2   初夢に見るのに縁起の良いものとして「一富士 二鷹 三茄子」と言
      わるが、その続きがあった。「四扇 五タバコ 六座頭」である。どう
      いうことだろう。茄子の夢を見るのもどうかと思うが、タバコだの座頭
      だの、何が良いのかさっぱり分からない。
       座頭とは、盲人のことである。「大辞林」には次のような説明がなさ
      れている。

      ざとう 【座頭】
      (1) 中世・近世、僧形の盲人で、琵琶(びわ)・琴などを弾いたり、また
        按摩(あんま)・鍼(はり)などを職業とした者の総称。
      (2) 盲官の一。当道所属の盲人の最下位の位階。検校・勾当の下。
        →当道(2)
      (3) 盲人。
      (4) 一座の長。商工業・芸能などの長。

       マッサージ師は縁起が良い。そういうことだろうか。
       なお、前記以外に、「四葬礼 五糞」と続く言い方があるそうだが、
      これについてはコメントのしようがないと思う。
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 5/1   ずいぶん前に偶然見た幼児番組で、「パフェ」の語源を扱っていた。
      それによれば、フランスの王様がこれ以上ないデザートをコックさんに
      作らせたところ、コックさんはその名前として「パフェ」と「クト」の
      どちらがいいかと王様に尋ね、王様は「パフェ」の方を選んだというこ
      とだった。「パフェ」と「クト」で「パーフェクト」という、番組上の
      しゃれだったようだ。
       ボクは大人なのでそんな説は信用しなかった。フランス語では語尾の
      子音は発音されないのが通例であるから、「perfect」と書いても「ct」
      はひっそり無視されると思ったのである。しかるに、フランス語では、
      「parfait」と書くらしい。しかしまあ、意味合いは「これ以上ない、完
      璧な」ということであった。アイスクリームに、生クリーム・チョコレ
      ート・果物などを添えれば、本当にもう十分であろう。
       ボクの肥満の原因はここにあったということである。
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     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月