今日の言の葉 

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1/31   虫歯

       虫歯のイメージは、ヤリを持った小さな悪魔である。甘いものを食べ
      た後に歯磨きをしないで寝ると、この小さな奴らが出てきて、カッツン
      カッツンとツルハシを振るうのだ。いかにもと思わせる「虫歯」ぶりで
      あるが、問題は、彼らがなかなか可愛いキャラクターであるということ
      だ。実際には歯の隙間にあんな生命体は存在せず、もっと不気味な細菌
      が複雑にうごめいているのだが、ボクたちはマンガみたいな虫歯菌をな
      めてかかって、次々と虫歯になったのだ。
       最近、小児歯科学会では「虫歯」の表記をやめて「むし歯」にする動
      きがあるが、良いことだと思う。実際にに虫がいるわけではないのだ。
       さらに面白いことを見つけた。虫歯は「齲歯(うし)」と書くのが正し
      いが、「齲」の字の中に「虫」が隠れているのにお気づきか。こういう
      不思議な一致が偶然とは思えない。
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1/30   そうなんだ

       聞く度にいらいらが募る「へー、そーなんだー」である。自分が古い
      のか周りがどうかしているのか、以前は「へえ、そうなのか」と言って
      いたものが、肯定形に語尾を変えた。橋田壽賀子のドラマでも年配役が
      使っている。放送に携わる作家は時代をとらえないと仕事にならないだ
      ろうが、放送が時代を作っていくことに無責任であってはならないと思
      う。
       ずいぶん前に日本中で「ナウい」が流行したとき、ボクは自分の母親
      がこの言葉を使うのを聞いてがっかりしたことがある。若年層は年長者
      が自分たちに迎合していると感じるとき、拒否反応を示すものだ。そも
      そも自分たちだって、はやりだから使っているだけなのだ。間違った使
      い方が楽しくて、その時だけ使うということがある。
       そういうわけで、「そうなんだ」にもいずれは消えてもらいたい。
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1/29   単にソースと言えば、ウスターソースのことだ。これは昭和三十年代
      生まれの常識である。ところが、いよいよ小学校を卒業しようというこ
      ろ、給食にエビフライにかける「タルタルソース」なるものがお目見え
      した。なんと白いソースの登場である。以来、事態は一変した。身の回
      りには、デミグラスソースだの、トマトソース、ドレッシングソース、
      オイスターソースだのといったものが続々登場して、ソースは、色も粘
      りも味わいも、ずいぶん多彩になった。
       小学生のころは、カレーにはウスターソースをかけるのが常識だった。
      しかしボクは、カレーにソースは合わないと思っていた。だからかけな
      かったが、周りのみんなは当たり前のようにダボダボかけていた。そう、
      あのころ、ソースをかけないボクをバカにしていた子たちも、三十年の
      時を経ていよいよ反省する時が来たのだ。今やカレーにソースをかける
      のはごく少数だ。専門店では御法度だ。カレー屋に行っても、そんなも
      のを置いてあるのを見たことがない。
       読者のみなさんは、どうであろうか。カレーにウスターソースが合う
      とお思いであろうか。これは舌の問題であると思う。
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1/28   方角にも良し悪しがあるようだ。北という字は人と人とが背いた形で、
      その意味でも良くないらしいが、北向きの部屋に住むと冷え込みが強く、
      暗い気持ちになってくる。東や南など、太陽の方向は縁起も良いようだ。
      しかし、枕をどう置くかについては諸説ある。北がよいとか悪いとか。
      『徒然草』百三十三段には、次のように書かれている。

       夜の御殿は、東御枕なり。大方、東を枕として陽気を受くべき故に、
      孔子も東首し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院
      は、北首に御寝なりけり。「北は忌む事なり。また、伊勢は南なり。太
      神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太
      神宮の遥拝は、巽に向はせ給ふ。南にはあらず。

       東が陽気を受ける方角だから、孔子も枕を東にしていたとは、今の人
      でも知らないこと。何という博識であろう。しかし、そう言いながら、
      白河院が北枕であったことをかばっている。「南にある伊勢神宮に足を
      向けるのどうかと思う」との意見に対し、「伊勢は巽(たつみ=東南)だ
      もん。南じゃない」と述べる辺りはなんだかかわいい。子どもの言い合
      いみたいだ。
       ボクは寝相が悪いので、朝になって「お、東向きだったか」と分かる
      ことが多い。運気・運勢は朝決まるようだ。
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1/27   『徒然草』の第八十二段に、次のような一節がある。

       すべて何も皆、事のととのほりたるは悪しき事なり。し残したるを、
      さてうち置きたるはおもしろく、生き延ぶるわざなり。「内裏造らるる
      にも、必ず作り果てぬ所を残す事なり」と、ある人申しはべりしなり。

       物事が完全に整っているのはよくない。し残してあるのをそのままに
      して置くのは興趣があり、そのものの寿命が延びるような気がするとい
      うのだ。完成は成長の終焉であり、凋落の始まりである。満月は欠ける。
      未完成こそ永遠である。縁起の固まりである内裏がそのことを表すのは
      実に面白い。
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1/26   大吉は凶に還(かえ)る

       なんでもあんまり良すぎると却って良くないらしい。丸い地球を西へ
      西へと進むといつの間にか東のはずれにいたというような、そういう分
      かりやすさがある。どんな上り坂も頂点に達すれば下り坂に変わるのだ。
       ところで、「おみくじ」の吉凶の順序だが、次のものが標準であるら
      しい。

       大吉、中吉、小吉、吉、半吉、末吉、末小吉、凶、小凶、半凶、
       末凶、大凶

       全十二種。これだけあれば「大吉は凶に還る」と言われても納得。十
      二支みたいだからだ。(小吉が吉より上というのは納得しがたいが)
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1/25   インターネットをしていると、英文だらけのページに出くわすことが
      ある。新しいソフトウェアを導入したい場合など、必要感が大きいため
      に避けて通ることができない。そんなときは、翻訳サイトの世話になる
      のだが、なにぶん機械の世界の話、しかも利用が無料ゆえ、まだまだ精
      度は低い。次のような訳文が返ってくる。

      ・「××(ソフト名)」は、即座に、メディア情報およびフォルダ生成
       のような特徴の全面的な支援を備えたウインドウズ・メディア・プ
       レーヤーにMP3符号づけ(あるいは裂けること)の万能を加えます。
      ・あなたのウインドウズ・メディア・プレーヤーに即座に高品質MP
       3符号づけ(裂けること)を加えることにより、自分のMP3図書館
       を作ってください。

       元の英文が想像できるであろうか。想像できる人には翻訳サイトは必
      要ないと思うほどのできばえの悪さである。こういうところで不便さを
      味わった人がお金を出して翻訳ソフトを買うのだろうが、痛い目に遭っ
      ているだけに、勇気がいることだと思う。
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1/24   正月の遊びに百人一首を初めてしたのは何年前のことか。下の句を取
      るというルールが子ども向けのカルタと違って、戸惑った。読み始める
      と同時に取ってしまう親戚などは、鬼のような存在だった。しかし、今
      思えば、手加減のない正月行事に躍起になり、今年こそはと歌を覚えた
      ことが良かった。覚えた歌は意味が知りたくなった。意味が解って、歌
      がまた好きになったのだ。
       そういう家が少なくなった。しかし、今の若い世代が歌を覚えれば、
      きっと韻文を愛する時代がまたやってくるに違いない。
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1/23   車軸を流すよう

       雨の降り方がひどいと、こんなたとえをすることがある。大袈裟だ。
      本当に車の心棒が降ってきたら命はない。雨の降り方は「篠をつく雨」
      程度でよいと思っていたが、『十訓抄』(建長四年=1252年成立)に面白
      い話を見つけた。楊梅大納言顕雅という位の高い人が、よく言い間違い
      をしたというのだ。御簾越しに女房たちと話をしていた時、時雨が降り
      出したので、顕雅は「車が降るから時雨をしまえ」と供人に命じたとい
      う。聞いた女房たちは「車軸が降るのかしら。恐ろしい」といって笑っ
      た、というのだ。
       まさかこの言い間違いが広く面白がられて「車軸を流す」に発展した
      とは思えないが、そういう可能性がないとも言えない。
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1/22   生まれ変わることができるのなら、海洋哺乳類である。アザラシにし
      ろアシカにしろ、愛嬌があり、可愛がってもらえる存在だ。何かのはず
      みで川に迷い込んでも、「想う会」や「守る会」を作ってもらえる。そ
      のくせ身分は自由だから、世界中どこにでも泳いでいけるところが良い
      じゃないか。さらにイルカにいたっては、超音波を自在に操り、逃げ回
      る獲物を超音波でしびれさせて捕獲するといった高等技能も使えるから、
      水中ではまず無敵であろう。いいなあ、イルカは。
       こんなにイルカのことを羨ましく思うのは、昨日の新聞に「まよって
      いるか あそんでいるか」と暢気な見出しを付けた記事が出ていたから
      である。三重県の五ヶ所湾に迷い込んだものだが、人間界に入り込んで
      もこの扱い。イルカの記事には「〜いるか」というとぼけた語尾がよく
      似合う。しかし、いかに可愛くとも、大挙してやってきて漁業に影響が
      出たということもあり、常にアイドルでいられるとは限らないので注意
      が必要だ。

       イカ食うイルカ イカしておけぬ
         イカった漁民 殺してイーカ

       以前、イカ漁の町でアンチイルカ運動が盛り上がったときの新聞記事
      の見出しである。ご丁寧に二段見出しだったが、ここまでするのが新聞
      編集というものかと感心した。
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1/21   水清ければ魚棲まず

       あまりにも水が澄んでいては、隠れる場所もなく魚も棲まなくなると
      いうことだ。人間も、度を越した清廉潔白は、息苦しくてかなわない。
      歴史上では、田沼意次の後をうけた松平定信の政治がこれに当たる。ぜ
      いたくは禁止。人々は必要最低限の暮らしを強いられ、縮こまって暮ら
      していたたらしい。有名な「白河の清き流れに住みかねてもとの田沼の
      濁り恋しき」の狂歌は、当時の人々の心を実にうまく表している。「白
      河」とは松平公のこと(彼は白河藩主であり、白河楽翁と号した)であり、
      「田沼の濁り」とは、田沼意次の賄賂政治のことを言っているのだ。
       ここまで言っておいてなんだが、川の水が汚い方が棲みよいというの
      は人間の思いこみであって、汚れた水が魚を汚染することは言うまでも
      ないことだ。魚のためだと言って川を汚さないでもらいたい。
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1/20   「新古車」というものがある。一度も使われていないのだから、その
      点では新車であり、しかし、使わないうちに新型が出てしまった、とい
      う点では、なんだか中古車みたいなものだという、身の置き所のない車
      のことだ。新古車は、ネーミングとともにその実態も寂しい限りで、登
      録上は新車なのにすごい値段が付けられていることが多い。
       だが、ものの名前の付け方は時代の事情を反映していくものだ。「中
      古車」という呼び名が古さを表すとのことで「ユーズド・カー」と呼ぶ
      ようになり、在庫の型落ち品のことを「アウトレット」と格好をつける
      ようになった時代だ。新古車にも救いの手を差し伸べてほしいと思うの
      は一人自分ばかりであろうか。
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1/19   コンビニエンス・ストアでは、節分の巻き寿司丸かぶりの宣伝が賑や
      かだ。昔の方位図まで持ち出して、「今年はこちらが恵方」と、丸かぶ
      りの方角まで示してある。今年は庚で、真西から少し南の方角である。
       さて、節分丸かぶりの風習は、歴史が浅い。恵方を向いて無言で食べ
      ると良いことがあるというのは、あれは寿司屋業界が考えだしたものな
      のだ。そもそも巻き寿司そのものに、長い歴史があるわけではない。
       しかし、「恵方」には歴史があるようだ。わが家では、餅搗きの際に
      は臼の下に左ないになった縄を恵方に向けて敷いていた。こうすると、
      搗いている餅に福が入るということらしい。年の神様(歳徳神=としと
      くじん)のいる方角が恵方なのだ。
       こんな「恵方」だが、読み方は「えほう」。「エホー」と書いても良
      い。小学生だって、音訓の入り交じった読みだと気づくであろう。ボク
      もそうだった。そんなエホーなんて、おさるの籠屋みたいな読み方をす
      る言葉は認めない、と一人気張っていた。しかし、「恵」の字は熟語に
      なっても「エ」の読みを固持する傾向があって気が抜けない。「恵」は
      「慧」とも書くが、こちらは「ケイ」と音読みをすることが多い。なぜ
      だろうか。
       コンビニエンス・ストアで巻き寿司の宣伝が始まると、毎年こんなこ
      とばかり考えている。
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1/18   田舎道を足を伸ばして走っていたら、「引き屋」の看板に出くわして、
      まだあったんだと懐かしい思いに包まれた。引き屋とは、家を持ち上げ
      て、下に台車やらコマやらを入れ、こちらからあちらへと家を移す商売
      である。家が壊れたりしないように動かすのは、ずいぶん難しいものだ
      そうだ。しかし、動き方は大胆で、船に乗せて移動させたこともあった
      とか。
       現代の住宅は、基礎をコンクリートで固めてボルトで留めて作るから、
      引き屋さんのお世話になれるのかどうか、分からない。昔は家と言えば、
      飛び石のように並んだ礎石の上に柱が乗っかっただけのものだったから、
      だから持ち上げて移動するなんて荒技が当然のようにできたのだ。
       ボクが生まれた寺は、濃尾震災でも倒れていないが、礎石の上に「乗
      せられている」構造ゆえのことだという。家の下で地面が左右に揺れる
      だけなのだ。
       これって、免震構造ではないだろうか。
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1/17   しゃぶしゃぶ

       すき焼きだとか寄せ鍋だとか、冬のメニューは数々あれど、「しゃぶ
      しゃぶ」ほど個性的な料理はない。お湯の中でゆらゆらさせて、タレを
      つけてさっといただくスタイルは、煙突みたいな鍋の形とともに異様で
      もある。「お湯の中に脂とか溶け出してヘルシーだし」の意見も、あん
      なにゴマだれをつけて本当に低カロリーなのかと思えてくる。「固くな
      らないようにサッと」いただくとなれば、脂がどれほど落ちているかも
      不安である。
       いや、一番不安なのは、そのネーミングではないだろうか。初めて店
      に入った時も、妙なものを食べさせられるのではないかと、いささかび
      くびくしていた。ほかの料理は「すき焼き」とか「寄せ鍋」とか、聞け
      ば少しはイメージできる名前をもらっているのに、しゃぶしゃぶだけは
      擬態語のような名前である。
       いつだったか、しゃぶしゃぶの店の看板に、「しゃぶの○○」という
      のがあって、大いに驚いた。省略しないでちゃんと書いてほしい。法律
      を大胆に無視した店のように思えるではないか。
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1/16   経済的

       費用が安く済んでお得だということを「経済的です」と言う。子ども
      の頃からおかしいと思ってきたが、今でもおかしいと思う。経済的に見
      て「良い」とまで言っていないからだ。同じように「不経済」という言
      い方も誤魔化された使い方だと思う。「経済」とは「お得」の意味では
      ないからだ。
       とは言うものの、経済の語源たる「経世済民」が、「世を治め、民の
      苦しみを救うこと(「大辞林」)」であることを考えると、少しでも負担が
      軽くなることを「経済的だ」と言うことに何の異論もはさめない。
       そろそろ大人になって、そういう言葉遣いに慣れなきゃな、と思う。
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1/15   高野連=高校野球連盟の発表によれば、春の選抜高校野球大会の入場
      行進曲には、サザン・オールスターズの曲が選ばれた。耳にも爽やかな、
      実に高校野球に相応しい曲である。
       ところでボクは、「高校野球連盟」という呼び名が以前から好きでは
      ない。「連盟」が気に入らないのだ。これは、小学生のころからのこと
      で、要するに言葉の第一印象が良くなかったのだ。当時仕入れた知識で
      は、第二次世界大戦以前からあったのが国際連盟で、その後を受けて戦
      後新たに登場した確かなものが国際連合だということだった。だから、
      「連盟」は古くてダメなもの、「連合」は新しくて良いもの、というイ
      メージが自分に定着してしまったのだ。その言葉の意味や内容がどうか
      など、そんなこととは無関係な思いこみがあったのだ。
       辞書には、「連盟」は、「共同の目的を達成するために作る同盟」、
      「連合」は、「幾つかのものが結び合って組になること。また、組にす
      ること」という意味が載せられている(岩波国語辞典)。ここから、単語
      の意味合いとして、結びつきが強いのは「連盟」の方ではないかと、今
      さら思う。
       一方の「連合」の語は、「合従連衡」の頭を取ったのではないかと思
      うほどだ。平和を保つためにバランスを取るという発想を、ボクは感じ
      る。

      【合従連衡】がっしょうれんこう
      中国の戦国時代の、小国連合で秦に対抗する策(=合従)と、秦との単
      独同盟をはかる策(=連衡)。(岩波国語辞典)
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1/14   負け犬の遠吠え

       結婚するかしないかは、本人の選択の問題であるのに、あたかも結婚
      しないことが敗北であるように表現することに反論したい。未婚で通す
      女性を単に「負け犬」と呼ぶことも世間で幅をきかせてきた。面白がら
      れているのだ。
       こういう姿勢が国民を無知無理解におとしめる。相手の立場や気持ち
      に共感できない若者が増えたと嘆く前に、そんな世の中を作っている大
      人の責任を問わねばならない。
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1/13   今日は祖父の命日である。亡くなったのは、ボクが高校3年生の冬の
      ことだった。亡くなった時、ボクと兄とは何も知らずに部屋で寝ていた。
      ボクは何かの夢を見ていたのか、「ちょっと。
おじいちゃんが亡くなっ
      たよ」と知らせに来た母の声が夢のように耳に残っている。
       亡くなったのは、13日の金曜日だった。ただでさえ縁起が良くない
      のに、この日は、仏滅であり、三隣亡(さんりんぼう)でもあった。世間
      では最悪の日である。葬儀には、親戚がそろって、そういうことまで噂
      していた。
       しかし、この日に生まれた人もいるのだ。その誕生を不吉だというこ
      とはない。迷信とか俗信だとかいうものは、科学的な根拠を持たないも
      ののことを言う。正しい目で物を見るようにしたい。
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1/12   何かについての見解や好みを聞かれると、「個人的には……」という
      言い方をする人が目立つようになった。昔はそんなもったいぶった言い
      方はしないで、ずばり意見を述べたものだ。
       一人の人間の意見なんだから、大体そういうものは個人的なものに決
      まっている。決まっているのにそういう言い方をするのは、個人として
      の自分以外に、何か「公としての自分」を意識するからであろうか。個
      人が丸裸にされるのを恐れる時代を感じる。一通りの常識をわきまえて
      いることをアピールすることで、変な人だと思われるのを回避するのだ。
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1/11   ボクはメロンパンという物を信用していない。その名とは裏腹に、中
      にメロンめいた物が入っていたことがないからだ。これは、ウグイスパ
      ンにウグイスが入っていないことよりも現実味を帯びたことである。
       しかし、それ以上に不思議なのは、スポンジケーキという呼び名だ。
      その名のどこが美味しいと言えようか。スポンジなんて、台所の道具で
      はないか。似ているからと言って、そんなものに喩えて良いものか。

      (余計なことだが、調べてみると、メロンパンにはメロンオイルが入っ
      ているようだ。しかし、メロンオイルとは何だろう。メロンを搾ったら
      出てくるだろうか。)
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1/10    湯を沸かして水にする

       せっかく使った労力を無駄にすること、努力をしても効果があがらな
      いことのたとえである。そういえば、過去を振り返れば、誰が最初に風
      呂に入るかの話し合いで譲り合っているうちに、入れないほど風呂が冷
      めてしまったということが何度かある。
       そんな思い出が、さらに過去の記憶をを引きずり出してきた。それは
      ボクがまだ22歳の青年だったころのことだ。初めて赴任した土地で、
      教員住宅の生活が始まった。風呂は水からガスで沸かすタイプだったが、
      冬のある日、相部屋の先生が夜中に帰って来て、「岸君、風呂が沸騰し
      とるぞ」と教えてくれて目が覚めた。見に行くと、風呂からボコンボコ
      ンと音がするではないか。風呂のドアまで高温になって、もはや取っ手
      にも触れられないほどだ。そこを無理矢理押し開けて、もうもうと立ち
      こめる湯気の中、死ぬような思いをしてガスを止めた覚えがある。
       ガスを止めても熱湯である。冷めたころに入ろうと思ったが、気がつ
      けば朝である。強烈な寒気のため、風呂の湯はすっかり水に戻っていた。
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1/9    ソロモン沖地震の津波被害がいまだに収束しない。行方不明者の捜索
      も打ち切られ、建物その他の取り壊しなど、まず生活を立て直す動きが
      始まっている。そんな中、壊れた家、店などからの略奪行為が問題化し
      ているという。被災地の悲劇である。
       遠い日本でそんなことを聞くと、ひどいことをするやつがいる、と簡
      単に思ってしまうが、略奪する方も必死になってやっているに違いない。
      いけないことだと知っていても、物がなくて困っているのだ。そういう
      人を単純に責めることはできない。
       一つの言葉が頭をかすめた。「世渡りの殺生は釈迦も許す」という言
      葉だ。生活や仕事のためならば、多少の不道徳やむごい行いもやむをえ
      ないということだが、今、この言葉を、これまで以上に重い意味合いで
      受け止めている。

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1/8    名人は人を謗らず(めいじんはひとをそしらず)

       一つの道を極めたような人は、人の短所をあげつらったり、咎めたて
      たりはしないということだ。
       新年、「もう腹を立てない」と誓う人も、たいてい長続きはしない。
      人間として「名人」の部類にないと、そんなこともかなわないというこ
      とか。
       今日は自分のことを書いた。

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1/7    春の七草

       セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ
      である。ボクはこれがなかなか覚えられずに、「セリ・ナズナ・ゴギョ
      ウ・ハコベラ・ウマ・ヒツジ……」と途中から十二支になってしまって
      困ったことがある。真剣に覚えようとしないからそんなことになったの
      だが、間違えながら、こういうのも結構面白いと思っていた。
       さて、七草がゆの材料としてスーパーに並ぶ春の七草だが、たいてい
      はあきれるほどミニサイズで、乾燥して縮れたようなものまで売られて
      いる。とにかくパックにさえなっていれば売れるのだから、サイズまで
      考えていないようだ。嫌だったら買わなきゃいいのよ、という気持ちが
      伝わってくるようで不愉快だ。こんなことを毎年思う。
       だいたい、新年のこんな時季に野菜がたくさんあると思う方が間違っ
      ている。旧暦のカレンダーを見てみると、一月七日は新暦では二月十五
      日。まだまだ寒いが、日の入りも遅くなって、いよいよ春だと思うころ
      である。梅の花も咲いているはずだ。よし、決めた。ボクは旧暦の一月

      七日に七草がゆを食べよう。
       都合のいい時だけ旧暦派になる自分だと思う。

       なお、春の七草は、正しくは「春の七種」と書き、以下の七種類の植
      物である。

       名前         現在の名前          科名
       芹(せり)      芹              セリ科
       薺(なずな)     薺(ぺんぺん草)       アブラナ科
       御形(ごぎょう)   母子草(ははこぐさ)     キク科
       繁縷(はこべら)   繁縷(はこべ)        ナデシコ科
       仏の座(ほとけのざ) 小鬼田平子(こおにたびらこ) キク科
       菘(すずな)     蕪(かぶ)          アブラナ科
       蘿蔔(すずしろ)   大根(だいこん)       アブラナ科
       (「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもの)
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1/6    仏千人神千人

       世間には良い人もたくさんいるのだということである。よい人だらけ
      なことをいいことに、我ながら甘えて暮らしてきたものだと思う。
       大地震と大津波に世の中は揺れているが、驚くほどの金額を個人で寄
      付する人たちがいる。芸能人や有名人の厚意はテレビで大きく扱われて
      いる。本当によくもと思う金額をぽんと出したものだと感心することし
      きりである。
       と思っていたら、ニセ札事件が発生。全国に百数十枚のニセ札がばら
      まかれている。寺社の初詣の混乱に乗じて使われたものもあり、まこと
      に罰当たりなことだと思う。ニセ札を使うことは人を不幸にすることだ
      と、気がつかないのだろうか。
       仏千人神千人。神仏の世界にもネットワークはあるのだろうか。世の
      中の仏や神を敵に回すとろくなことがない。それを思い知らせる作戦を、
      密かに練っていらっしゃるのだと想像する。
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1/5    おせち料理も縁起を担ぐが、結納の縁起の担ぎ具合はただものではな
      い。一般的な結納に用いられる品々とその表記に注目してみたい。

       1. 茂久録=目録:結納品の品目と数量を示したもの。
       2. 長熨斗(ながのし):鮑(あわび)の肉をのしたもの。不老長寿の証。
       3. 金宝包(おたからつつみ):結納金。
       4. 勝男武士=カツオ節:男性の強さを示す。
       5. 寿留女=スルメ:女性の幸福と長寿を表す。
       6. 子生婦=昆布:子孫繁栄祈願。
       7. 友志良賀=友白髪:麻糸。健康長寿祈願。
       8. 寿栄廣=末広:一対になった白扇のこと。末広がりの繁栄祈願。
       9. 家内喜多留=柳樽:柳の酒樽のこと。一家の幸福を象徴。

       じっと見ていると、暴走族のことが思い浮かんだ。彼らの文字遣いは
      独特で、「夜露死苦(よろしく)」「愛死天流(あいしてる)」と過激だが、
      やっていることは結納の当て字と大差がない。「天上天下唯我独尊」と
      仏教徒らしいところも見せているではないか。
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1/4    おせちもいいけどカレーもね、である。カレーならもう二度も食べた。
      飽きることがない。ラーメンと並ぶ国民食だ。伝統を重んじる日本人と
      しては恥ずかしいことだが、おせち料理を珍重する気持ちが分からない。
       こんなことを思うのも、食べ物に困らない現代人なればこそであろう。
      粗食が日常の時代には、カズノコだの昆布巻きだのが食卓に上ることは
      なかったのだ。おせち料理は、非日常の限定料理だったのだ。
       さる日本料理店のおせち料理三段重の内容は次の通りである。
       
      壱乃重 栗常盤糖 伊達巻き 小鮒煮浸し 海老老松牛蒡
          
穴子南瓜月環 寿留女烏賊松笠 蒲鉾 田作り 数の子西
          黒蜜煮 海老鉄 巣込もり玉子 御多福 床伏し松笠
          矢羽根羊羹 寿人参 
      弐乃重 鰆西焼き 公魚寒露煮 のし鳥 洋梨和え 帆立酒粕漬
          合鴨薫製 蟹春山蒲鉾 サーモン小川巻き 花かぶら
          柚子釜盛り 源平膾 日乃出 鰊甘露 小肌尾花和え
          木の葉柚子 鈴子西京漬 松前漬 ひらめ皮昆布巻き
          紅白寿生姜
      参乃重 車海老艶煮 鮭昆布巻き 柑 はぜ寒露煮 干し柿黄味寿
          杏榛薯 玉子 笠くわい 里芋六方 人参
          ねじり 蓮根 笹牛蒡 干し椎茸  麩 手

       文字面を見ているだけで腹がふくれる思いがするのは、漢字使用率の
      高さからであろうか。目がくらくらする。しかし、縁起の良い文字や言
      葉が多く使われているのは面白い。「常盤」「老松」「寿留女」「田作
      り」「御多福」「豆」「寿」「帆立」「蓮根」「日乃出」「金」「銀」
      「源平」「松」「竹」「梅」「花」「錦」「京」「姫」「筍」「紅白」
      「毬」「扇」「矢羽根」「菊」「龍」など、食べたら出世するとか上品
      になるとか言われれば信じたくなる文字ばかりだ。これがおせち料理な
      のである。
       ボクは、「昆布は、ヨロコンブ」「豆は、マメでありますように」と
      母に念仏のように教えられた経歴を持っているので、おせち料理は幼心
      に信仰でもあった。「数の子を食べると子どもがたくさん生まれる」と
      いうのばかりは、「まだ子どもだから食べたくない」と思って拒否して
      いたのだが。
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1/3    アテネオリンピック水泳競技で金メダルを獲った北島康介は、ゴール
      直後のインタビューで「超気持ちいい」と発言し、これが流行語大賞と
      なった。
       そもそも「超」は、「超人」「超自然」「超大国」のように、名詞に
      冠して使うもので、形容詞の上に用いるべきではないのだが、この使い
      方が大賞を取ったということは、つまり、半ば公の認知である。
       受賞は昨年のことだが、国語を大切になさる方々はさぞ面白くない思
      いをされたのではなかろうか。国民の大半が認めても、国語の根っこを
      簡単に動かしたくはないものだ。

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1/2    初売り

       ボクが子どもの頃は、初売りと言えば、1月4日。三が日は買い物は
      我慢しなければならなかった。せっかくお年玉をもらっても、使いどこ
      ろがなかったのだ。だから、凧揚げも4日以降にしていた気がする。そ
      の初売りも次第に前倒しになり、4日が3日に、3日が2日にと変わり、
      買い物はどんどん手近になっていった。
       今や初売りは、1日からのものになってしまった。年末に何か買い忘
      れても困ることはない。それどころか、福袋の売り出しは年末にまでさ
      かのぼっている。
       初売りにしろ福袋にしろ、もう少しじらして、勿体をつけてもらいた
      い。買い物ができない期間があってこそ、買い物の喜びや価値が知れよ
      うと言うものだ。ボクが政治家だったら、真っ先に三が日に外出禁止令
      をしくであろう。子どももちゃんと家族と過ごすようになる。
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1/1    新年を迎えた。現在5時13分(午前)だが、すでに「明けましておめ
      でとうございます」を何度口にしたことか。生家に戻って鐘衝きの手伝
      いをしていたので、鐘を衝きたい参拝客に大勢出会ったのだ。
       ところで、この言葉には過去形がない。「明けましておめでとうござ
      いました」とは言わないのだ。似た形の「ありがとうございます」には、
      過去形があるのに、どうしたことだろうか。
       思うに、「ありがとうございました」と過去形で言うのは、お別れの
      場面やもう話を終えたい場合である。様々に祝福されたり、恩恵を頂戴
      したりしたので、感謝を申し述べつつ、相手とのその場の関係に終止符
      を打つのが、「ありがとうございました」だ。この言葉が合図となって、
      「では、また改めて……」などの言葉が引き出される。ところが、現在
      形で言う場合はそうではないのだ。そこから会話が始まると言っても良
      い。少なくとも、それで終わったりはしないのだ。
       最初に書いた「おめでとうございました」の形が使われない理由もこ
      こにあるのだと思う。おめでたい気分を共有したい人ばかりの中で、一
      人自分だけ「おしまい」の空気を流してはいけないのだ。これもマナー
      のうちであろう。
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     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月