今日の言の葉 

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 4/30  「港」も「湊」も「ミナト」と読む。ボクは、「港」は海のミナトで、
      「湊」は川のミナトだと思ってきたが、それでよいのか分からない。そ
      こで、「湊」が入った地名を日本中から探してみることにした。
       地図ソフトを使って検索すると、「湊」は全国に259ヶ所見つかっ
      た。字名(あざな)の重複を無視すると、次の結果であった。

      内陸の「湊」(川のミナト)
       青森県五所川原市湊     宮城県栗原市志波姫南郷湊
       福島県河沼郡湯川村湊    福島県河沼郡湯川村浜崎湊町
       栃木県栃木市湊町      長野県岡谷市湊
       岐阜県岐阜市湊町      鳥取県倉吉市湊町
       徳島県小松島市櫛淵町湊   愛媛県松山市湊町

      海の「湊」(ボクが「港」と思っていた地点)
       青森県八戸市湊町      岩手県久慈市湊町
       岩手県陸前高田市気仙沼町湊 宮城県石巻市湊町
       宮城県石巻町湊       宮城県塩竈市浦戸寒風沢湊  
       福島県原町市下渋佐湊    千葉県市川市湊
       千葉県船橋市湊町      千葉県館山市湊
       千葉県富津市湊       東京都中央区湊
       新潟県佐渡市湊       新潟県三島郡寺泊町寺泊湊町
       石川県金沢市湊       石川県七尾市湊町
       石川県白山市湊町      福井県小浜市湊
       静岡県袋井市湊       静岡県賀茂郡南伊豆町湊
       愛知県豊橋市湊町      三重県松阪市湊町
       大阪府大阪市浪速区湊町   大阪府泉佐野市湊
       兵庫県神戸市兵庫区湊町   兵庫県南あわじ市湊
       和歌山県和歌山市湊     和歌山県田辺市湊
       鳥取県境港市湊町      島根県大田市五十猛町湊
       島根県邇摩郡温泉津町福波大字福光湊
       島根県隠岐郡隠岐の島町湊  岡山県岡山市湊
       山口県長門市東深川湊    徳島県鳴門市北灘町粟田湊
       徳島県小松島市坂野町湊   徳島県阿南市福井町湊
       香川県東かがわ市湊     愛媛県今治市湊町
       愛媛県伊予市湊町      福岡県糟屋郡新宮町湊
       福岡県築上郡椎田町湊    佐賀県唐津市湊町
       長崎県佐世保市湊町     長崎県島原市湊町
       鹿児島県指宿市湊      鹿児島県国分市湊
       鹿児島県日置郡市来町湊町

       意外にも、「湊」は海側に多かった。川のミナトが「湊」であるとい
      うボクの考えは間違っていたのだ。ここに挙げた「湊」も、そのうちい
      くつかは、河口付近にあり、海といえば海だし、内陸といえばそんな気
      もするという位置にあるものもある。肝心なのは、水と陸とを結ぶ地点
      であるということであろうか。司馬遼太郎は「漢字の意味としては、港
      は水の部分をさし、湊は陸の部分をさす」と言っているようだが、ボク
      には何のことか分からない。
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 4/29  芝居という言葉、これは演劇の客席を意味する。芝が生えていて、そ
      こに人がいるのだ。かつて歌舞伎などの風俗芸能は、屋内で演じること
      が許されず、河原や神社の境内などで周りを筵や布で覆って興行してい
      た。天井があると屋内になってしまうので、空が見える状態だった。客
      は芝生に陣取って見物をした。その場所を「芝居」と言ったのだ。だか
      ら本来は、「芝居に行く」が正しく、「芝居を見に行く」は誤りである
      はずだ。言葉の意味は時代とともに変わるものだ。
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 4/28  外連味について書いたところだが、自然に「歌舞伎」のことを思い出
      した。伝統文化の粋とも言われる「歌舞伎」だが、その名は「かぶく」
      という動詞から来ている。「かぶく」は「傾く」と書き、どちらか一方
      に偏って真っすぐではないさまをいう。転じて、人生を斜に構えたよう
      な人、身なりや言動の風変わりな人、常識はずれな人などを「かぶきも
      の(傾き者)」と呼び、そんな「かぶきもの」の風変わりな芸のことを
      「かぶき」と呼んだのである。「歌舞伎」は当て字である。
       つまり、そもそも歌舞伎の存在そのものが外連味の固まりなわけだ。
      「伝統を守れ」という意見が一番言いにくい芸能が歌舞伎かも知れない。
      市川猿之助のスーパー歌舞伎は外連の固まりのようで、歌舞伎なのに規
      模の大きなワイヤーアクションがあったりするから、当初は現在以上に
      異端視されたものだ。近年、ようやく世間の認知を受けたがあるが、彼
      は歌舞伎界のかぶきものというわけだ。

      かぶき【歌舞▼伎/歌舞▼妓】
      〔動詞「傾(かぶ)く」の連用形から。(2)が原義〕
      (1) 江戸時代に大成した日本の代表的演劇。慶長(1596−1615)頃の阿
        国(おくに)歌舞伎に始まり、若衆歌舞伎を経て元禄期(1688-1704)
        に劇的要素を主とする演劇に発展した。女優の代わりに女形を使い、
        また舞踊劇・音楽劇などの要素をも含む演劇。歌舞伎芝居。歌舞伎
        劇。
      (2) 異様で華美な風体を好み、色めいた振る舞いをすること。
        「―の風体を見ては、其風体なきやうに嗜み/わらんべ草」
                               (「大辞林」)
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 4/27  外連味(けれんみ)

       日本料理の道場六三郎は、「外連の道場」と呼ばれているが、これは
      決して褒め言葉ではない。彼の料理が独創的で、あまりに常識を越えて
      いるのでこのように言うのだ。「外連味」とは、はったりやごまかしの
      ある様子を言う言葉である。だから、道場は異端扱いをされているのだ
      と分かる。
       そもそも「外連」とは、次のように説明される言葉である。

      けれん【▽外連】
      (1) 演劇で、軽業的な手法を用いた演出。大道具・小道具の仕掛け物や、
        宙乗り・早替りなど。
      (2) 他人の気を引いたり、自分を正当化したりするための、おおげさで
        不自然な言動。ごまかし。はったり。    (「大辞林」より)

       つまり、外連とは、伝統を重んじる世界では嫌われるものなのだ。同
      時に、外連の全くないものは、ややもするとつまらない。大衆がどちら
      を求めるかは、言うまでもなかろう。伝統にしがみつく者は本質を重ん
      じ、娯楽に走る者はスペクタクルを求めるのだ。そうして文化は発展し
      てきた。外連はそのまま悪ではない。鼻持ちならないと言われることを
      嫌がっていては、何事も発展は覚束ないものとなる。
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 4/26  健全なる魂は健全なる肉体に宿る

       これは格言だろうか。学校でもよく使われた言葉である。思えばボク
      は、子どものころから病気がちだったので、健全なる魂を宿す資格のな
      い者としてはね除けられて生きてきた。これはひがみに過ぎない言い方
      か。しかし、こういう格言を無批判に受け容れきたこの国に一言言いた
      い。それは間違っていると。健康は万人の望みではあるが、この言葉は、
      望んでも健康が手に入らない人にとって、見放された思いになるものだ。
       そもそもこの言葉は、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスのものだが、
      広く伝わる「健全なる魂は健全なる肉体に宿る」は、誤訳であるときい
      ことがある。適切な和訳は、「健全なる魂は健全なる肉体に宿れかし」
      であるとも。「かし」というのは終助詞で強い願望を表すから、健全な
      魂が健全な肉体に宿ればいいのになあという願いであると理解できる。
       しかも、これは当時の若者が、健全な肉体を持ちながらもなかなか健
      全な精神を宿らせることができなかった現実を風刺したものだったとい
      う。ローマの時代にも、体ばかりが健康で、行いの良くない若者が溢れ
      ていたのかと思うと、詩人ユウェナリスの憂いはよく分かる。
       これが日本に伝わるときに、いったい誰が間違えたものだろう。体を
      鍛えれば人間としても一人前になれるという誤解は、その後、国民的誤
      解になったと思うのだ。
       どこかの運動部員が不祥事を起こし、大会参加を辞退したという話を
      聞く度に、健全な肉体でも不健全な精神が宿るものだと思っていた。こ
      の言い方は、やがて下火になっていったので、世間の認識がようやく追
      いついてきたものとして、ボクは喜んでいる。むろん、ボクは健康志向
      であるが。
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 4/25  男爵だの侯爵だのと平気で使っているが、そもそも爵位の順序を知る
      人は少ない。上から、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の順である。確か
      に、公爵では土いじりはしないだろうが、男爵ならそれで商売をしても
      よいという気がする。
       この五種類の爵位を「五等爵」という。意外にもこれは、中国周代に
      天子が諸侯に与えたものであった。ボクたちはマンガ世代だが、ナント
      カ公爵とかカントカ男爵などに中国風の登場人物はいなかった。すべて
      現代風の衣装をまとった気取った役柄で、洋館でワインだかブランデー
      
だかをたしなんでいた。葉巻を吸い、ガウンに身を包んでくつろいでい
      たかと思うと、黒いマントで腰に剣を差し、馬に乗ってお出かけしてい
      た気もする。
       爵位というものには、そんな西洋風のイメージがつきまとっている。
      その端緒は中国の周の時代にあるらしいが、西洋の爵位と周の爵位とは
      まったく関係がない。日本人に与えられる爵位は、制度としては西洋に
      近く、呼び名の方は周のものを採用している。
       日本の爵位は、戦前の1884年(明治17)7月に公布された華族令による
      もので、五等爵は次の通りである。

       公爵 将軍本家・五摂家
       侯爵 御三家・十五万石以上の大名・過去に太政大臣実績ある公家
       伯爵 御三家・五万国以上の大名・過去に左右大臣実績のある公家
       子爵 五万石未満の大名・その他公家
       男爵 旗本・功績のあった平民

       男爵は平民でも良かったのだ。ジャガイモの呼び名としてはここまで
      かと思う。一方、西洋の爵位として、英国のものを掲載しよう。

       爵位名 表記(男性) 表記(女性)  敬称(呼び方)/女性
       公爵  Duke    Duchess   Your Grace   / Your Grace
       侯爵  Marquis   Marchioness Lord・領地名  / Madam
       伯爵  Earl    Countess   Lord・領地名  / Madam 
       子爵  Viscount  Viscountess Lord・苗字   / Madam
       男爵  Baron    Baroness   Lord・苗字   / Madam
       准男爵 Baronet   ------    Sir・苗字
       士爵  Knight   Dame     Sir・苗字    / Lady・苗字

       七つもあって、周の五等爵では足りない。下の方をうまく埋めている
      のが分かるが、こういうものを日本語でどう表すかを検討するのは大変
      な作業だっただろう。いや、同時に夢のふくらむ思いもしたのではない
      かと想像する。その仕事がその後の標準になるのだから。
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 4/24  ジャガイモの「男爵」について書いたところだが、この名はあまりに
      仰々しいと思わないか。イモなのに、ボクたちにもない爵位がつけられ
      ている。生意気だ。そう思って、その名の由来を調べると、川田男爵と
      いう人物に行き着いた。
       川田男爵は1906年、イギリスでジャガイモ栽培について学んでいる。
      そのとき、北海道でジャガイモの病気や虫対策で困っているのを知り、
      帰国後アメリカから新種のジャガイモを取り寄せ、農場で栽培したのだ。
      これが病気や害虫に強く、手を加えなくても生育が早くて好評だったの
      で、川田男爵から「男爵芋」と呼ばれるようになったのだ。
       男爵というと、タキシードが似合う紳士を想像するところだが、この
      男爵はフレンドリーな印象だ。畑で土をいじっている。
       面白いのは、アメリカから新種のジャガイモを取り寄せた際に、イモ
      の名前をどうしたかということだ。新種でも全く呼び名がなかったわけ
      ではなかろう。今もアメリカでは、何かの名前で流通しているはずだ。
      日本ではその名で呼ばず、取り寄せた人が好みでつけた名前の方が一般
      化している。川田男爵の努力は大したものだったろうが、彼はこのイモ
      の生みの親ではないのだ。
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 4/23  ジャガイモは「馬鈴薯」と呼ぶ。「馬鈴」とは、馬の胸の部分に下げ
      る鈴のことで、馬鈴薯はその形に似ていることからその名が付いた。思
      えば子どものころ、テレビの料理番組でジャガイモを扱うときには、し
      つこいほどその名が出てきたものだが、ボクはテレビの馬鈴薯と食卓の
      ジャガイモとを結びつけることができなかった。日常、ジャガイモのこ
      とを馬鈴薯と呼ぶ人が誰もいなかったからだ。テレビに出てくる馬鈴薯
      は、なんだか知らないがそういう名の付いた、自分に関係のない食べ物
      だと思っていたのだ。
       むしろボクは、ジャガイモの正式名は『男爵芋』であると思っていた。
      おいしいジャガイモを食べた折、母に「このイモなんていうの?」と聞
      いたのがいけなかった。幼いボクは「ジャガイモというのだろうな」と
      当たりをつけて聞いたのだが、母はボクのことをもっと賢い子どもだと
      思っていたらしく、品種名で「男爵芋だよ」と教えてくれたのだ。それ
      は、たまたま北海道の親戚が送ってきてくれたものだった。
       以来、わが家では「男爵芋」が大流行で、「今日のカレー、男爵芋が
      おいしいね」「男爵芋にバターが合うね」と賑やかなことこの上なかっ
      た。学校でも「ジャガイモのことを正しくは男爵芋という」と触れ回り、
      みんなの尊敬を集めた。「岸君はなんでも知ってるね」と言われるのは
      心地よかった。
       ある日、カレーに入った芋がもそもそしておいしくないことがあった。
      「今日の男爵芋、おいしくないね」と言うボクに、母は「今日のは男爵
      芋じゃないよ」と言った。意外な展開に何も言えないボクに、「男爵は
      食べちゃったから、今日のは普通のジャガイモ」と追い打ちがかかる。
      「男爵芋」がジャガイモの一品種に過ぎないことはこの時判明した。し
      かも、「男爵芋」ではなく、「男爵」が品種名である。明日、学校でな
      んと言えばいいのだろう……。
       流通している馬鈴薯の品種を載せておこうと思う。

       キタアカリ とうや ワセシロ シンシア レッドムーン 男爵
       メークイン アンデス 出島 西豊 ジャガキッズ・パープル
       ジャガキッズ・レッド 農林一号 ホッカイコガネ インカのめざめ
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 4/22  今、表計算ソフトに凝っている。様々な関数を組み合わせた処理が面
      白いのだ。電卓を使って七転八倒していた時代がばからしく思える。面
      倒なことは自動化したいという願いが世間に共通のものなのだとは、こ
      ういうソフトを使ってしみじみ感じることだ。
       しかし、求める処理をどんな関数を組み合わせて行うかは、使い手の
      判断による。失敗の経験がある人ほど、きめ細かに配慮して関数を使う
      ようだ。コンピュータは便利な道具だが、こういうところが人間的だと
      思う。それは、経験から「あみだす」ものなのだ。

      あみだ・す 【編(み)出す】(動サ五[四])
      (1) 編みはじめる。
      (2) 工夫して新しい物事や方法を考え出す。
        「新戦術を―・す」              (「大辞林」)

       誰が使い始めたものか、「あみだす」の意味合いは非常に創造的だ。
      しかし、その意味に「工夫して」とあるとおり、創造はゼロからのもの
      ではない。天才的なひらめきよりは、日夜努力の積み重ねが生む、地道
      な創造がそれである。
       ところで、この言葉はどの時代に生まれたものか、気になる。時代に
      より、入手可能な素材が違うので、当然、編み上げられるものも違うと
      思うのだ。毛糸ならセーターそのほか小物類に至るまで、細やかに編み
      あげることができるが、荒縄では、工夫したとしても、生み出すものは
      限られる。どの姿がよりふさわしいか。言葉の背景を考えるのは楽しい。
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 4/21  「円助」という、不思議な言葉に出くわした。意味を調べてみると、
      これは「一円」のことだった。財布の中の、あの一円だ。花柳界で、明
      治期から昭和初期にかけて、隠語として用いられたものだという。
       ところで、「円助」という呼び名には、何か、相手を軽く扱うような
      感覚があるが、どうお感じか。明治以前には「両」が主流であったから、
      新参者の通貨単位に馴染まない人が、これを軽く見て「円助」と言った
      のではないかと思う。通貨にある歴史の重みが全く違うのだ。
       さらに、「円助」の半分、つまり五十銭のことを「半助」といった。
      扱いの軽さがさらに増した言葉だと思う。
      
       ところで、ウナギの蒲焼きの頭を「半助」と言うのだと最近知った。
      ウナギの頭と焼き豆腐と葱を一緒に煮た「半助鍋」という料理まであっ
      た。豆腐にウナギのダシがよくしみて、非常においしいとのことだ。半
      助、軽んずべからずである。
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 4/20  三種の神器。こう書いて、「さんしゅのじんぎ」と読む。

       八咫鏡(やたのかがみ)
       天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
       八寸瓊勾玉(やさかにのまがたま)

       「天叢雲剣」は、別名を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」というが、こ
      ちらの呼び名の方が有名であろう。それにしても、三種の神器は、その
      名を覚えるのも大変だったが、漢字で書くのを覚えるのも、これまた大
      変そうなものばかりだ。書けたところで意味が解った漢字とは言えない
      し。
       さて、この由緒ある「三種の神器」の言葉は、文化生活の指標として、
      昭和三十年代の高度成長期に全国に広がった。「うちにもあったらいい
      なあ」という品々のことで、電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビの三
      つを示したものだ。
       それから四十年。いまや、薄型テレビとハードディスク付きDVDレ
      コーダー、デジタルカメラのことを「新三種の神器」と言うようになっ
      た。これは家電業界から広がった言い方のようだが、景気が回復してく
      れれば、という願いがこもったものなのだと思う。
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 4/19  「泥棒回り」という言葉があった。車座になってゲームなどを行うと
      き、時計回りに順番が回ることをいうものだ。和服を着たときに、懐に
      入る形なのでそのように言うらしい。
       しかし、「トランプしよう」と子どもたちが集まって、「じゃ、泥棒
      回りでね」と約束が決まったら、にこやかに見ていられなくなるだろう。
      「渇しても盗泉の水は飲まず」とは孔子の言葉だが、それと同じような
      
気分だ。「盗泉」は、そういう名前の泉であるに過ぎず、その水は盗ん
      だ水でもなく、そこが泥棒の泉だというわけでもないのだが、そんな名
      前のついた泉の水は飲みたくないと孔子が言ったのだ。泉に罪はないの
      は百も承知で言うのだ。「泥棒回り」も名前が良くない、名前が。
       ボクが子どもの頃、鉛筆をドロボウ削りにしなかったのは、そんな名
      のついた削り方が嫌だったからである。それだけに、ドロボウ階段とい
      う呼び名をなんとかしたい。世の中の多くの子どもたちは、将来、自分
      の家の階段におかしな名前が付いていることに気がつくことだろう。
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 4/18  階段の照明。1階でつけた明かりを2階のスイッチで消す。1つの照
      明装置にスイッチが2ヶ所あり、1階でも2階でも操作ができる。こう
      いう階段を「ドロボウ階段」と呼ぶ。なぜだろうか。
       子どもの頃、鉛筆を両側から削ると叱られた。書いていて居眠りをす
      ると顔に突き刺さるから危険だという理由だが、そういう鉛筆を筆入れ
      に持っていると、「あの子、ドロボウ削りしてる」と後ろ指を指された
      ものだ。
       そもそも、「ぬすびと」の意味に「ドロボウ」の語が使われるように
      なったのが、江戸時代も後期である。それ以前はこんな呼び名はなかっ
      たのだ。その由来ははっきりしないが、江戸の人々ならではの洒落っ気
      が反映されたものであってほしいと思う。
       さて、「ドロボウ」を調べていたら、次のような言葉も見つかった。

      
泥棒上戸  普通、酒飲みの好まない甘い物までも食べる酒飲み。
      
       お酒が入るとドロボウしたくなる人のことでなくて良かった。これは
      想像だが、都合良く使える物は何でも使い、良さそうな物はなんでも手
      当たり次第あさっていくというのが、ドロボウのようだ。ドロボウ階段
      もドロボウ削りも、どちらも欲張りで都合のいいものだ。
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 4/17  通勤途中のラジオ番組で、「○○のアルバムは、いまだに未完成だと
      いうことです」と話すのを聞いて、大変驚いた。ぼくはその番組をおよ
      そ40分聞いていたが、今日の特集に関係していたらしく、「いまだに
      未完成」は3度も登場した。
       そもそも「いまだ」は漢語表現で、あとに打ち消しを伴う。つまり、
      「いまだ〜あらず」のように読むわけだ。これは現代語では、「いまだ
      〜ない」となる。「いまだに未完成」ではおかしいのはそういう理由が
      あるからで、ここは、「いまだに完成していない」と表現するのが正し
      い。
       なお、「未」の字は、漢文では「再読文字」といい、訓読する際には
      二度読むことになる。「未完成」の場合は、「いまだ完成せず」となる。
      だから、「いまだに未完成」と言うのは、重複した表現であり、「馬か
      ら落馬した」と言うのと変わらない。
       このことを学校で話したとき、「それは『いまだ』と『未完成』がか
      ぶっている気がする」と答えが返ってきた。うれしい瞬間であった。
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 4/16  夜11時台のテレビ番組。経済情報コーナーはシリーズ化され、一つの
      楽しみとなっている。そのコーナーの頭で、担当アナウンサーが、「今
      日は、一ヶ月間観葉植物に水をやらなくてもいい植木鉢が開発されまし
      た。」と言っていた。
       ううむ、「今日は」が余計である。ない方がすっきりする。おそらく、
      「今日は、一ヶ月間観葉植物に水をやらなくてもいい植木鉢が開発され
      たことについての情報です」のように結びたくて口を開いたのだろうが、
      話しているうちに結びの形が消えてしまい、初めと終わりがつながらな
      い表現になったのだろう。
       話し言葉というものは、話すそばから消えていく運命にある。今、何
      を言ったかという短期記憶と、これから何を言おうとするかという意図
      とをうまくまとめながら話さねばならない。アナウンサーは、そういう
      ことのプロなのだから大変なのだろう。抜群の日本語を使うことで給料
      をもらっているのだ。
       最近はアナウンサーの仕事も、芸能人のようになってきた。個性的な
      失敗が笑いのネタとなり、そればかりを集めた賑やかな番組も作られて
      いる。ボクはその状況を、なんだかおかしいと思う。アナウンサーには
      アナウンサーに徹していてほしいのだ。言葉のプロとしての背中を見せ
      つづけてほしいのだ。
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 4/15  「大事」について調べていて、不思議な言葉に出くわした。「大事な
      い」というものだが、この言葉には実は意味が二つあった。

      だいじな・い 【大事ない】(形)[文]ク だいじな・し
      〔「ない」は接尾語で、程度がはなはだしい意。近世語〕この上なく大
       切だ。

      
だいじな・い 【大事無い】(形)[文]ク だいじな・し
      〔近世語〕心配することはない。さしつかえない。大事もない。

       なんたることか、二つの意味は別の方向を指している。一つの言葉が
      逆の意味というのは、珍しい。文脈上理解できるものではあるのだろう
      が、そうは思っても、「昨日、祖父の形見をなくしたんだけど……」と
      いう相談ごとの答えに「それは大事ない」が返ってきたらいやだなあと
      思う。
       少々強引なシチュエーションを作っているのは分かっている。
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 4/14  「大事」と「大切」の二つの言葉。意味の似た言葉が二つあるという
      のが不可解だ。そもそもこの二つは違うものなのか。「大事な人」とい
      うのと「大切な人」というのでは、違いはあるのだろうか。そういうこ
      とを考えないように逃げて生きてきたように思う。
       「大事」の方は、いかにも「おおごと」だと理解できる。「天下の一
      大事」というときの「大事」の使い方にもとの意味があるようだ。一方、
      「大切」とは、どういう意味なのだろう。「切」の字の意味がわからな
      いのだ。

      たいせつ 【大切】 (形動)[文]ナリ
       〔「大いに切(せま)る」「切迫する」の意から〕
      (1) 重要であるさま。肝要。大事。「―な点」「―な役目」
      (2) 価値が高いさま。貴重。大事。「―な品」「―な命」「―な資源」
      (3) 丁寧に扱うさま。大事。「おからだを―になさって下さい」「―に
        使う」
      (4) 切迫するさま。緊急を要するさま。「―なる事有りて、夜を昼にて
        上れば/今昔 16」

       (4)の用法が非常に印象的だ。大いに切迫する、それは大切な用事なの
      だ。「切」の字は、何かを切るとかいうことではなく、「せまる」とい
      う意味なのだった。となると、「火事の時の大切な心得」のような、緊
      迫した使い方がそもそもの意味を大事にしていると言えないだろうか。
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 4/13  タイ焼き屋の前を通った。少々季節はずれだが、肌寒さを感じていた
      ので、買いたくなった。香ばしく甘い空気が周辺を支配している。白熱
      電灯の温かい色合いが食欲を加速する。
       ふと店先を見ると、「タイ焼き一個百円」の表示。ボクは少々戸惑っ
      た。タイ焼きの数え方は、一匹、二匹、ではないのか。いや、生きてい
      ないものに「匹」はないだろう、この表示で良いのだ……。しかし、量
      産品ならともかく、一つ一つ手焼きで作っているのだから、愛情をこめ
      て「匹」と表現しても良いはずだ。ここの店主はどうなのだろう。
       そんなことを考えているうちに「タイ焼き下さい。えっと、八つね」
      と年かさの女性がすべて買っていってしまった。むずかしいこと考えな
      いのが楽なのだと思った。
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 4/12  昔の教科書の復刻版を眺めていた。「尋常小學 國語讀本 巻一」と表
      紙に書かれている。文部省(現文部科学省)の著作発行である。中を開け
      れば、カタカナのオンパレードだ。

       ウシ ガ ヰマス(います)
       ウマ ガ ヰマス
       ウシ ト
       ウマ ガ ヰマス

       この調子で全52ページ。ほとんど漢字はなく、一から十までの数字だ
      けが例外的に使われている。あとは全部カタカナである。ものすごく読
      みにくい。
文字がつんつんしているのだ。
       漢字が少ないのは小学1年生の教科書だからと理解できるが、ひとつ
      も平仮名が使われないことには大きな違和感がある。当時は現代のよう
      な「外来語はカタカナで」のルールはなく、「とにかくカタカナで」の
      方針だったことが伝わってくる。国民的文字というのがあるとしたら、
      それはカタカナだったのかも知れない。
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 4/11  恥じらって顔を赤くすることを「もみじを散らす」ということがある。
      少女にしか使えない表現だと思う。成年に達してからでは違和感が強く
      ていけない。
       この言い方は非常に文学的だと思う。誰が思いついたものか知らない
      が、ボクはそういう人を尊敬したい。出来るようで出来ない言い方だ。
      赤ちゃんによく使う「もみじのような手」というのは、目に見えた、分
      かりやすいたとえ方で、これならボクにも出来るだろうが、そこに「も
      みじを散らす」の飛躍はない。
       まして、形は似ていても、「海星が並んだ」ではいけない。「海星」
      は「ヒトデ」と読むのだが。
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 4/10  夜にメールをすることがある。よく知った仲だと、「おやすみ」と結
      ぶことがあるが、このとき何気なく変換してしまうと、「お休み」にな
      る。うう、何か変だぞ。
       ボクにとって、あいさつの「おやすみ」は、平仮名だ。「お休み」と
      漢字で書くと、「行きつけのそば屋が今日はお休み」「○○君が、今日
      はお休み」のように「休んでいる状態」を表してしまい、「もう寝よう
      
ね」の意味にならない気がするのだ。
       「休む」と書くからいけないのだろうか。「寝む」と書いて「やすむ」
      と読めたらいいのに……。過去にはそういう書き方があった。
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 4/9   ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が亡くなって、新しく知ったことをい
      くつか。
       一つ、「ローマ法王」という呼び名は古い言い方で、1981年(これは
      ヨハネ・パウロ2世の来日の年である)以来、「ローマ教皇」に統一さ
      れていたのだ。もう20年以上前から、彼は「ローマ教皇」だったはずだ
      が、ニュースを初め、世の中は古い呼び方をやめない。一度深く根付い
      たものは、おいそれと変えることが出来ないという教えを感じる。
       二つめは、新しいローマ教皇を選び直すために、密室の会議が行われ
      ているということ。その会議の名称を英語では「conclave」という。こ
      う書いて「コンクラーベ」と読むらしい。「根比べ」に近いと誰もが思
      うだろう。
       そもそもはラテン語「cum clave 」である。語順どおりに英語に訳す
      と「with a key」となる。さらに日本語では「鍵をかけて」となるだろ
      うか。新しいローマ教皇を選出するため、ローマ教皇の没後、選挙人で
      ある80歳未満の枢機卿たちが会議を行うのだ。三分の二の賛成票を得る
      者が出るまで、投票は続くという。会議を行う部屋には、鍵が掛けられ、
      新しい教皇が決まるまで、枢機卿は部屋から出ることが出来ない。その
      ために、この名称がついたのだ。この習慣は1271年に始まったという。
       トイレはどうしていたのかとか、そんなことを心配してしまう自分が
      少し恥ずかしい。しかし、全世界の枢機卿のうち80歳未満の枢機卿は、
      4月3日現在117人。ボクがトイレのことを心配するのは不自然なこ
      とではない。
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 4/8   今日は「花祭り(釈迦の誕生日)」である。何かが壊れて使い物になら
      なくなることを、「おシャカになる」というが、どういうことなのだろ
      う。
       江戸っ子言葉では、しばしばハ行とサ行が入れ替わる。「朝日がまぶ
      しい」は「あさしがまぶひ(し)い」になる。だから、「火が強かった」
      は「四月八日だ(しがつようかだ)」と発音が近い。鍛冶屋や鋳物師が仕
      事に失敗した折、「ちょっと火が強かったんだよ」と言ったのを誰かが
      聞き間違えたのがそもそもの始まり。「四月八日ならお釈迦様だ」と連
      想が働いて以来、物としての命がなくなることを、「おシャカになる」
      と言うようになったという。本当だろうか。
       これは俗説であるが、楽しい理解の仕方だ。こういうことを覚えてい
      れば、「あ、今日は『おシャカになる』の日だ」と、花祭りのことを思
      い出すこともできる。
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 4/7   子どもの頃は恐竜が大好きだった。肉食恐竜と草食恐竜とがあって、
      草食の方にはバカに体が大きいものがいたことが驚きだった。しかし、
      体の端から端まで30メートルもあったら、便利なことは少ないだろう
      と思うのだ。目立ってかなわないし、一人になりたくなっても、それは
      無理というものだろう。尻尾の先を蚊にくわれたとしても、感覚が脳に
      届くころには、はいごちそうさま、である気がする。風呂にも入れない。
       そんなことを考えてたころ、動物事典で「コドモオオトカゲ」という
      ばかに大きなトカゲを見つけた。恐竜の生き残りとかで、迫力十分の面
      構えである。欲をいえば、もう少し高さがほしかった。恐竜にしては平
      べったく、小さい。いや、小さいからコドモと言うのかな、とも思った。
       しかし、ボクは恐竜がサイズダウンして現代にも生きていると知り得
      たことが自慢したくて、次の日、学校でさっそくこの話をした。これこ
      れこういう爬虫類で、コドモオオトカゲというんだと……。
       友達の反応は冷たかった。「おまえ、それは『コドモ』じゃなくて、
      『コモド』だろ」と言うのだった。
       指摘されて何も言えない自分であった。ほかにも「トレイ」を「トイ
      レ」と間違えて、「トイレはこちらへお返し下さい」と読んで驚くなど、
      その手の間違いは枚挙にいとまがない。
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 4/6   写真を撮るとき、「チーズ」という。韓国では「キムチー」だそうだ。
      共通点は「チー」だ。そのときの口の形が自然に笑った形なのだろう。
      白い歯が見えるのが良いようだ。
       しかし、「チーズ」でシャッターを切ると、口の形は「ズ」ではない
      か。おちょぼ口。日本語で発音すると、これは笑った顔ではない。英語
      の発音なら、笑った顔なのに。だから、「チー」の間に撮らねばベスト
      ショットは得られない。韓国の「キムチー」の方が理にかなっている。

       アメリカ・ロシア
       フランスなど多数  チーズ! 
       ハワイ       ワイキキ!   (Waikiki !)
       韓国        キムチー!
       中国        茄子ー!    (quiezi……チェズ)
       ブラジル      ハイ シース! (Hi X) 意味はないらしい。
       イタリア      フォルマッジー (チーズのこと)
       イギリス・ボリビア
       チリ・イタリアなど ウィスキー
       ニュージーランド  キウイ!
       メキシコ      テキーラ!
       ブルガリア     ゼレ!     (キャベツ)
       トルコ       パタテ−ス!  (ジャガイモ)
       インドネシア    テンテ!    (乾燥納豆)

       「チーズ」というのは、本来はチァーズ(Cheers:ほほ笑んで)らし
      い。だから、「はい、笑って笑って」と言っていたものが、子どもの聞
      き違いか何かで「チーズ」に変わってしまったものかと思う。それが世
      界に広まったとしたら、なかなか面白い。
       なお、中国語の「茄子=チェズ」は、英語の“Cheese”の発音を中国
      語に当てはめたようだ。チーズ強し。イタリア語でもチーズはチーズで
      ある。
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 4/5   相撲の四股名は面白い。

       曙   太郎  平成 5年 1月〜
       貴乃花 光司  平成 6年11月〜
       若乃花 勝   平成10年 5月〜
       武蔵丸 光洋  平成11年 5月〜
       朝青龍 明徳  平成15年 1月〜

       名字と名前の関係のように、二つつながっている。後半部分は本名が
      使われるが、外国人力士の名前は誰がつけたものだろう。やはり親方で
      あろうか。
       前半部分を四股名(しこな)という。ボクは、相撲は四股を踏むから名
      前のことも四股名というのだとばかり思っていた。だが、「四股名」は
      当て字で、本来は「醜名」と書くものらしい。びっくりである。
       「醜」とは、「くだらない」「役に立たない」などの意味の言葉で、
      古代にはよく使われた。自分のことを蔑んで使うこともあったようだ。
       古代の話ではないが、自分のことを「拙者」と言うのは、あれは「ダ
      メな私」の意味だし、自社のことを「弊社」と表現するのも、「ぼろぼ
      ろの会社」と言っているようだ。自分を蔑むのは、相手への敬意につな
      がるのだ。
       ただ、相撲の四股名は格好のいいものばかりで、自分のことを悪く言
      うものは見あたらない。「ぼろの花」なんて名前では弱そうでダメなの
      だ。
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 4/4   骨粗鬆症という言葉は、知らない人も少なくなった。書けない人は多
      いと思う。その「鬆」の字だが、それが何を意味するものか、はっきり
      知っている人はどのくらいいるのだろう。ボクは知らなかったので、調
      べてみた。

      す【▼鬆】
      (1) 時期を過ぎた大根・牛蒡(ごぼう)などや、煮すぎた豆腐などの内部
       にできるすき間や穴。 「―の入った大根」「―が立つ」
      (2) 鋳物の内部にできた空洞部分。鋳型に流し込んだ金属が冷却・凝固
       する際、空気が内部に閉じ込められて生ずる。

       なあんだ、の答えであった。納得納得。で、これからは、大根に入っ
      た「す」のことも「鬆」と漢字で書くようにしたい。今までも「す」と
      言う度にどんな字なのかが気になってはいたが、気になって1分後には
      そんなことは忘れていた。皆さんもそうではないだろうか。

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 4/3   久しぶりにステーキを食べに行った。ステーキは国民の夢とでも言う
      べき存在である。ボクだって、ちょっと前までは「給料が出たら食べよ
      うか」と思っていたのだ。
       そんな貴重な存在なのに、食後、会計を済ましたところで「お口直し
      です」とアメ玉を渡される。ボクは頭がくらくらしてしまうのだった。
      ステーキの口直しにアメ玉、ステーキの口直しにアメ玉……。せっかく
      おいしいものを食べて上流階級の気分に浸っていたところだというのに、
      こんな安っぽい物で口の中を再び庶民生活に引き戻そうというのか、君
      は。

      くちなおし ―なほし【口直し】

        まずい物や苦い薬などを口にしたあとで、その味を消すために別の
       物を食べたり飲んだりすること。また、その飲食物。(「大辞林」)

       食後に口直しのアメを出すのは、この店のステーキは、口直しが必要
      なほどの代物ですと言っているようなものだと思うが、どうだろうか。
      レジのそばでは若手の料理人が、黙々と分厚い肉を網焼きにしていたが、
      彼もこの言葉を苦虫を噛みつぶしたような顔つきで聞いていた。ボクは
      その横顔に「十分おいしかったよ」と心の中で語りかけていた。
       ボクはおいしいものを食べた後に出されるアメは、ポケットにしまっ
      ておくことにしている。口の中のおいしさがなくなって寂しくなってき
      た頃に食べるのだ。
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 4/2   不法駐車については警察に連絡する場合があります。

       ある郵便局の駐車場にこんな看板を発見した。駐車スペースが3台分
      しかなく、郵便局としては、用があるふりをしてどこかに行ってしまう
      人に腹を立てているらしい。しかし、ボクはこんな生ぬるい表現ではだ
      めだと思う。もっとはっきりと言った方がよい。「場合があります」で
      は本気さ加減が伝わらない。文末は断言すべし。「警察に連絡します」
      と書くべきだ。
       こういう警告表示はあちこちの駐車場で見かけるが、不心得者がどん
      なに恐れるかを競い合っているようにも思える。「金壱万円申し受けま
      す」などの現金主義は数知れずあるが、見つからないようにそっと出て
      行ってしまう輩には取り損ねる可能性がある。取り損ねはそのまま、次
      回もそうなる懸念を残す。そこへいくと、「違法駐車車両は四輪とも空
      気を抜きます」という警告文(某所で発見)はすさまじい。再び動き出
      そうとするだけでもどれほどの労力を要するか、考えるだけでいやにな
      る。
       いや、これとて、「空気を抜く場合があります」だったら、「あ、本
      気じゃないな」と見破られること請け合いである。

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 4/1   塩

       ボクが中学校のころ、理科の実験で何度か食塩を使った。当然なめて
      も大丈夫。ただの塩の味だ。ボクはそれを「シオ」と呼んで、理科の先
      生に「シオじゃない。『食塩』だ」と注意されていた。ボクは、「いい
      じゃないか、シオでも」と内心逆らっていたが、後になって、「食塩と
      は、NaCl(塩化ナトリウム)のことである」と学ぶこととなった。つまり、
      塩というだけでは食塩ではなく、食塩以外の「塩」が何種類もあるとい
      うことだ。ボクたちの世代は、塩化ナトリウムこそが塩であった。
       食卓で使うものだから、不純物が混入しないことはありがたい。ボク
      たちは精製を経た純粋な食塩を摂取していたのだ。ところが、最近は、
      スーパーマーケットにも、食塩と表示されたものは見られなくなってい
      る。塩化ナトリウム以外の成分がほどよく入った、自然な甘みのある塩
      が主流となっているのだ。
       ボクたち『ヒト』はもちろん、生物の故郷は海である。その海の成分
      を大きく変えて売られていた「食塩」は、純粋なものこそ安全で価値が
      あるという勘違いの生み出した時代のあだ花であった。
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     過去文 2003年   2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
         2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月