今日の言の葉 
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2/28   接骨院というのは、昔は「ほねつぎ」と呼んでいたが、異様に物々し
      い響きで怖かった。何をされるところだろう。骨なんて、どうくっつけ
      るんだろう、鶏とかの骨を使われたりしないんだろうかと、想像は無茶
      なところに広がっていた。おまけに、「骨折」と「接骨」の関係が分か
      らない。だから「骨折院」なんて思っていた。
       今日、同僚にそのことを話すと、「おう、オレもそう思っていた。」
      とのこと。乗り越えてきた壁は、意外に共通しているようだ。
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2/27   治ってきていたはずの左脚だが、どうもちくちくしておかしいので、
      以前からかかりつけだった整形外科の先生に見てもらった。バレーボー
      ル全日本チームのチームドクターを務める、萩原健一に似た先生。「全
      然くっついていませんね。またギプスをはめましょう。当分は安静です。
      足首をひねって腓骨が折れたので、足首までギプスですね」とそういう
      ことをプレゼンを使いながら説明してくださった。ものすごく頼りにな
      る先生だ。うれしかったが、同時に腹も立ってきた。これまでの3週間
      は何だったんだ。前の病院、医療費、返せ。
       こういうときにふさわしいことわざが思いつかない。一番近いのは、
      「餅は餅屋」だが。なんかおかしい。
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2/26   同僚が「すごいおいしかった」と言って困る。ボクはそういうのを聞
      くとむずむずするので、「スゴクオイシカッタ」と言い直してあげるの
      だが、最近、ふとそういう言動がオジサン臭くないかと思い始めた。
       朝のニュース番組でも、ちょっとバラエティーの色の入ったものでは、
      平気で「すごい寒いです」と言っているので、もうそろそろ城は明け渡
      した方が良いのではないかと思っている。
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2/25   「赤砂ガム」というのをご存知だろうか。気持ち悪そうなガムだと不
      思議に思っていたのだが、そんな思いは誰にもあったはずだ。これは、
      「野中のバラ」の歌詞である。きっと正しくは「飽かず眺む」なのだろ
      うが、小六には分からない。「赤砂ガム」。
       シュワキませり、シュワキませり、というのもにぎやかに意味が不明
      な歌詞だった。どうして翻訳した歌詞には難解なものが多いのだろう。
      諸人こぞりて考えてたもれ。
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2/24   ラングドシャという菓子がある。「ラング・ド・シャ」は、「タング
      ・オブ・キャット」で、要は「猫の舌」。そういうものを喜んで食べて
      いるのだが、シャクシャクしてなかなかおいしいらしい。いや、ボクは
      それを食べたいと思わない。思ったことがない。
       問題は、その名を教えてくれたのが母だったということだ。母はボク
      に「ラング土砂」とか「ラング・どしゃっ」と、何かが崩れ落ちるよう
      なイメージを植え付けて発音しては喜んでいた。
       言語によるトラウマというのがあるとしたら、それはこういうことだ
      と思う。
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2/23   子どものころの思い込みというのは誰にもあるものだが、中には納得
      のできるものがあって面白い。
       最近、「ねえねえ、『あくまでも』って、どう思ってた?」と聞かれたこ
      とがある。その人は「悪魔でも」だと思っていたのだという。「悪魔で
      もそうなんだから、人間ならなおのことだ」と使うのだと思っていたの
      だそうだ。ボクはその話を聞いて「ばかだなあ」とその場は笑ったのだ
      が、家に帰ってから自己嫌悪にさいなまれた。いやなに、正直言って、
      自分も子どものころはそう思っていたというだけのことだが。だって、
      「悪魔でも」なんだから。
       罪を背負って生きる感覚。
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2/22   六年生の時、童話を書いた。琵琶湖を舞台に、鹿が魔法で救われると
      いうもので、他愛のないものだったが、近江八幡という地名がそのとき
      気に入っていたのだ。「近江」とは、どうひっくり返っても、「おうみ」
      とは読めないので、読めることが自慢だったのか。しかし、こんなふう
      に読むことは「遠江」が「とおとうみ」であることに比べればまだかわ
      いい。
       ところで最近、この二つが関係していることに気がついた。「遠江」
      というのは、「とお・つ・あふみ」なのだ。「つ」は「沖つ白波」のよう
      に「の」の意味で使う。だから、「遠江」とは「遠くのあふみ」という
      意味。この反対に、近くにある「あふみ」を「近江」といったのだ。こ
      ちらは遠くにない、当たり前の「あふみ」なので、わざわざ「ちかつあ
      ふみ」とは言わない。なのに字面は「近い」と書いている。
       で、「あふみ」とは何かというと、「淡い海」のことかと思う。万葉
      集にも「淡海」と書いてある。塩辛くない、淡水の海。なあんだ、琵琶
      湖のことじゃないか。遠江とは、浜名湖のことかな。昔は海につながっ
      ていなかったと高校入試のころに聞いたことがある気がする。
       27年前の自分に救われた気分。だてに年は取らないのだ。
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2/21   骨折した脚のギプスをはずしてもらった。左脚ばかりがものすごく細
      くなったのには、地球の重力の偉大さを感じさせられた。ひょろひょろ
      としか歩けなくなった悲しさ。ところで、はずしてもらったものが「ギ
      ブス」なのか「ギプス」なのか、どちらか分からない。そういえば子供
      のころには、「ミサイル」の発音に迷っていた。「ニサイル」と兄は言
      うのだ。
       それが間違いであることに気づいたのは、中学に入ってからだった。
      そうかと思えば僕の父はこう語った。「かき揚げというのがあるだろ。
      お父さんはそれを『かに揚げ』だと思っていた。カニみたいになってい
      るから」と言っていた。気づいたのは、30を越えてからだという。そ
      ういえば、父の同世代には、言い間違いをする人がたくさん目につく。
      「なにとぞ」を「なにそつ」と言うとか。(「何卒」である。)
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2/20   三年生の卒業合唱のことが気になって、「河口」という曲について調
      べていて、これが「筑後川」という合唱組曲の終曲だと気づいた。ふむ
      ふむ、と眺めながら「筑前」という言葉と比べる自分がいた。「筑後」
      とは前後関係の国。同様な関係は、「肥前・肥後」「豊前・豊後」など。
      さらに「備前・備中・備後」グループ、「越前・越中・越後」グループ
      のように、「前中後」の関係のものもある。
       これが面白いのは、グループの中で「備前」は一番東に、「越前」は
      一番西にあるということ。気になって調べてみると、「前」がつく国は
      グループの中では一番京都に近く、「後」の国は京都から遠い。道理で、
      「国後」という島は最果てにあるわけだ、と考えたが、クナシリって、
      アイヌ語かもしれない。その言葉にはもともと何かの意味があったのに、
      日本語に取り込まれるとき、都合のいい漢字を当てはめられたのかもし
      れない。
       このごろ自分のことを、ものすごく懐疑的になったと思う。

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2/19   以前本校にいた生徒指導の先生が「万引きは立派な犯罪です」と子ど
      もたちに話すので、それはおかしいと指摘すると、「立派な犯罪やない
      か」となかなか聞き入れようとしなかった。その後、「何か変だ」と気
      づいて直してくれたが、「先生、犯罪を推奨しているみたいで、おかし
      いでしょ」と何度言ったことか。
       これは、「まっ赤なウソ」と同列の言葉とみた。
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2/18  「夷」という文字がある。これは「野蛮な人、野蛮な国」という意味を
      持つ漢字で「東夷蛮伝」「夷蛮戎狄(イバンジュウテキ)」などと使う。「夷
      蛮戎狄」とは、中国の四方にあった文明の未開な地域をさげすんでこの
      ように呼んだものである。「南蛮」は南の、「北狄」・「西戎」は、そ
      れぞれ北と西の野蛮人を指していた。そして「東夷」とは、中国の東海
      に浮かんだ野蛮な国、まさしく日本のことを呼んだものである。
       その「夷」にさんずいをつけたら「洟」であるが、この字の意味は、
      「はなみず」である。日本は鼻水と同列の国であったということか。
       「祖国」を「粗国」とわざと書き間違えた学生を見るような気分になっ
      た。
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2/17   同音異義語というのがある。この間、学校特色化選抜の報告書を3年
      生の子どもたちに書いてもらおうとプリントを試作したところ、「みな
      さんの後輩のためにがんばって書いてください。」の部分が「みなさん
      の荒廃のために」となってしまっていた。笑えない冗談。そのまま配ら
      なくて良かったと思った次第。気づいてくれたF先生に感謝の気持ちを
      表したい。
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2/16   学校では進路指導の仕事をしているので、受検の時には旧字体に泣か
      される。あんなものを放置しておくのは怠慢だとしか思えない。この間
      も「くれ」という字で泣かされた。「博」を木偏にした字だが、そんな
      字はコンピュータに標準搭載されていない。わが同僚は気合いを入れて
      なんとか入力したのだが、細かく見ると右上の部分が「甫」になってい
      る。これじゃだめなんだ。この形ではないのだ。こんなふうに突き出て
      いない形が必要。しかたなく異体字のフォントを購入。進路指導は金も
      かかる。
       やり場のない怒りを感じてやけ食いをした。          
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2/15   「棲」という字が気になっている。「棲息」などと使われる文字だが、
      「生息」というよりずっとすごみがある。いや、そもそも二つは意味が
      違うのだが。ところで、この字は最近あるラーメン屋の看板になってい
      る。「老麺棲」と書かれているのだ。しかも唐風の隷書体と気取ってい
      る。
       見た瞬間は「らーめん楼」と直感した。「楼」の旧字を書いたものと
      思ったのだ。しかし次の瞬間、その違いに気づいた。「らーめんロウ」
      ではなく「らーめんセイ」ではないか。ラーメンが棲んでいる場所とい
      うことだろうか。凄まじい発想。こうなると、もう間違いであってほし
      くなくなった。本社は岐阜市茜部にあるのだが、社長さんに電話しよう
      かどうか、迷ったまま二日が過ぎた。「楼」と「樓」と「棲」の問題。
      字体を新しくしたりするから、こんな問題が生じたのか。
       責任者、でてこい。
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2/14   若い世代の「ありえない」がターゲットになった朝番組を見た。ショ
      ックを受けた感覚を表現するので、好悪喜怒哀楽すべて「ありえねー」
      で済まされてしまう。いやいやこれはなんとも悲しいことだと考えはし
      たが、しかし、うまい使い方でもある。「ありえない」ほどナニナニで
      ある、という使い方は、過去にもある。たとえば、「あるまじき」など
      はどうなのか。「○○にあるまじき行為だ」というとき、それが良いの
      か悪いのかは言っていない。「不肖の息子」というとき、「私に似てい
      ない」とは言っても、それが自慢なのか恥ずかしいのかは言っていない。
       だいたい「自分に似ていない」をだめな意味に使うなんて、不遜とい
      うもの。分かっていなかった人々が過去にもきっといるはずだ。
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2/13   脚の骨を折って2週間目に入った。病院で松葉杖をついて颯爽と歩い
      ていると、看護婦さんが寄ってきて、大丈夫ですか、痛くないんですか、
      と言う。いえ、折った日から一日も休まず働いているんですと言うと、
      「えーっ、うっそー、ホントにー、まじすか」と言ってきた。
       その後、院長室を探したが分からなかった。
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2/12   1月末に娘の誕生日があったので無線LANカードを買ってあげた。
      そんなもの欲しいのかどうかと思ったが、新しい時代に必要な知識と技
      能には違いない。生きる力だ。コンピュータに装着して使い方を教えて
      あげた。
       1週間たって、私にも誕生日がめぐってきたのだが、誕生日に気づか
      せてくれたのは娘からのメッセージ。
      「おめでとう。42歳だね」
       無線LANを使った電子メールだった。親子の距離はプロバイダを経
      由している。
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2/11  「難易度」という言葉が微妙だ。いつ頃から使われ出したものか、ボク
      が高校生のころには模擬テストの結果などに書かれていた。「難易度9」
      とかそういう形で。それが最近はテレビでも使われている。ただし、今
      は「難易度が高い」などという。なんだか気持ち悪い。ボクなら「難度
      が高い」と使いたい。
      「当機はただいま高低度2000フィートを飛行中であります」
      と機長がアナウンスしたらおかしいだろう。「遅速度は時速500kmです」
      といったあたりで、「新海に交替しろ」と言われる。
      「深度」「高度」「標高」「身長」「重量」と、ものごとの基準を表す
      言葉は、程度の大きい方に軸足をおいている。「難易度」が「高い」と
      使われると、難しいのか簡単なのか、分からなくなるじゃないか。
      こういうことに敏感な人でいたい。
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2/10   ボクは岐阜市内の「加野」というところに育った。市内といってもぎ
      りぎりで、はなはだへんぴなところである。村の行事では山で捕れたう
      さぎの肉が焼いて出されたりしたので、小学生のころから、文部省唱歌
      「ふるさと」を「うさぎーおーいしい加野山」とワイルドに理解してい
      た。しかし高学年になると、こんな田舎のことを全国で歌っているのは
      どうしてだろうかと気になりだした。
       ボクの娘が小学校に通うころ、その裏山にアスレチックコースが造ら
      れた。名付けて「加野山アスレチック」である。PTAの共同作品。
       すごくうれしいのだが、子どもたちのことが心配でもある。子どもた
      ちは、この山で遊びつつ、「ふるさと」を歌う。そして、「かの山はわ
      かるけど、かの川って、どの川かなあ」と、うさぎ小屋を横目に思うに
      違いないのだ。
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2/9    理科の世界では単位がよく動く。「cc」は「ml」に、「ミリバール」
      は「ヘクトパスカル」に、そして「ニュートン」というのは何を表すの
      か、もはや自分の関心事ではない。
       ところで、日常生活にも単位の変化が目につく。お気づきだろうか。
      「空き缶を1缶でも持ってきてください」「牛乳パックを1パック」
      というのがそれだ。「1缶」というのは、「サバのみそ煮を1缶」「ツ
      ナを1缶」「灯油を1缶」と、その中身を数える言葉だ。「牛乳パック
      を1パック」というと、スーパーに牛乳パックをパックにした売り場が
      あることになる。
       シュールな想像をした。
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2/8    職場で年齢の話題になる。最近42歳になったボクは肩身が狭いので
      にこにこして聞いていることにする。やがて、
      「えっ、○○先生って、わたしの1コ下だったの?」
      という言葉がボクの感覚に引っかかる。
      「それは『ひとつ下』というんだ」
      とか思うわけだが、しかし、『ひとつ』というのは『1コ』という意味
      だ」と気づいて納得。昔の人も「『ひとつ』とは何事だ。1歳と言え」
      とか言われていたのかも。回る回るよ、時代は回る。
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2/7    もうずいぶん前のことになるが、長良川に鵜匠の取材に行ったことが
      ある。アポを入れておいたのだが、訪ねていった僕を案内したのは、若
      奥さんだった。
      「少々お待ち下さい。ただいま鵜匠を呼んでまいりますから……」
      と奥に入っていくその背中を見ながら、変な気持ちになっていた。落語
      や芸の世界などでは「師匠」というのだろうが、そういう感覚で使われ
      ていると感じたのだ。「鵜匠」が職業を表す言葉としてでなく尊敬を込
      
めた言葉として使われているのには驚いた。
       「先生」という言葉とは逆の進化だと思った。
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