今日の言の葉
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10/31 我等が書斎の窓から覗いたり、頬杖ついて考へたりするよりも、人生
といふものは、もつと広い、もつと複雑で、そしてもつと融通の利くも
のである。 (石川啄木 『函館日日新聞』掲載「汗に濡れつヽ」から)
この言葉は、啄木の発見を表している。人生というもののおもしろさ、
意外さを窓辺で見つけたこの文は、実は、間借りしていた床屋の二階で
書かれたものだった。(この床屋が東京本郷の「喜之床」だということ
は、多くの人に知られている。)
啄木はそこから外を眺め、通行人の様子を観察するのが好きだったよ
うだが、夏になって、それまで一膳飯屋だった向かいの店が氷屋になっ
ているのを見て、こんな感想を持ったようだ。啄木はさらにこうも書く。
「誰一人氷屋になったために餓死した者はいない。そうして氷屋には朝
から晩まで客がある。」
ボクたちが複雑に、深刻に物事を考えるよりも、人生はもっと融通が
利くものであると言うのだ。
啄木に対して抱いていた悲劇の主人公というイメージが霞んでいく。
彼は、意外に人生を楽しんでいたのかも知れない。小難しい文面だが、
人生なんて、なんとかなるさ、という内容である。
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10/30 本格的に山登りをした経験のある人なら、「キジを撃つ」がどんな意
味かを知らないということはないだろう。これは山中での排便・排尿行
為を表す。高い山に入る場合はグループで行くのが当然で、互いに助け
合いながら進んでいくのだが、排便だけは特別で、これはひっそりと行
うべきものである。しかし、これを黙って行うと、心配して探しに来ら
れたり、そのために大勢が危険な目にあったりしていけない。
その時のためにあるのが、「ちょっとキジ撃ってきます」という言葉
だ。これを言うことが登山者の心得の一つでもあると言うが、もっとも
なことだ。聞いたみんなは足を止め、体を休めて待っているそうだ。
しかし、初めて聞いた子どもなどは、「ボクも行きたい」とついてく
るので、意味の説明が必要だという。かく言うボクも、銃も持たずにキ
ジを撃つところを見たいと思ってついて行ってしまったことがある。小
学生の頃、初めて甲斐駒ヶ岳に登った時のことだ。その時は、しばらく
歩いてから「オレはここでするから、お前はすこし離れた所でして来い」
と言われて唖然とした。そんなことをしに来たわけではないのだ。
周りの大人がボクを止めなかったのは、意味が解っていると思ったか
らだったようだが、ボクはそれほど賢い子どもでははなかった。
なお、女性は「花を摘んできます」と言うそうだ。
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10/29 もみじ狩り
紅葉した木々をめでることだと言ったら、「モミジを拾ってくること
じゃないの」と聞かれたことがある。見ることを「狩る」と言うのだと
言うと、「ミカン狩りもイチゴ狩りも、取ってくるのに」と不満げであ
る。ボク自身、この言い方は子どもの頃は不思議だったので、気持ちは
分かる。
考えてみれば、紅葉した木々を眺めても何も良いことはないはずだ。
歩けば腹が減る分、損が立つとも言える。それでもわざわざ観光バスに
乗ってモミジの谷に出かけるのは、綺麗な物を見ることで儲かった気分
になれるからであろう。であれば、何も取らなくても「もみじ狩り」と
表現しても不思議はない。十分に腹がふくれたというような、洒落た表
現である。
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10/28 議論は議論を建設すれ共、遂に空中楼閣のみ。要は唯実行の一字ある
のみに候 石川啄木「百回通信 六」
さすが啄木、格好のいいことを言ってくれる。痛く共感するところだ。
実際、ボクたちに本当に必要なのは、この精神だ。
当てはまる事柄は多岐にわたる。地域の発展のために住民がなすべき
ことは何かと考えたり、子どもたちの将来のためにどんな地域教育が必
要で、大人は何をすべきかを考えたり、理想がふくらんで一人歩きをす
るようなことはいくらでもある。それを啄木は「唯実行!」と言うのだ。
実に明快である。
まあ、ボクにとっては「出てきた腹を引っ込めるにはどんな生活を心
がければ良いか」と悩んでいることがこの問題に該当する。
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10/27 えびす様
この呼び名は、「異民族」を表している。特に、文化の発展の遅い、
狩猟と漁労を中心にすえた生活を送る民族のことを指す。大まかに言え
ば、日本では農業が盛んになって「ムラ(村)」や「クニ(国)」ができた
ので、獣を殺して肉を食う生き方は蔑まれた歴史がある。これは日本に
限ったことではなく、文化的な相違は「野蛮」と受け止められ、しばし
ば差別の対象とされてきた。
その「えびす」という言葉を、この国ではどう表しているのだろうか。
ジャストシステムの日本語辞書システム「ATOK17」では、次の通りの結
果だ。
恵比寿 恵比須 恵飛須 恵美須 恵美酒
戎 夷 蛭子 胡 蝦夷 胡子 夷子
ヱビス
どれも皆、「えびす」と読むのだが、周辺の民族を遠ざけ、さげすむ
思いまで共通ではないことが分かる。例えば「恵比寿」という文字遣い
には、幸せを招く発想がある。ここには、「異民族はおそれつつ敬うも
のだ」という考えが潜んでいるように思われる。「えびす様」という呼
び名は「異民族の神様」という言い方である。そこには、「有り難がっ
てあげますから、どうかひどいことはしないで、静かにしていて下さい」
という思いが感じられる。そこに、「あわよくば幸せも分けてもらいた
い」という身勝手さが加わって、恵比寿信仰が成立しているのだと思う。
しかし、まずもって神とはそういうものだと思う。こちらに都合の良
い「ご利益」など、そうそう望んではいけないのだ。崇め敬い、しかし
当てにしないのが、正しいあり方だと思うがいかがか。
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10/26 七福神
以前本欄に「ビリケン様」のことを書いたことがある。外国の神様が
日本に帰化した形なので珍しいと思ったのだが、近頃になって、「七福
神だってなんだか怪しい」と思い始めたのだ。日本人らしくない服装を
した神様が混じっていると思わないか。
1.大黒天
(1)〔仏〕 三宝を守護し戦闘をつかさどった神。普通三面六臂逆髪
青黒の忿怒相につくる。中国・日本では食物の神として寺などの
厨房にまつられた。大黒神。
(2) 七福神の一。狩衣に似た服を着て大黒頭巾をかぶり、左肩に大
袋を背負い、右手に打ち手の小槌(こづち)を持ち、米俵の上に座
る像につくる。日本では大国主神(おおくにぬしのみこと)と習合
し、福徳の神として民間の信仰を集める。
2.恵比寿神
商売繁盛・福の神として広く信仰される、兵庫県西宮神社の祭
神。蛭子(ひるこ)とも、事代主(ことしろぬしの)神ともいわれる。
古くは豊漁の神として漁民に信仰され、また農神としても信仰さ
れた。狩衣(かりぎぬ)・風折り烏帽子(えぼし)姿で右手に釣り竿、
左手に鯛(たい)を抱えた神像に描かれる。夷(えびす)三郎。
3.毘沙門天
四天王・十二天の一。須弥山中腹の北側に住し、夜叉(やしや)
を率いて北方を守護する神。日本では福や財をもたらす神として
も信仰され、七福神の一人とされる。仏法を守護し、福徳を授け
る。もとはヒンズー教の神。多聞天。毘沙門。
4.弁財天
元来、インドの河神で、音楽・智恵・財物の神として吉祥天と
ともに広く信仰された女神。仏教にも取り入れられたが、吉祥天
と同一視されるようになった。八本の手で各種の武具を持つ像も
あるが、鎌倉時代には二手で琵琶を持つ女神像が一般化した。日
本では七福神の一人として民衆の信仰を集めてきた。弁天。
5.福禄寿
福禄を授ける神。短身・長頭で経巻を結びつけた杖を持ち、鶴
を従える。中国の仙人に由来するといわれる。寿老人との混同が
ある。福禄人。
6.寿老人
長寿を授ける神。長頭で、鹿を連れ、巻物を先につけた杖を持
つ。中国宋代の人物の偶像化ともいわれる。福禄寿との混同があ
る。南極老人。
7.布袋和尚
中国、唐末・後梁の禅僧。名は契此(かいし)。肥えた腹を露出
し、日常生活用具を入れた袋を背負い杖を持って市中を歩き、人
の運命や天候を予知したという。生前から弥勒の化身といわれた。
日本では円満の相が尊ばれ、七福神の一人として信仰されるよう
になった。生没年未詳。 (「大辞林」から)
さすがにビリケン様は違和感があるが、かつても異国の神々は日本に
続々流入していたのだ。我が国文化の懐の広さと節度のなさを感じない
ではいられない。もともと「八百万(やおよろず)の神」のいらっしゃる
国なのだ。一人や二人の増減は問題にならない。こうした環境下では、
ビリケン様もさぞや居心地が良いことであろう。
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10/25 つうと言えばかあ
互いに気心が知れていて、一言言うだけで通じるさまであること。
(「大辞林」より)
こういう人間関係を築きたいものだと思う。一言言っても伝わらない
もどかしさを日頃感じているだけに、「つうかあ」には、憧れに近いも
のがある。
ところで、この「つう」というのは何のことだろう。「かあ」もおか
しい。「つうと言えばかあ」とは言うものの、「つう」と言ったり「か
あ」と言ったりする現場を見たことはない。
調べてみると、どうもこの言葉の語源は、江戸っ子言葉のようだ。江
戸っ子同士が会話するときには、「……っつうことよ」「ああ、そうか
あ」という言い方がよく使われる。そこから「つうかあ」の言葉は生ま
れたということだ。
分かった。しかし、これは本当に「つうかあ」の関係なのだろうか。
ボクの考える「つうかあ」は、もっと距離感がないものだ。だいたい、
この説明では、全然気心が知れていると言えないじゃないか。二人の仲
がさらに深まるには、もう少し時間がかかると思われる。まだ入り口だ。
言葉というのはこんな生まれ方をするものだ。
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10/24 一人の男子が二人の女子と付き合うことを「二股」と呼ぶ(もちろん
その逆もそう呼ぶ)。たった一人に告白するのにも勇気が必要で、公衆
電話で大いに命を縮めた覚えのある世代としては、当時から二股など許
せないことだった。こういう時には、もてない派の男子の意見は一致し
ていて、自分たちに何かしら欠点があって女子にもてないのに、「一人
で二人も占有しようという根性がいけない」ということで、純情を慰め
合うのが常だった。
この「二股」の語は、どのようにして生まれたものなのだろう。一つ
のものが二つに分かれるという意味の「二股」かも知れないが、ボクに
は「二股膏薬」の四文字が気になって仕方がない。昨日書いた筒井順慶
の洞ヶ峠の一件で、大辞林に類義語として掲載されていたのだ。
その意味は、「(内股に貼った膏薬のように)その時の情勢でどちら
の側にも従う人。節操のない人。内股膏薬」と説明されている。そのと
きの都合であっちにもこっちにもくっつくというのだから、現代の「二
股」と意味合いはよく似ている。べたべた張り付くというのも、膏薬の
特徴をよく表している。
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10/23 筒井順慶がことわざの世界に生きていた。「洞ヶ峠を決め込む」とい
うものだ。ご存じの方も多いのではなかろうか。
ほらがとうげ 【洞ヶ峠】
(1)京都府八幡市と大阪府枚方(ひらかた)市の境にある峠。海抜63メー
トルにすぎないが、淀川・天王山が眺望できる。山崎の合戦で筒井
順慶が明智勢に味方するかどうか戦況をながめていたという言い伝
えで知られる。
(2)〔(1)の筒井順慶の故事から〕有利な方へつこうと形勢をみること。
二股膏薬。日和見。
「―をきめこむ」 (「大辞林」より)
なんと不名誉なことだろう。筒井順慶はどっちつかずの武将の代表で
あると、後の世にまで噂が流されているではないか。ボクたちは、織田
信長とか豊臣秀吉とか、インパクトの強い武将にあこがれるので、知将
であっても筒井順慶のような人物には心が動かない。
彼の領地が大和郡山という、地理的に非常に難しい位置にあったこと
などを知れば、うかつに動かなかった順慶の心持ちも想像できよう。そ
れに、武将としての評価は低くても、マイホームパパだったりしたかも
知れないじゃないか。自分の間違った判断で家族を犠牲にできない人の
好さがあったのかもしれない。
そうとでも思わなければ、親しみの湧かない人物である。フォローの
必要な人だという悲しみがある。
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10/22 せっかくの努力が無駄になることを「元の木阿弥」という。何故こう
いうのか。辞書を見てみよう。
元の木阿弥
一時よい状態になったものが、また前の状態にもどること。
「欲ばりすぎて、―になる」
〔一説に、戦国大名の筒井順昭が病死したとき、その子順慶が幼かった
ので、死をかくして順昭に声の似た盲人木阿弥を替え玉として病床に置
いた。順慶が成長したのち、順昭の死を公にし、木阿弥はまたもとの生
活にもどったという故事からという〕 (「大辞林」から)
なるほど、影武者というのは聞いたことがあるが、これは病人の身代
わりだ。木阿弥は貧乏な僧侶であったというが、殿様の身代わり役を立
派に果たしたという。周りの家来もこの偽の殿様を本物のように手厚く
扱ったらしい。病人役とはいえ、一夜にして殿様という大変化、木阿弥
は夢のような生活を送ったことだろう。しかし、病人役ということは、
出歩くことができず、かなりストレスがたまったことだろう。
このように、自分の死後も大芝居によって息子順慶を守ろうとした父
順昭公の思いの深さには感服だが、筒井順慶とはどれほどの人物に成長
したのか。大変気になるところだ。
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10/21 バッテラ
寿司は嫌いではないが、押し寿司はどうも、という人は意外に多い。
ボクは何でもござれ派で、あの風味も全く気にならないが、押し寿司は
ダメだという人は要するにただの好き嫌い。贅沢を言うでない。
タイトルの「バッテラ」は、シメ鯖の押し寿司のことである。実に寿
司らしい豊かな味わいがあるものと思う。しかるに、「バッテラ」とい
う呼び名はいかがなものか。本当に日本語なのだろうか。
調べてみると、もともとはポルトガル語であった。「bateira」は小舟
という意味を持っており、この鮨の形がそれに似ていることからこう呼
ぶようになったらしい。
大阪はおおらかだと思う。さもなければ、誰が寿司の名前に外国語を
使うものか。
大阪の街には「ビリケン様」という腹の出た神様があちこちに祭られ
ている。他県では見られない、大阪の神様である。しかし、この神様は
実はアメリカの生まれなのだ。1908年(明治41年)アメリカの美術家フ
ローレンス・プリッツが、夢で見たユニークな神様をモデルに制作した
ものだという。これが世界的にヒットして、大阪でも縁起物と扱われ、
さらに伝統の七福神に加え、「八福神」とされたとか。
来歴や由緒など気にしないで、どんどん神様にしてしまう、そういう
エネルギー溢れた地域性あればこその「バッテラ」の命名である。
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10/20 さ……砂糖
し……塩 す……酢 せ……醤油 そ……味噌
これは料理の「さしすせそ」である。初めて聞いたときには、そのト
ラップの多さに愕然とした。三つ目までは順調に理解したが、四つ目の
「しょうゆ」は古典の仮名遣いで「せうゆ」と書いた場合にしか分から
ないし、最後の「みそ」に至っては、もう裏切りに近い。「初めの文字
で考えるのじゃなかったのか」と机をひっくり返したくなる。
そういう意外性もあって、「せうゆ」という表記は長年の敵のように
忘れない。そこに最近、妙な噂。「コーヒーのコマーシャルでクリーム
が綺麗に模様を描くのは、あれはコーヒーではなく、醤油を使っている
からだ」というもの。下世話なことだが、そんなものを旨そうに飲んで
いるタレントの気が知れない。だいたい、塩分の摂りすぎは、健康にも
悪いと思う。それでもまずそうな顔を見せないのが、プロの証というも
のなのだろうか。
醤油に関する余分な知識が入ってからというもの、テレビでコーヒー
のコマーシャルが流れるたびに、「あ、これは実は醤油だ」と思うよう
になってしまった。
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10/19 金の玉は重みが違う
パチンコ屋の看板に出ていた言葉だ。ボクはパチンコも麻雀もやらな
いので詳しいことは分からないが、通常の銀玉に比べて金色の玉は値打
ちが違うということなのだろうか。何千個かに一個、そういう色違いの
玉が混じっているのかもしれない。
ボクはこの看板を見て、「重み」と「重さ」の意味の違いを考えるこ
ととなった。
金の玉は重さが違う ←→ 金の玉は重みが違う
二つの文が全く別のことを述べていることがわかるだろう。これこそ
が「量と質の違い」というものだ。
一般に形容詞は、語幹に「さ」「み」をつけると名詞化するが、「さ」
は程度に関わり、「み」はその本質に関わる名詞となる傾向がある。実
例を挙げよう。
温かさ ←→ 温かみ
悲しさ ←→ 悲しみ
痛さ ←→ 痛み
強さ ←→ 強み
臭さ ←→ 臭み
うまさ ←→ うまみ
こうした「さ」と「み」との違いを心得ることは、この国に生きる上
で大切なことだ。「命の重さ」「命の重み」といった言葉にも敏感でい
たい。
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10/18 なるべく
小さな頃から平気で使ってきた言葉だが、近頃になって、これが漢字
仮名交じりで書けることに気がついた。「なる」は「成る」、「べく」
は「可く」。こう書いて、「できるだけ」という意味になるところが面
白い。
難しい話になるが、「可く」とは「べし」の連用形である。その「べ
し」には大別して六つの意味がある。「推量・当然・意志・適当/勧誘
・命令・可能」の区別は古文を学ぶ高校生を苦しめるところだ。
「なるべく」という言い方は、このうち「可能」に当たるものだ。な
るほど、「成る・可く」は「成立するのが可能なら」という意味になろ
う。だから、「できるなら/できるだけ」の意味になるのだ。
一方、「……は、偶然ではなく、成るべくしてなった」というときの
「なるべく」は、「当然」の意味である。
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10/17 台風の爪痕
台風被害を伝える常套句であるが、「爪痕」なんて言葉は、こんな言
い回しの中でしか使われなくなってしまった。古くさい言い方だが、巧
い比喩だと感心する。しかし、そもそもその爪痕がどんなものなのか、
これまで考えたこともなかった。一体何の爪痕か。爪のある動物で考え
てみよう。
1.人間の爪 2.猫の爪 3.犬の爪 4.熊の爪
「台風の爪痕」という言い方には、「復旧が困難な、甚大な被害」と
いう意味合いが込められている。人目見て、これはひどいと直感するよ
うなありさまなのだ。そう考えると、これはきっと、樹木に残された熊
の爪痕から言われるようになったものではないかと想像する。正解は4
番である。
いや、最近は人間も粗暴化の傾向にあるから、そうとばかりも言って
いられない。急増する重大犯罪は、人間の爪の鋭さを物語っている。正
解は1番に変更か。
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10/16 白湯
こう書いて「さゆ」と読む。何も加えない、ただの湯のことだ。「し
らゆ」とも読むようだが、ボクにとって白湯は「さゆ」である。そうで
なければ、「はくとう」だ。小さい頃から病気がちだったから、薬の効
能書きには馴染みがある。薬を湯で飲む場合、その湯のことはこう発音
するようだ。
中年を迎え、風邪などひかなくなったボクが再び出会った「白湯」は、
ラーメン屋のスープであった。パイタンスープである。あの濃厚な味わ
いは、ボクの人生の友と言っても過言ではない。
今後いつの日か、風邪をひいた折、薬の効能書きに「水または白湯に
てお飲みください」とあるのを読んだなら、ボクはラーメン屋に走って、
熱々のラーメンとともに薬を飲んでみたい。風邪をひくのも悪くないと
いう気がしてくるはずだ。
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10/15 台風が接近すると、航空各社はその対応が大変だ。安全第一で、しか
も旅客には誠意ある対応をせねばならない。台風は航空会社のせいでも
ないのに気を遣わねばならないとは、気の毒なことだ。
しかるに、報道番組でよく使われる、次の表現の無神経さはどうだろ
う。
……欠航したり、欠航することが決まっています。
聞いた瞬間に理解できる表現と言えるだろうか。だいたい、「たり」
を一度使って、二度目がないのは、正しい表現といえるのか。二度目の
「たり」を期待して聞いている人には、気持ちの悪い表現と言わざるを
得ない。ボクは次の表現が良いと思うが、みなさんはどうお感じだろう。
欠航したり、欠航を決めたりしています。
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10/14 「およそ」と「おおよそ」
説明が難しい。二つの言葉は同じ意味なのかどうかだ。辞書を見ると、
「およそ」は「おおよそ」の転だとある(「大辞林」)から、「物事の大体
のありさま。あらまし。」という説明で通る道理である。
しかし、二つの言葉がある以上、小さな違いをもっているというのが
ボクの見方だ。本当に意味が同じだったら、どちらかの言葉は消えゆく
運命にあるはずなのだ。
ボクの感じ方では、「おおよそ」の方がやや大仰で、もったいぶった
言い方に思える。「およそ人生とは……」と言う人がタバコをくわえて
いるとすれば、「おおよそ人生とは」と語る人は、アームチェアでパイ
プをくゆらせている。
しかし、こう書いたからと言って、ボクがタバコに理解を示している
わけでは決してない。
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10/13 ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
石川啄木である。望郷の念がひしひしと伝わる名歌であるが、この歌
が若い人たちに分かるかどうか、ふと不安になった。
一つには、「訛(なまり)」というものが希薄になってきたことが挙げ
られる。日本全国、標準語教育がよく浸透して、その地域に独特の発音
などというものがなくなってきたのだ。この要因として、テレビを初め
とした各種メディアの猛烈な普及が挙げられる。日本中が東京の方向を
向いているのが現代だ。
二つには、ふるさとの方言が聞きたくなったら、駅などに行かず、電
話をかければ済む便利さがある。携帯電話の普及もすさまじい。小学生
が自慢げに持って歩くのを何度見たことか。
こんな状況では、啄木の郷愁など、分かったものではない。ふるさと
は遠く懐かしく、偉大な場所であったはずだが、今や故郷にそれほどの
思いがあるだろうか。
しかし、かく言うボクにしたって、啄木が故郷渋民村から、どんな交
通手段で遙か東京まで出てきたか、その道程を経験して知っているわけ
ではないのだった。
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10/12 選挙に立候補することを「出馬」と表現するが、どうしてなのだろう。
なぜに「馬」なのか。
しゅつば 【出馬】(名)スル
(1)馬に乗って出かけること。特に、一軍の将が戦場に乗り込むこと。
(2)高い地位にある者が、その場へ出向くこと。
「会長の―を請う」
(3)選挙などに立候補すること。
「総選挙に―する」
(4)競馬で、出走登録をすること。でんま。
「―表」 (「大辞林」より)
元の意味を考えるに、どうも「出走登録」と書かれた「競馬」が一番
イメージが近いようだ。人の選挙を競馬にたとえているのだ。
ボクは競馬と聞くと、ギャンブルと考える方なので、この言葉は相応
しくないと思う。何か、汚い金が動いているみたいな気がして……。実
際の政治の世界は、そんなこともなく、きれいなものだと思うが。
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10/11 邯鄲の夢
邯鄲は中国河北省にある地名である。この言葉は、昔、官吏登用試験
に落ちて失意にあった盧生という青年が、栄華が思うままになるという
枕を借りて、夢の中で栄華を極めたが、目が覚めると炊きかけだった粟
がまだ煮えていなかったという故事によるものだ。
盧生の夢…………(ろせいのゆめ)
邯鄲一炊の夢……(かんたんいっすいのゆめ)
黄粱一炊の夢……(こうりよういっすいのゆめ)
なかなかバリエーションが豊富だが、すべて同じ意味である。芭蕉は
この言葉が気に入っていたらしく、「奥の細道」の中で、「三代の栄耀
一睡のうちにして」という形で残している。彼の才覚に感じ入る次第だ。
ボクは学生の時分、夢の中でいやな男を殴ったことがあるが、目が覚
めてみると枕の近くの壁にぽかんと穴が開いていたことがある。手にも
かすかな痛みが残っていた。夢は終わっていたが、壁に穴を開けた事実
は終わらなかった。
ものすごい勢いで眠気が覚めていった感覚を忘れることはできない。
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10/10 一つまさりの女房は金の草鞋(わらじ)で探しても持て
年上の女房はしっかりしているというのだろう。しかし、年上にも幅
があり、何歳年上でも良いというわけではない。一つ上が良いのである。
ところでボクは「金の草鞋」を長い間、「きんのわらじ」だと思って
きた。友達に「かねのわらじ」だと教えてもらってからも、「どんな大
金を払っても、地道に探すということか」と思っていた。これが先ほど、
「岩波ことわざ辞典」を見て、「丈夫な金属製のわらじ」だと分かって
からは、根気よく探すことだと納得できたが、昔の人が金属製の草鞋を
履いて歩く様子が想像されて愉快だった。
何かの養成ギブスみたいじゃないか。歩くとガチャガチャ音がする。
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10/9 もう10月だというのに、大きな台風がこちらに向かっている。子ど
ものころは台風の襲来にわくわくしたものだが、社会人はそんなことば
かり言っていると恥ずかしい。
さて、アメリカでは台風に女性の名前を付けるそうだが、子どもの頃
からそれが不思議だった。日本で使う「21号」のような呼び名は、そ
のまま発生した順序を表すので、小さい数字ほど古いものだと直感でき
るが、人名だとそういう訳にはいかない。
アメリカはさぞ不便なことだろうと思っていたら、「アジア地域でも、
西暦2000年からは台風に固有の名前をつける」ことが分かってびっくり
した。調べてみると、「ダムレイ」「ロンワン」「サオマイ」といった、
アジアン・テイストあふれる名前がずらり並んでいる。アジアの14か
国が、政府間組織「台風委員会」を作って命名したもので、1か国あた
り10の名前を提案している。都合140の名前が順に台風につけられ
ていくわけで、台風発生の頻度からして、おおよそ5年で一巡するらし
い。詳しくは、こちらを見ていただきたい。
面白いのは、日本がつけた名前がすべて星座を表すものであることだ。
しかも、有名なものはほとんど選ばれていない。「テンビン・ヤギ・ウ
サギ・カジキ・カンムリ・クジラ・コップ・コンパス・トカゲ・ワシ」
と聞いて、その星座の姿をイメージできる人はほとんどいないだろう。
選定の基準はどこにあったのか。
日本でもアメリカ式に台風を呼び分けるように期待しての決定だった
と想像するが、今回の台風をなんと呼ぶのか、ボクは知らない。台風委
員会の決定からすでに4年。長年の慣習を覆すのは難しいものだと思い
つつ、「ボラヴェン(高原)」「チャンチー(真珠)」「ジェラワット(淡水魚)」
など、覚えろという方が無理な言葉が並んでいることが気になる。こん
な名前が140のうち130もあるのだ。
この制度が一般市民のレベルにまで広がるのは、いつのことか。その
日は果てしなく遠い。ボクは永遠に来ないと予想する。
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10/8 スーパーで買い物。レジに並んだ時、隣のレジに不思議な文字列を見
た。それは、無人になったレジの電光表示である。普段は金額が表示さ
れるオレンジの文字が、次のようになっていた。
タルジヘオマワリクダサイ
タルジとは何か。その意味するものが分からず、しばし考え込んでし
まった。いったいどこへ回ればよいのか。……タルジ。
しかし、じっくり見ると、これは「タノレジ」であった。「他のレジ
へお回りください」なのだ。
バカらしいと思ったが、無人のレジに人が並ぶと思っているとしたら、
さらにバカバカしいことである。
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10/7 里山
最近耳にする言葉である。こんな言葉、昔は聞いたことがなかった。
しかし、聞いたことがないからと言って、その言葉が存在しなかったと
するのは乱暴というもの。少しは調べてみないといけない。
さとやま【里山】
集落の近くにあり、かつては薪炭用木材や山菜などを採取していた、
人と関わりのふかい森林。 (「大辞林」)
堂々と大辞書に載る言葉であるが、説明そのものが面白い。要するに、
人の役に立ってきた森林のことを「里山」と呼ぶのである。人の生活に
軸足を置いた説明で、分かりやすい。利用価値の多少で判断できるので
ある。
しかし、ボクたちはそんな山のことを「里山」とは呼んでこなかった。
単に「山」と言ってきた。「里山」の名前は、「奥山」との対比を意識
して生まれたものであり、山を分類する言葉として誕生したようだ。
近年、「里山の再生」という言葉に触れる機会が多くなったが、「里
山」の言葉はもっぱらこのように使われる。人の暮らしにいかに有用で
あるかを説明する時にだけ登場するのだ。
人が、自然との関わりを軽んじ、遠ざけていったその果てに、ようや
くその価値を認めた、そんな歴史のある言葉ではないだろうか。悲しい
言葉と受け止めたい。
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10/6 血液型は通例、ABOの3種の記号で表す。性格にも影響するという
ことで、血液型占いは広く知れ渡っている。それによれば、A型は理想
的な人物で、B型はマイペースで、O型はおおらかで、AB型はなんだ
か変わっているとするのが相場のようである。
さらに、「総理大臣にはO型が多い」とか「有名打者はB型とO型が
多い」とか言われているが、統計的に正しいことだと言えるのかは謎で
ある。
昭和46年、「ABOの会」を主宰する能見正比古氏は、その著書の
中で「血液型十戒」を挙げている。
1.血液型で人の性格を決めつけてはいけない。
2.血液型が性格のすべてであると思ってはいけない。
3.血液型で善悪を分けたり、人を非難してはいけない。
4.血液型で頭の良し悪しをいってはいけない。
5.血液型で性格が変わらないと早合点してはいけない。
6.血液型は適性適職に対しては重要だがそれですべてを決めてはい
けない。
7.成功や業績は人間の努力の結果。それを血液型で割り引いてはい
けない。
8.血液型と性格の関係分野を医者の領分とカン違いしてはいけない。
9.血液型を占いの一種と思ってはいけない。
10.血液型による違いより、人間どうしの共通性がはるかに大きいと
思うべきである。
日頃からそうではないかと思っていることをおっしゃるではないか。
血液型分析の大御所たる人物の見解がこうであるからには、血液型占い
を無批判に受け入れるべきではない。さりとて、こう述べながらも「A
型にはこんな傾向がある」などと研究を続けるABOの会の存在は無視
できない。
さて、不思議なのは、「A」や「B」があるのに、「C」がないことだ。そ
の後も連続性がなく、突然「O」に飛んでしまう。血液型に何が起こった
のか。今のところ、調べてみても判然としない。何かの略号なのだろう
か。
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10/5 焼き肉屋やウナギ屋で備長炭を使いすぎて、輸入元の中国でも原料の
木材が乏しくなったというニュースを聞いた。日本の食生活は中国の森
林資源にも影響を及ぼしていたのだ。 さて、備長炭とは何だろうか。
びんちょう-ずみ 【▽備長炭】
ウバメガシを材料としてつくる良質の白炭。火力が強く、ウナギの蒲
焼き用などに用いられる。元禄年間(1688−1704)紀州田辺の備中屋
長左衛門が創製。びんちょうたん。びんちょう。 (「大辞林」)
「備長炭」の名前は「備中屋長左衛門」から来ていたのか。備長炭は紀
州産が有名だが、「備中屋」の備中の国はそれほど関係ないようだ。
ところで、備長炭の基準は、炭化温度が800〜1200度で、原木を「樫」
または「うばめ樫」とし、硬度が15度以上のもの、となっている。つま
り、原木や製炭方法によらず「備長炭」を名乗ることができ、さらに、
どの国の原産であってもかまわないということである。
こういうことだから、備長炭が我々の知らない間に中国で大量に生産
されたのも、頷けることである。炭火焼き文化は海外を潤しつつ、同時
に次第に蝕んでもいたのである。
もう、ウナギとか焼き肉とか、贅沢を言うのはやめにしようか。
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10/4 標高と海抜
いったいどう違うのか。文字面からして、「標高」はこの国のどこか
を基準にとった高さであろうし、「海抜」はどこかの海面からの高さで
あろう。しかし、どこを基準にしているものなのだろう。
実は、日本の測量における高さの基準は、東京にあった。千代田区永
田町の憲政記念館に日本水準原点があり、全国にあまたある水準点の親
分となっているのだ。政治の世界も測量の世界も、どちらも原点は永田
町か、とは庶民の発想である。さてその原点の値は、24.4140m。
なになに、全国の基準となる原点なのに、ゼロではないのか。では、
ゼロはどこかというと、これが東京湾平均海面であった。永田町の水準
原点は東京湾の水面を基準とし、全国の水準点は永田町の水準原点を基
準としていた。
一方の「海抜何メートル」という場合も、東京湾平均海面より何メー
トル高いかで表すので、「海抜」と「標高」とは、実際には同じになる。
しかし、「海抜ゼロメートル地帯」とは言っても、「標高ゼロメート
ル地帯」という言葉はない。水の恐怖を知る人々には、永田町を介した
発想はないのだ。
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10/3 言葉の持つイメージについて考えたところだが、遺伝学には「劣性遺
伝」という言葉がある。ボクは高校で生物を学ばなかったので、最近ま
でその言葉すら知らずにきたのだが、「劣性」には「ダメな」というイ
メージがあるので、「ボクは優性遺伝がいいなあ」と簡単に思ってしま
う。
劣性遺伝とは、簡単に言えば、遺伝の仕組みが弱い遺伝の仕方と言え
ようか。優性遺伝に比べて、より子孫に伝わりにくい遺伝を劣性と言う
と考えると早い。O型は劣性遺伝だというが、普段はうらやましいO型
が、かわいそうな目に遭っているわけではないのだ。
アルコールは低級の方が高級だった。一つの言葉にいくつもの意味が
あると混乱してしまうではないか。
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10/2 ずいぶん昔のことになる。台所用洗剤のテレビCMで、「○○は、高
級アルコール系です」と宣伝していた。見ている方は、「そりゃ、低級
よりは高級の方がいい」と思ったものだが、当時の理科の先生は、「高
級アルコールの方が低級なわけで……」と話していた。クラスの仲間は
大方聞いていなかったようだが、ボクは今でも覚えている。
懐かしい思いで調べてみると、確かに、高級アルコールは高級なもの
ではなかった。難しい話だが、高級アルコールとは、炭素数6以上のア
ルコールの総称なのだった。炭素数が少ないアルコールは低級アルコー
ル、多いアルコールを高級アルコールというのだ。低級アルコールは無
色の液体であり、高級アルコールは、なんと蝋状の固体である。
洗剤のCMからこの言葉が消えていったのは、化学に詳しくない一般
の消費者を無用に欺くおそれがあったからであろうか。
お気づきのように、お酒に含まれるのは低級アルコールの方である。
個人的に今後の課題は、その飲み方が低級にならないように配慮するこ
とである。
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10/1 スイート・ルーム
ボクたちは、「スイート」というと「sweet=甘い」しか思いつかない
が、ホテルの「スイート」は「suite」と書き、「居間と寝室の続いた部
屋」という意味である。つまり、会議や打ち合わせのできる部屋だと思
えばよい。
二人で甘い時を過ごす。そんなイメージの言葉だが、本来は甘くも何
ともない言葉だ。(発音上は「sweet」と全く変わらないそうだ。)
さらに調べてみると、ホテルにある部屋は「スイート」であり、「ス
イート・ルーム」とは呼ばないらしいことが分かった。これはいわゆる
和製英語であるとのこと。日本人らしい間違いである。「ルーム」をつ
けないと、部屋のことだと思えないではないか。
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