石清水八幡宮
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仁和寺にある法師
 仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂く覚えて、あるとき思ひたちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何ごとかありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。(第五十二段)

京都府八幡市。ここは、日曜日なのに閉まっている店が多い。いや、日曜日だから休むという良き伝統を守ろうという気風の強い町である。駅前のコンビニとソバ屋は営業していた。
駅から二分の距離に石清水八幡宮がある。地元の神社という印象。観光客が目当てにする場所ではない。日曜なのに、人影もまばらである。
鳥居をくぐってしばらく歩くと「頓宮」なる社。石清水の下社の一つである。
さらに歩くと、同じく下社としての「高良神社」。仁和寺の法師はこの文字を見なかったのか。

あこがれたりするには小さすぎる。高良神社は戊辰戦争で焼けてしまい、後に再建されたので、これは法師が見たものではないが、元々壮大な規模のものだったら、こんな大きさではすまないはずだ。

高良社が「八幡の産土神」であることが読める。やはり地元の神なのだ。産土(うぶすな)神とは、「生まれた土地を守護する神。近世以降、氏神・鎮守の神と同一視されるようになった。(「大辞林」)」のことである。ボクたちが「うじがみ様」と呼ぶものと思って良い。
その高良社を鳥居越しに見る。小ささがよく分かる。虎柵があるのは、背後の山が崩れてきて危険だからである。
正面右にも社があるが、虎柵があって見に行けなかった。落ち着いたたたずまいである。
高良社の左にはこのような参道が山に向かって続いていた。仁和寺の法師も山に登る人が気にはなっていたのだが、「神社に参拝に来たのだから山には行くまい」と京に帰っていったのだ。ボクは法師のようになる気はないので、背に汗をじっとりかいて黙々と登った。
そして、悲しみの運命が待っていた。
この事実を直視できるだろうか。 ↓
これが石清水八幡宮の姿である。本殿は屋根の葺き替え工事だとかで、近寄ることができない状態だった。仮本殿への案内板が虚しい。こんなことなら山になんか登るんじゃなかったとさえ思える。法師のように知らずに帰った方がましかも知れない。
失意のボクをなぐさめる京の風景。画面左上方向に仁和寺がある。法師の苦労がしのばれる。
帰りの階段がばかばかしいので、ケーブルカーで帰ることにした。ボクも石清水が工事中なのかどうか、誰かに確認するべきだった。

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