立石寺 |
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立石寺は山にはり付くように建てられている。地元の呼び名は「山寺」で、道路標識にも「立石寺」の文字はない。 | |
石段を上れば、汗をかく間もなく本堂に至る。意外なほどあっけない。 | |
訪れたのは5月1日。山形は桜が満開だった。 | |
「閑さや……」の俳句。もっとも、芭蕉の時代には「俳句」の語はなく、「発句」と呼んだものだが。この句碑を見て、やっとここまで来たか、と感動が込み上げる。 | |
その俳聖芭蕉。耳を澄ませて何かを聞いているようでもある。 | |
石段を上れば、右に左に岩に刻まれたものが次々と現れる。墓誌のようである。 | |
この山は削りやすい岩でできているのか。本当にどこにでも、穴があいていたりものが彫られていたりする。 | |
明らかに墓である。このような形の墓は見たことがなかった。いや、そんなことはないはずだが、今まで気にしたこともなかった。 | |
見上げるような位置にあるのは、仁王門。これは入口に過ぎない。 | |
格子の中、左右に阿形と吽形の仁王がじろりとにらむ。 | |
立石寺はこのような地形にある。ここに寺を建てようとした慈覚大師の気持ちは分かるが、それを実行してこれを建てた人の気持ちが分からない。なぜ「できません」と言わなかったのか。 | |
山の形を見ると、雨風に浸食されたことがよく分かる。 | |
こんな所にお堂を建てるなんて。 | |
このお堂の中で一晩過ごしたら、何か超自然の力が身に付くかも知れないと思えた。 | |
岩から半分落ちかかるようにして建てられた、いわゆる「舞台」の五大堂。 | |
そこからの眺望である。誇張でなく高い。 | |
汗もかき、心も静まったところで、山を下りることに。行きに通った仁王門を階段の上から撮影。さすがにゴールデンウィークは人が多い。 | |
人が多くて、「心澄ゆくのみ覚ゆ」とはいかなかったが、長年のあこがれの地に来たことに満足。人に話してもきっと共感してもらえないと思っているが、立石寺は、ボクにとっての聖地であった。 | |
立派なゼンマイを見つけた。良い時に来た。 | |
こういうのを記念写真という。あこがれの実現である。 |