あの眼の光るは
星か、螢か、鵜の鳥か、
螢ならばお手にとろ、
お星樣なら拜みませう…………
海を見てはじめおそれぬ。それから年を經て、私はその瀉(がた)のなかに「ムツゴロ」といふ奇異(ふしぎ)な魚の棲息してゐることを知つた。そうしてその山椒魚(さんしよううを)に似た怪(あや)しい皮膚の、小さなゐもり状(じやう)の一群を恐ろしいもののやうに、覗きに行つた。後には吹矢(ふきや)のさきを二つに割(さ)いて、その眼や頭(あたま)を狙(ねら)つて殺して歩(ある)いたこともある。瀉にはまた「ワラスボ」といふ鰻に似て肌の生赤い斑點(ぶち)のある、ぬるぬるとした靜脈色の魚もゐた。魚といふよりも寧ろ蛇類の癩病にかかつた姿である。「メクワジヤ」と稱する貝は青くて病的な香を發する下等動物である。それを多食する吝嗇(けちんぼ)の女房はよく眼を病んで堀端(ほりばた)で鍋を洗つてゐた。「アゲマキ」という貝は瀟洒な薄黄色の殼(から)のなかに、やはり薄黄色の帽子をつけた片跛(かたちんば)の人間そのままの姿をして滑稽にもセピア色の褌をしめた小さな而して美味な生物である。その貝を捕る女は半切(はんぎり)を片手に引き寄せながら板子を滑らしては面白ろさうに走つてゆく。恰度、夏の入日があかあかと反射する時、私達の手から殘酷に投げ棄てられた黒猫が、黒猫の眼が、ぬるぬると滑り込みながら、もがけばもがくほど粘々(ねばねば)しい瀉の吸盤に吸ひ込まれて、苦しまぎれに斷末魔、爪を掻きちらした一種異樣の恐ろしい粘彩畫の上を、女はまた輕るく走りながらその板を滑らせては光澤(つや)つやと平準(なら)してゆく。さうして汐の靜かにさしてくる日没後の傾斜面は沈着(おちつ)いた紫色の光を帶びて幽かに夕づつのかげを浮べる。かうして瀉の不可思議は私らの幼年時代に取つては實に怪しくも美くしい何かしら深い秘密を秘めた恐怖と光の魔宮であつた。
そは何時か、乳母の背に寢て、
色青き鯨の髯を賣るという老舖見しごと。
青き甕にはよくコレラ患者の死骸を入れたり、これらを幾個となく擔ぎゆきし日のいかに恐ろしかりしよ、七歳の夏なりけむ。『青甕(あをがめ)ぞ。』――街衢(ちまた)に聲す。
松葉牡丹のことをわが地方にてロンドンと呼びならはしぬ。その韻いまもわすれず。
Ongo. 良家の娘、小さき令孃。柳河語。
Benjo. 肌薄く、紅く青き銀光を放つ魚、小さし。同上。
註 酒を搾り了れるあとの濕りたる酒の袋を干しにとて、日ごとにわが家の小舟は街の水路を上りて柳河の公園の芝生へとゆく。わが幼時の空想はまたこの小舟の上にて思ふさまその可憐なる翅をばかいひろげたり。
註 わが幼き時の恐ろしき疑問のひとつは、わが母は眞にわが母なりやといふにありき。ある人は汝は池のなかより生れたりと云ひ、ある人は紅き果の熟る木の枝に籠とともに下げられて泣きてゐたりしなど眞しやかに語りきかしぬ。小さき頭惱のこれが爲めに少なからず脅かされしこと今に忘れず。[#改頁]
1.油屋、酒屋、古問屋。油屋はわが家の屋號にて、そのむかし油を鬻ぎしというにもあらず。酒造のかたはら、舊くより魚類及※物の問屋を業としたるが故に古問屋と呼びならはしぬ。
2.Yokaraka John.善良なる兒、柳河語。
3.朱のMen.朱色の人面の凧、その大きなるは直径十尺を超ゆ。その他は概ね和風凧の菱形のものを用ゆ。
4.Gonshan.良家の令孃。柳河語。
1.Omika の婆。Omika と呼ぶ狂氣の老婆なり。つねにわが酒倉に來てこの酒倉はわがものぞ、この酒もわがものぞ、Tonka John 汝もわがものぞ。汝の父母と懷かしむ彼やつらは全く赤の他人にてわれこそは汝が母ぞよ。われを見て脅かしぬ。
2.ガメノシユブタ。水草の一種、方言。
わが友は自刄したり、彼の血に染みたる亡骸はその場所より靜かに釣臺に載せられて、彼の家へかへりぬ。附き添ふもの一兩名、痛ましき夕日のなかにわれらはただたんぽぽの穗の毛を踏みゆきぬ、友、年十九、名は中島鎭夫。
* 嫁入のあくる日盛裝したる花嫁綿帽をかぶりて先に立ち、澁き紋服の姑つきそひて、町内及近親の家庭を披露してあるく、風俗花やかなれども匂いと古く雅びやかなり。
酒屋男は罰被(か)ぶらんが不思議、ヨイヨイ、足で米といで手で流す、ホンニサイバ手で流す。ヨイヨオイ。
1、ちの[#「ちの」に傍点]は雅言のとや[#「とや」に傍点]なり。來たの、來たんですつて。柳河語。
2、Odan はわたしなり、Tinco Sa は感嘆詞なり、全體の意味はあら厭だよ、まあ。同上。
* 鄙びた粗末なる一種の琵琶を抱きて卑近なる物語を歌ひながらゆく盲目の門づけなり、地方特殊のものにてその歌ひものをみふし[#「みふし」に傍点]と云ふ。
●表記について
・本文中の「/\」は、二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)。
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」。
・本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
震※(わなな)いたのである。 |
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幽かな※芙藍(さふらん)の凋れに ※芙藍 ※芙藍(さふらん)のくさを植ゑたり。 |
第3水準1-86-66 |
水車は長閑かに※り、 後退(あとしざ)りつゝ咆(ほ)え※り、 匍(は)ひ※(まは)りながら 見れば輪※(りんね)が泣きしやくる。 ※(まは)せ、※(まは)せ、水ぐるま、 ※(まは)せ、※せ、水ぐるま、 ※り舞臺も滑(すべ)るなり、 |
第4水準2-12-11 |
※(や)くが如き暑熱を注ぎかける。 |
第3水準1-87-42 |
※(もと)すり歌の櫂(かい)の音が 四、※すり唄のこころは ※(もと)すり唄のこころは |
第3水準1-92-86 |
鐃※(ねうはち)の音を聽いたばかりでも 大なる鐃※(ねうはち)ひびき、 |
第3水準1-93-6 |
潤(うる)んだ※(まぶた)に ※(まぶた)、※、薄う瞑(つぶ)つた※を突いて、 ちよいとつまんで※へ當てて |
第3水準1-88-81 |
漫畫まで※んで見た、 なほこの集に※んだ司馬江漢の銅版畫は |
第4水準2-13-28 |
わが君おもふ※オロンの靜かなるしらべのなかに、 かすかにも彈き鳴らす※オロン彈(ひ)きの少女。 |
面区点番号1-7-83 |
※照らす夕日の光さしもまた涙ぐましき、 ※の彼方(かなた)はあかあかと沈む入日の野ぞ見ゆる。 |
第3水準1-89-54 |
※倉のほめき 思ひ出は※倉(こくぐら)の挽臼(ひきうす)の上に かの※物(こくもつ)の花にかくれんぼの友をさがし、 ※倉(こくぐら)の夕日のほめき、 魚類及※物の問屋を ※物の花にむせび、 |
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※(かげ)りゆく日の 思ひ出はまた※(かげ)りゆく。 |
第3水準1-85-32 |
※酒(ききざけ)するこころの、 |
第3水準1-15-4 |