気になって眠れない 日本語改善委員会 (誤字の発見には限界を感じています。)
No.134 計算が合わない
くだらないことで恐縮です。「-2度涼しい」とは、「2度暑い」 ということだと思います。中学校1年生の授業では、そう教えていると思います。
No.133 簡単な同音異義語……でも
大規模小売店と、今でも呼ぶのでしょうか。関市のそんな店の一角で、誤字を発見しました。
下の写真から、答えが分かるでしょうか。
「図り方」とありますが、正しくは、「測り方」 でしょうね。ちょっとしたミスです。
「はかる」を漢字で書くときには気をつけなければなりません。ちょっとした緊張感が走ります。
図る いろいろと試みる。また、くわだてる。
意図、企図、壮図
「合理化を図る」「推進を図る」「収拾を図る」「自殺を図る」「図らずも」
計る 数量や時間を調べ数える。また、試み企てる。
計算、計量、計画、計略
「時間を計る」「計り知れない恩恵」「利益を計る」「将来を計る」
量る 容積・重さなどを調べる。また、おしはかる。
大量、少量、計量、推量
「目方を量る」「米を升で量る」「タンクの容量を量る」「推し量る」
測る 高さ・長さ・広さ・深さ・速さなどを調べる。
測定、測候、測深、実測
「水深を測る」「標高を測る」「距離を測る」「面積を測る」「速度を測る」
謀る 策略をめぐらす。また、だます。
陰謀、共謀、謀反、無謀
「逃亡を謀る」「悪事を謀る」「暗殺を謀る」「まんまと謀られる」「謀るに足る」
(「同音語情報」より抜粋)
No.130 東京の放送局なんだけどね
土曜日朝の報道番組に微妙な違和感。総務省を装った偽メールに注意を喚起する内容でしたが、その画面に気になる表現がありました。考え出すとうーんとうなってしまいます。まずはその画面をご覧ください。
「ああ、これはやってしまいそうな間違いだ」というのが正直な感想です。
僕がおかしいと思ったのは、最下段の「情報搾取」のところです。ここは「搾取」ではなく、「詐取」だと思うのです。「さくしゅ」と「さしゅ」の二つは、発音が似ているので間違えやすいでしょうが、二つの意味は全く違います。
金品を巻き上げてうまい汁を吸うという点では「搾取」でもよい気がしますが、さきほどの画面は詐欺行為についてのものなので、「詐取」がふさわしいと思います。国語辞典はこのように明解に答えを出してくれますが、現実の世界では「詐取」と「搾取」の境目が危ういことになっているのかもしれませんね。
No.129 中華料理店
伊吹山に登った帰り道、垂井町を走っていたときのことです。ふと、「中華楼」の看板が目に飛び込んできました。「あ、誤字だ!」と思ったのですが、後続の車のこともあり、急ブレーキは踏めません。次の交差点を利用して向きを変え、目当ての看板まで戻りました。
結論から言えば、「中華楼」の「楼」の字が誤字でした。旧字体は格好が良いので、「中華樓」としたかったのでしょうが、写真の通り、横線一本を入れ忘れたような、独特の形になっていました。
(正しくはこのような形です。これが旧字体です。)
(こちらも正しい形ですが、これは新字体です。)
店の中はすべてこの字で統一してあるので、それらをみな正しい文字に直そうとすると、それなりに費用がかさみます。
下の写真は、以前、「樓」の字を「棲」に書き間違えたラーメン店のものです。「老麺樓」と表示すべきところを、メニュー、箸袋から、店内に鎮座する巨大な壺に至るまで、すべて「老麺棲」と、誤字で統一してありました。こちらは社長さんに訂正を進言して受け入れていただいたという貴重な経験があります。ただ、それにはなかなかの費用と手間がかかるらしく、茜部の本部以外の店舗は看板も誤字のままです。
それでも、正しい文字を認識して訂正に応じてくださったのはたいしたものだと思います。
No.128 詐欺メール
「もし、あんたが、君はできるこのメールを無視。」とのメッセージです。どう見てもまともではないので、詐欺メールに間違いありません。もう30年も同じアカウントを使っているので、詐欺メールは毎日届くのですが、これほど日本語が下手くそなのは初めてです。
ただ、気をつけねばなりません。興味があっても、「詳細を見る」の文字をクリックしないことです。クリックした時、何が起こるのか、想像がつきます。日本語は下手でも、それ以外はどうだか分かりませんからね。
ところで、日本人ではない(と思われる)この人は、世界のどこで、どんな毎日を送っているのでしょうか。詐欺行為よりほかに生きる手段はないのでしょうか。犯罪の裏には個別に事情があるはずです。
闇の世界から届いたメールなのでした。
No.127 ボーッと生きていても気がつく
NHKの「チコちゃんに叱られる」は、かわいらしい5才女児が烈火のごとく怒るシーンで人気を博した娯楽教養番組です。意外な展開と使い古された手法とがうまくバランスされており、多少の浮き沈みがあったとしても、まだまだ続く番組だと信じています。
それが先日の放送では、「殺菌・除菌・滅菌・抗菌」の違いを扱うこととなり、番組では説明のために、各種スプレー容器を準備することとなりました。しかし、民間の放送局でないため、特定メーカーの製品を映すことができません。よくあることですが、こうした場合、製品ラベルは番組スタッフが手作りすることになります。
そこに、「滅菌」の文字を理解しないスタッフがいたのでしょうね。「減菌」と書かれたスプレー容器がほんの2秒ほど映されていました。下の画像はその流れを伝えるものです。
最近のことを研究する先生が説明をします。
具体例を示してくれるのがNHKらしいところ。でも、ひとつだけ間違っているの、わかりますか。
画面を拡大するとこの通りです。
スタッフの方の苦労を感じます。「減菌」なんて言葉自体、存在することを知る人もそんなにいないのではないでしょうか。「減菌」って、ご存じでしたか?
真相は闇の中ですね。
No.126 勤務校の図書室で
今回は、「探検」を「探険」と書いている例です。
最近では、「探険」という表記が市民権を得て、辞書にも載るようになってきましたが、本来は「探検」です。「検」の字は「しらべる」という意味ですから、「探検」は、「未知の部分に深く入って詳しく調べる」という意味ですね。それを「探険」と書くのは、探検が危険を伴うからではないかと思われます。つまり、冒険の要素を含む探検は探険と書くということです。
写真の図鑑は、世界の驚くべき自然の姿を多数紹介したものです。火山の噴火やワニを食うアナコンダの写真などが生き生きと排列されています。危険な感じがしますから、「探険」という表記を許したくなってしまいます。
No.125 通りがかりの倉庫で
何かの工場と思われますが、中はがらんとしています。操業していないのでしょうか。新型コロナウイルス感染症拡大のあおりを受けてのことではないか、と心が痛みますが、詳細は分かりません。
さて、その入口付近に何か書かれた紙が貼られています。近寄ってみると、意外な文字列。
倉庫として利用してほしいとの提案なのでしょうか。「借倉庫」とあります。ここは 「貸倉庫」としてほしいところですが、何か事情があったのではないかという思いが先に立ちます。「借りてほしい」の思いが強くてこうなったのではないかと勝手ながら推測しています。
No.124 気に入ったらとことん好きなのだ(各務原市内の信号交差点で)
このトラック、滋賀県を愛する人が運転しているのかなあ、と思いました。(尾張小牧ナンバーですが)
「古城にひとり たたずめば 比良も伊吹も 夢のごと」とあります。「古城」というのは安土城趾のことでしょうか。あるいは長浜城か。5番の歌碑は彦根にあるそうですが、いずれにせよ、この城から西には比良の山々が見渡せたはずです。比良の山にはあの比叡山が今も歴史を刻んでいます。振り返って東を望めば伊吹山。そのすぐ先には関ヶ原の合戦地が横たわっています。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など、「つわもの」が駆け抜けた時代を思わずにはいられません。
「琵琶湖周航の歌」というのは、かつて加藤登紀子が歌ってヒットした名曲です。「われーは、うーみのー子、さすーうらーいのー」で始まる、旅情あふれる歌詞と歌声に日本中がほれ込んだものでした。もう50年も前のことです。それ以前にも何度もレコード化されており、いわゆる初版はというと、昭和8年(1933)まで遡ることになります。
歌詞の著作権は消滅しているので、すべてを載せます。
1 われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
2 松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや
3 波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
4 瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶしま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく
5 矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
6 西国十番 長命寺
汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
語れ我が友 熱き心
このように、琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われるのです。かのトラックの後方ドアを飾ったのは、確かに5番のものでした。「矢の根」「夏草」「堀」などの言葉が並びますが、やはり作詞者は戦を意識していたのでしょう。歴史を深く愛した人なのでしょう。
こうなると作詞者その人が気になりますが、これが小口太郎という学生さんで、第三高等学校(今の京都大学)のボート部員でした。ボート部では、漕手六人に舵手一人というボートで琵琶湖を時計回りに一周するというチャレンジを毎年行っていました。3泊4日程度のスケジュールで行っていたそうです。
小口太郎は1917年(大正6年)6月の琵琶湖周航中にこの歌詞を思いついたといいます。今を去ること100年あまり。当時の小口太郎は19歳の青年でした。それを思えばなおのこと、よくぞと思わせるできばえです。小口太郎はその後、東京帝国大学に進学、26歳で永眠したそうです。惜しいことをしました。
そもそも今回、トラックのドアの撮影に及んだのは、その3行目を見とがめたからです。「歌詞に感動したのだから、『歌碑』と書くのは当たっていない。『歌碑』は歌詞が刻まれた碑(いしぶみ)のことだから、それは感動の対象ではない。『五番』で終わればよいし、書くなら『歌詞』と書くべきところだ」と言いたくてシャッターを切ったのです。ところが、調べているうちにいろいろなことが分かってきて、自分の浅はかさに気づいたのでした。
「学びは連続している」
だれの言葉でしたっけ。僕の言葉です。
No.123 公共の電波なのだから、気にしてほしい
テレビ番組に誤字を見つけることは珍しいことではなくなりました。「番組の中に誤字なんて。昔はこんなことはなかったのに」と思うのは、これは最近の放送局に問題があるのか、それとも自分がちょっとだけ賢くなったのか。まあ、どちらでもいいことです。
さて、さきほど、ふとつけた昼のテレビ番組の画面の右上。そこに「クギズケ」の文字。誤字です。や、これはテロップのミスではないかと思いつつ、番組の進行を見守っていると、どうも単なるテロップのミスではなく、これは番組名そのものではないかという思いが湧いてきました。
そこで番組表を見てみると、次の通りです。
ああ、やはり。
これは番組スタッフのその場のうっかりミスなどではなく、番組の企画を検討する放送局内の会議を経て決められたものなのです。
いいのでしょうか。
念のため、国語辞典を見ておきました。(新明解国語辞典)
このような間違いは、「つまづく」と「つまずく」、「もとづく」と「もとずく」、「ちかづく」と「ちかずく」などによく見られます。
それぞれ、どちらが本則かというと、次の通りです。
×つまづく ○つまずく
○もとづく ×もとずく
○ちかづく ×ちかずく
悲しくも、 「つまずく」が孤立しているようですね。日本語では「つま」というと、「爪」「端」などに思い当たりますが、そうなると本来は「爪突く」が正しいということも理解できるでしょう。まあ、漢字で書く時は「爪突く」ではなく、「躓く」なので、そこに「つく」があると主張しずらいところもあるのですが……。
あ、「主張しづらい」でしたね。気づきましたか?
No.122 そこに品のよさを求める
「やつ」という言葉は、物事の高級感をそぐ第一人者といってよいでしょう。「やつ」は、「もの」「こと」と同様に手軽に使われる言葉ですが、場面により据わりの悪い言葉となります。東京のブティックで服やカバンなどを買い求める客に、店員が「こちらのやつはいかがでしょうか」「もう少し大きなやつをお探ししました」「こちらがワンサイズ大きいやつになります」などと話しかけてきたら、気分よく買い物ができるか、怪しいものです。
下の写真は、ラーメン屋のテーブルです。ここでは、調味料の容器を「やつ」と呼んでいるようですね。親しみやすい表現ですが、品の良い表現ではありません。こういう場合は「やつ」と言わず「容器」と呼べばよいようにも思いますが、ややよそよそしい感じが出てしまうという欠点もありますね。
No.121 考えてみると眠れなくなる。
「最期」の語は使い方が難しいと思いませんか。新明解国語辞典によれば、「命の終わるときの意」とあるので、それはなるほど明解なのですが、「終わるとき」がどのくらいの幅を持つのか、そこが明らかではありません。ですから、「ローマ帝国の最期」などという用例が載っているのです。人間の「最期」というと、それを看取ることもできましょうが、国の最期とはどのようなものなのでしょうか。
さて、下の写真は人と人とのつながりをイメージさせる印象的なコピーです。そして、読み手は「誰が誰にありがとうを言うのだろう」と考えさせられます。人生が互いの感謝に支えられていることを簡潔に表しています。
どんな時でも感謝が言えるお互いでいたいものですね。
No.120 信号待ちで隣に止まったトラックから
商用車の側面の文字には「進行方向を先頭に読む」という伝統があって、しばしば通行人(特に若い世代)を惑わせます。「中島」と思われるこの社名は、若者言葉に変化しています。
こうした側面文字にも有名どころがあって、代表を挙げよといわれれば、いの一番に挙げたいのが「スジャータ」です。逆に読みたい意識をくすぐってきます。こういうものを見つける中にも、ささやかながら幸せは潜んでいます。
No.119 テレビにも誤字
「放送局には正しい日本語を伝え広める使命がある」というと、ちょっと大げさかもしれません。そもそも、「正しい日本語」などというものが果たしてあるのか、それすらわかりません。しかしながら、テレビの音声や画面に「今の表現、おかしいんじゃないの」と感じることが多いのも事実です。年齢による違いもあるのでしょうけれども。
さて、次の写真は我が家のテレビ画面。この画面に違和感はないでしょうか。
問題点は画面の右上です。
これは「影で」ではなく、「陰で」が正解ですね。
「影」は、光が当たらない部分のことを指す文字ではありません。それを表すのは、「陰」です。ですから、「物陰」「陰口」などと書くのですね。(「山陰地方」は、山地の北側なので南側に比べて日照が少なく、それゆえその名がつけられたようですが、そういう名を冠せらるのは気分のよくないことだと思います。かつて太平洋側と日本海側とを「表日本・裏日本」と呼び分けていたことを思い出します。)
では「影」とは何かというと、それは「姿形」なのでしょう。「人影」は「人の姿」のことですし、「面影」は「顔の形・イメージ」です。決して「顔の暗い部分」ではありません。「火影」は「ほかげ」と読みます。意味を調べると、「灯火の光」「ともしびにうつしだされた姿」(「新明解国語辞典」)とあります。
「影踏み」で踏んだり踏まれたりする、あの黒っぽいものは、「人の形」をしているからこそ、「影」と呼んでいるようです。そう考えると、「影絵(劇)」は、明かりによって浮かび上がった「形」が生み出す芸術なのですね。
「影」はそもそも「見えるもの」であり、「陰」は「見えない」ことに軸足があると考えるとよいでしょう。
No.118 看板の文字(一宮市にて)
手描きの看板には間違いが潜むリスクが上がるものですが、この看板の文字のどこに問題があるのか、気づいた人は少ないのではないでしょうか。クローズアップした画像をご覧ください。
古びたこの看板、問題は「印」の字です。筆順が違うことが、文字の形の違いに表れています。正しくは次の通りですね。
看板の「印」の左下が左に出ているのは、おそらく「折れ」の表現でしょうが、これは間違いですね。筆順を間違えるとそれが文字の形にも表れるので、注意しましょう。
No.117 洋品店
もはや令和の御代にあっては、私たちが「洋品」でないものを身に付けることもなくなってしまいました。和装であることの方がむしろ珍しいのであって、「和装」=「改まった場面」という方程式が成立するといってよいでしょう。
「洋品」の語は、庶民が普段着としての「キモノ」に身を包んでいた時代に、あこがれの感情と共に生まれたものではないでしょうか。僕はそう解釈しています。映画の世界、きらびやかな西洋文化に触れられる、ちょっとすました、おしゃれなショーウィンドウのその向こう。背筋を伸ばして踏み入れたい世界。文学作品にも、「洋品」の語は観察できます。
……千日前から道頓堀筋へ抜ける道の、丁度真中ぐらいの、蓄音機屋と洋品屋の間に、その表門がある。 表門の石の敷居をまたいで一歩はいると、なにか地面がずり落ちたような気がする。敷居のせいかも知れない。
織田作之助 「大阪発見」
……どうしてこの洋品部が丸善に寄生あるいは共生しているかという疑問を出した時にP君はこんな事を言った。「書物は精神の外套であり、ネクタイでありブラシであり歯みがきではないか、ある人には猿股でありステッキではないか。」
寺田寅彦 「丸善と三越」
…… 旧時代のハイカラ岸田吟香の洋品店へ、Sちゃんが象印の歯みがきを買いに行ったら、どう聞き違えたものか、おかしなゴム製の袋を小僧がにやにやしながら持ち出したと言って、ひどくおかしがって話したことを思い出す。
寺田寅彦 「銀座アルプス」
しかし、洋品店は今や、このようなハイカラのイメージから遠ざかり、その多くは絶滅の危機に瀕した古くさい店になってしまいました。近くに大規模小売店が出店したら、それが運命を決するのではないかと心配になります。生き残っているのは、地元の根強い支持と店主のお人柄のおかげではないか……。勝手ながら、そう想像してしまいます。
No.112 つぶやき
「尊い」と書いてどう読むか。答えは二つあります。ひとつは「とうとい」、もう一つは「たっとい」です。「たっとい」という読み方はもはや一般的ではなくなってしまって、どこかおかしみのある読みだと感じる自分が悲しいです。
さて、どうして読み方が二つもあるのか。気になっていた方も大勢いらっしゃるのではないかと思います。ボクもそうでした。年を重ね、いろいろな文章に触れる間に、法則のようなものが見えてきました。それは、「過去から、時間軸に沿って、発音は楽な方へ流れる」「現代語は古語のなれの果て」という気づきと、「様々な音便に古語の名残を見る」との見方によるものです。
「ふ」の字は、「っ」と「う」の二つの音便をもちます。ボクは大まかに、関東では「っ」、関西では「う」ではないかと推測しています。
いい加減な仮説ですが、これにより、
関東 関西
「買ふ + た」 → 「買った」 「買うた(こうた)」
「しまふ + た」 → 「しまった」 「しもうた」
「会ふ + た」 → 「会った」 「会うた(おうた)」
「言ふ + た」 → 「言った」 「言うた(ゆうた)」
「食ふ + た」 → 「食った」 「食うた」
「たふとい」 → 「たっとい」 「とうとい」
などの説明がつきます。 このほか、同じ漢字を使いながら読みが二つあるという場合について、次のような事例を見ることができます。
りふ 立派 建立
はふ 法被 法律
たふ 塔頭 西塔
左のものは促音で読み、右のものはウ音で読むというものです。
これは現代の読みであって、それを古代から変わっていないと考えるのは無理があります。言葉を文字に残す以上は、きっと当時そのような発音があったのでしょう。「かふた」と書かれた言葉は、「かふた」と発音していたと考えるのが自然ですし、そういう発音を「めんどくさい」と感じるのは大切な感覚です。
現代人が「ありがとうございました」と言えずに、「あざーした」「あした」と言ってしまうのをとがめるのは当然のことでしょうが、「ありがたくござりました」などと言わない理由もここにあります。
「音便」を、「言いにくい言い方を心地よくする働き」だと捉えることができれば、これまで以上に言葉を柔軟に捉えることができるのではないかと思います。それは、伝統の軽視ではなく、先人を身近に感じる営みだと思います。
No.95 通りがかりに
何でもない看板ですが、これが美容室のものだということが面白いと感じた次第です。
新しい髪型に挑戦してみる気持ちにさせられる人もいるのではないでしょうか。
No.94 勤務地付近の電柱標識から
岐阜市立梅林中学校の校区には目出度そうな町名がひしめいています。「瑞雲町」「九重町」「曙町」「大黒町」「雲井町」「三笠町」「月丘町」「入舟町」など、なんだか神話か和歌の世界に住んでいると錯覚しそうです。
そんな中に「戎町」というのがあります。こう書いて「えびす町」と読みます。やはり神様と無縁とは思えません。七福神のように宝船に乗った気分にさせる地域です。
写真はその戎町の電柱です。残念なことに町名表示がおかしいのに気づいて撮影しました。縦棒が一本多いですね。誤字です。これでは「戒め(いましめ)」の町みたいで、せっかくの神々しい気分が抜けてしまいそうです。
地元の人たちはどう感じているのでしょうか。ほんとうは、そこのところが知りたいと思います。どうか違和感をもっていてほしいと勝手に思う次第です。
No.93 駅名表示の間違いから
しばらく前に、「北千住」の表示が「北干住」になっていたというニュースが流れて、多くの日本国民は「駅名の扱いはそんなものなのか」と感じたと思います。けれども今となっては、もう誰も気にしてはいませんね。新しいニュースは次々と持ち上がってくるものですから、いつまでもそんなことばかり考えるのは生産性が低いと言えましょう。
さて、こうして問題は先延ばしにされます。何のことかというと、私の苗字の書き方についての誤解が残されたままだということです。私は「岸」といいますが、この字には「干」の形が含まれています。これを「千」と書き誤る人が後を絶ちません。三十年間教職にありますが、職員室の黒板やメモ書きなどにこれを違う形で書かれたことは数知れません。
ニュースで「北干住」表記を笑った人も、「岸」で間違えているかもしれないことを警告しておきましょう。
No.92 臥龍桜の公園にて
「近ずける」は「近づける」の間違いです。写真にあるとおり、このトイレには2箇所に同じものが貼り付けてありますが、ひょっとしてこれは量産品でしょうか。そうでないことを祈ります。
No.91 鵜沼宿を歩いていたら……
私の地元鵜沼宿は中山道の旧宿場町です。その町並みを保存しようということで、古い建物に手を入れて新築同様になったりしているので、世の動きは面白く観察できます。
この写真は、そんな動きの中、食事を供するようになったある一軒の軒下にある看板です。
急いで作ったものなのでしょうね。どこがおかしいか、分かりますか?
No.90 郡上市の温泉施設にて
再入館を禁じるのは、こういった施設ではよくあることです。料金の徴収がうまくいかなくなるからなのだろうなあと思うのですが、時々館内に忘れ物などをして係の人に頭を下げて入れてもらったりしている者としては、「再入館お断り」のメッセージは胸に痛いものです。
で、こちらは行きつけの温泉施設。大変泉質がよく料金も手頃な上に子どもが喜ぶ滑り台など設置してあるので何度も通っています。なのに、この写真のように再入館を禁じているので、入浴後ははらはらしながらドアを出ています。
ならばこの写真は何か。
館外に出るための専用のスリッパだそうです。それは再入館ということですよね。
こういう心の広さがすてきだと思います。
No.89 給食の補助食に
「小女子」と書いて、「こうなご」と読むということです。「小さなおなご」ならば「こおなご」ですよね。
しかるに「こうなご」。世の中には分からないこともたくさんあるようです。
No.88 どこで撮影したものか記憶がありません。(7/12)
この札を作成した人はたぶんローマ字入力でしょう。「煮込み」を「見込み」とするのは、NとMが近い位置にあるからですね。私はこのご時世にかな入力で肩身が狭い思いをしています。かな入力ではシフトキーをよく使うのですが、その押し方が足りないと「さようでございます。」と書いたつもりが「さようでございまする」となってしまって、時代劇のようです。ローマ字の方には分からないでしょうね。
ちなみに、「見込み」とは、骨董業界では「器の内面中央部」のことを言います。茶碗の場合は内面全体のことをいいます。
ですから、「鍋見込み」とは、なかなかうまい間違え方だと言えましょうね。
No.87 ふと信号停止時に (6/29)
「名は体を表す」という言葉がありますが、この頃は必ずしもそうではないようです。
「激安!! スタッフ給油の店」とあるのに気をとられていましたが、一番高い場所にこの店の名を見て複雑な気分になったということです。 調べてみると、独自ブランドのチェーン店だということでした。この店にもいろいろな歴史があるのでしょうね。
No.86 温泉施設のお食事処から (6/29)
湯上がりに冷たいうどんなどがおいしい季節になりました。
東濃の某所、泉質の良い温泉施設にこのような看板を出した店がありますが、「セルフサービス」の文字が躍っています。でも、なんだか面白くない気分にさせられるのは、なぜでしょうか。
どうやらお客様の所まで行くことができなくなったらしいですね。忙しいのでしょうか。 いや、それとも面倒になったのでしょうか。まあ、それは分かりません。ただ、手が回らなくなって迷惑かけるようになったことを「リニューアル」と表現するのがしゃくにさわるのでした。
セルフサービスにシステム変更するには、食器の返却場所を設置せねばならず、店としては小規模でも工事を伴う画期的な判断を下したのでしょうね。しかし、それを喜々然と「リニューアル」とするとは、客もなめられたものです。
気になった方は、「おためごかし」という言葉の意味を引いてみましょう。
No.83 誤字なのか、そうでないのか。 (4/5)
とあるサービスエリアで発見した、名産とおぼしき寒天です。「富有柿」とあるので岐阜に縁でもあるとか思い、産地表示などを見ましたが、どうもあまりゆかりのないもののようでした。
さて、この形の「寒」の字に見覚えがないわけではありません。これは、生徒のノートやテストの解答欄に何度も登場する、なじみの文字です。見つけるたびに赤ペンで正しい文字に直したりするわけですが、その文字にこんな店頭で出会うとは、予想もしませんでした。
今回も、見つけた瞬間に「誤字だ!」と感情が躍り始めるのですが、それが店頭商品のパッケージとなると、「ひょっとしたら、こんな文字があったのかもしれない」と、とたんに自信がなくなります。
そこで帰宅後、「字典」 にあたるわけですが、いまのところ、「異体字」としても発見できていません。よって、「誤字」として登録したいのですが、弱気な私は、「漢字・漢籍に詳しい人が、この寒天のために揮毫したものかもしれない」と及び腰。寒天相手に凍り付いてしまいました。
みなさんは、どうお考えでしょう。これは誤字か、誤字でないか。
No.81 これでいいのだけれど (大型スーパーにて) (3/15)
こういうのを「ベーカリー」というのだと、英語の時間に習いました。
それを越えた存在だと店名は主張しているようですが、子どもたちには分からないかも。
ああ、それから、「ベーカリー」では商標登録が出来ないんでしょうね。一般名詞だから。
No.78 金沢の街で (2/21)
僕が気になったのは、美容室のこのような看板です。しかし、この写真自体には何の問題もありません。
美容室にふさわしい赤いバラ。その茎が形作る、しゃれた"L"とおぼしきアルファベット。 優雅な雰囲気です。
ですから、「ルージュ」という単語がフランス語であり、それは"Rouge"とつづるのだということは全く別の問題です。
ここに書かれたのは、ただのくねくねしたデザインなのかもしれません。こちらが勝手に、それを"L"だと断言することはできません。
そこまで考えても、なお気になるのは、僕が疑い深いからでしょうか。
No.76 出演しました。(11/24)
テレビ朝日「ナニコレ珍百景」に出演しました。「登録」なりました。
題材は、本欄 No,70 の桜が池公園のお節介な看板です。
それだけのことで恐縮です。良い思い出になりました。No.70をよく見てください。
公衆トイレ前に設置された「アイドリングストップ」の看板。その目の前に灰皿が常置されて、喫煙者が集合しているという構図に違和感を覚え、掲載しました。ですから、日本語がおかしいとかそういうことではありません。
自分さえ良ければいいという考えをいさめるのが「アイドリングストップ」ですよね。ならば喫煙行為はいいのか、と思うのです。公共の金を投じてわざわざ灰皿まで準備しているのはどうなのでしょう。臭いだけです。
だいたい、小さな子どもも妊婦さんも利用するのが公衆トイレです。そこに喫煙所を置くのはおかしい、いけないことだと思いませんか。大人として恥ずかしいと思います。
吸いたい人は携帯灰皿もってきて、林の向こうの誰も来ない風下に集まって喫煙すればよろしい。タバコは有害物質をたくさん含んだ、毒だという認識が浅いのだと常々思います。喫煙マナーなんて何年たっても良くなっていませんね。
我が家の庭先にも、毎日のようにタバコの吸いさしが落ちていますが、喫煙者のそういうところに腹を立てています。無礼者を育てる無益な品物だと私は思います。
No.74 観光地のレストランにて (11/6)
「勘定場」とあるから英訳は「Caluclation Place」なのでしょうが、これでは「計算センター」みたいな感じになってしまいます。
いろんな人たちがここに集結してねじりはちまきで計算している風景が浮かんできます。まず日本語で「勘定場」と設定したので、英語がそこに引っかかってしまったのでしょうね。
では、正しくはどう言うのかというと、「cashier's counter」としておくのがスマートというものです。
No.72 どこのトイレでしたか…… (9/15)
なんでも「いただきます」「いただきまして」と言いたがる昨今に、胸のすくような美しい日本語。
コンビニのトイレでしたが、どこでしたかね。忘れてしまいました。
No.71 スマホの画面から (9/7)
「スマートフォン」を略して「スマホ」というのですが、「スマフォ」ではないかといつも思います。おそるおそる、「スマフォ」と言ってみると、「この人、わかってないな」という顔をされるのですが、たいていは流されてしまうので、変なことを言い出した甲斐がありません。
さて、今回の画像は、スマホのニュースのものです。一日三回送ってくれるので、事情通になれます。
錦織選手が全米オープンで決勝に進出したというおめでたいニュースですが、対戦相手の選手が「彼の方が上手だった」と発言したそうです。もちろん日本語ではないでしょう。これは通訳した言葉です。
それで、「上手だった」という日本語訳は、 「じょうずだった」と読めば良いのか、それとも「うわてだった」と読めば良いのか、そこがわかりません。どちらでも良いことなのでしょうが、活字になって世間に広まるニュースとして、もう少し「正確性」という点にも気をつけてほしいなあと思う次第です。
「じょうず」と「うわて」は、どちらも否定できないはずです。「かみて」とだけは読んでいけないと、それだけは自信を持って言えます。
No.70 南砺市の公園から (8/31)
東海北陸自動車道に城端(じょうばな)というサービスエリアがあります。そのすぐ西側に不思議な公園が広がっているのが目にとまります。まるで巨大なピンボールのような遊具は、玉の代わりに人間が穴に入るという規模です。気になるので行ってみることにしました。
園内に入るとやがて、文字数の多い注意書きに気づかされます。
「そでのした」という言葉を使って安全を呼びかける南砺市の懐の広さが伝わります。
さて、園内を進むにつれ、この注意書きは次第に大胆になっていきます。
→ A B C
教養のある方が原稿を書かれたのだと思います。
灯台が自慢のある観光地を訪ねました。周辺一帯は寂れた印象が強く、若者の姿はありません。売り子は全員高齢者という有様でした。狭い路地を歩けば道の両側からその売り子が心細い声をかけてくるので、もともと買う気のない自分などは、下を向いて歩くほかありませんでした。
さて、写真はとある食堂の看板です。平均的な価格は千二百円あたりと言ったところでしょうか。それがこの看板の下の方になると、一気に高級路線に走ります。そして、ここに注意すべき落とし穴が控えているのです。お気づきでしょうか。「松・竹・梅」の順序が常識とは逆なのです。
「おう、おれは竹定食にしておくぞ」
「じゃあ、私は梅にしておきます」
とりあえず席に着いた客のこのような会話が聞こえてきそうです。そしてやがて料理が到着すると、
「こんなに立派なものを注文した覚えはない」
「お客様、梅定食を注文されましたよね。メニューにあるとおり、梅定食が一番高いのです」
「……!」
これがわざとなのかそうでないのかは、店のご主人に聞いてみないと分かりません。けれどその時のボクは、とにかくその場を去りたくて、そのようなことを聞く勇気もありませんでした。
「光と影」は、珍しくもない表現ですが、このところ、「光と陰」ではないのかという気がするようになりました。
その言葉が、「光が当たる部分と当たらない部分」、「明るい部分と暗い部分」という意味合いで使われるからです。
「影」は、他者から見える「姿、形」という意味を持ち、「陰」は、「そのものの暗い部分」という意味を持つのではないでしょうか。例えば中国地方は、「山陰」と「山陽」とに分けられているようですが、山脈の南側は太陽光がよく当たるから「山陽」、北側はあまり当たらないから「山陰」ということなのでしょう。
こういうことだと、シルクロードの現在を語るときに、「明るい部分も暗い部分もあるのだよ」と言いたければ、「陰」の字を使うべきだと思うのです。
このように考える人が少ないせいか、「光と陰」はテレビでも新聞でもほとんど見つからず、「光と影」が大半を占めているのではないかと思われます。(調べていませんが。)
No.65 テレビのバラエティー番組で(続編) (1/11)
以前誤字を指摘していた番組が再編集されて放送されていました。その際、問題の箇所が修正されていたので、報告したいと思いました。私どもの勝利です。
修正前(No.44参照)
修正後
本欄では、「泥仕合」とすべきを「泥試合」と誤表示していたことを指摘していました。これが修正されていたことに驚きを隠せません。放送局内にはこうしたことがらをチェックする部門が存在するのでしょうか。放映後に視聴者から誤字を指摘する声が上がったとは思えません。この番組の視聴者にこのようなことに関心がある人がそれほどいるとも思えないのです。
No.63 石川県のカレー屋で (11/23)
カレーショップに「カレーの市民」のキャッチフレーズです。 この店はこの地方ではかなりメジャーな存在で、カレーと言ったらここと決まっているほどです。ゆえに、この店になじんだ子どもたちには、やがて高校の美術の教科書などで「カレーの市民」なる作品に接してほくそえむという将来が約束されているのでしょう。
このような伏線は過去にもいくつか指摘できます。怪獣の名前に「タイラント」などというものがありましたが、英文に本物のタイラントが登場しても、怪獣のイメージが先行して、人物の迫力がそがれることはいうまでもありません。「アトム」の妹に「ウラン」がいたことは、原子力のイメージを優しくすることに功績があったと言えなくもないでしょう。
名前というものは、運命を握っているようなものだと思います。
No.62 かまどの灰受け (11/21)
アウトドアのジャンルに興味があって、用事もないのにホームセンターに行ったりします。ああした「物に囲まれた環境」には安心感があって、なぜだか癒やされるのを感じます。電気店でも同じです。
さて、写真は「かまど灰受け」なるものの一部を撮ったものです。商品は円形で、これをかまどの中に入れて使うと、周りに灰が散らなくてよい、というものです。
いろいろなニーズがあるものだな、と感心して見ていましたが、「使用中は大ケガ、ヤケド、火災にご注意ください。」と書かれています。
「ケガ」でなくて、「大ケガ」と書くところが面白いと思いました。「使用中はケガ、ヤケド、火災にご注意ください。」で十分ですね。
いっそ、「使用中は大ケガ、大ヤケド、大火災にご注意ください。」 としても良いと思います。
No.61 大規模小売店舗にて (11/12)
年賀状はいつ書くものなのでしょうか。このごろは、年内の忙しい時期に無理して書くのがばからしくなってきました。
なぜというに、年賀状を書きたい相手というのは、親戚だったり同僚だったりするわけですが、それらの人々はたいてい漏らすことなく「年が明けたら程なく会える」という特徴をもっていて、だったら顔を見て挨拶すればよし、ということになるのです。昔はきっとそういう訳にもいかず、会いに行くのも大変だったでしょうから、せめて文面で挨拶をしたかったということなのではないでしょうか。
年賀状を前に苦しむのがいやで、変なことを書きました。
さて、これを売る側も必死なもので、電子媒体の全盛期たる昨今にも、業績をアップせねばならない事情があるようで、郵便局も鼻息が荒くなっているようです。
いや、言葉の話でないので恐縮極まりないのですが、最下段、「店頭なら」のところの計算が合わないのが面白いと思って撮影しました。
10%+15%=20%(最大)
これを見て首をかしげる人が何人もいたのではないかと心配しています。大丈夫でしょうか。
No.60 大阪の路上で (11/10)
大阪は中津で撮影したものです。このあたり、一ヶ月に19,000円も払うのですね。相場なのでしょうか。高いのか安いのか分かりません。
さて、この表示ですが、よく考えると妙です。募集しているのは、駐車する車の方なのに、なんだか駐車場を募集しているようです。
駐車場所がなくてうろうろと困っている人みたいでおかしいです。
No.59 大和温泉にて (11/9)
そもそも「入浴剤」というのは、お風呂に入れるものですよね。それをわざわざ説明するところにおかしさがあります。
キャッチコピーはなかなか難しいものらしく、大手メーカーの商品にも、首をかしげたくなるものがあります。次の写真は、我が家の風呂場に置かれた小物を写したものです。同様の重複が見られます。
先日、テレビで囲碁の番組を見ていたら、最後になってアナウンサーが、「それでは、さようなら」と言っていました。じっくり考えると、これも重複なわけです。「左様なら」は、「そうであるならば」の意味だからです。
No.58 大規模小売店舗にて (11/3)
「投函BOX」です。以前、高速道路のサービスエリアで見つけた「投函箱」と変わりがありません。「イ○ンよ、お前もか」と言いたい気分です。(No,52をご参照あれ)
No.57 岸和田市の学校の前で (10/3)
「本校職員・生徒・並びに学校長の許可した者の外 校内に立ち入らないで下さい。」とありますね。
これでは、生徒が許可を下した者まで校内に入れることになってしまいませんか。読み手の親切で、そんなおかしな解釈はしないのでしょうが、そういうものに頼ってはいけないと思います。きちんと伝わる文にしなくてはいけません。
さて、こういう警告文を見ると、どういうわけかいちゃもんをつけたくなります。この手の文が排他的な姿勢を示しているからなのでしょうか。居丈高で感じが良くないと思ってしまいます。
No.56 テレビのニュース番組で (9/4)
「婚外子」の相続に関する民法の規定が違憲であるとの判断がなされたというニュースが流れました。
新しい時代に取り残されていた過去の遺産がいろいろと見直されるようになってきたのだなあと感慨深く見ていましたが、裁判の結果を示すあの札(なんと呼ぶのか知りません。)が、惜しいことに間違っていました。「違憲」の「違」の字がちょっと惜しいのです。
思えば、これは中学生がよくしてしまう間違いです。誰が書いたものか分かりませんが、間違いを修正することもなく、そのまま大きくなってしまったのでしょうね。
漢字テストは厳しくしないといけないと思う次第です。将来、どこで恥をかくかわかりません。
No.55 国道沿いで (8/23)
墓石専門店です。
石に刻まれた文字は、未来永劫消えることなく残るものゆえ、誤字は許されないと思うのです。それが、文字で生きる者の使命であり誇りであると思うのです。
この場合、看板業者が間違えたのか、こちらの石材店がうっかりしていたのか判別ができませんが、早い話、こういう看板が上がっていると不安になります。
ですが、墓石の場合、「あえて字の形を変える」ということもあるでしょうから、これが何らかの理由で「わざとまちがえた」ということなのかもしれません。そういう可能性にかけてみたい思いです。
No.54 どこかの道ばたで (8/19)
「違法駐車禁止」と並んで違和感のある表現です。禁止された投棄のことを「不法投棄」というのですから、改めて禁止しなくても良いはずです。ところが、「では何を禁止すればよいのか」と聞かれれば、「そりゃ不法投棄だ」と答えたくなります。
「被害を被る」 もそうだとか、気づいた人もいるでしょうね。テレビなどのマスメディアにはこうした声の誤植があふれています。
No.53 家電量販店にて (8/18)
なんだか読んでいて腹が立ってきたので、その理由を考えてみました。
1.お客様に親切にするなんて、そんなの当たり前。
わざわざスローガンにするのは結構だが、客の目に触れるところに置かないでほしい。
2.親切にするという言葉に、相手を見下す印象をもつ世代がある(自分がそうである)。
店員に見下された気分になる。 「お客様のおかげ」という意識に欠けると感じられる。
3.「親切」という言葉には、「無償の」という意味合いが伴うはず。
それなのに、<ひとりのお客様を失うことは10人のお客様を失うことにつながります>と言われると、
「なんだ、結局そういうことだったのか」と残念な気持ちになる。
所詮は下心満載の接客であると明かしているようなものだ。
こういう理由で腹が立ったのだと分かりました。(電気屋さんで確認してみましょう。)
No.52 立ち寄ったサービスエリアの一角で (8/17)
「中日本高速道路株式会社」という会社があります。名前ぐらいは知っていますが、それがどういう会社なのか、実はよく知りません。ただ、高速道路の運営をしているのだろうとぼんやりと理解しています。
さて、先日立ち寄ったサービスエリアで、このような箱を見つけました。「お客様の声 投函箱」です。
意見を投函する箱なので、「投函箱」としたのでしょうが、「函」の字が「箱」を意味することを担当部署の人は誰もご存じなかったのでしょうね。ああ、これでは意味が重なってしまっています。ちょっと考えれば分かる種類のものですが、本当にだれも気づかなかったのでしょうか。
一人の目では気づかないことも、複数の、そして立場の違う人の目で確認することで気づくこともできるはず。この会社の置かれた現在を意識して、あえて進言したい思いです。
No.51 科学展のポスターから (7/29)
名古屋市科学館は、昨年新装開館したばかりなのですが、大人も夢中になれる展示物ばかりで、科学ファンとしては何度でも訪れたい憩いの場所と言えるでしょう。
こちらは、この夏の特別展のポスターです。深海に目を向けてほしいという思いが一昔前のSF雑誌を思わせる表現にあふれていて好感がもてます。ところが、「たんけん」の部分だけ、挑戦的なハートを失っています。ひらがななのです。
巨大なイカと巨大なグソクムシの格闘やそれを見つめる探検隊員(実は来館した家族)の表情からは、「ここは危険」というサインが読めます。よって、「探険」の文字が浮かび上がってきます。しかし、「探検」こそが本来の表記であり、「探険」は「探検」の派生語に過ぎないという理解が名古屋市科学館内部にあったのでしょうか、「探検」でも「探険」でもない、「たんけん」という表記がなされています。
ひらがな表記の背後には葛藤が存在し、これは苦渋の選択であるというのは想像に過ぎませんが、そのような科学者の思いがこめられているようで、ドラマチックです。このポスターは絶品だと言えましょう。
No.50 カートアトラクションのチラシから (6/25)
以前から主張しているように、「探検」であって「探険」ではないのです。明治村のイベントも、「明治探険隊」だったでしょうか、そんなタイトルがついていて、違和感を覚えたものです。
さて、このライド型アトラクションは、ジュラシックパークのような仕立てで、カートに乗って恐竜の森を行くという、はらはらどきどきの作りになっているのですが、カートはこれでもかというほどゆっくり走ってくれるので、安心して動く恐竜を観察することができます。のんびりしたものです。はらはらさせたいのか、のんびりさせたいのか、どちらか分からないという、そういうところに何か熟さないものを感じるのですが、純粋に、地域の活性化に一役立てばという願いを感じさせるものです。
「探険」と書く以上は、もう少しはらはらしたいという、正直な気持ちは分かっていただけたでしょうか。
No.49 高鷲の温泉で (6/24)
湯の平温泉です。入泉料が500円というのは、とても良心的だと思います。泉質は大和温泉系でアルカリがほどよく効いて、肌がぬるぬるするという、温泉らしい温泉です。午前10時の浴室は、貸し切りに近く、ゆったりと味わうことができた上、ホームページに100円の割引券が出ていたので、これを使うと、一人400円ということでした。これは大人の話。
では、子どもはというと、「六歳以上小学生まで」が250円だとか……? 頭がしばらく混乱します。我が子は六歳で小学一年生なのですが、いくら払えばよいのか、一瞬戸惑ってしまいました。
「小学生まで」という表現は、「小学生になるまで」という意味を表すことが多く、そこに小学生を含むとは受けとめてもらいがたいのではないでしょうか。ここは、「六歳以上小学六年生まで」などと丁寧に表すなどの方法を検討されてはいかがでしょうか。
No.48 市民プールの入り口付近で (6/16)
実に丁寧にレタリングされていますから、これを作るには相当神経を使ったことと思われます。
でも、誤字です。
公共の施設なので、なおいっそう気をつけてほしいと思います。 子どもたちがこれを見て、文字を覚えるのです。
かといって、勝手にこの点を削ったら、犯罪になるので、そういうことはできません
No.47 ホームセンターのキャンプ用品コーナーにて(6/14)
「消火」を「消化」としてしまうのは、ネット上では珍しくないことなのですが、店頭で発見することはまだありませんでした。
発見した瞬間は、「店側でこんなシールを貼ったのだな」と思ったのですが、パッケージをなでてみると、シールではなく印刷であることが分かりました。軽い衝撃です。量産品として大規模展開する商品に、こんなことがあるのでしょうか。
岐阜の店でそうだということは、他県でも間違ったままだということです。
No.46 安宅の関の海岸にて
ここは安宅の関。義経と弁慶、そして関守富樫のドラマの舞台。その場所柄、泣いてくださいと言われれば泣きたくなります。
しかし、「ハヘエュ」とは何か。
これを「バーベキュー」と見事に読み解ける人は、何人いるでしょうか。
「この場所で バーベキューを しないで下さい」と書いてあったのでしょう。
海岸でバーベキューをした人が、注意書きにいたずらをしたのでしょうか。それとも自然にこうなったのでしょうか。しかし、そもそも、安宅の関でバーベキューがしたくなることが、この私にとって難解です。私とは年代に差がある人なのでしょうか。
No.45 ふと前方に停車したトラックの荷台に……(5/9)
英語の話で恐縮です。
このしゃれたロゴの中に重複が存在すると気づいたので、記録しておきました。
DEARS Company co.,ltd と書かれていますが、おしまいの「co.,ltd」は、「Company Limited」の略です。(しかも、そもそも「ltd」は、「limited
company」の略であるということです。)「Corporation」ではないということです。
すぱらしいデザインなのですが、意味を探求することを忘れていたのかも知れません。
No.43 岐阜駅近くの飲食店前にて…… (3/27)
道すがらのポスターです。賑やかな文字が躍っています。けれどもあれれ、「迎」の字が間違っています。
中学生もよくこのような間違いをしてしまいます。気をつけましょう。このポスターのデザイン担当者も、同様の間違いを今も続けているのでしょうか。文字は一生です。
No.42 自宅付近の病院の駐車場にて (3/22)
この病院の関係者であれば、無断駐車はOKだとも読めます。
この注意書きは、次のふたつのどちらかであれば良かったのに、と思います。
1.「当病院関係者以外の駐車はご遠慮ください」
2.「無断駐車はご遠慮ください」
あれこれ書き込むと、かえってその意味を失うということを覚えておきましょう。
No.41 柳津の大規模商業施設にて (3/12)
この店は、JAFと提携しているのでしょうか。会員カードを見せると割引してもらえるのですね。
でも、割り引いてほしいからといって、会員カードをお店に掲示する人もいないと思います。危険ですから。
「提示」とすべきところを「掲示」にしてしまったのですね。ちょっとの違いが大違いという好例になってしまいました。
コンピュータを使って張り紙を作るのは大変楽なので、書字に手間がかかった時代とは違う間違いが増えてきたなあと思う次第です。
No.40 羽島市の道の脇にて (2/24)
この看板が示すのは、「新車と中古車」なのか、「新古車と中古車」なのか、はたまた、「新しく入荷した中古車」なのか、どれだか判別ができません。
その割には「ザ」を冠してあるのだから 、困ったものです。いわゆる定冠詞です。確か、ひとつしかないものを表す言葉だったような……。それがこれほど人を迷わせているとは。「ザ新中古車」。
また行ってみたいスポットのひとつになりました。
No.39 中古物品販売業の店舗駐車場にて (2/23)
この店は有名で、東海地区でも全国区でも、業績はトップであろうと思われます。リサイクルはおしゃれだという大きな流れを作った店と言えましょう。
店内には、この店名を入れた歌が流れ続けています。「お売りくだっさい。〇〇○○……」のメロディは、店を出てからも耳の中を流れます。
さて、こちらは、店に中古物品を売りに来た人専用の駐車スペース。あれあれ、日頃、「お売りください」といっているのに、ここでは「お売り頂く方」となっていて、これはどうも不徹底。
そもそも、「お売り頂く」のは店の側、お客は「お売りくださる」の側。ですから、これは「お売りくださる方 専用」と書くべきだったのでしょう。
しかるに、そうしなかったのは、世の中の「くださる」の使用率が下がってしまった現状が背景にあるような気がします。なんでもかんでも「いただく」で済ますようになってしまって、そう言わないと礼を欠いているような錯覚に陥っているのではないでしょうか。いえ、これは個人的な観測です。もっと科学的に考えねばならないのでしょうね。
No.38 通りがかりに、ふと。 (2/22)
「大名古屋ビルヂング」は建て替えられても、「大名古屋ビルヂング」だとか。地元の誇りであるから、名称は変えたくないという話を聞いたことがあります。
で、こちらは、「アーバンハウヂング」。これは各務原市のもの。毎日のように眺めていた光景なのですが、ふと、誤植ではないかとの疑念がかすめて撮影に及びました。
かの大名古屋ビルは「BUILDING」なので「ビルヂング」の表記に納得がいきますが、こちらは、「URBAN HAUSING」。「ハウヂング」という表記は当たらないと思うのです。
でも、かっこいいですね、「ハウヂング」。このように書きたい憧れの気持ちは分かります。
No.36 通りがかりの薬局で (1/22)
ご覧の通り、この薬局の名前は「ピノキオ薬局」です。「ピノキオ」の正しい綴りは、「Pinocchio」であるから、ちょっと惜しい事例となりました。
しかし、ピノキオのローマ字表記となると、「Pinokio」に違いなく、かわいい子どもたち(ローマ字を習ったばかりの)が困らないように、優しさからこのような表記を選んだとも言えます。
かく言うぼく自身、子どもの頃、「Pinocchio」というイタリア語表記を見て、「これではピノキオと読めん!」と反発していましたから、この想像は意外に当たっているのかも知れません。
いずれにせよ、このコーナーの趣旨に沿わない話となりました。日本語の話でなくてすみません。
No.35 ラーメン専門店にて (1/19)
こちらはランチ限定のメニューです。 ラミネート処理されたぺらぺらのもので、ラーメン屋によくある形式です。
この日は、「ハーフ天津飯ランチ」を頼んだのですが、セットランチを頼む場合、合わせるラーメンは好きなように合わせることができるようです。 「ランチメニューのラーメンは、本メニューより選ぶことが出来ます」と書かれているではありませんか。これは迷いどころ。さあ、味噌か塩か、豚骨か。
こうして、このメニューを隅から隅まで眺めることになったのですが、「中華飯ランチ」だの「麻婆飯ランチ」だのという大雑把な組み合わせばかりが載っていて、肝心のラーメンは一つも紹介されていません。なんだこれは、と思いました。
ややあきれて水を飲もうと顔を上げたところ、カウンター付近に、ぺらぺらではない、作りのしっかりしたメニューが置かれています。これはと思って見ると、数多くのラーメンがずらりと顔を並べています。あ、これが「本メニュー」というものだと気づきました。
なるほど、通常のメニューは「本物」「基本」の「本メニュー」で、昼時には脇を固めるランチメニューが待ち構えているということだったのですね。
お店側の都合で名づけられたメニューたちだということです。普通、「本メニュー」と言われたら、「このメニュー」の意味ですよね。
私は間違っていない、とすすったラーメンは絶品でした。
No.34 温泉施設の一角で(郡上市) (1/17)
前回紹介できませんでしたが、役者さんに「勇羅庵嘩」という方がおいでで、これで「ゆうらいか」と読むということです。たまたま温泉につかった後に舞台を拝見したのですが、ご本人は、写真で見るよりもきりっとした面持ちの、実に男前だったと覚えています。
その方のポスターが会場脇に貼ってあったのですが、お名前の中の「庵」の字が独特の形でした。辞書をいくら引いても載っていないので、曰くのある形かと思います。知らない形なので、「誤字」に分類したくなりますが、こと名前に関しては、そう単純なものではありません。「その形が正しい」と宣言することで、それが正しくなるといって良いでしょう。戸籍に関しては制限があっても、ポスターにまでそれがあてはまるわけではありませんからね。
No.33 温泉施設の一角で(郡上市) (1/6)
この劇団、「みつみね とおる」という方が座長なのだそうです。「とおる」の字は、「達」と書くのですが、字体が独特です。一本足りない形です。
これは誤字ではないかとあれこれ調べましたが、要するに、「こういう字もなくはない」という扱い。
しかし、一般的に使える文字ではないようです。「俗字」です。「友達」などの場合にも使えません。つまり、テストで書くと「×」になるということです。
ボクはただ、こういう形の文字もあったのだと、内心は喜んでいます。
No.32 温泉施設の一角で(郡上市) (1/5)
なるほど、「飲む とうがらしスープ」。おいしそうですね。
しかし、スープは元々飲むものですから、せっかくの商品名につまずいてしまいます。
では、商品名としては、何を省けばいいのでしょうか。「スープ」の三文字を消してみます。
「飲むとうがらし」
おいしそうです。
No.27 コンビニのトイレから (11/11)
「コンビニエンスストア」 は、その名前からしておかしいと思います。そのストアが便利だと言いたいのなら、「コンビニエントストア」であるべきです。「コンビニエンス」は「便利」であり、「コンビニエント」は、「便利な」の意味です。これが形容詞形ということです。
そのような疑問を抱きつつも、実のところ頻繁にこの手の店を利用するのですが、次第に違和感が薄まってしまう自分がいます。長いものには巻かれろと言いますが、この場合、当然のように使われる期間が長くて相手になりません。
ここで話題にするのは、よく見る張り紙です。たいてい次のような表現になっているようです。
当店のトイレをきれいに
お使いいただき、誠に
ありがとうございます。
また、ご利用ください。
店主
こんな張り紙をして、いったい何が言いたいのか、と突っ込みたくなります。「きれいに使ってほしい」のならば、そう書けばよいのでしょうが、そうでもありませんし、「使ってくれてありがとう」などと言っています。むしろ、もう少し遠慮なく言ってもらって構わないと思うのです。なのにこの低姿勢ぶりです。ストレスがたまらないかと心配になるほどです。
さて、日本語としてこの張り紙を考えると、「いただき」の部分は「くださり」に直すとよいかなあと思います。その方が「相手の行動に感謝する」という趣旨が通りますから。
相手が「くださる」から、自分は「いただく」のだ、と僕は考えています。
鐡
覚えやすそうな字です。しかも、ちゃんと文字コードが振られていました。メジャー入りの証。
Unicode 9421 Unicode(JIS2004) 9421 シフトJIS E864 シフトJIS(JIS2004) E864
ということで、誤字発見の喜びも束の間、これは異体字ながら市民権があるということが明らかにされたのです。
まあ、しかし……「鉄」の字は、いくつあることやら。今回調べて分かったのですが、「銕」なる字も、同じ意味の字だといいます。いわゆる「くろがね」には、「鉄」「鐵」「鐡」「銕」の四つがあるのです。
よい国に生まれました。幸せです。
No.24 大型商業施設の一角にて……誤字ではないけれど。 (10/25)
「驚きの効果にびっくり!驚異の若返り!」と、ここまで言われれば驚かざるを得ません。
言いたいことはそれだけです。
No.23 ある小学校のフェンスにて (10/23)
タイトルは「お願い」なのに、内容は「学校関係者以外の立ち入りを禁ずる」とするもので、お願いをするには少々突き放した響きがあります。むしろ、「警告」とした方がよいのではないでしょうか。
かと思うと、後半はマイルドになって、「ご用の方は……受付をしてください」と突然の低姿勢ぶり。これは姿勢が一貫していません。ここは「受付をしろ!」となっていてもおかしくはないところです。(冗談ですよ)
前半の断固たる構えは侵入する外敵に対するものであり、後半の丁寧さは、 身内に対するもののようです。
この相反する内容をひとつの看板にまとめようとしたところに無理があったのかも知れません。これらが別々の看板に書かれていたとしたら、さほどの違和感はないでしょう。そのとき、「お願い」とは後半の内容に関する言い方だとはっきり分かります。
すると、もう一つの看板のタイトルは、やはり「警告」となるのでしょうか。
地域と共にある学校としては苦しいところですが。
No.22 某小学校の校門付近で (10/21)
「某小学校」と書きましたが、実際にはかなり多くの学校に次のような注意書きがあります。どこの学校でもいいんです。
これでは、学校敷地内への立ち入りを禁ずるのに、校長先生ですら誰かの許可を得なければならないということになります。
「立入りを禁ず」とせずに、「立ち入るを禁ず」とすれば解決ですし、他にも文法的に正しい表現はいくつもあるでしょうね。「許可なき」と古文調で始めてもよいでしょう。また、文末を「禁ず」とせずに、「許可を得てください」とすることで、より意図のはっきりした文ができると思われます。どんな文ができますか。考えてみてください。
No.21 成田山の階段で (10/20)
「鉄」の字は「金を失う」に通じるので、「失」を「矢」に代えることがあると、以前書いたことがありましたが、犬山の成田山でも堂々とした文字を見つけました。誤字と言ってしまうにはあまりにもすがすがしい姿です。
土建業界の潔さがよく表現されている、そう感じました。
No.20 嵯峨野トロッコ鉄道のホームページから (10/19)
深まる秋です。この間一度行って大いに気に入ってしまったトロッコ鉄道にもう一度乗りたくなりました。紅葉のトロッコ列車はどんなにか素敵なものかと、この会社のホームページをうっとり眺めていたところ、変なものを見つけてしまいました。
トロッコ鉄道を利用した観光案内のバナーなのですが、どうも亀岡駅から「かぶきの里」にバスが出ているようなのです。「歌舞伎の里」でしょうか。これはすごい。嵯峨野から亀岡までトロッコで秋を満喫した上に、次は歌舞伎ですか。こんなフルコースはなかなかないと、このバナーを踏んでみたところ、次のような案内に飛んでいきました。
おやおや、先ほどのバナーは「かやぶきの里」に案内するためのものだったのですね。なんだ、「萱葺き」ですか。 「歌舞伎」とは大違い。
とはいうものの、深まる秋に萱葺きの風景はぴったり。カメラを持って出かけたくなりました。
(まあ、京都まで行かなくても、岐阜県にはそのような世界遺産まであるのですがね。)
No.19 映画の割引情報より (10/19)
「夫婦50割引!」
大きく出たものだと驚きました。さらに、うっかり「映画文化の存続のためには、時には50割引ぐらいせねばなるまい。」とまで思ってしまいました。けれど、50割引って、ただより安いではありませんか。どういうことでしょうか。
よくよく見ると、「どちらかが50歳以上のご夫婦で同じ作品をご覧の場合」に適用される割引なのでした。つまり、「『夫婦50』割引」という構成の言葉なのでした。
違和感の強さから掲載します。「夫婦50歳割引」の脱字と見てもいいでしょうか。
No.16 国道の信号待ちで (10/5)
ボクはゴルフはしません。無関心な競技であるということ以上に、何か自分との隔たりを感じるのです。自然の山を切り開いて芝生を植えていることに対する違和感が第一、そして、ハンディをつけて勝負しようという考え方に第二の違和感を覚えるのです。そのハンディにはどんな意味が存在するのでしょうか。尊敬ですか、哀れみですか。むむむ、です。ゴルフには、そういう基本的なところに理解を超えた物を感じます。年をとってもゴルフはしないと思います。
さて、写真は各務原市内のゴルフ場の看板ですが、「倶楽部」を旧字体で表しています。なかなか歴史のある感じがします。
そう思って通り過ぎる日々でしたが、あるとき、「楽」が旧字体なのに「倶」が旧字体でないことに気がつきました。いえ正確には、旧字体でないというより「正字」でないといった方が正確でしょう。正字は「目」の部分が下につきだしているのです。ただしこの字は、コンピュータの世界の「環境依存文字」にあたるため、ウェブ上では普通に使えません。ここに出したくても、出せません。正字が使えないなんて、おかしいですね。
さて、まとめです。
この看板に誤字はありませんが、あえて言えば、ここに統一感があればよかったと思います。手書きの看板なのですから、今からでも、「目」の下をちょちょいと伸ばしてみてはいかがでしょう。(「原」も、中を「泉」にすることをお勧めします。「楽」を「樂」にするからには、そのくらいしてもいいでしょう。)
環境依存文字ですが、画像にすればご覧いただけると気づいたので、載せてみました。さすが正字は格調がありますね。
No.15 我が家の片隅で (9/18)
Blu-rayの名前の由来は青紫色のレーザーで読み取ることにあるといいます。表記が「Blue-ray」ではなく「Blu-ray」なのは、英語圏では「青色の光」という一般的な言葉として扱われ、商標として登録できない可能性があるためで、そこであえて「Blu-ray」という辞書にない単語にしたようです。「松阪牛」が商標登録されてこなかったようなものですね。競泳用品の「SPEEDO」にも同様の事情があるのでしょうか。しかし、日本の「SHARP」などは登録されていますから、謎の多い分野です。
さて、「あえてそうした」ということから、この表記は誤りではないと言えますが、社会的な影響はどうなのでしょう。子どもたちが「青」のことを「Blu」と書いたとき、説明が面倒な気がします。
これは経済というしがらみが生んだ、現代の熟字訓だといえそうです。
No.14 信楽の道で (9/17)
「鉄」の字が間違っていますが、自信にあふれた、実にすがすがしい姿です。
実は、日頃私たちが使っている「鉄」の字は新字体で、もともとは「鐵」と書いたものです。このややこしい旧字体を分解すると、「金の王なる哉(かな)」と読めるので、難しい字であるにもかかわらず、よく覚えられていたものでした。
これに対して新しい字体は、「金を失う」と読めるため、鉄工業者には嫌われたようです。写真の字体はこれを回避したもので、それなりに賢い選択だと言えますが、辞書にはありません。(当然のことです。)
そんなことなら旧字体のままの方がいいという会社も当然あるわけで、結局、鉄工業者の看板には三種が混在するという妙なことになってしまいました。
「鉄」 新字体だから、新聞雑誌などに普通に使われ、学校でも教える。ただし、「金」+「失」は縁起がよいとは言えない。
「鐵」 JIS第2水準に属し、一般的ではない。書くのも面倒。しかし、「鐵」には携わる者の誇りが感じられる。
「金+矢」 新字体の縁起の悪さを回避しようと、よく考えられた文字。コンピュータでは変換もされず、文字としては使えない。
使うのは自由だろうが、若い世代には「ちゃんとした字を知らない」と誤解されるケースが予想される。
これから鉄工所を開こうという方は、どの字にするか、よく考えてください。
No.11 各務原市内の家具屋店内にて (9/14)
「平行」と「並行」は、大人でも間違えるものですね。「大人でも」と書いてしまいましたが、要するに、ちゃんとした大人はそういう間違いをしないということです。しかし、「並行」が「同時」のものであり、「平行」は「同方向」のものであると覚えるのに、私たちはなんと多くの時間を割いていることでしょう。
さてこのパンフレットは、誰が作ったものでしょうか。この素敵な椅子を作った会社なのか、それとも広告会社か。あまり間違いが子供っぽいので、前者であってほしいと思います。広告会社なら、「並行」とか「チェストサポー」とか、そんな間違いをしておいて、制作料を受け取ってほしくありません。
こんなに素敵な椅子なのに、広告の方が足を引っ張って、いいかげんな製品に思えてしまうということを、関係者一同、意識してほしいと思います。「チェストサポー」
ねえ……。 (実物は抜群の座り心地でした。)
No.10 各務原市内 苧ヶ瀬池付近にて (9/9)
苧ヶ瀬池には八大竜王様がお祀りしてあります。龍神様です。この池では、参詣のついでに池の鯉に「麩」を与えるのも楽しみの一つ。
ふと振り返ると、占い師でしょうか、立派な看板を上げて営業しています。人生に迷ったらおいでと告げているようです。
しかし、残念なことに、この看板そのものに迷いがあることに気づいてしまいました。上の看板では「性名学」としてあるものが、下の看板では「姓命学」となっているではありませんか。どちらが正しいのでしょう。……どちらも間違っているのではないでしょうか。常識的には「姓名学」です。
これは看板屋の間違いなのでしょうが、だとしたら発注した側も、よくOKを出したものだと思うのです。だいたい、ここが「天命堂」なのか「天堂」なのか、そういう基本中の基本さえ押さえられてないではないですか。たぶん「天命堂」なのでしょう。そうでもなければ、邪魔にしか見えない下の看板をはずさない理由が分かりません。いや、こちらも今一つ信じられないところがあるのですが(「命学」とあるのは、ひょっとして「運命学」ではないかと思うのですが、違いますか?)。
ひょっとしてここの親戚か知り合いに看板屋がいたのかもしれません。その人の好意で安く仕上げてもらったものの、間違いだらけ。しかし文句も言えずそのまま取り付けとなり、後悔はしても、その後の親戚づきあいに影響が出るため、「まあいいか」と我慢しているとか、そういう状況を想像してしまいます。そうでもなければ、看板業者に文句をつけて、作り直させているはずでしょう。
No.9 郡上八幡の店先にて (9/8)
カメラ屋さんです。「即日」と書かずに「速日」とするところに、お客様を大切にする意識が感じ取れるという好例。「速」の字に○がついているのは、「わざとです」のメッセージでしょうか。誤字ということではないようです。なかなかほほえましいアイディアです。このような店先の工夫には、その人の思いや努力が伝わってきて、うれしい思いがします。
さて、「誤字なのに誤字でない」と主張するものに僕が初めて出くわしたのは、「で愛ドーム」「ふれ愛ドーム」(いずれも岐阜市内)だったと思います。当時は、そんな書き方に、違和感というよりは罪悪感のような思いをもったことが忘れられません。公共の施設なので、なおさらです。ちゃんと正しい表記があるのにわざわざ別の書き方をするのは抵抗があるものです。「夜露死苦」を「よろしく」と読まされるような感覚です。
僕は思うのですが、「で愛ドーム」の場合は、「出会い」か「出合い」か、どちらが正しいのか分からなくなっている世相が反映していたのかもしれません。二つのうちのどちらかにすると、「それは間違いである」という指摘が上がりそうではありませんか。だから、どちらでもない「で愛」にしたと……。根拠もない思いつきです。それにしても、平成の世に「出会い系」と称した数々の悪事が横行するところを見ると、あのとき「で愛」にしておいてよかったと、そういう感慨がわいてきます。
No.8 郡上八幡のお店屋さんにて (9/3)
郡上八幡は大好きな町の一つ。夏には何度訪れるか知れないほどです。 踊りも良し。水も良し。買い物もまた良し。
こちらもなかなかおしゃれな工夫がしてありますね。「下駄」の字の中にミニチュアの下駄を仕込んでいます。
残念なのは、そのミニ下駄の位置です。漢字の右上にしてしまいました。これはいけません。
中学生がこんな間違いをするのはよくあることですが、その中学生が誤りに気づかず成長すると、こんなことになるのでしょうか。いや、本当にいいアイディアなのですが。惜しいことです。
このミニ下駄はボンドか何かでくっついているようなので、正しい位置に直せばよいのですが、今度は後の「づ」の字の濁点と位置の取り合いになりそうです。ごちゃごちゃしなければいいのですが。
No.6 今朝の朝刊より (8/28)
いつから「探検」は「探険」になったのでしょうか。「探検」は、もともと「未知の地域に入り踏査すること」(大辞林第2版より)という意味合いであり、危険であるかどうかはこの際関係ありません。けれども、「アマゾンの探検」などは、調査が目的であっても危険が伴うため、「探険」と書かれるようです。こうして、だいたいの「探検」は「探険」だということになってしまったのでしょうね。
しかるに、「数学の探険」とは、どのようなものなのでしょうか。それは「険しい道のり」であろうとは思うのですが、「危険」ということではないでしょう。「探検」で十分だと思えてしかたがありません。
ここは書店に行って確認するしかないと思います。どんな危険が潜んでいるのやら……。すでに十巻のラインナップだとか。覗いてみたいですね。
No.5 岐阜県内各所にあるラーメン屋の看板について(8/26)
「棲」の字は、「樓」が正しいですね。このままでは「ラーメンが棲んでいる」のような意味になってしまいます。この店はあとの写真のように、「ラーメンハウス」を名乗っていたのだから、「ハウス」にあたる「樓」を使うべきなのです。それが嫌なら、これを新字体で「楼」と書くべきでした。調べてみると、大垣店では「老麺楼」と書かれていましたから、「棲」は間違いなのですね。
隷書体にすると格好がいいので、そんな看板にしたかったのでしょうか。ところが看板のデザイナーが旧字体のことなどよく調べないで、このような字にして原稿を仕上げてしまったのです。痛恨の誤字です。しかし、あいにくそれに気づく人がなかったため、現在、県内各地に広がるチェーン店の多くがこの看板を採用してしまっています。
何年か前、このことを岐阜市茜部の本店(本部)に伝えに行ったことがあります。社長さんが丁寧に応対してくれたことを思い出します。驚いておいででした。
そんなことがあったため、岐阜市茜部の本店だけは、「棲」の右上の部分だけ削って、「楼」の字に直してくださっています。律儀なお人柄だと思います。
茜部店の新しい看板。部分的な修正は、現場に立って凝視しないと分からない程度です。
No.4 我が愛用の足袋から(8/24)
「足袋」の字の前には「当選」と書かれています。でも、あれれ、「當」の字が一画多いですね。どうやら「富」の字と混同しています。「當」の字は、「尚」+「田」の形なので、このような横画は要りません。
「尚」+「なにか」 の形の文字はたくさんあって、「掌」「賞」「裳」「党」「堂」「常」「嘗」などがそれです。いずれも「尚」が基本なので、上の点々は「ツ」の形ではなく、左右対称の形です。「なおがしら」という部首名もつけられています。これらの字は、発音してみると、「ショウ」とか「トウ」「ドウ」「ジョウ」など、やはり「尚」を基本とした音であることがわかります。
逆に言えば、「ショウ」「トウ」などと発音する漢字のてっぺんは、ふつうは「ツ」と書いてはいけないということにもなります。
文字の形に迷ったら、こんなことも思い出してみてください。
「弁慶」の文字は、旧字体では「辨慶」です。写真は間違っているように思いますが、このようにも書くのでしょうか。弁慶、義経、富樫の三人が地元ゆかりのヒーローであることを考えると、早く直してほしいと思います。この地を訪れた学生さんたちが「へえ、弁慶って、こう書くのか」と間違って学んでくれても困りますからね。
この札の字を書いた人は、きっと若い世代の人なのだと思います。「辨」の字を知らないわけですから。巫女さんでしょうか。いえ、勝手な想像はいけませんね。
さてちなみに、新字体で「弁」になってしまった漢字には、「辨」「辯」「瓣」の三つがあります。文字が違うということは、意味が違うということです。だから、使い道が違ったのです。(今では同じになってしまったということです。)
A 「辨」のはずだったもの
1 是非・善悪を区別する。わきまえる。「弁別/思弁」
2 けじめをつけて処理する。「弁済・弁償/勘弁・支弁・自弁」
3 弁当。「駅弁・腰弁(こしべん)」
B 「辯」のはずだったもの
4 理屈を立てて話す。「弁解・弁護・弁難・弁明・弁論/抗弁・陳弁・答弁・論弁」
5 理屈を立てた議論。しゃべること。言いぶり。
「弁舌/詭弁(きべん)・口弁・多弁・駄弁・訥弁(とつべん)・熱弁・能弁・雄弁」
6 独特のしゃべり方。方言。「東北弁」
C 「瓣」のはずだったもの
7 花びら。「花弁(かべん)・単弁・離弁花」
8 管の出入り口にあって流体の出入を調節する花びら状のもの。「弁膜/安全弁・僧帽弁」
このほかに、 「辮」の字があったのですが、これは「弁髪」の場合に用います。日本の話ではないということですね。しかし、調べてみると、寝屋川市には「辮慶」というラーメン屋さんがあるようで、自分の知識の程が脅かされる思いがします。弁髪のラーメン屋さんというと、キン肉マンのラーメンマンが思い起こされますね。彼はその強さから、「辮慶」を名乗ってもよいでのではないかと思います。
また、能楽に「舟弁慶」というものがありますが、これは旧字体では「舟辯慶」と書くことが分かりました。統一感がまるでありません。
しかし、文字とは、人間が使うものである以上、概してそういうものになるのでしょうか。「辨慶」でも「辮慶」でも「辯慶」でも、まあいいではないかという気がしてきますし、いっそ「弁慶」にしてしまうことは、争いをうまく回避する方法になっていると思われます。
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(その後のこと 9/30)
「弁慶」の文字が気になった安宅住吉神社に先週中頃にメールにて指摘をしました。放っておいてもいけないと思ったからです。
昨日、返信メールが届いたので、わくわくして内容を見ると、次の通りのものでした。
ご指摘いただきました件、正月前に毎年書き直しておりますので、今年の書き換えの際、早速訂正させて頂きます。
安宅住吉神社
正月は目前だから、今更書き換えても、すぐにまた年末に書き換えることになるのは無駄だということなのでしょうか。仕方がありません。
間違った文字は、これで、書かれてから一年間、書き直されぬまま生きながらえる結果となったわけです。
それはそうとして、「早速訂正させて頂きます」とあるのに、実際には三か月後の訂正だということになります。「早速」の語をこのように用いるとは驚きました。「近いうち」の一言があれこれ言われるこの国にあっては、やはり日本語の懐は広いということなのでしょうか。
No.2 岐阜市内のおにぎり専門店にて(8/20)
ウィキペディアによれば、「三昧」とはそもそも、「仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、精神集中が深まりきった状態のこと」をいうようです。日常表現ではこれを拡大解釈して、「〜に漬かりっぱなし」(読書三昧、ぜいたく三昧など)のように使うことのほうが多いですね。
そんなことを思いつつこの看板を見ていると、おむすびに対する積極的な姿勢が伝わってくるようです。ただのエネルギー源としての立場を超えた輝きに立ちたいと主張しているようにも感じられます。しかし、果たしてそういう意味で「三昧」を使っているかどうかは、どうもはっきりしません。おむすびの味の多様さや深さを味わいつくしてほしいと主張するとしたら、その場合、「味」か「昧」か、どちらがよいのでしょうか。
「焼鯖棒寿し」です。名産品なのですね。おいしそうです。でも、なんだか「寿」の字がごちゃごちゃしています。
気になったので、撮ってみました。一画多くありませんか。多いですね。でも、旗が出来上がっても、スタッフ・関係者は誰も誤字に気づかなかったのですね。いえ、ひょっとして気づいても、口に出せないことってありますよね。物事が完成に近づいているときは、そうしたものです。「ああ、違ってるなあ。でも、今更言い出せる雰囲気じゃないしなあ……」と、このようにして人は口をつぐむのです。 「たぶんだれも気づかないから、いいよ」とか思うものですね。しかし、気づく人は必ずいます。それは瞬間的に気づくものです。文字のゲシュタルトというのでしょうか、そういうものの崩れを脳が察知するので、「何か違うぞ」と感じて、その違和感の原因を探すものなのです。
しかしまあ、こうなっては取り返しようがありません。
いつだったか、ある人の還暦祝いの会場で記念品の大皿が披露された折、その皿にダイナミックな筆致で「祝還歴」と書かれていたのを思い出します。信楽焼の、素朴で力強い作品なのですが、文字の力はそれ以上のものでした。祝宴の会場には「還暦ではないのか……」という、うっすらとためいきのようなささやきが聞こえます。しかし、司会者はそれに気づきながら、強引に宴会を盛り上げていました。かく言う自分自身も、宴席でそのことを言い出せませんでした。しかしこれは、せっかくのお祝いに水を差すことはよくないと思ったからです。なんとも後味のよくないお酒となりました。
たとえ文字に自信があっても、辞書を引いて確かめるぐらいの習慣が必要だということですね。